読書猿『問題解決大全』
- 2017/12/28
- 12:47
いきつけのT書店の店長から薦められた『アイデア大全』という発想法にまつわる本は、現在4万部のロングセラーとなっているという(読書猿著、フォレスト出版、2017年1月刊)。
私はその本を購入しなかったが当ブログに取り上げ、けっこう批判的に書いたのだった。
→2017/02/22 blog 「読書猿氏の『アイデア大全』/「読書猿Classic」」
じつは後になって、著者の読書猿氏ご自身が、私のblogでの批判に応える文章をちょこっとTwitterに書いておられるのを見つけた。
→読書猿氏Twitter
「デカルトの重箱」様のご感想。
オススメいただいたT書店の哲人店長さんに胸アツ。
言い訳すると、デカルトは今書いてる問題解決の本に出てくる予定です。年表にも。
読書猿(くるぶし)氏の『アイデア大全』/「読書猿Classic」ブログ
http://kasainote.blog.fc2.com/blog-entry-44.html
18:06 - 2017年3月31日
私は驚いた。
さすがは読書猿氏、常時ご自身の著作に対する世の中の反応を徹底的にリサーチし、すべてを何らかの糧にしているのだろう。
そして、おもしろい時代である。――お互いに顔も知らない間柄なのに、相互にネット上にアップした文章を読み合っているという事態は、奇妙で面白い。
*
そして去る2017年11月、『アイデア大全』の姉妹本である『問題解決大全』が刊行された。
読書猿氏のブログでそのことを知った私は、早速T書店に赴いてその本を手に取り、店頭でぱらぱらとめくった。
なるほど「デカルト」について少し触れられている。「ロジック・ツリー」の項で「デカルトの4規則」が関連して取り上げられている。その解説もシンプルかつ細やかだ。
のみならず、私もblogで突っ込みを入れた「フィッシュボーン」や「マインドマップ」についても、かなり丁寧な解説が載せてある。つまり、私が問題だとした箇所は全部解決されてあったのだ。
ぱらぱらするだけで、この『問題解決大全 ビジネスや人生のハードルを乗り越える37のツール』は良書とわかった。刊行1カ月でもう2万部越えとのことだが、確かにこの内容とボリュームで1,800円(税別)は安い。
それにまた、知り合いでもないのにツイッターにああ書かれたら、買わないわけにもいくまい。
『問題解決大全』を手に、私はレジへと進んだ。
――大体において、私だって問題解決法を自分なりに模索しつつ、悩みながら日々を暮らしている。
というか、私の人生のあらゆる面におけるすべてが未解決の問題点だらけだ。いつも困り果てている。
何なのだ、この解決すべき問題の山は!
なぜ問題が山積しているのか?
・・・それは、こなすべき問題を温存しては放置するからだ。手をつけては中断するからだ。さらに次から次へと問題を掻き集めて来るからだ。私は元よりそういう性格なのである。もし「問題コレクター!」と背後から呼ぶ者があったとしたら、悔しいかな「えっ?」と振り向いてしまうことだろう。
沖縄に住まっているから降雪などとは無縁である。
その代わりに、人生や仕事や家庭の未解決問題がドカ雪のごとく積もる積もる。トナカイの鈴の音も聞こえないほど積もる。もう年末? そんなの信じないぞ私はっ! いったい何だったのだ、この一年間は?
この部屋は南国の問題豪雪地帯だ。除夜の鐘の音だって聞こえてこないだろう。
・・・そんな闇雲な生活をして嘆き喚いているわけだが、今、私の手元には、眩い光を放つ新刊本『問題解決大全』がある。
藁をも掴む心境でブラッドオレンジ色の表紙をめくり、厳かに読書を始めることにした。
*
出鼻を挫くようだがが、本書の内容に触れる前に、例によって先に重箱の隅をつついておくことにする。フォレスト出版のウェブサイトには《訂正ページ》もないようなので、
→フォレスト出版サイト:『問題解決大全』読書猿 著
ここに、「デカルト」に関する記述の訂正箇所を挙げておこう。
まず、索引(p.406)の「デカルト」の項目に誤りがある。
[誤] ルネ・デカルト・・・・・・88-89,398
[正] ルネ・デカルト・・・・・・88-89,397
そのp.397〈問題解決史年表〉をよく見てみると、たとえば『ノヴム・オルガヌム』を書いた「ベーコン」が紹介されてあるのに、人名索引にない。その「ベーコン」の説明中には、
「…発見のための帰納法を重視」
とあるのに、「デカルト」の項に「演繹法を重視」などの説明がない。ちなみに、本文中にもデカルトが「演繹法」で真理を導いていったなどの説明はなかった。じつは私もそんな説明は別になくてもいいと思っているのだが、あえて書くのは、ベーコンの帰納法について触れられてあるからである。帰納法と演繹法はセットであろう。
さて同じページでは、『ロビンソン・クルーソー』の「デフォー」が、やはり人名索引に載っていないし、
「1772年 フランクリン、プリーストリに『心の代数』についての手紙を送る」
とあっても、人名索引の「ベンジャミン・フランクリン」にp.397の記載がない。
ざっとp.397のみを見渡して、人名索引の記載漏れ・誤記がこれだけ見つかった。私が購入したのは2刷版である。ゆくゆくは訂正されるのが望ましい。
あと、もうひとつ細かなことを言えば、このページに、
「1637年 デカルト『方法序説』」
と書いてあるが、p.088には、
「…ルネ・デカルトの『方法叙説』に…」
と書かれてあり、同じ書物に対して表記にゆれがある。「序」の字に統一されたい。
→blog「『方法序説』か『方法叙説』か」
*
ついでに、デカルト以外で気がついた所もメモしておく。
p.069「ティンバーゲンの4つの問い」の項。ここでは、動物行動学のニコ・ティンバーゲンの4つの「なぜ」について紹介されてある。
私もだいぶ前に、この4つの「なぜ」を知った時は目からウロコだった。その衝撃は今でもよく覚えている。――「なぜ」は明確な構造をもった多義語だったのか! と感動したものだ。
『見る』という眼の進化についての分厚い本に載っていたのを読んだのだ。白地に目の大きなカエルがこちらを向いている、美しい表紙の本だった。
→早川書房ウェブサイト: 『見る 眼の誕生はわたしたちをどう変えたか』
(2009/01刊 サイモン・イングス著、吉田利子訳)
で。本書の話に戻れば、この「ティンバーゲンの4つの問い」の説明がちょっと違うのではないかと、私は思うのである。
p.070 にレシピがある。
①至近要因(機構)
②発生要因(発達)
③系統進化要因(進化・歴史)
④究極要因(機能・適応)
次のp.071 にサンプルがあって、「ホシムクドリが春にさえずるのはなぜか?」という事例で説明する。上記の①~④を具体例で次のように示している。
①生物学では、生理学の分野。
②生物学では、発生学の分野。
③生物学では、系統学の分野。
④生物学では、行動生態学の分野。
けれど、(おや?)と私は思う。発生学とは胚の発生を扱う学問なのではないのか? とすれば、それは途中までのことで、「学習」などの学問が抜けている。抜けているといったらもちろんその他の生物学(①でいえば形態学や分子生物学など)も全部網羅しなければいけない。けれどそれは大目にみるとして、、、でもここは「生物学では」というと範囲が広いので、古めかしいけれど「動物学」と言い直して、、、私がシロウトながら改変してみる。
①動物学では、生理学の分野。
②動物学では、発生学・動物行動学の分野。
③動物学では、系統学の分野。
④動物学では、行動生態学の分野。
p.071 にかわいらしい図示がある。
しかし、これもかなりおかしい。
(タマゴの発生)図 | (動物の系統樹)図
生理学 | 発生学
――――――――――+―――――――――――――
(昼夜の生活)図 | (求愛の様子)図
系統学 | 行動生態学
まず、図と内容があっていない。
それにホシムクドリの「昼夜の生活」は、①至近要因(機構)で事例説明がなされたのだ。混乱している。とにかく、全体的に直してみる。
(タマゴの発生)図 | (動物の系統樹)図
発生学・動物行動学| 系統学
――――――――――+―――――――――――――
(昼夜の生活)図 | (求愛の様子)図
生理学 | 行動生態学
上記のように直せば、p.075 の2×2の表とも①~④の位置がちゃんと対応する。
さて。
話は逸れるのだが、このややこしい図を直すのに、私はエンピツでメモを入れて考えを巡らせていた。
読書の際に本にメモを書き入れることは読解と記憶の助けになる。デカルトも『哲学の原理』で指南していることである。多くの人もしていることだろう。
けれど私個人の性癖で、本にペンで書き込むことはあまりない。大体エンピツを使う。なぜかというと、私は本に対して強い憧憬を持っていて、本をそのままの形に保存したいという気持ちがあるからだ。ペン書きは不可逆的である。エンピツなら消しゴムで消して現状に戻せる。実際には消すことなんてないのだけれど、可逆的なことが私にとってなんとなく重要なのだ。
ところが、だ。
『問題解決大全』は全ページ、地が薄っすらとピンク色で覆われている。
消しゴムで消すと、このピンク色が剥げてしまうのである!
これはもしかすると、本の減価を促進して古書市場に流通するのを阻害し売上を伸ばすための著者なりの商業戦略かもしれないぞ! クソッ!
いやしかし、ピンク地で読み心地はどうかといったら、読み良いのである。『アイデア大全』の全面黄色地は目が疲れそうだったが、このピンク地は、どこかほっとする。目に優しいのかもしれない。
まぁとにかく、私は売り払うつもりはないから別にいいのだけれど、本が不可逆的に傷つくのは好ましくない。もう仕方がないので、こうなったらドッグイヤーも付けてしまうことにした。
ちょうど、ページの端に折り目を付けるべき箇所があった。――p.021 である。読者はちょいちょいこのページの表を見返さねばならないだろう。もっと目立つ掲載の仕方をしてほしかった。
それと、ノドの奥にノンブルがあるのも、デザインとしてはいいが、ページ検索がしずらいしずらい。
その他の細かな〈誤記〉もメモしておく。
・p.109/L2 」のうしろに句点がない。
・p.154 図のタイトルが「学習前」も「学習後」のも、〈学習前のコンセプトマップ〉になっている。
*
まぁ、こうした問題個所がいくつもあるにせよ、――『問題解決大全』は素晴らしい一冊である。
私のように未解決問題に押しつぶされながら生きている人間にとって、涙が出るほどありがたい本になるかもしれない。そんな予感がする。
読み進めるのは多少難儀である。内容がスラスラと頭に入ってきにくい。おそらく文体と文脈構成のせいもある。
それはまるで、最高級の建材を集めてきて豪邸を建てている大工が、ビス打ちに関してはフリーハンドで気ままにやっている――そんな感じの文体だ。文章の流れ方が、付箋をペタペタ貼ってあるような風合で、思索の流れがたどたどしく淀む。もしかするとKJ法のラベルの形状がまだ文章の中に残存しているのかもしれない。
徒然なるままにたゆたう思索をパッチワークした随筆調とも捉えられる。それが味だといえば味かもしれない。
余談だが、受信料を払うことのない私が日々心の栄養にしているNHK「日曜美術館」で、長く司会を担当しているイケメンの井浦新氏は、いつもつっかえつっかえ引っかかるような話し方をする。表面的な流暢さよりも、あちらこちらに散らばる、真理を、検索し、引用して、持論に結合させようと、するので、そうなって、しまうのだろう。
本書の文脈もそれに少し似ていると思った。
だが、文脈のみならず構成もガタガタする場合もある。
たとえば、冒頭の「まえがき」などよくよく読めば、やはり内容の奥深い「まえがき」だし、本書のコンセプトも熟慮されているのだが、文章構成は酷い。
以下に「まえがき」の第1文目を引用してみる。諸兄は一読してスムーズに理解できるだろうか? 私には何度か読み直しが必要だった。
「本書は、困難や窮状を『問題』として捉え直し、その対処法や目標へ到達するための手段・方法を発見・実行することで、未来を変える方法と知恵を集めた道具箱である。」
一文で一冊分の骨格を説明しようとしたために、長くなりすぎているのだ。詰め込みすぎだ。主語と目的語が遠いし、どの言葉がどこに係るのかが明瞭でなく、何となく理解できるものの要領を得ない。いわゆる悪文である。
戯れに私が添削してみたい。うまくいくかどうか。
「本書は、未来を変えるための《知恵と方法》を集めた道具箱である。困難や窮状を「問題」として捉え直し、対処法を見出し、実行に移して目標に到達するのに有効な《知恵と方法》の数々が、ここに取り揃えてある。」
というわけで本書は、問題解決のための《知恵と方法》がずらり並べられた「道具箱」なのだ。
道具箱を開くと、「リニアな問題解決」と「サーキュラーな問題解決」とにまず大別してある。
リニア(直線的)とサーキュラー(円環的)?
わかりにくいかもしれないが、要するに、「クリアしてしまえば解決する問題」か、「解決したと思っても延々と問題が残り続ける問題」か、の2種類に大別できるというのである。
本質を突いているアプローチではないか!
そして、前著『アイデア大全』が自分の〈内〉にある制約を外す方法を探求したのに対し、本書『問題解決大全』では自分の〈外〉にある制約をどう扱っていけばいいのか、その方法を提示するのだという。
完璧なるシリーズ構成! ワクワクしてくる。
さて、本文を読み進めていくと、次第に文脈の流れはスムーズになり、読みやすい洗練された文章になっていく。〈問題の認知〉の章から〈解決案の探求〉へ進むと、さらに読みやすくてわかりよくなる。
けれど、ふと気がつけば、読みやすい〈解決案の探求〉の章は、もはやその多くが「問題」というテーマの中心線から反れていて、まるで内容そのものもサンプルも、『アイデア大全』の内容にすり替わってしまっている。
「文献調査」「力まかせ検索」の項までは〈解決案の探求〉そのものだった。が、続く「フェルミ推定」「マインドマップ」「ブレインライティング」「コンセプトマップ」・・・これらはみんな〈アイデアを生み出すツール〉じゃないか! これでは『アイデア大全Ⅱ』だ。
それでも、やっと「KJ法」の項からは〈解決案の探求〉のテーマを取り戻し、以降はわかりやすくてタメになる内容が続いていく。
私は今回のブログで、やはり読書猿氏のこの著作についても、こうして賛否綯い交ぜに書いてしまうのだけれど、ここで書きたいことはまさに《賞賛&批判》の両方なのである。
本書の企画と内容は、とても素晴らしい。諸手を挙げて大絶賛したい。
だが他方で、本書にはわり読みにくい箇所も多い。読者はこの障壁をずんずん乗り越えて本書の本質を掴み、自分に必要なエッセンスを吸収すべし、と私は助言したい。
悪文は、〈まえがき〉や〈本書の構成について〉の文脈の流れがスムーズでないことのみに限らず、人物紹介欄や、ひいては裏見返しの著者紹介などにも滲んでいる。
p.172 にある、インド出身経済学者アマルティヤ・クマール・センの人物紹介。
「・・・(略)・・・1998年にノーベル経済学賞を受ける。厚生経済学や社会選択理論という抽象理論の分野の第一人者であると同時に、それら分野で培われた分析ツールを、飢餓や貧困のメカニズムの解明や不平等や政治的自由主義の分析、人間開発理論の構築に適用し、経済学が持つ倫理学的側面と工学的側面の両面を兼ね備えた経済学者。」
この文章は変だ。日本語文法がなっていない。
まるで添削問題である。では解きましょうぞ。
「・・・(略)・・・1998年にノーベル経済学賞を受ける。厚生経済学や社会選択理論といった抽象理論の研究を行ない、そこで培われた分析ツールを、飢餓や貧困のメカニズムの解明、不平等や政治的自由主義の分析、人間開発理論の構築などに適用した。抽象理論分野の第一人者であると同時に、経済学を倫理学的側面と工学的側面の両面から研究した経済学者。」
次は、裏見返しの著者紹介。
「読書猿
正体不明、博覧強記の読書家。メルマガやブログなどで、ギリシャ哲学から集合論、現代文学からアマチュア科学者教則本、日の当たらない古典から目も当てられない新刊まで紹介している。人を食ったようなペンネームだが、「読書家、読書人を名乗る方々に遠く及ばない浅学の身」ゆえのネーミングとのこと。知性と謙虚さを兼ね備えた在野の賢人。
処女作『アイデア大全』はロングセラーとなっており、主婦から学生、学者まで幅広い層から支持を得ている。」
この著者紹介を読んで、諸兄は変だと思わないだろうか?
ペンネームが変なのではない。
もし、著者ご本人がこの自己紹介をタイプしたとすれば、
「正体不明、博覧強記の読書家。」
「知性と謙虚さを兼ね備えた在野の賢人。」
などと書き示したわけで、厚顔無恥さに読んでいるこちらが赤面してしまう。
だからこの著者紹介は、フォレスト出版社側が拵えたはずなのだ。
とすると、
「正体不明」
「人を食ったようなペンネームだが」
などと書くのはおかしい。
出版社の人間なら著者を知っているはずだから「正体不明」ではない。
そして、折角本を出してくれる著者のペンネームを「人を食ったような」と書くのも、あまりに書き手の感想が入りすぎていて浅はかだし、著者に対して無礼である。何万部も売り上げる著者なのだから、もっと大事に紹介するべきではないか。
つまりこの著者紹介は、書き手の立場と主語、誰に対しての文章か、著者の何についてどう紹介したいか、といった設定や構成がメチャクチャなのである。
たぶん読書猿氏ご自身が、読者に示したい自分のキャラクターを示そうと工夫してしたためた文章なのだろうと私は推測する。しかし本書の著者は、どう逆立ちしても実在する著者なのだ。演じても、捻っても、架空のキャラにはなりえない。そこを押さえ損ねたために、悪文の一種になったのだと思われる。
戯れに私が添削してみたい。散髪すればすっきりする。
「読書猿
正体不明、博覧強記の読書家。メルマガやブログなどで、ギリシャ哲学から集合論、現代文学からアマチュア科学者教則本、日の当たらない古典から目も当てられない新刊までも紹介している。前著『アイデア大全』は現在7万部を超えるロングセラー。」
こうすれば、語り手が出版社側となる。文章が硬めなので、「正体不明」と言ってもふざけた感じがしない。
読書猿氏による自己紹介にするならば、次のようになる。
「読書猿
正体は詳(つまび)らかにしないが、読書愛好家の端くれである。ペンネームは、「読書家、読書人を名乗る方々に遠く及ばない浅学の身」という心持ちに由来。
メルマガやブログなどで、ギリシャ哲学から集合論、現代文学からアマチュア科学者教則本、日の当たらない古典から目も当てられない新刊まで紹介している。処女作『アイデア大全』はロングセラーとなっており、主婦から学生、学者まで幅広い層から支持を得ている。」
* *
辛口なことばかり書いてしまったが、本当のところ、私も本書のファンになってしまった。
「まえがき」には、本書がハウツーを提供する実用書であると同時に、人文書であることを目指している、とあったが、実際に、かなり上質な人文書に仕上がっている。
本書はどんな内容だったか?
本書の特に着目すべき点はどこか?
・・・私はそれを書こうと思ったが、なかなか上手くできそうにない。
「現状に苦悩していて、かつ真剣に人生を変えようと思っている人は、買ってとくと読むがよい」
とだけ言っておきたい。
とにかく取捨選択できないほど、どの項目も一度は見ておくべきである。
項目内容リストを目次からコピペしよう。
『問題解決大全 ビジネスや人生のハードルを乗り越える37のツール』
01 100年ルール
02 ニーバーの仕分け
03 ノミナル・グループ・プロセス
04 キャメロット
05 佐藤の問題構造図式
06 ティンバーゲンの4つの問い
07 ロジック・ツリー
08 特性要因図(フィッシュボーン・ダイアグラム)
09 文献調査
10 力まかせ検索
11 フェルミ推定
12 マインドマップ
13 ブレインライティング
14 コンセプトマップ
15 KJ法
16 お山の大将
17 フランクリンの功罪表
18 機会費用
19 ケプナー・トリゴーの決定分析
20 ぐずぐず主義克服シート
21 過程決定計画図
22 オデュッセウスの鎖
23 行動デザインシート
24 セルフモニタリング
25 問題解決のタイムライン
26 フロイドの解き直し
27 ミラクル・クエスチョン
28 推論の梯子
29 リフレーミング
30 問題への相談
31 現状分析ツリー
32 因果ループ図
33 スケーリング・クエスチョン
34 エスノグラフィー
35 二重傾聴
36 ピレネーの地図
37 症状処方
いずれの項目も至極の《知恵と方法》だ。どれも捨てることはできない。
私が一読者として特に意外だったのは、〈100年ルール〉と〈文献調査〉である。こんなのは基礎的なことで、いわば「何でもない」ような、「立てるまでもない」ような項目だと思ったのだが、・・・そこにこそ、忘れていた重要なポイントが隠れていた気がする。自分の胸中に、ハッと我に返るきっかけをくれた。
私は、巻末の〈問題解決史年表〉の最後の方に、2012年頃から実用化に成功している昨今AI分野で話題の「ディープラーニング」の記事が載っていないことに、ほんとうはツッコミを入れたかった。究極の問題解決方法としての最先端AIを、なぜ載せないのか、と。
だが、それをここに書こうとして・・・息を呑んだ。
もうすでにディープラーニングを利用した人工知能が人智を超えた発明発見をいくつも成している2017年現在。これからSF映画よろしくAIは永遠に人智を超えていくだろう。後戻りはできない。機械は機械自身で無限に賢くなり続け、人類の問題解決の多くをAIが取って代わって担っていくに違いない。
と同時に、機械はどこまでも人間の道具であるから、それを利用していくことになる。
その一方で、どこまでいっても主人公が人間であることは譲れまい。バカでもアホでも、持ち前のショボい頭脳でもって何とかしていかねばならないのだ。まさにサーキュラーな事象である。
ということは、つまりこの『問題解決大全』は、最新の道具である〈ディープラーニング〉のAIの“直前”までを37項で紹介してある――私はそう捉えた。
つまりこの本は、問題解決という人類普遍のテーマの、その年表の最後に置かれたランドマークなのだ。本書を手に、しみじみと人間の寂しさと尊厳とを感じ取ってしまうのは私だけであろうか。
とにかく、私には、たいへん勉強になった。勇気をもらえた。
感動すら覚えたページがいくつもある。
人に説明しずらいので抽象的に留め置くが、他にもふとした箇所が、なぜなのかグッと来た。胸に沁みた。
書かれていたのをチョイスして、これから私の問題だらけの人生にも仕事にも家庭にも用いてみようと、帯を締め直す心地である。
これぞ人文書である。
ありがとう、読書猿。
* * *
宵の口、小学1年生の長男の親友が、ウチに玩具を忘れていった。
近所なのでお母さんが取りに来た。私と同年代のママさんだ。マスク姿で鼻声だった。
「風邪ですか?」
「はい、もう治りそうなんですけど。・・・そういえばTが昨日、『例の本、入ってます』って伝えてくださいって。伝言です」
「例の本?」
Tというのは、ママさんの実弟のことである。
そしてその人は、T書店の店長をしている。
じつは偶然も偶然、私の長男の親友の叔父が、私の行きつけであるT書店の店長であり、かつ、哲学を専攻していた方なのだ。昨年末にTさんと知遇を得て、それからというもの、私がT書店に行くと様々な情報や教養をくれている。
しかし「例の本」というのは何か。
読書猿氏の『アイデア大全』はT店長から薦められた本だったが、こんどの『問題解決大全』のことはまだ一度も話題に上ったことはなかった。でも、それ以外に考えられない。
「例の本って、これですか?」さっと傍らから本を出して見せた。「ちょうど昨日の夜、T書店でたまたま買ってきたばかりですよ。Tさんはいらっしゃらなかったけど」
「例の本、としか聞いていませんが・・・」
ママさんは本をパラパラめくって、多分、マスクの裏で苦笑していたが、やがてこう断言した。
「まったく、何が書いてあるのか、私にはさっぱり分かりません。哲学の本ですか?」
パラパラみてこの本の中身が分かる人は少ないだろう。
「哲学っていうか、いろんな問題をどうやって解決するか、っていう方法論の本です」
するとママさんは、目を丸くして、
「へえっ! 二人してそんな本を読んでるんですか!?」
と素っ頓狂な声を発した。
実弟と、息子のクラスメイトの父親とが、マニアックな問題解決方法論の本を話材に盛り上がっている様子は、確かに奇妙奇天烈に映るかもしれない。いや、現時点ではまだ盛り上がるも何も、話題にも上っていないわけだが・・・
そんな本、と言われて私もおかしくなり、得意げにはにかんで答えた。
「素晴らしい本です」
私はその本を購入しなかったが当ブログに取り上げ、けっこう批判的に書いたのだった。
→2017/02/22 blog 「読書猿氏の『アイデア大全』/「読書猿Classic」」
じつは後になって、著者の読書猿氏ご自身が、私のblogでの批判に応える文章をちょこっとTwitterに書いておられるのを見つけた。
→読書猿氏Twitter
「デカルトの重箱」様のご感想。
オススメいただいたT書店の哲人店長さんに胸アツ。
言い訳すると、デカルトは今書いてる問題解決の本に出てくる予定です。年表にも。
読書猿(くるぶし)氏の『アイデア大全』/「読書猿Classic」ブログ
http://kasainote.blog.fc2.com/blog-entry-44.html
18:06 - 2017年3月31日
私は驚いた。
さすがは読書猿氏、常時ご自身の著作に対する世の中の反応を徹底的にリサーチし、すべてを何らかの糧にしているのだろう。
そして、おもしろい時代である。――お互いに顔も知らない間柄なのに、相互にネット上にアップした文章を読み合っているという事態は、奇妙で面白い。
*
そして去る2017年11月、『アイデア大全』の姉妹本である『問題解決大全』が刊行された。
読書猿氏のブログでそのことを知った私は、早速T書店に赴いてその本を手に取り、店頭でぱらぱらとめくった。
なるほど「デカルト」について少し触れられている。「ロジック・ツリー」の項で「デカルトの4規則」が関連して取り上げられている。その解説もシンプルかつ細やかだ。
のみならず、私もblogで突っ込みを入れた「フィッシュボーン」や「マインドマップ」についても、かなり丁寧な解説が載せてある。つまり、私が問題だとした箇所は全部解決されてあったのだ。
ぱらぱらするだけで、この『問題解決大全 ビジネスや人生のハードルを乗り越える37のツール』は良書とわかった。刊行1カ月でもう2万部越えとのことだが、確かにこの内容とボリュームで1,800円(税別)は安い。
それにまた、知り合いでもないのにツイッターにああ書かれたら、買わないわけにもいくまい。
『問題解決大全』を手に、私はレジへと進んだ。
――大体において、私だって問題解決法を自分なりに模索しつつ、悩みながら日々を暮らしている。
というか、私の人生のあらゆる面におけるすべてが未解決の問題点だらけだ。いつも困り果てている。
何なのだ、この解決すべき問題の山は!
なぜ問題が山積しているのか?
・・・それは、こなすべき問題を温存しては放置するからだ。手をつけては中断するからだ。さらに次から次へと問題を掻き集めて来るからだ。私は元よりそういう性格なのである。もし「問題コレクター!」と背後から呼ぶ者があったとしたら、悔しいかな「えっ?」と振り向いてしまうことだろう。
沖縄に住まっているから降雪などとは無縁である。
その代わりに、人生や仕事や家庭の未解決問題がドカ雪のごとく積もる積もる。トナカイの鈴の音も聞こえないほど積もる。もう年末? そんなの信じないぞ私はっ! いったい何だったのだ、この一年間は?
この部屋は南国の問題豪雪地帯だ。除夜の鐘の音だって聞こえてこないだろう。
・・・そんな闇雲な生活をして嘆き喚いているわけだが、今、私の手元には、眩い光を放つ新刊本『問題解決大全』がある。
藁をも掴む心境でブラッドオレンジ色の表紙をめくり、厳かに読書を始めることにした。
*
出鼻を挫くようだがが、本書の内容に触れる前に、例によって先に重箱の隅をつついておくことにする。フォレスト出版のウェブサイトには《訂正ページ》もないようなので、
→フォレスト出版サイト:『問題解決大全』読書猿 著
ここに、「デカルト」に関する記述の訂正箇所を挙げておこう。
まず、索引(p.406)の「デカルト」の項目に誤りがある。
[誤] ルネ・デカルト・・・・・・88-89,398
[正] ルネ・デカルト・・・・・・88-89,397
そのp.397〈問題解決史年表〉をよく見てみると、たとえば『ノヴム・オルガヌム』を書いた「ベーコン」が紹介されてあるのに、人名索引にない。その「ベーコン」の説明中には、
「…発見のための帰納法を重視」
とあるのに、「デカルト」の項に「演繹法を重視」などの説明がない。ちなみに、本文中にもデカルトが「演繹法」で真理を導いていったなどの説明はなかった。じつは私もそんな説明は別になくてもいいと思っているのだが、あえて書くのは、ベーコンの帰納法について触れられてあるからである。帰納法と演繹法はセットであろう。
さて同じページでは、『ロビンソン・クルーソー』の「デフォー」が、やはり人名索引に載っていないし、
「1772年 フランクリン、プリーストリに『心の代数』についての手紙を送る」
とあっても、人名索引の「ベンジャミン・フランクリン」にp.397の記載がない。
ざっとp.397のみを見渡して、人名索引の記載漏れ・誤記がこれだけ見つかった。私が購入したのは2刷版である。ゆくゆくは訂正されるのが望ましい。
あと、もうひとつ細かなことを言えば、このページに、
「1637年 デカルト『方法序説』」
と書いてあるが、p.088には、
「…ルネ・デカルトの『方法叙説』に…」
と書かれてあり、同じ書物に対して表記にゆれがある。「序」の字に統一されたい。
→blog「『方法序説』か『方法叙説』か」
*
ついでに、デカルト以外で気がついた所もメモしておく。
p.069「ティンバーゲンの4つの問い」の項。ここでは、動物行動学のニコ・ティンバーゲンの4つの「なぜ」について紹介されてある。
私もだいぶ前に、この4つの「なぜ」を知った時は目からウロコだった。その衝撃は今でもよく覚えている。――「なぜ」は明確な構造をもった多義語だったのか! と感動したものだ。
『見る』という眼の進化についての分厚い本に載っていたのを読んだのだ。白地に目の大きなカエルがこちらを向いている、美しい表紙の本だった。
→早川書房ウェブサイト: 『見る 眼の誕生はわたしたちをどう変えたか』
(2009/01刊 サイモン・イングス著、吉田利子訳)
で。本書の話に戻れば、この「ティンバーゲンの4つの問い」の説明がちょっと違うのではないかと、私は思うのである。
p.070 にレシピがある。
①至近要因(機構)
②発生要因(発達)
③系統進化要因(進化・歴史)
④究極要因(機能・適応)
次のp.071 にサンプルがあって、「ホシムクドリが春にさえずるのはなぜか?」という事例で説明する。上記の①~④を具体例で次のように示している。
①生物学では、生理学の分野。
②生物学では、発生学の分野。
③生物学では、系統学の分野。
④生物学では、行動生態学の分野。
けれど、(おや?)と私は思う。発生学とは胚の発生を扱う学問なのではないのか? とすれば、それは途中までのことで、「学習」などの学問が抜けている。抜けているといったらもちろんその他の生物学(①でいえば形態学や分子生物学など)も全部網羅しなければいけない。けれどそれは大目にみるとして、、、でもここは「生物学では」というと範囲が広いので、古めかしいけれど「動物学」と言い直して、、、私がシロウトながら改変してみる。
①動物学では、生理学の分野。
②動物学では、発生学・動物行動学の分野。
③動物学では、系統学の分野。
④動物学では、行動生態学の分野。
p.071 にかわいらしい図示がある。
しかし、これもかなりおかしい。
(タマゴの発生)図 | (動物の系統樹)図
生理学 | 発生学
――――――――――+―――――――――――――
(昼夜の生活)図 | (求愛の様子)図
系統学 | 行動生態学
まず、図と内容があっていない。
それにホシムクドリの「昼夜の生活」は、①至近要因(機構)で事例説明がなされたのだ。混乱している。とにかく、全体的に直してみる。
(タマゴの発生)図 | (動物の系統樹)図
発生学・動物行動学| 系統学
――――――――――+―――――――――――――
(昼夜の生活)図 | (求愛の様子)図
生理学 | 行動生態学
上記のように直せば、p.075 の2×2の表とも①~④の位置がちゃんと対応する。
さて。
話は逸れるのだが、このややこしい図を直すのに、私はエンピツでメモを入れて考えを巡らせていた。
読書の際に本にメモを書き入れることは読解と記憶の助けになる。デカルトも『哲学の原理』で指南していることである。多くの人もしていることだろう。
けれど私個人の性癖で、本にペンで書き込むことはあまりない。大体エンピツを使う。なぜかというと、私は本に対して強い憧憬を持っていて、本をそのままの形に保存したいという気持ちがあるからだ。ペン書きは不可逆的である。エンピツなら消しゴムで消して現状に戻せる。実際には消すことなんてないのだけれど、可逆的なことが私にとってなんとなく重要なのだ。
ところが、だ。
『問題解決大全』は全ページ、地が薄っすらとピンク色で覆われている。
消しゴムで消すと、このピンク色が剥げてしまうのである!
これはもしかすると、本の減価を促進して古書市場に流通するのを阻害し売上を伸ばすための著者なりの商業戦略かもしれないぞ! クソッ!
いやしかし、ピンク地で読み心地はどうかといったら、読み良いのである。『アイデア大全』の全面黄色地は目が疲れそうだったが、このピンク地は、どこかほっとする。目に優しいのかもしれない。
まぁとにかく、私は売り払うつもりはないから別にいいのだけれど、本が不可逆的に傷つくのは好ましくない。もう仕方がないので、こうなったらドッグイヤーも付けてしまうことにした。
ちょうど、ページの端に折り目を付けるべき箇所があった。――p.021 である。読者はちょいちょいこのページの表を見返さねばならないだろう。もっと目立つ掲載の仕方をしてほしかった。
それと、ノドの奥にノンブルがあるのも、デザインとしてはいいが、ページ検索がしずらいしずらい。
その他の細かな〈誤記〉もメモしておく。
・p.109/L2 」のうしろに句点がない。
・p.154 図のタイトルが「学習前」も「学習後」のも、〈学習前のコンセプトマップ〉になっている。
*
まぁ、こうした問題個所がいくつもあるにせよ、――『問題解決大全』は素晴らしい一冊である。
私のように未解決問題に押しつぶされながら生きている人間にとって、涙が出るほどありがたい本になるかもしれない。そんな予感がする。
読み進めるのは多少難儀である。内容がスラスラと頭に入ってきにくい。おそらく文体と文脈構成のせいもある。
それはまるで、最高級の建材を集めてきて豪邸を建てている大工が、ビス打ちに関してはフリーハンドで気ままにやっている――そんな感じの文体だ。文章の流れ方が、付箋をペタペタ貼ってあるような風合で、思索の流れがたどたどしく淀む。もしかするとKJ法のラベルの形状がまだ文章の中に残存しているのかもしれない。
徒然なるままにたゆたう思索をパッチワークした随筆調とも捉えられる。それが味だといえば味かもしれない。
余談だが、受信料を払うことのない私が日々心の栄養にしているNHK「日曜美術館」で、長く司会を担当しているイケメンの井浦新氏は、いつもつっかえつっかえ引っかかるような話し方をする。表面的な流暢さよりも、あちらこちらに散らばる、真理を、検索し、引用して、持論に結合させようと、するので、そうなって、しまうのだろう。
本書の文脈もそれに少し似ていると思った。
だが、文脈のみならず構成もガタガタする場合もある。
たとえば、冒頭の「まえがき」などよくよく読めば、やはり内容の奥深い「まえがき」だし、本書のコンセプトも熟慮されているのだが、文章構成は酷い。
以下に「まえがき」の第1文目を引用してみる。諸兄は一読してスムーズに理解できるだろうか? 私には何度か読み直しが必要だった。
「本書は、困難や窮状を『問題』として捉え直し、その対処法や目標へ到達するための手段・方法を発見・実行することで、未来を変える方法と知恵を集めた道具箱である。」
一文で一冊分の骨格を説明しようとしたために、長くなりすぎているのだ。詰め込みすぎだ。主語と目的語が遠いし、どの言葉がどこに係るのかが明瞭でなく、何となく理解できるものの要領を得ない。いわゆる悪文である。
戯れに私が添削してみたい。うまくいくかどうか。
「本書は、未来を変えるための《知恵と方法》を集めた道具箱である。困難や窮状を「問題」として捉え直し、対処法を見出し、実行に移して目標に到達するのに有効な《知恵と方法》の数々が、ここに取り揃えてある。」
というわけで本書は、問題解決のための《知恵と方法》がずらり並べられた「道具箱」なのだ。
道具箱を開くと、「リニアな問題解決」と「サーキュラーな問題解決」とにまず大別してある。
リニア(直線的)とサーキュラー(円環的)?
わかりにくいかもしれないが、要するに、「クリアしてしまえば解決する問題」か、「解決したと思っても延々と問題が残り続ける問題」か、の2種類に大別できるというのである。
本質を突いているアプローチではないか!
そして、前著『アイデア大全』が自分の〈内〉にある制約を外す方法を探求したのに対し、本書『問題解決大全』では自分の〈外〉にある制約をどう扱っていけばいいのか、その方法を提示するのだという。
完璧なるシリーズ構成! ワクワクしてくる。
さて、本文を読み進めていくと、次第に文脈の流れはスムーズになり、読みやすい洗練された文章になっていく。〈問題の認知〉の章から〈解決案の探求〉へ進むと、さらに読みやすくてわかりよくなる。
けれど、ふと気がつけば、読みやすい〈解決案の探求〉の章は、もはやその多くが「問題」というテーマの中心線から反れていて、まるで内容そのものもサンプルも、『アイデア大全』の内容にすり替わってしまっている。
「文献調査」「力まかせ検索」の項までは〈解決案の探求〉そのものだった。が、続く「フェルミ推定」「マインドマップ」「ブレインライティング」「コンセプトマップ」・・・これらはみんな〈アイデアを生み出すツール〉じゃないか! これでは『アイデア大全Ⅱ』だ。
それでも、やっと「KJ法」の項からは〈解決案の探求〉のテーマを取り戻し、以降はわかりやすくてタメになる内容が続いていく。
私は今回のブログで、やはり読書猿氏のこの著作についても、こうして賛否綯い交ぜに書いてしまうのだけれど、ここで書きたいことはまさに《賞賛&批判》の両方なのである。
本書の企画と内容は、とても素晴らしい。諸手を挙げて大絶賛したい。
だが他方で、本書にはわり読みにくい箇所も多い。読者はこの障壁をずんずん乗り越えて本書の本質を掴み、自分に必要なエッセンスを吸収すべし、と私は助言したい。
悪文は、〈まえがき〉や〈本書の構成について〉の文脈の流れがスムーズでないことのみに限らず、人物紹介欄や、ひいては裏見返しの著者紹介などにも滲んでいる。
p.172 にある、インド出身経済学者アマルティヤ・クマール・センの人物紹介。
「・・・(略)・・・1998年にノーベル経済学賞を受ける。厚生経済学や社会選択理論という抽象理論の分野の第一人者であると同時に、それら分野で培われた分析ツールを、飢餓や貧困のメカニズムの解明や不平等や政治的自由主義の分析、人間開発理論の構築に適用し、経済学が持つ倫理学的側面と工学的側面の両面を兼ね備えた経済学者。」
この文章は変だ。日本語文法がなっていない。
まるで添削問題である。では解きましょうぞ。
「・・・(略)・・・1998年にノーベル経済学賞を受ける。厚生経済学や社会選択理論といった抽象理論の研究を行ない、そこで培われた分析ツールを、飢餓や貧困のメカニズムの解明、不平等や政治的自由主義の分析、人間開発理論の構築などに適用した。抽象理論分野の第一人者であると同時に、経済学を倫理学的側面と工学的側面の両面から研究した経済学者。」
次は、裏見返しの著者紹介。
「読書猿
正体不明、博覧強記の読書家。メルマガやブログなどで、ギリシャ哲学から集合論、現代文学からアマチュア科学者教則本、日の当たらない古典から目も当てられない新刊まで紹介している。人を食ったようなペンネームだが、「読書家、読書人を名乗る方々に遠く及ばない浅学の身」ゆえのネーミングとのこと。知性と謙虚さを兼ね備えた在野の賢人。
処女作『アイデア大全』はロングセラーとなっており、主婦から学生、学者まで幅広い層から支持を得ている。」
この著者紹介を読んで、諸兄は変だと思わないだろうか?
ペンネームが変なのではない。
もし、著者ご本人がこの自己紹介をタイプしたとすれば、
「正体不明、博覧強記の読書家。」
「知性と謙虚さを兼ね備えた在野の賢人。」
などと書き示したわけで、厚顔無恥さに読んでいるこちらが赤面してしまう。
だからこの著者紹介は、フォレスト出版社側が拵えたはずなのだ。
とすると、
「正体不明」
「人を食ったようなペンネームだが」
などと書くのはおかしい。
出版社の人間なら著者を知っているはずだから「正体不明」ではない。
そして、折角本を出してくれる著者のペンネームを「人を食ったような」と書くのも、あまりに書き手の感想が入りすぎていて浅はかだし、著者に対して無礼である。何万部も売り上げる著者なのだから、もっと大事に紹介するべきではないか。
つまりこの著者紹介は、書き手の立場と主語、誰に対しての文章か、著者の何についてどう紹介したいか、といった設定や構成がメチャクチャなのである。
たぶん読書猿氏ご自身が、読者に示したい自分のキャラクターを示そうと工夫してしたためた文章なのだろうと私は推測する。しかし本書の著者は、どう逆立ちしても実在する著者なのだ。演じても、捻っても、架空のキャラにはなりえない。そこを押さえ損ねたために、悪文の一種になったのだと思われる。
戯れに私が添削してみたい。散髪すればすっきりする。
「読書猿
正体不明、博覧強記の読書家。メルマガやブログなどで、ギリシャ哲学から集合論、現代文学からアマチュア科学者教則本、日の当たらない古典から目も当てられない新刊までも紹介している。前著『アイデア大全』は現在7万部を超えるロングセラー。」
こうすれば、語り手が出版社側となる。文章が硬めなので、「正体不明」と言ってもふざけた感じがしない。
読書猿氏による自己紹介にするならば、次のようになる。
「読書猿
正体は詳(つまび)らかにしないが、読書愛好家の端くれである。ペンネームは、「読書家、読書人を名乗る方々に遠く及ばない浅学の身」という心持ちに由来。
メルマガやブログなどで、ギリシャ哲学から集合論、現代文学からアマチュア科学者教則本、日の当たらない古典から目も当てられない新刊まで紹介している。処女作『アイデア大全』はロングセラーとなっており、主婦から学生、学者まで幅広い層から支持を得ている。」
* *
辛口なことばかり書いてしまったが、本当のところ、私も本書のファンになってしまった。
「まえがき」には、本書がハウツーを提供する実用書であると同時に、人文書であることを目指している、とあったが、実際に、かなり上質な人文書に仕上がっている。
本書はどんな内容だったか?
本書の特に着目すべき点はどこか?
・・・私はそれを書こうと思ったが、なかなか上手くできそうにない。
「現状に苦悩していて、かつ真剣に人生を変えようと思っている人は、買ってとくと読むがよい」
とだけ言っておきたい。
とにかく取捨選択できないほど、どの項目も一度は見ておくべきである。
項目内容リストを目次からコピペしよう。
『問題解決大全 ビジネスや人生のハードルを乗り越える37のツール』
01 100年ルール
02 ニーバーの仕分け
03 ノミナル・グループ・プロセス
04 キャメロット
05 佐藤の問題構造図式
06 ティンバーゲンの4つの問い
07 ロジック・ツリー
08 特性要因図(フィッシュボーン・ダイアグラム)
09 文献調査
10 力まかせ検索
11 フェルミ推定
12 マインドマップ
13 ブレインライティング
14 コンセプトマップ
15 KJ法
16 お山の大将
17 フランクリンの功罪表
18 機会費用
19 ケプナー・トリゴーの決定分析
20 ぐずぐず主義克服シート
21 過程決定計画図
22 オデュッセウスの鎖
23 行動デザインシート
24 セルフモニタリング
25 問題解決のタイムライン
26 フロイドの解き直し
27 ミラクル・クエスチョン
28 推論の梯子
29 リフレーミング
30 問題への相談
31 現状分析ツリー
32 因果ループ図
33 スケーリング・クエスチョン
34 エスノグラフィー
35 二重傾聴
36 ピレネーの地図
37 症状処方
いずれの項目も至極の《知恵と方法》だ。どれも捨てることはできない。
私が一読者として特に意外だったのは、〈100年ルール〉と〈文献調査〉である。こんなのは基礎的なことで、いわば「何でもない」ような、「立てるまでもない」ような項目だと思ったのだが、・・・そこにこそ、忘れていた重要なポイントが隠れていた気がする。自分の胸中に、ハッと我に返るきっかけをくれた。
私は、巻末の〈問題解決史年表〉の最後の方に、2012年頃から実用化に成功している昨今AI分野で話題の「ディープラーニング」の記事が載っていないことに、ほんとうはツッコミを入れたかった。究極の問題解決方法としての最先端AIを、なぜ載せないのか、と。
だが、それをここに書こうとして・・・息を呑んだ。
もうすでにディープラーニングを利用した人工知能が人智を超えた発明発見をいくつも成している2017年現在。これからSF映画よろしくAIは永遠に人智を超えていくだろう。後戻りはできない。機械は機械自身で無限に賢くなり続け、人類の問題解決の多くをAIが取って代わって担っていくに違いない。
と同時に、機械はどこまでも人間の道具であるから、それを利用していくことになる。
その一方で、どこまでいっても主人公が人間であることは譲れまい。バカでもアホでも、持ち前のショボい頭脳でもって何とかしていかねばならないのだ。まさにサーキュラーな事象である。
ということは、つまりこの『問題解決大全』は、最新の道具である〈ディープラーニング〉のAIの“直前”までを37項で紹介してある――私はそう捉えた。
つまりこの本は、問題解決という人類普遍のテーマの、その年表の最後に置かれたランドマークなのだ。本書を手に、しみじみと人間の寂しさと尊厳とを感じ取ってしまうのは私だけであろうか。
とにかく、私には、たいへん勉強になった。勇気をもらえた。
感動すら覚えたページがいくつもある。
人に説明しずらいので抽象的に留め置くが、他にもふとした箇所が、なぜなのかグッと来た。胸に沁みた。
書かれていたのをチョイスして、これから私の問題だらけの人生にも仕事にも家庭にも用いてみようと、帯を締め直す心地である。
これぞ人文書である。
ありがとう、読書猿。
* * *
宵の口、小学1年生の長男の親友が、ウチに玩具を忘れていった。
近所なのでお母さんが取りに来た。私と同年代のママさんだ。マスク姿で鼻声だった。
「風邪ですか?」
「はい、もう治りそうなんですけど。・・・そういえばTが昨日、『例の本、入ってます』って伝えてくださいって。伝言です」
「例の本?」
Tというのは、ママさんの実弟のことである。
そしてその人は、T書店の店長をしている。
じつは偶然も偶然、私の長男の親友の叔父が、私の行きつけであるT書店の店長であり、かつ、哲学を専攻していた方なのだ。昨年末にTさんと知遇を得て、それからというもの、私がT書店に行くと様々な情報や教養をくれている。
しかし「例の本」というのは何か。
読書猿氏の『アイデア大全』はT店長から薦められた本だったが、こんどの『問題解決大全』のことはまだ一度も話題に上ったことはなかった。でも、それ以外に考えられない。
「例の本って、これですか?」さっと傍らから本を出して見せた。「ちょうど昨日の夜、T書店でたまたま買ってきたばかりですよ。Tさんはいらっしゃらなかったけど」
「例の本、としか聞いていませんが・・・」
ママさんは本をパラパラめくって、多分、マスクの裏で苦笑していたが、やがてこう断言した。
「まったく、何が書いてあるのか、私にはさっぱり分かりません。哲学の本ですか?」
パラパラみてこの本の中身が分かる人は少ないだろう。
「哲学っていうか、いろんな問題をどうやって解決するか、っていう方法論の本です」
するとママさんは、目を丸くして、
「へえっ! 二人してそんな本を読んでるんですか!?」
と素っ頓狂な声を発した。
実弟と、息子のクラスメイトの父親とが、マニアックな問題解決方法論の本を話材に盛り上がっている様子は、確かに奇妙奇天烈に映るかもしれない。いや、現時点ではまだ盛り上がるも何も、話題にも上っていないわけだが・・・
そんな本、と言われて私もおかしくなり、得意げにはにかんで答えた。
「素晴らしい本です」
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