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スピッツやエレカシも出演した老舗ライブハウスが閉店ーー「新宿JAM」の知られざる舞台裏

[2017年12月28日]

バンド全盛期を支えた新宿JAM

1980年オープンの老舗ライブハウスで、スピッツ、エレファントカシマシ、ザ・ブルーハーツなどがデビュー前に出演していたことでも知られる「新宿JAM」が、12月31日をもって37年の歴史に幕を閉じる。

閉店の報に際して、氣志團の綾小路翔が惜別のコメントを綴(つづ)るなど、数多くのミュージシャンに愛された新宿JAMとは、どんなハコだったのか?

昔ながらのライブハウスという表現がピッタリな地下にあり、下水の臭いが漂い、いまだに使い道がわからない謎の配線があったりとボロボロ…。さらに上には以前、ヤクザが住んでいたりもしたそうで数え上げればキリがないほど出てくる悪条件だ。

ひと筋縄でいくはずもない環境の中、どのようにJAMは歴史を紡いできたのか――2006年から店長を務めてきた石塚明彦氏に、初代店長から聞いたというJAMの生い立ちから“196時間ぶっ通しフェス”など斬新な企画を次々と生み出してきた近年までを語ってもらった。

―ビルが取り壊しになるそうですね。

石塚 そうなんです。このビルが1970年にできたものなので、2011年の震災くらいから、なんとなく大家さんからも言われていたんですよ。だから、「ついにきたか」みたいな感じでしたね。

―石塚さんがJAMに来たのは06年とのことですが、開店当時の話を聞く機会もあったんですか?

石塚 元々、高野さんという方が立ち上げて、今は八王子のpapaBeatというライブハウスのオーナーをやられているんですけど、最初は練習スタジオを作ろうとしたそうなんです(現在も1階は練習スタジオ)。今、ライブハウスのある地下も元々、スタジオの待合室でちょっと広すぎるからライブハウスにしたと聞きました。

でも、途中で業者に逃げられて、そこからは手作りで完成させたらしいんですよ(笑)。だから、使い道がわからない謎の配線とか、今でも開かずの扉的なものが結構あるんです。

―昔のJAMは、どんなライブハウスだったんですか?

石塚 間口が広いというか、敷居が低いというか、高野さんがなんでも受け入れる人だったんですよ。当時の新宿はLOFT(1976年から現在も営業を続ける老舗ライブハウス)に多くのバンドマンが憧れていたんですけど、JAMは登竜門みたいな構図だったんです。

これまでを振り返る石塚氏

これまでを振り返る石塚氏


―その中でスピッツが初ライブをしたり、エレカシやブルーハーツがデビュー前に出ていたりという伝説が生まれたわけですね。

石塚 そうですね。それと、モッズ系のバンドが多くて、特にThe CollectorsはJAMを象徴する神みたいな存在で。彼らは最近、日本武道館でライブをやったんですけど、その時にScoobie Doが「新宿JAMの後輩 Scoobie Doより」と書いた花を送ったそうなんです。それを知った時は嬉しかったですねぇ。

―いい話です! 一方でパンクやハードコアの人たちも多く出ていたイメージがありますが。

石塚 高野さんが言うには、最初はパンクのイベントも多くて、何回も機材を壊されたと。それで頭を悩ませていた時にアンチノック(同じ新宿にあるライブハウスで、パンク/ハードコアの聖地と言われている)ができて、そういうバンドを全部紹介したそうです。「アンチノックの歴史を作ったのは俺や」と冗談まじりに言ってましたね(笑)。


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