中核派や動労千葉、動労水戸らはまだまだ、”思想の天動説”である。しょせんは万年”ギザギザハートの子守唄”でしかない。
日本の、というか世界か、の左翼って、みんな天動説である。
・・・そういう意味では右翼や創価学会のほうがまだ地動説であって、賢いなあと思うところがある。
左翼は揃いも揃って、「安倍倒せ!とか改憲反対!」とか言う。
けれども、そんなタテマエをいくら言ったって、日本政府はちゃんと仕事してくれていると内心思っている。
中核派・動労千葉、動労水戸らが掲げる絶対反対闘争なんて、ガチで反抗期のガキでしかない。
”ギザギザハートの子守唄”を若い時から死ぬまで歌っているだけである。
本当に、この親は信用ならん!と思ったら、親は捨てて独自で生きていく。
左翼は、親離れができない万年反抗期でしかない。
なんでみんな、自分らで新しい政府を作ろうと言い出せないのか?
安倍晋三よりもオマエらのほうが無責任!
私は、日本政府権力に取って代われるし、そのために、あらゆる戦法で主張し、たとえば中核派にいたときも、中核派の闘いに従って、動労東京の立ち上げに関わり、鉄道運転士が最も興味を持つであろう問題を取り上げたけれども、中核派なんて全部自分らの旧来のストライキ闘争に押し込めようとして、けっきょく私は見限った。
やっぱり、絶対反対闘争なんて、権力がやっていることは実は正しい、という安心感がないとできない。
いま目の前で起ころうとしている大事故を、自分が察知したとして、防ぐためには、敵とか味方とか関係ない。
大事故を防ぐことこそが大事で、誰と共闘するとか、全く大事ではない。
私は、まだまだ世界は”思想の天動説”であると考える。
誰が言うか、誰を信じるか、そればっかや。
”思想の地動説”とは、”誰が”というのからは解放されて、事実にのみ従う。
それは”是々非々”の姿勢でもあるけど、”是々非々”を口にしながら”是々非々”を貫いた人間を私は知らないし。
だいたい中核派なんて、私が公安からストーカー規制法違反で刑事が4人来たと言ったら、東京東部ユニオンの白井とか小泉義秀とか、動労東京の吉野元久とか、みんな「警察は正しい、大西はおかしい」と言っていた。
私は、そこで私に対しての弾圧を加えているのだと主張したけれども、中核派は認めなかった。
・・・・うん、私に対して正しいことを警視庁公安部がしてくるのならば、大坂正明の逮捕も、それに連鎖する弾圧も、全部正当弾圧になってまうけど?
”思想の天動説” と、 ”思想の地動説” の違いを理解いただけるだろうか?
中核派も、”思想の天動説”という意味で、完全に権力側であって、事実や事故をものすごく軽視している。
私は中核派に対していろいろとハラがたつけれども、津久井やまゆり園事件だって、中核派はそもそも津久井やまゆり園が活動拠点だったらしい。
けれども、公営から民営になって、活動拠点じゃないと思って撤退したらしい。
・・・・けど、「民営化されたら問題だ!」というならば、民営化された後でこそ闘争をしないとおかしいよなあ?
それで撤退するようならば、それは民営化に問題が潜んでいないと、中核派のほうが主張しとることになってまうしなあ?
だいたい動労総連合だっておかしい。
私は何度も書いてきたけど、国鉄の民営化に断固反対するならば、敵はJR東日本ではない。
もちろん、JR東日本に対して、厳しいことも言うべきところもあるけど、営利企業なのだから、ローカル線を任されていることに関しては、どうやって存続させるか、というのを一緒に考えるという面もある。
JR東日本は日帝安倍の手先、という主張を中核派はよくするけれども、そんなこと言ったら国鉄のほうがよっぽど日帝の手先だっただろう。
そのあたりの論点の整理が、中核派・動労総連合において全く為された形跡がなかった。
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