前回の続きである。今回はレベル4の防衛機制について述べる。
レベル4 Mature defenses(High Adaptive Defences) 成熟した防衛(高度に適応した防衛)
健常な個人に認められる防衛機制である。意識してなされるのがレベル4の防衛機制である。多くは12歳以降から認められる。現実や対人関係や個人的な感情を自我に統合する上で重要である。さらに、レベル3以下の防衛機制を制御する上でも重要である。Vaillantらによれば社会的に名誉を得ている男性の調査では、レベル4の防衛機制が優位であった。この防衛機制は、精神の安定、社会での成功や貢献、豊かな人生、満足のいく人生、幸福の実感、貧困からの脱出、精神だけでなく身体的な健康の保持、精神疾患の予防、精神疾患からの回復、精神疾患や身体疾患の良好な予後を可能にする上で必要不可欠な防衛機制であることがVaillantらによって示されている。このレベル4の防衛機制は、所属している社会階層、学歴、IQからは完全に独立していることもVaillantらの研究結果から示されている。すなわち、誰もが身に付けることができる防衛機制なのである。
なお、意識してやっていかないと、この防衛機制は働かない。強いストレス状況下でこの防衛機制を意識することをやめてしまうと、レベル3以下の防衛機制に低下してしまうことがあると言われている。逆に言えば、このレベル4の防衛機制を常に意識して使っていけば、それだけで自然と強化されて身に付いていくことになる。すなわち、意識しているだけで自己コントロールが十分に身に付くことを可能にしてくれる防衛機制なのである。
社会に貢献していく上でもこの防衛機制が必要となろう。学歴とは関係ないと示されてはいるが、逆に、学歴が高くてもレベル4の防衛機制が身に付いておらず社会貢献ができない未熟な方々も多くいるのかもしれない。国家公務員上級1種に合格した官僚や政治家や金融関係や製薬会社のエリートの方々にこそ、このレベル4の防衛機制が求められる。
Suppression 抑制
英語をそのまま訳せばRepressionと同じく抑圧や抑制となろうが、正しい日本語訳は我慢や忍耐となろう。レベル3のRepressionが無意識の奥に閉じ込めてしまうのに対して、心理学でいう前意識や意識できるレベルの段階に要求や願望を留めておくのがSuppressionである。これができて始めて大人だと言えよう。これをマスターするには自らが自分自身に言い聞かせて訓練していくしかない。例えば、おもちゃを買ってもらえずにデパートで泣き叫ぶ子供はSuppressionができないからである。しかし、泣きわめかなくてもRepressionしてしまうと子供の心は歪む。ふん、あんなおもちゃなんかくだらない、もう欲しくないわ。これはまだ未熟なレベル3を中心とした防衛機制である(Repression、Reaction Formation、Rationalizationなど)。欲しいけど今日は我慢する(でも、いつかは買ってもらえるだろう)。これがレベル4のSuppressionである。本人が自分で言い聞かせているからSuppressionができたのである。
当初はうまくSuppressionができなくても、訓練していけばSuppressionは容易にできるようになる。社会では我慢ができないような堪え性のない人間は評価されない。自己コントロールができないような人間は失格だと思われるからである。Suppressionは自己コントロールにおいて最も基礎となる防衛機制だと言えよう。
しかし、Suppressionだけでは、他の成熟した防衛機制(昇華、自己洞察、気晴らし、予想など)とセットで用いないとレベル3のRepressionまでレベルが低下してしまう。レベル3まで低下したら、それはもはや、やせ我慢(RepressionやRationalizationなど)でしかない。「武士は食わねど高楊枝」ということわざは我慢(忍耐)なのか、やせ我慢なのであろうか、どうやら2つの意味があるらしい。まさに、SuppressionとRepressionの関係である。
Altruism 利他主義
他者の心を満たすためにサービスをすることや、他者を助けることで自己の気持ちを満たす心理機制である。ボランティアなどはこの防衛機制からの行動であろう。利他主義は見返りを要求することはない。見返りを要求したり見返りがないと満たされないのは、利他主義ではなく、利己主義であり偽善に過ぎない。親が子へと行う養育はまさに利他主義がないとできない。こんなに一生懸命育ててあげたのに、なぜあなたは馬鹿なのよと子供を否定するような親は見返りを要求しており未熟な親だと言えよう。怒ることはやむを得ないが、子供の存在価値を否定してはいけない。利他主義の心があれば子供の価値を否定することまではしないだろう。しかし、この防衛機制が十分に働かない未熟な親や教師が、子供の虐待や生徒の体罰といった相手を否定するような行動化(Acting Out)へと走らせるのであろう。逆に、子供時代に虐待を受けると利他主義の獲得が困難になる。大人になって今度は自分が虐待する側に立つ。負の連鎖や負の再生産を呼んでしまう。
利他主義は寛容の心にもつながる。人のミスや自分への損害を許すには利他主義がないと不可能である。他人のミスや自分への損失を許そうとせず、いつまでも怒り続ける人間はそれだけ未熟なのである。仕事においても利他主義は重要である。医師などの医療関係の仕事は利他主義がないと成り立たない。他の仕事も同様であろう。さらに、夫婦関係、友人関係などの人間関係も同様である。社会や他人に迷惑をかけてはいけないと思うには利他主義がないとできない。迷惑なことや反社会的なことを平気でする人間は利他主義が乏しく、それだけ未熟なのであろう。道徳心や倫理観を養う上でも利他主義は重要である。さらに、他者に親切にしようと思うと利他主義がないとできない。人を思いやる心は利他主義からしか生まれない。社会はまさに利他主義で成り立っているのだと言えよう。特に、無益な争いである戦争を避けるには利他主義が機能しないと不可能である。
利他主義は日常の臨床場面でも見受けられる行動である。利他主義があるかないかは、患者の病状評価の参考となる。他患の車椅子を押してあげている入院患者の姿はまさにその人に利他主義という成熟した部分があるからである。アルコール依存症や薬物依存では利他主義が働かなくなっているという研究結果がある。依存から抜け出すことへ導くためには利他主義を呼び覚ます必要がある。逆に、利他主義がまだ失われていない場合はアルコール依存症の予後は良くなることも分かっている。
一方、利他主義は自己犠牲という行動につながることもある。自己犠牲が極端になればレベル3の反動形成(Reaction Formation)やレベル2の受動・攻撃的行動(Ppassive-Aggressive Behavior)に変化することもあろう。自己犠牲は自分の心を満たすことを否定しているため、幸せを感じることはないかもしれない。利他主義はあくまで自分の心も満たされないと意味がない。自分の心が満たされないような自己犠牲という形でしかない利他主義はやめた方が良いだろう。すなわち従属や隷属である。従属や隷属と利他主義を混同してはならない。従属や隷属はもはや自己否定でしかない。宮沢賢治の「雨ニモマケズ」という詩は利他主義を象徴するような心を打たれる清らかな詩ではあるが、自己犠牲を賛美するような内容にもなっており、あのような生き方がはたして自分自身の幸せに結びつくのかは私には分からない。
Humor ユーモア
ユーモアについては説明の必要はないであろう。ユーモアを言えるだけでなく、ユーモアを理解することもできないと成熟した大人とは言えない。冗談が通じないような人は成熟した人ではないと言えよう。研究者の中にはユーモアはmature defenseの中でもimmatureなレベルに近いものと見なす場合もあるが、フロイトは最も高いレベルの防衛機制であると述べている。対人関係の緊張を緩和する上でユーモアほど効果的なものはない。不快感をユーモアで示すことが重要であるとVaillnatは述べている。
冗談の1つぐらい言えないと成熟した人間とは言えないであろう。親父ギャクはまさに成熟した親父にしか言えないユーモアなのである。下ネタも下品ではあるがユーモアの1つの形であろう。パロディや漫才もユーモアの1つの形である。さらに、心に余裕がないとユーモアは言えないし、逆にユーモアを言うことは心の余裕につながる。境界型パーソナリティ障害においても、冗談が通じる患者と通じない患者では、その後の予後にはかなりの差が生じるように思う。冗談が通じる場合はそれだけまだ心に余裕があるように思え、それが予後にも関係するように思える。これは、他の精神疾患でも同様である。ユーモアのセンスを日頃から意識して磨いておくことも、心の余裕や安定につながるのだと言えよう。
なお、ユーモアも利他主義と同様に一歩間違えると自己否定となる。自己を否定するようなユーモア、すなわちそれは道化である。自己否定をしているような自虐的なユーモアはレベル1の脱価値化(Devaluation)に過ぎない。それは他者を否定するようなユーモアも同様である。自己否定や他者否定を伴わないようなユーモアのセンスを磨いていかねばならない。こういったユーモアは相当成熟した大人でないとできないことが分かるであろう。
Anticipation(Affective rehearsal) 予想や想定(感情を伴ったリハーサル)
この防衛機制は感情を伴ったリハーサルとも定義される。いずれ訪れるであろう未来の出来事を想定し、それをイメージして、その時にどう対処したりどのような行動をするかを必ず感情を伴った形で頭の中で練習しておくことがこの防衛機制である。そして、単なる予想や想定では意味がなく、感情を伴なった形での予想や想定でないと意味がない。有能なスポーツ選手ほどこの防衛機制を巧みに身に付けている。Affective rehearsalをしておけば本番で心が動揺することはなくなり、未来の出来事はストレスではなくなるだろう。ストレスから自分を守るにはこの防衛機制が必要不可欠である。物事に動じない強い人間ほど人に知られずに日頃からAffective rehearsalをしているのかもしれない。
さらに、実力を発揮するにはAffective rehearsalが必要不可欠である。それはスポーツの分野だけではない。仕事や対人関係においてもAffective rehearsalは重要な防衛機制である。しかも想定はいろんなパターンを想定しておくことが必要となる。想定は良い未来も悪い未来もどちらも想定しておかねばならない。
しかし、大事なことは悪い未来や失敗ばかり想定してはならないことである。Affective rehearsalでは成功を強くイメージしてリハーサルに努めることが重要とされている。いろんなパターンを想定しつつ、失敗した場合にも備えつつ、成功をより強くイメージして行動していき、Affective rehearsalを成功にむすびつけていけることが成熟した大人だと言えよう。
Sublimation 昇華
社会では受け入れがたい欲求、感情、衝動を、社会に受け入れられる建設的な価値のある活動のエネルギーへと積極的に転化させていくことが昇華である。趣味を持つことは昇華に結びつくと言えよう。スポーツで汗を流すことも昇華である。多くの芸術や文芸作品、感動を呼ぶスポーツなどあらゆる創造的な産物はまさに昇華という防衛機制の結実である。
一方、未成熟な人間の場合は昇華ができず、行動は行動化(Acting Out)へと変化してしまう。昇華はSuppressionとのセットで機能することが重要である。遊びたい気持ちを我慢して勉強することは昇華の練習をしていたことなのかもしれない。子供時代は嫌々勉強させられたけど、今となって思えば、それが昇華という防衛機制に成熟していったのかもしれない。ユーモアとして行動に移すことも昇華の一つの形と見なされることがある。さらにAffective rehearsalにて成功をした自分の姿をイメージすることも昇華の1つの形とみなされる。さらに世の中は矛盾に満ちている。その矛盾を感じたことによる抑えがたい衝動を乗り越えるためにも昇華が重要となる。
昇華は衝動などを行動エネルギーに転化させることであるが、あくまで社会に受け入れられる行動に転化させねばならないのは言うまでもない。社会に受け入れられない行動での昇華はレベル2の行動化(Acting Out)でしかない。
Asceticism 禁欲(修道、修行)
禁欲というよりも、むしろ広い意味で自身の欲望を捨ててrenunciationする(断念する、諦める)という意味かと思われる。食欲や性欲などの本能的な要求までをも禁止することではない。Asceticismは欲望などの煩悩を捨てさることであるが、これは常人では困難である。そのためMature defensesには含まれない場合がある。
しかし、煩悩を捨て去ることも成熟していくためには必要である。見栄を張らない人は虚栄心を捨てて禁欲ができている人であり成熟している人であると言える。見栄を張る人はAsceticismに乏しい未熟な人だと言えよう。
一方、断念することも必要な場合は世の中では多々ある。失敗した時が特にそうである。人生は成功するばかりではない。むしろ失敗の方が多いかもしれない。受験に失敗して志望校に受かるまで浪人を続けるか、断念して別の学校に進むかは、個人の自由であり、結果的にどちらが良かったかは後になってみないと分からない。しかし、一つだけ言えることは断念することで別の道を選択することは時間の無駄にはならないということである。断念せずにこだわり続ければ時間の無駄になることが多々あろう。時間を無駄にしないのが成熟した大人である。
さらに、再出発が可能になるには諦めないと不可能である。それは失敗などの不快な現実を受け入れることにもなろうし、後の別の成功の時の大きな喜びにもつながろう。諦めが肝心なこともあるのである。そう簡単に諦めていいのかと言われることもあろうが、諦めが悪く執念深い人間は見苦しく人からは好かれることはないであろう。特に、他者をマイナスの方向へ巻き込むような場合はAsceticismすべきである。他者をマイナスの方向へ巻き込まないのであれば断念する必要はないだろう。志望校に合格するまで浪人を続けることは自由であるが、そのために家族が犠牲になるようでは断念すべきであろう。Asceticism(断念)すべきかどうかは自分だけでなく他者も必ず含めて決める必要がある。
これは職業の選択などの人生上の選択でも重要なことである。家業を子供に継いで欲しくとも、自分の煩悩を捨て去り子供の意志を尊重して子供の自由な選択に任せるのが成熟した親である。それができない親は未熟な人間である。
Affiliation 友好や同盟関係を結ぶこと
すなわち、他者に助けや助言などのサポートを求めることを意味する。自己の問題を他者に分かち合ってもらうことでストレスは軽減できることになる。これは意見に耳を傾ける気持ちがないとできない。聞き分けのない子供や未熟な人間ではできない。Affiliationは成熟した防衛機制であることが分かろう。聞く耳を持たない人間は未熟なのである。
しかし、助言や助けを求めた結果を他者に責任を負わすことはAffiliationとは言えない。責任をなすりつけるようになればもはやレベル1のHelp-rejecting complainingでしかない。
Self-Observation 自己洞察
これについては詳しい説明は不要であろうか。葛藤やストレスに対処するために自身の感情や思考や行動を回想し不適切だと思われる部分を適切な内容に変えていくことが自己洞察である。子供はこの自己洞察ができない。子供は反省しない。反省は自己洞察でしか得られない。反省ができるのは成熟した人間である。さらに、自己洞察は自分を社会の中でうまく操縦していくためにも必要である。自分という車にブレーキをかけたりアクセルを踏ませたりするには運転手としての自己洞察が必要不可欠である。自己管理の1つである自己の症状をモニタリングをしていくためにも自己洞察は重要である。
一方、自己洞察ができることは他者の内面を理解することにもつながる。他者の立場を自分に当てはめてみて、それを自己洞察することでしか他者の気持ちを十分に理解することはできない。さらに自分がどのような影響(悪影響や良い影響)を他者に与えたのかを理解するためにも自己洞察が必要である。他者への誤解や偏見をなくし他者の言動や行動を正しく理解し、適切な人間関係を築いていく上でも自己洞察は重要である。共感能力を養う意味でも自己洞察は重要である。
ここで自己洞察をするにあたり、他のレベル4の防衛機制と絡めてバランスを保ちながら行うことが大切である。すなわち、利他主義、忍耐、禁欲、自己主張などの成熟した防衛機制と絡めてバランスを保つことが重要である。そうでないと価値判断を誤り、せっかくの自己洞察がレベル3以下の防衛機制(合理化、理想化、脱価値化、反動形成など)に低下してしまうことになろう。
Self-Assertion 自己主張、自己表現
自己の気持ちや意見や要望を言葉で直接表現し、礼儀正しく敬意を払って他者に伝えることである。攻撃するために、威圧するために、操作することを意図して自己主張することは絶対に避けねばならない。あくまで、自分や他者が目指すゴールや目標に到達することを目的として自己主張がなされねばならない。
さらに、相手の意見にも耳を傾けながら自己主張をすることも大切である。他者の自己主張と自分の主張とのバランスが保てないような一方的な主張はダメである。レベル2の受動・攻撃のような主張の仕方もやめねばならない。
当然、他のレベル4の防衛機制(利他主義など)とのセットで行われないとレベル3以下の防衛機制に低下していくことになろう。
Compensation 補償
自分の足らない弱い部分から生じる葛藤や不安を補うために、他の部分を強化し鍛えていくことが補償である。男としての自分の気持ちの弱さや劣等感をカバーするために筋トレに励むなど。この防衛機制は正しい解決とは言えないところがあるためレベル3に区分されることもある。しかし、昇華につながるものでもあり、レベル4の防衛機制にも十分になると思われる。美容整形などは他の部分ではなくまさに直接その部分を補償する防衛機制のような行為だと思われるが、レベル4かレベル3のどちらの防衛機制なのであろうか。もし、美容整形することによって他のレベル4の防衛機制の強化につながっていくのであれば、それはレベル4とみなしても良いであろう。
IdentificationとIntrojection 同定と取り込み
他者の性格特徴や価値観や行動などの良いところを客観的に認識し(Identification)、自分自身にもあるように思うこと(Introjection)。この2つはセットとして機能するとmatureなものになる。すなわち、相手の良い部分を見習い自分にも取り入れていくのが成熟した大人の防衛機制である。自身の欠点を補い、自己の人格を成熟に導いてくれることになる。良心や道徳心や倫理観の形成にもつながる。TV番組でヒーローが悪者をやっつける番組を子供が見ることも同定と取り込みという観点からは意味がある。TVは有害だと決めつけてヒーローものの子供番組を子供には一切見せない親がいるが、これは適切だとは言えないであろう。
さらに、逆にもまた真なりか。他者の悪い部分同定して、それを良い方向に転換して自分の中に取り入れていくことは、反面教師としての機能を有し、自己の成熟につながることであろう。
なお、自他の区別がつかなってしまったり、本人が意識せずに何でも取り込んでしまい、自分もそうだと信じこんでしまうとレベル2の防衛機制にまで低下してしまうことがある。
Distraction 気晴らし、気分転換
これを成熟した防衛機制に含める学者もいる。人間である以上は時々ガス抜きをしないとダメなのである。しかし、あくまで社会で許容されうる行動でないと気晴らしとは言えない。旅行やドライブや映画鑑賞などのレクレーション活動は良い気晴らしとなろう。なお、時々することが気晴らしであり、他のことまで犠牲にし無視して毎日するようでは、もはや気晴らしとは言えまい。それはもはや依存である。
以上がこれまでにレベル4の成熟した防衛機制として定義・同定された防衛機制である。
レベル4の防衛機制は、精神という超高度なソフトウェアーのメインルーチンとして機能し、レベル4の防衛機制を強化していけば、サブルーチンに過ぎないレベル3以下の防衛機制を制御することができる。レベル4の防衛機制は成熟した精神プログラムのコアとなる制御プログラムだと言えよう。そして、メインルーチンなるが故に、単独ではなく、同時に他のメインルーチンであるレベル4同士が相互に機能し合うことが大切なことだと言えよう。
最後に、漢詩を一つ紹介して終わりとしたい。
杜牧【題烏江亭】 より
勝敗兵家事不期
包羞忍恥是男兒
江東子弟多才俊
捲土重來未可知。
勝敗は兵家(へいか)も事(こと)期せず、羞(はじ)を包み恥を忍(しの)ぶは是(こ)れ男児、江東の子弟(してい)才俊(さいしゅん)多し、土を巻き重ねて来たらば未(いま)だ知る可(べ)からず。
(現代語訳)
戦いに勝つか負けるかは、兵法家であっても予想することはできない。戦いに負けてしまったときには、恥を堪え忍んでこそ、真の男児というものだ。(項羽は劉邦に敗れ、烏江亭で自害してしまったが、もし本拠地の江東に帰っていたならばどうだっただろうか。)江東の若者には優れた者が多いのだから、土を巻き上げて再起を図ったならば、勢力を盛り返して再び天下を争うことができたかも知れないのに。
この詩の中には、
恥を忍び耐えること(Suppression)、
負けた時の予想もしておくこと(Anticipation)、
江東の若者を大切に扱う、すなわち、他者の幸せを大切にすること(Altruism)、
自己を見つめ直して勝ちたいという欲望をいったん断念して再起を図ること(Asceticism、Self-Observation)、
過去の他者の行動から学び自分に取り入れていくこと(IdentificationとIntrojection)、
再起した姿を予想し敗北感から抜け出すこと(Affective rehearsal)、
といった、まさに成熟したレベル4の防衛機制が凝縮して表現されており、すばらしい漢詩である。
恥を忍び耐えること(Suppression)、
負けた時の予想もしておくこと(Anticipation)、
江東の若者を大切に扱う、すなわち、他者の幸せを大切にすること(Altruism)、
自己を見つめ直して勝ちたいという欲望をいったん断念して再起を図ること(Asceticism、Self-Observation)、
過去の他者の行動から学び自分に取り入れていくこと(IdentificationとIntrojection)、
再起した姿を予想し敗北感から抜け出すこと(Affective rehearsal)、
といった、まさに成熟したレベル4の防衛機制が凝縮して表現されており、すばらしい漢詩である。
包羞忍恥是男児。これこそがまさしく成熟した真の大人の男の姿である。
(今回は以下のVillantの論文と著書などを参考にして書いております)
「 Ego Mechanisms of Defense: A Guide for Clinicians and Researchers」 1st Edition
(今回は以下のVillantの論文と著書などを参考にして書いております)
「 Ego Mechanisms of Defense: A Guide for Clinicians and Researchers」 1st Edition
by George E. Vaillant, American Psychiatric Association.(20年前に6000円で購入しました。汗;)
http://www.massgeneral.org/psychiatry/assets/published_papers/Vaillant-2000-AmerPsych.pdf

http://www.massgeneral.org/psychiatry/assets/published_papers/Vaillant-2000-AmerPsych.pdf
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