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エリカの隣 作者:水無月
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Epilogue




「…時とは早いものだな…。森は消え、獣も消え、妖怪の数も減りつつある。そしてその代わりに人が増えているんだ。ナナお前の上には立派な桜が咲くくらいの時が流れた」

 かつて古き森のあった場所は、幾度かにわたる戦でその姿を消し、今では町へとその姿を変えた。黒毛九尾には、それを寂しく思うことはない。知己であった金毛九尾の姿もここ数百年見ていないような気がするが、それが彼という妖怪の本質なのだろう。
 黒毛九尾は、それでもかつての丘のあった場所から離れることはなかった。妖怪同士の戦争の時も、人間の世が戦争続きになっても。名無しの眠るその場からは離れることだけは絶対にしなかった。

 そうしているうちに、黒毛九尾はまたも守り神として奉られるようになる。
 時を経るごとに人が妖怪や霊的なものを見る力は衰えていったが、それでも皆無というわけではなかった。偶に現れるそういった人間は、黒毛九尾の力を見抜き、守護を求めるようになった。
 だが、黒毛九尾とて人と関わりあう気は一切なく、そういったものすべてを跳ね除けていたが、たとえ何もしておらずとも、その場にいるだけでいいようで、人は勝手に社を建てた。そこに住まうわけではないが、彼女の眠る地を静かに出来るのであればと、黒毛九尾は何も言わずにそれを受け入れることにした。

 不意に、独りになって幾度目の春だろうか、と黒毛九尾は考える。時とは残酷で、それでいて優しかった。夜空を見上げては、彼女の髪の色や瞳の色を思い出し懐かしさに駆られ。思い出す名無しの声は、本当にこんな声だったのだろうかと、恐怖に怯える夜もあった。

 雨のように降り注ぐ桜の花びらを見せてやりたいと思い、夏の青さを共に感じたいと思った。秋には山に入ると彼女が好みそうな実りを見つけてはつい手に取り、冬には彼女を抱きしめて暖を取りたいと切望した。
 もう、名無しとは夢の中でしか会えない。それが痛いほどわかっている黒毛九尾が、午睡に浸ろうとした瞬間。

「わああ!すごいすごい!!」
「!?」

 聞こえてきたその声に、黒毛九尾は酷く泣きたくなった。

「見て見て!お父さん!お母さん!おっきな桜!!」

 鳥居の向こうから駆け寄ってくるその影に、黒毛九尾の体は不思議と傾いていく。小さいその影は、軽い足取りで駆け寄ってくる。

「―――な、な…?」

 それは、あまりにも名無しと似ていた。
 永い永い時を経て、名無しの魂は現世へと転生したことを、黒毛九尾は知らない。だが、その見覚えのある姿に、言葉を失う。会いたくて会いたくて。でも会えないと知っていた愛しい彼女。その真っすぐな瞳と、迷いのない足取りに、彼女の目が見えている事に気付く。
 会いたかった、会いたかった。そう、黒毛九尾の全身が叫ぶ。幾度も、夢に見たその人。
 黒毛九尾はまろぶようにして駆け出した。

「―――ナナ!!」

 駆け寄った瞬間。

「ねぇ!お父さん!見てよー!」

 するり、と。
 その少女は黒毛九尾の脇を駆け抜けていく。

「…な…」

 呆然と立ち尽くす黒毛九尾をよそに、少女は楽し気にはしゃぐ。その後ろで、伸ばした手の行き所を失った黒毛九尾がいることも知らずに。
 そして黒毛九尾は気づく。
 もう、この時代の人には、自分の姿すら見えていないのだと。それは、かつて自分が愛したであろう彼女も同じなのだと。
 その心情は、舌鋒に尽くしがたい想いだった。
 愛しているのに、今でも覚えているのに。こんなに近くにいるのに、触れられない、気付いてもらえない。
 ―――あいしてもらえないのだ。

 黒毛九尾はよろよろと歩くと、どさりと桜の木の根の下に腰を下ろした。そこには、かつて自分がナナと呼んだ娘の骸が眠っている。
 目の前を舞い散る桜の花びらを追いかける少女が駆け回る。こんなに近くに居ても、気付いてもらえないのは辛いものがあるな、と黒毛九尾はうっそりと思った。

「――――!!帰るわよーー!」
「!はぁーーい!!」

 母親、だろうか。この世では、両親を得られたのか。良かったと安堵する気持ちと同時に、彼女は自分の知る名無しではないのだと突き付けられたような気がして、黒毛九尾は自虐的に微笑んだ。
 会いたかった、でも、会わなければよかった。
 会わなければ、気づかれない絶望を知ることもなかっただろうに。
 それでも、彼女に認識されなくても、会えて嬉しい。
 相反する二つの気持ちが、黒毛九尾の心に広がる。

 「―――ナナ、ナナ、ナナ…、な、ナ…」

 幾度となく呼んだその名。自分が付けた、名前。だが、どんなにその名を舌にのせても、彼女が自分に気付くことはないのだ。
 愛していると言いたい。好きなのだと、あの日の自分の選択をどれほど後悔したのかを。でも、何一つとして、彼女には届かないのだ。

 黒毛九尾は項垂れるように桜の木にもたれかかる。ずっと彼女を見ていたいが、見ていることすらも辛い。
 少女が、背を向けて鳥居へと向かっていく。出来るなら、追いかけて抱きしめたい。でもそれが出来ない。黒毛九尾は根が張ったかのように動けない。行かないでほしい、早く行ってほしい。こちらを見てほしい、見ないでほしい。
 すると、少女がくるりと振り向いた。

「―――とってもきれいね!!」
「―――っ!!!!」

 見えていない、そのはずだ。だが、少女は確実に黒毛九尾のいる方向に向けて、その言葉を放った。それは、かつて名無しがいつか言いたいと言っていた言葉。
 自分を見たいと、きっと綺麗だろうと言っていた、彼女が言いたかった言葉。
 その瞬間、黒毛九尾の眼から涙がこぼれ落ち始めた。

 わかっている、自分のことをいったわけではないのは。それでも、それでも。

「―――あり、がとう……」

 二度と、彼女とは交わらない生だろう。だが、それでいいのだと、黒毛九尾は思えた。
 きっと、あの時、自分たちの道は違われたのだ。そうしたのは他でもない、自分自身。それをいくら悔やんだとして、彼女が戻ってくることはない。
 たとえ彼女が思い出したとして、それは黒毛九尾が愛した名無しではないのだ。黒毛九尾はようやく、そのことに気付いた。

 「…金毛の言ったとおりだな」

 自分たちに出来ることは、彼女が眠る土の上で、彼女の思い出を抱いて生きることだけ。いつか来る、終わりの日まで。

「……愛している、ナナ」

 それまで、自分は待とう。彼女と同じ場所には行けずとも、彼女の思い出を抱きしめて眠るのであれば、それも幸せなのだろう。
 小さな少女の姿はもうない。
 それを少し寂しくこそ思っても、引き留めようとは思えなかった。


 だって、自分には愛しい名無し(ナナ)との思い出があるのだから。


エリカ、というのはツツジ科の花です。木を覆うように小さな花が沢山咲きます。色も白、赤、桃など多種ある花です。
花言葉は”孤独”。
今回は孤独な二人の話を書きました。

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