顔と名前、どうする?
去年A1さん繋がりで出会ったセラピストのミキコさんが、自分のサロンをオープンするそう!
それにあたり、顔も出して本名を名乗ろうと決意したとの記事を読んで、益々応援したいと思いました。
この、顔と名前出す出さない問題は、永遠のテーマな気がします。
私は、やりたいことと自分のキャラによると思うので、出すから良いとか悪いとかは、一概には言えないと思います。
でも、自分で何かを売りたいという人は、名前や顔を出す方が絶対に信頼度が高いと思います。
出さないで信頼されるキャラを築くやり方もあると思いますが、なかなかに高度な技だなあとは思います。
自分は山梨でイベントをやろうと思ったときに、お客さんに「あ、あの人が主催だ」と分かったほうがいいなあと思って、顔も出そうと思いました。
それまでは、Facebookで勝手に自分の写真をアップされたらブチギレそうになるくらい(実際言ってないけど。)ネットに顔を出すなんてとんでもないと思っていました。twitterもフルネームではなかった。
昔は、今だったらとても書けないような、いろんな不満や愚痴をネットに書いていましたしね。
でも今は、実名で言えないことは匿名でもべつに言いたくないなあと思うようになりました。
そういうことを書きたい欲求そのものがなくなった自分は、成長したんだなあと思いました。泥沼から這い上がってきた感はあります。
あと、フルネームで実名(カタカナが良いのかも)を書くことで、一発で名前を覚えてもらえることが増えました。これは本当に良かったなあと思っています。(笑われてもいますが、それでも全然よかった!)
ついでにアイコンのトレーナーもよく着ているので覚えてもらえます。(そろそろアイコンを変えようと思っていますが。)
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その上で自分が言いたいこと
匿名で愚痴を書かなくてもよくなった自分は、そんな昔より成長したつもりですが、そう言っている自分も未だ間違った発言をしているかもしれません。これからもするかもしれません。
自分の中では常にかなり考えて発言しているつもりですが、そんな時はちゃんと反省したいと思います。
いろんな人がいるから、ほんとうにいろんな考え方があると思います。
私のことを恥知らずだなあとかバカだなあとか思っている人もいると思います。たぶんある意味当たっているけれど。
でも私は、「何も言わないことが無難だ」というふうには生きたくないと思っています。
ものごとの信憑性を見極めるのは非常に大事なことですが、しょせん、この世に存在する自分自身に降りかかった出来事以外は全て又聞きだと思っています。
テレビも新聞もネットも、100%真実などとは到底言い切れないし、けれど、実際にごく親しい人の話であっても100%真実と言い切れるすべは誰も持っていないと思います。
例えば「本人から聞いた」といっても、自分ではない人間が感じたことの全てを、あますことなくその人と同じように受け取ることは不可能です。
ごく親しい人に嘘をつくこともあるし、無意識のうちに話し手も受け手も解釈を変えることもあると思います。
だから、自分が直接関わったこと以外に何も発言しないということは、たしかに無難だし間違いが無いだろうとは思います。
今急速に増えている#Mee Tooというハッシュタグ、これを付けてツイートしたり、その先のブログにリンクさせて、自分が辛かった想いが一人でも多くの人に届けばと一縷の望みを託す人が言っていることも、100%真実とは言い切れないかもしれません。
でも私は、自分が信じたいと思う人を信じたいです。そして、そう言いたいです。
私が今まで見てきたその人の作品があるから。それから自分が受け取っているものがあるから。そこから自分で考えていることがあるから。
それが正しいかどうかなんて不毛な議論に全く向かないネット上で、不毛な議論はしたくないです。直接話せるのなら直接話したいです。
音楽も同じで、私は、好きな音楽を聴きながら、そのミュージシャンが思っていることや人間性なんかも想像するし、ライブを通じて受け取るその人のイメージがあります。
それが実際とズレているかもしれないけれど、私はただ音楽を受け取ってその人を信頼しているし、応援したいなあと思います。
そのミュージシャンの人が伝えたいことも、ネット上・あるいは本で、私の好きな人が伝えたいことも、私は同じような解釈で受け取っています。真実だと思って。
結果、それが違うことがあっても別に構いません。なるほど、と受け止めると思います。
何が真実か
テレビ、新聞、雑誌、本、ネット・・・様々なメディアの中で、信憑性が最も低いのは、情報の量で言っても割合で言っても、ネットだと思います。
だけど、その中でより信憑性が髙い情報を取捨選択できるかどうかは個人の能力にかかわってくると思います。
ネットの情報を拾っている=信憑性が低いという解釈は違うのではないかと思います。
その個人が持つ情報量や経験や考え方によって、その情報を読んでいるのだと思うし、それを裁ける正しさを持つ人はいないと思います。
・できるだけフラットな気持ちで情報を読むこと
・反対意見にも耳を傾けること
これを心がけていたら、自分が信じたいと思うことを信じて、表現していったらいいと思います。
その中で自分が間違えたり、考え方が変わったら、その時にそう言えばいいと思います。
こうは言いながらも、たくさん迷うことはあります。
最近もずっと迷いがありました。これからもあるでしょう。
でも、今年も日々考え、いろんな人と話をしながらインプットし、修正し、また間違えて考えて
こういう生き方をすごく楽しいと思っています。
来年はもっと、人と話す時間を長く持てたらいいなあと思っています。
今年も残りわずかですが、やっと落ち着いた時間を過ごしているので、あと数個やり残したことを片付けて新年を迎えたいですね。