全取調室に透視鏡 警察庁、冤罪防止へ「適正化指針」(asahi.com 2008年01月24日11時17分 ウェブ魚拓)
今朝のテレビでも取り上げられていました。
このニュースを読んだ人のほとんどは、「だったら取調べを全部録画録音すればいいじゃん。」と思ったはずです。
私もそう思います。
取調べを可視化すればいいのです。
しかし、私自身が検事として取調べを行ってきた経験に照らして懸念材料が三つあります。
一つは、被疑者(参考人を含む)の供述内容の秘密の保護です。
ここで「供述内容」というのは、供述調書に記載された内容だけでなく、被疑者が口にした言葉全てを含みます。
組織犯罪の捜査などでは被疑者が組織の重大な秘密を漏らしたことが明らかになればその被疑者の命が狙われるということが現実に起こります。
しゃべっちまったら終わりじゃないかという意見があるかも知れませんが、組織防衛の観点から将来的な秘密保持のために、しゃべった裏切り者を殺すことによって見せしめにするということが考えられます。
これはドラマの中だけの話じゃありません。
組織の黒幕を起訴するときには被疑者に腹をくくってもらって供述を得て、その組織を壊滅させることによって被疑者自身の命も守るという場面がありますが、少なくとも情報収集段階にとどまる供述が外部に漏れるということは防がないといけないと考えます。
組織犯罪でなくても、関係者に知られないほうが被疑者の更生や紛争解決のためにはいい話(したがって供述調書には記載を控える話)はいくらでもあります。
二つ目の懸念は、録画された取調べ状況が適切に評価されないおそれがあるということです。
取調べの可視化の最大の目的は供述の任意性の評価とそれによる確保だと思いますが、どのような取調べが任意性にどのような影響を及ぼすのかという具体的な問題場面においては、検察官と弁護人との間でも相当の感覚的乖離がある場合がありますし、まして素人の裁判員の評価に基づいた場合、軒並み任意性を否定されそうな気がします。
取調べというのは、言いたくないことを言わせる作業であることは間違いないのです。
場合によっては、しゃべれば死刑になるかも知れない(または間違いなく死刑になる)事実の説明を求めることもあるのです。
誤解を恐れずに言えば、そこには、何らかの圧力、かけひき等があるのは当たり前です。
そのような特殊な状況における供述の任意性を判断するというのは、それなりに専門的な知識と経験が必要だと思われ、録画したから任意性の有無が一目瞭然というわけにはいかないだろうと考えています。
最後のそして最大の心配は、一番目とも関連しますが、録画された情報が本来の目的とは別の目的に使用されることです。
録画データがマスコミに流れた場合のことを想定すればご理解いただけるかと思います。
録画されたデータを編集すれば、取調べを受けた被疑者はもちろん、取り調べた捜査官に対する人格攻撃も可能です。
マスコミがちょっとバイアスをかければ、被疑者の将来の人生を破壊したり、取り調べに問題がない検事の検事生命を奪うことも簡単なことになります。
以上のような問題がありますので警察庁も検察庁もそうそう簡単には取り調べの全面録画に応じないのだと考えています。
となると、弁護士会側において、録画データの取り扱いに関するガイドラインを提案するのが取調べの可視化を推進するための現実的方策だと思うのですがいかがでしょう。
追記
このエントリについて、私が取調べの可視化に反対する意見を述べている、と読む人がいるようですがそうではありません。
私も取調べの可視化は必要であると考えています。
ただし、私がいつも指摘しているようにあらゆる制度や手続には効用・利益と同時に弊害またはその危険性が存在します。
私は、このエントリで可視化の弊害を指摘したのです。
つまり、可視化を実施するに当たっては、弊害を最小限度に抑える方策が必要だということです。
私が指摘した弊害はいずれも人の命や人生にかかわりかねない重大なものです。
トラックバックをいただいた「さぬきうどん1号のページ」には
しかし,現状の密室における取調べは若干のマイナス面に目をつむってでも全面的に可視化しなければならないほど腐敗しているといわざるを得ません。
とお書きですが、このエントリで指摘した弊害は「若干のマイナス面」というには深刻すぎる問題だと考えています。
「ガイドライン」について補足しますが、端的かつ具体的に言いますと、録画データを見ることができる者を弁護士、検察官、裁判官に限定することが考えられます。
そして、厳しい守秘義務を課します。
「厳しい守秘義務」という意味は、この守秘義務に違反すれば一発で懲戒免職(裁判官及び検察官)または除名及び再登録不可(弁護士)となる程度のペナルティを科すということです。
弁護士会からこのような提案をすれば、警察・検察としても抵抗しにくいのではないかと思うわけです。
裁判員についてどうするかが悩ましいところです。
重い罰則を科すことが考えられますが、立証の困難性を考えますと、実効性に疑問が残るからです。
二つ目の懸念についてですが、冤罪支援に熱心な方の中に「取り調べを可視化すると、被疑者が虚偽自白させられてしまった時に法廷で覆すのが今以上に困難になる」という理由で取り調べの可視化に反対している方がいらっしゃいます。
その人はモトケン先生とは逆で、取調官が被疑者に不当な圧力をかけても、それを裁判官や裁判員が見抜けないことが多々ありうるだろうという見解のようですね。
私は取り調べというものがどういう風に行われているか、実態を知らないので深い話はできませんが、そういう見方も一理あるような気はしなくもないです。
「被疑者との信頼関係が云々」などと説明されると納得しがたく感じますが、モトケンさんの説明でなるほど捜査当局側がしり込みするのも理由のあることだと感じました。
ただ、要は管理方法と運用方法の適切性を担保する仕組みがきちんと作ることを前提にして、導入する方向での検討を進めて欲しいと思います。
安易に公開するべきものではない、公開するにしてもその対象範囲を絞るべきだとの考え方には同意いたします。
しかし、2点目の懸念は難しいですね。
取調べは分かりませんが、例えば雪印偽装事件や福知山線事故の折に加害企業を会見で「吊るし上げた」記者が世間から槍玉に挙げられたことなどもありますし、人によって同じ映像から全く逆の感想が出る可能性があることを織り込んで考えなくちゃいけないんですね・・・。
確かに,ヤクザ関係の事件では「調書を巻かないから」ということは結構ありますね。
情報提供したヤクザが実刑になっても刑務所に暗殺部隊が送り込まれるので,この問題は確かに悩ましい。
取調室以外のたとえば留置場廊下で(以下省略)
はじめまして
素人ながらこのニュースを見て始めに思ったのが
供述を証拠採用するのを止めれば良いのでは?
ということです。指紋やアリバイ、凶器等物的証拠
の裏づけが必要ということになれば随分変わるの
ではと考えます。
もちろん汚職や選挙法違反等供述以外証拠が無い
ようなことも考えられますので一律にはいかないで
すが殺人事件だけでも適用できないものでしょうか。
捜査段階で容疑者が何をしゃべろうと有罪無罪の
判断には使用しない。
自供は犯罪に至るまでの経緯を探って量刑判断の
ためだけに使うというのはいかがでしょう。
>No.4 Toshiさん
こういう問題もあります ↓
自白の重要性
少し専門的な話なのでむずかしいかもわかりませんが。
「取調べ」なんて考えると分からなくなります。
次のようなのではどうでしょうか?
<シーン1>
ダイニングキッチンのテーブルに向かい合う夫婦(ここ1年セックスレス)。
妻は夫の浮気を疑っているが、確たる証拠は「香水の匂い」しかない。
妻の横の椅子背もたれには夫の上下背広(ズボンが上着の上)が何気なく置いてある・・・
新聞を読んでいた夫に対し・・・
妻「あなた、浮気してるでしょう!」
夫「な、何を言ってるんだ、馬鹿らしい」(内心ドキッ)
妻「じゃあ、何故、背広に香水がついてるのよ」(�)
夫「・・・知らんな」
妻「とぼけないでよ、説明しなさいよ」
夫「満員電車で付いたんだろう?」(ホテルに向かうタクシー内で愛人が股間にもたれかかって顔を置いたことを思い出した)
妻「ふーん、満員電車ねぇ」と言ってニヤリと笑う。
夫(何か証拠を捕まれてるのか?ドキドキ)
妻「あんたっ、だっ誰れにも見られないと思ってんの?私の耳に何も入らないと思ってんの?」(�)
夫(・・・まずい、同僚のあいつに話したし、奥さんから伝わったか?)「すまん、実は」と言って、一部始終話し出す(自白)。
この設定で、香水は背広の上着後ろにしか付いていなかったとする(つまり満員電車の弁解が成り立ち得る)。
ところが、夫は妻の��の言動と背広のズボンが上に置いてあったことから、ズボンに付いているものと勘違いし、観念した。
妻は上着に付いているとは言っておらず、意識して単に「背広」と言った。
誰かに見られている、誰かに聞いたと思わせるように�の言動をした。
さて、妻の言動(取調べ)は浮気を認めさせるためのテクニック・駆け引きとして認められるか、それとも偽計を用いた卑怯な方法(違法な取調べ)でしょうか?
前者なら自白は任意性があり、後者なら自白に任意性なし。
こんな感じかな(お粗末・・・)。
単純に「被疑者の同意がない場合は録音録画を控える」で、いいんじゃないですかねえ?
…欧米はどうしてるんでしょうか?
本文に追記しました。
私は可視化に反対しているわけではありません。
うーん、私は「意図的な編集による供述の印象操作」しか考えていませんでした。(だって取り調べ内容を延々見させられるのも結構つらいものがありそうだから、裁判員などが見るときは当然に編集されると思います)
単純に可視化ばんざいといいきれない色々な事情があるものですね。
警察内部でも、取調べの可視化については将来的には避けられないものであり容認するべきではないかという見解を持つ捜査員が増えてきています。(私もその一人です)
しかしながら、この問題は犯罪捜査の根幹に関わる部分であり、拙速な導入は深刻な事態を招く可能性があります。
特に、モトケン先生が示されている1と3の問題に関する懸念はかなり強く、特に公判廷において記録された音声や映像を公開するなんて論外です。
個人的な見解を述べさせていただくなら
「取調べの記録については、すべて裁判所において一括で管理し、裁判官以外の者には一切開示しない」
「記録の目的については供述の任意性の担保にのみ限定し、記録の視聴については原則として供述の任意性に争いがある場合に限る」
「被疑者には、取調べの際に記録の開示について意見を求め、不開示を求めるのであれば、その旨の要望書を提出させる」
「被疑者からの不開示要望については原則尊重するが、視聴の判断については裁判官に委ねる」
「裁判官及び裁判員には厳格な守秘義務を課し、違反した場合には禁固等を伴う重い罰則を設ける」
等の措置を取る必要があるのではないかと思います。
と言うか、このくらいしないと、絶対捜査員の言動の一字一句に対して「これは脅迫に当たる!」とか「自白の強要だ!」とかいう問題になり公判が無意味に長期化したり、恣意的に編集されて流出し、「自称人権擁護団体」の「被疑者の人権を無視する反動的警察を糾弾!」の宣伝に使われることが容易に想像出来ますからねぇ・・・
モトケンさんの第1の点について、思ったのですが。
全面記録となったばあいでも、被疑者と捜査側が合意の上で、記録を残さないとすることは、可能である。
組織犯罪で、トップに迫りたい場合に、被害者の供述を残しても良いが、被疑者が要求すれば、記録に残さない。
被疑者が、最も恐れることが、組織からの逆襲であるなら、紙と同様に映像・音声の記録も残さない方法があり得ると思ったものですから。
>被疑者と捜査側が合意の上で、
合意の任意性が問題になりそうです。
>No.12 モトケンさん
私は、 合意の任意性は余り問題にならないだろうと思ったのですが。何故なら、あらゆる証拠も記録も残らないことですから。
但し、相当特別でないと、そんなことは生じないでしょうが。裏取引には、馴染みにくく、任意性がないと成立しないが、あり得ると思ったものですから。
No.10(&8)
公判前整理手続(裁判員裁判では必須)に付されれば、弁護人には閲覧かつ謄写の権利があります。
したがって、弁護人は、取調べの録音録画物(DVD)のコピーを入手できます(目的外使用は禁止されていますが)。
>No.13 ある経営コンサルタントさん
「特例」を求める被疑者に限って、公判では約束を反古にして否認に転じたりしますからね。
それよりも、記録は全事件を対象とするが、被告人側から開示を求めない限り、原則記録の開示は行わないとする規定を設ける方が良いと思います。
>No.14 psq法曹さん
あまり大きな声では言えませんが、私は以前暴力団事務所の捜索の際に、捜査資料の謄本のコピーを発見したことがあります。
視聴する人間が多ければ多いほど流出の可能性は高くなりますから、記録の開示は裁判官(裁判員)に限定し、弁護士や検察官への開示はするべきではないと思います。
もちろん記録のコピーを行うのも論外と考えます。
これは全記録という意味ですか?
録画のみという意味ですか?
>No.16 ぷり(駆け出し弁護士)さん
すいません、言葉足らずですね。
私の文章中の「記録」はすべて「取調べの録画記録」の事です。
No.17 感熱紙(文章下手)さん
いえいえ。ありがとうございます。
ただ,個人的には,弁護士と検察官に見せない限り,取調べの任意性に関する問題点自体がそもそも浮き彫りにならないと考えますがいかがでしょうか?
当該録画を見て
検→当該調べが適法である旨,事実に基づいて主張
弁→当該調べが違法である旨,事実に基づいて主張
裁→どっちの言い分が正しいか,録画を見て判断
という手続きをふんではじめて任意性の有無が明らかになると思います。
可視化について疑問に思うんだけど。
なんで検察側だけの取調べを可視化しなければならないんでしょうか?弁護士との接見も可視化して欲しいと思うのはいけない事なんでしょうか?
もちろんこれら録画したものを裁判員にまで見せろとは思いませんが、裁判官だけに見せるなら構わないと思うのだが。
疑いたくはないけど、聖職と言われた人までが犯罪を起こす世の中ですよね。精神鑑定を要求したりする事が多く、弁護士が入れ知恵をしてるんじゃないかと疑ってしまう自分がいるのです。
もちろん法に触れる事をする筈は無いと信じたいのだが、その思いが払拭できないのです。検察側と弁護側双方の可視化により、その思いは払拭できるのではと考えます。
検察側も弁護側も相手には手の内は見せたくないものと思いますが、裁判官だけに見せるのならば、法に触れる事をしていないのであれば出来うる事ではないのでしょうか?
取調べだけに可視化を求めたら、冤罪は少なくなるんだろうけど、それと共に必要以上の有利を被告に与えてしまう気がしてならない。
私の理解では、現行制度のもとでの取調べDVDの取扱いは次のとおりです。現時点でもそれなりに厳格なものとなっているように思いますので、これを前提に、どこに不備があるのかを議論していただくのが有益ではないかという気がしております。
1 検察官が証拠請求しなかった取調べDVDは、公判前整理手続において、弁護人から開示対象を特定した証拠開示請求があった場合にかぎって、弁護人に開示されうる(つまり、整理手続に付されなかった事件では開示されえない)。現在まで検察庁が作成した取調べDVDのうち、弁護人に開示されたものはごく少ない割合にとどまる。
2 検察官が開示につき何らかの弊害があると判断して、弁護人からの証拠開示請求を拒んだ場合、弁護人は裁判所に開示・不開示についての裁定を求めることができる。裁判所は、開示に弊害があると判断すれば、検察官に開示を命じないことがあるし、開示を命じる場合であっても何らかの条件を付することができる。
3 実際に弁護人に証拠請求されていない取調べDVDの謄写が許された例では、単に目的外使用が禁じられる(利益を得る目的でばら撒いたりネットに流したりすると1年以下の懲役等に処せられる)のみならず、さらにいくつかの条件を遵守するよう求められている。
なお、現行制度の枠内で考えても、「不開示希望調書」よりも、「不開示希望DVD」の方が、ずっと開示されにくいだろうと思います。
かつて、裁判所は、傍聴人がメモを取ることにつき、それが「純粋な学問研究」という目的であっても、「緊張度の高い法廷の雰囲気」を維持するほうが大事だと言って、これを認めませんでした。現在では、広くメモを取ることが認められていますが、それによって法廷の雰囲気が損なわれる状況は生じていないように思います。願わくは、全過程を録画した取調べDVDは殆どが倉庫に眠ったままとなり、これが法廷に出てくるのは本当に争いのある事案だけ、そして、そのような「眠れるDVD」の力によって、取調べ可視化の目的である「冤罪の防止」が果たされる、ということになれば、と思います。
No.15
「・・・べき」は良いのですが、現実に刑事訴訟法では、類型証拠に当たり、「閲覧かつ謄写の機会を与えなければならない」となっているわけです。
法改正するという意味なら分かりますが。
No.19 ゲンさん
結論からいうと,
捜査側の調べを可視化する基礎となる事実(過去数多くあった自白の強要による冤罪)はあるが,弁護側の調べを可視化する基礎となる事実はありません。
弁護士が,余計な入れ知恵をしてそれが裁判で問題となった事案はぱっと思いつきませんので(探してないのであるかもしれませんが)。
No.22 ぷり(駆け出し弁護士)さん
>過去数多くあった自白の強要による冤罪
これは実際にあった事例の他にもあったかもしれない事は想像に難くない事だと思います。事実こんな冤罪から被告を救う為に弁護士が頑張ってきたのだと思います。またその行動が弁護士の本質だと考えますし、理解しているつもりです。
現在の刑事事件の弁護を見ていると、何か本質とはかけ離れたものを感じてしまいます。冤罪防止が当たり前なのは分かりますが、減刑の求め方が罪に対して対等ではない(必要以上に求めてる)ように思います。
敵対関係にある検察と被告との間に起きた違法な取調べは、表に出てくる事は考えられますが、被告自身の減刑を共同で求める弁護士との接見での入れ知恵(違法性があった場合)は、表に出てくる事は難しいのではと思います。
疑えばキリがないのだと思うけど、裁判官に公平に判断を仰ぐなら検察側、弁護側双方の可視化をした方が良いように思います。
取調官の厳しい取調べは、自白の強要などによる冤罪を生む可能性もあると同時に、被告本人にしか分からない事件に関する重要な証拠を得る可能性も否定できません。もちろん暴力による取調べは賛成はできませんが(気持ち的には甘ったれるなと思う)。
現在の厳しい取調べがどのようなものなのか想像できませんが、冤罪を生む可能性も否定できないし、事件解決への可能性もある事を否定できない難しい問題だと思いますね。
私も、何かと言うとすぐに心神耗弱だの正常な判断ができない状態だったのと莫迦の一つ覚えのごとき被告弁護人主張のニュースを見ると「えーかげんにしなさい!」と言いたくはなりますが、ゲンさんのお書きになってるのは違うと思います。
なぜと言うに、刑事司法のプロセスと言うのは、人・モノ・金・法的強制力・物理的拘束力において圧倒的に優位にある公権力が、何の後ろ盾もないか弱い(笑)個人をとっ捕まえて、刑事罰と言う不利益を押し付けようとする、非常に偏ったパワーバランスのもとで行われる攻防だからです。
さらに検察側(公権力側)が、判決が確定するまでは推定無罪であるところの被告人に対して不利益を強いる権能を持つ一方で、弁護側はなんらの不利益をも強いる権能を持ち合わせていないわけです。
精々、マスコミが報道する検察側の言い分に基づいて「被告人=犯人=厳しく裁かれるべき」との印象を抱いている世間さまの感情を損ねる程度しか。
公判ベースで言えば、弁護側がどんな主張をしようとも、検察側は捜査を通じて得たあらゆる証拠を駆使して、その主張が無効であると跳ね除ければいいだけなんです。
か弱き個人(笑)に不利益処分を課することのできる側がアンフェアな振舞いをしないように規制することは必要ですが、初めからそんな権限を持ち合わせていない防御側に同じレベルのことを求めるのは意味がありません。防御側の手足を縛ったり萎縮させるようなことは、意味がないどころか、日本の刑事司法制度にとってはむしろ有害です。
ゲンさまに対する惰眠さまの説明を(横から勝手ながら)喩えれば、
捜査機関側の権限 : 被告人(及び弁護人)の権利
≒
ゴルフクラブのヘッド側 : グリップ側
というバランスで成り立っており、重心は極端にヘッド側に偏っています。
ゲンさまの主張は、「両方同じ長さでなければ不公平だ、吊る位置は両端から等しい長さの場所にすべきだ」 と言っているように見えてしまうのです。
No.24 惰眠さん
パワーバランスが偏っている事は、おっしゃる通りだと思います。誤認逮捕などの報道を見ると、抑留され苦しいであろう期間を過ごした人の苦労は想像を超えると思います。
また、社会復帰の際の世間からの完全な疑惑の払拭は容易ではないものと思います。
弁護側の可視化を国家権力である検察に見せれば、更なるパワーバランスの差が生まれる事は分かるのですが、裁判官のみが見れるとなっても「差」は生まれるものなのでしょうか?
それとも「差」は生まれないが、刑事弁護の未来を考えた上で、可視化を認めれば今以上の発展(被告の利益向上)は無いから止めた方が良いとお考えなのでしょうか?
なんだか誤認逮捕とかを見れば警察やり過ぎ!なんて思いますが、凶悪事件の裁判や判決見てると犯罪者に甘すぎると思ってしまうのです。
推定無罪の期間の待遇の改善はやるべきだと思いますが、検察側のみの可視化で厳しい取調べが行えず、事件解決が難しくなる事にはならないだろうかと危惧してます。それに伴っての被告への過剰な利益にはならないのだろうかと。
裁判所の決定に対し、検察側も弁護側も不満足である事が多い、それと信用できない部分もある(公平中立ではない)からっていう理由も双方には少なからずあるのかなと思ったりしてます。
私の考え方は、一種の「目的・効果論」なんだと思うのですが、被疑者/被告人と弁護士の打合せを監視することに、一体どんな意味があるのか非常に疑問なのです。
被疑事実や起訴事実の立証は、検察がその職責において十全に行えばよいのですが、その過程において不正があってはいけない。なにしろ、公権力の名の下に誰かに何らかの不利益処分を行うわけですから、立証不十分な「いいがかり」を根拠にそれをしてはならないわけです。
根拠の正当性が担保されなければならないのは、処分を求め、またはそれを決し執行する側です。
というか、弁護人と被告人の協議内容を「可視化」することに、刑事裁判のシステムの上でどのようなメリットがあるんでしょうか。
検察サイドの可視化に関しては、法律で禁じられている違法な手段に基づく証拠収集が行われていなかったことや、任意性(≒証拠能力)のない供述を「証拠能力あり」と偽って被告人に不利益を与える根拠となしてはいないことを担保する材料になるので(裁判の正当性の裏づけとして)大いに意味があります。
しかし、もともと、ありとあらゆる「身勝手な言い訳や弁解」をするであろうと想定されるのが被疑者や被告人です。
その主張を法定で述べ立てるにあたって『違法な手段に基づく発言』などと、不利益処分を下す根拠をゆるがせにするような性質のものではありません。どのような主張を繰り広げようと、被告人有利を導く証拠を捏造する(これはこれで別の犯罪です)のでもない限り、裁判によって処罰を決すると言うシステムの公正さに影響を及ぼすようなものではないのです。「可視化」によって担保されるものが、そもそも最初から何にもないのです。
なにも担保できないのに「見張らせろ」と要求するのは、いわば萎縮効果を狙った嫌がらせだとか妨害の類でしょう。
なお、判決において検察側求刑よりナンボか割り引いた量刑になるのは一種のルーチンなので、検察も当然その「値引き分」を見込んで求刑をするものです。
見込み以上に値切られたり、起訴事実の重要な部分で検察主張が受け入れられなかったりした場合には、当然検察は上訴します。それが「不満足」です。
被告人側においては、無罪主張なのに有罪判決が下されたり、被告人主観における事実関係と違う認定が下されたり、重すぎると感じられるような量刑判断になった場合――つまり、必要以上の不利益を科されたと「不満足」だと認識する場合は上訴に至るわけです。
有り体に言って、検察は「被告人に処罰を求める」立場から、あとで割引になることを承知の上で悪いことばっかりを(ある意味「かさ上げ」して)言うわけですが、マスコミはその「悪いことばっかり」を丸のまま報じます。
いわば検察は、最終的に1000円で売れればいいと思って、値札には1500円とかの値付けを書いて市場に持って行くのですが、マスコミは勝手に「これは1500円どころか2000円は下らない商品です!」と宣伝しちゃうわけですね。
普通、そういうマスコミ報道しか我々は目にしませんから、そういうもんだと思っちゃう。場合によっては「2000円?1万円でもいいくらいだろ」と感じるわけです。市場のルールで2000円以上の値段が付けられないとしても、です。
そう言うときに商品が1000円で取引されたりするのを見聞きすると「おかしい。安すぎる」みたいに感じちゃうのでしょう。
No.25 fuka_fukaさん
>「両方同じ長さでなければ不公平だ、吊る位置は両端から等しい長さの場所にすべきだ」 と言っているように見えてしまうのです。
その通りに見えてしまいますね。誰にでも見せろとは思ってないんですが、最終的な判断をする裁判官にだけなら見せるべきだと思うのですよ。
判決を下す上で取り調べの状況を把握し、尚且つ弁護側の接見の状況を把握出来れば、双方の違法性の有無を確かめられる事ができます。「取調官の暴力や自白の強要があっただろう」とか「弁護士の入れ知恵があっただろう」なんて外野の声を封じる事も可能ではないかと思います。
それらを見て裁判官が判断をするのが良いと思うし、どちらか片方のみの情報では判断に偏りが出そうな気がします。公平な裁判官であるというのが大前提なんですけどね。
あの・・・「弁護士の入れ知恵」は違法なんですか?
そもそも刑事被告人なんて、普通、法律知識ないわけでしょう。検察と渡り合えるほどの水準で、と言う意味ですが。
だから「入れ知恵」してもらうために弁護人をつけるんじゃないんですか?
No.23 ゲンさん
ひとつ確認しておきますが、「入れ知恵」をどういう意味で使っていますか?
No.27 No.29 惰眠さん
そもそも可視化されて困る事がなければ問題ないと思うのです。正当に弁護してる状況を見られて萎縮する弁護士っているのでしょうか。手の内を相手方に見せれば困る状況も考えられますので、検察側に見せろとは思ってません。
真っ当な判断をする裁判官には見てもらう方が良いと思うし、判断するに当たってより理解が深まるのではと思います。
入れ知恵が違法かどうかは裁判官が判断すればよいと思います。私自身は法律を知り尽くした弁護人が、どのように発言すれば減刑にもっていけると法の抜け道を教える事があるならば賛同しかねます。ですが法律で許されてるものは我慢しなければなりません。
しかし、その行為が被告に真の反省を促しているのかは疑問に感じます。
入れ知恵が被告に真の反省を促す類のものなら構いませんが、減刑をもぎ取る為のものならば、そこに正義はないと思います。
No.30 ぷり(駆け出し弁護士)さん
>「入れ知恵」をどういう意味で使っていますか?
弁護士による助言です。その中でも問題にしているのは減刑の為(法の抜け道のような)だけの助言です。違法な事があればそれもですが、無いであろうと今は信じていますが、信じきれる事ができない自分もいます。
No.32 ゲンさん
これのどこに問題であるのでしょうか。 今までこの掲示板で議論されてきた刑事弁護の本質をちゃんと理解していますか?自己レス
「減刑のためだけ」と「法の抜け道」は根本的に違います。
そもそも後者が何を意味しているかがわかりませんが。
あと,刑事弁護は本質的に「減刑のため」の活動です。
ですから,「減刑のためだけ」を批判するのであれば,刑事弁護そのものを否定することになります。
No.34 ぷり(駆け出し弁護士)さん
>「減刑のためだけ」と「法の抜け道」は根本的に違います。
そもそも後者が何を意味しているかがわかりませんが。
刑事弁護は減刑の為だけなんですか?被告に真の反省を促し、被告の犯した罪を自覚させた上で、真っ当な人生を歩ませる場所へ導くものではないのですか?
うーん・・・
そもそも論になっちゃうんですが、刑事被告人と言うものは、ありとあらゆる弁を尽くして責任逃れを図る存在で、また今の司法制度はそれを容認してるわけですから、そもそも見張らなきゃいけないような「違法な」防御ってのはないんですよ。
検察と言うのは日々刑事被告人を訴追するバリバリのプロフェッショナルなわけです。そういうプロに攻め立てられるのは、法律家が被告人となるような例外的な事件を別にすれば、刑法や刑訴法なんかとは縁もゆかりもなく暮らしてた人たちです。
で、こういう喩えがいいのかどうかアレですが、刑事被告人になるというのは、そこいらの普通の人がK-1のリングに上がらされて、ボブ・サップとか魔沙斗みたいなトップクラスのプロ格闘家の攻撃に対して防御だけしていなさいと命じられるようなものです。
防御だけと言ったってそこはシロウトですから、どうすりゃ有効な防御ができるのかも分からない。なのにプロフェッショナルは本気でダウンを取ろうと攻撃してくるんですから、控え目に言っても一方的にタコ殴りされるのが目に見えてます。
それじゃ余りにもフェアじゃないんで、プロの「助っ人」をつけて有効な防御の仕方だとか切り抜け方のフォローやアシストをするわけです。
警察・検察側に「可視化」が求められるのは、こういう試合の局面で、サップや魔沙斗がさらに凶器攻撃するとか反則の攻撃を仕掛けてくるようなことを抑制しなくちゃいけないからです。公正な裁判の前提を損ないかねないことを、攻撃側はやることができるからです。
被告人側にできるのは、そういう攻撃から弁護人の助けを得て、あらゆる方法(弁論)を用いて「防御」することだけです。
どんな方便を持ち出してもOKなんですから、そもそも第三者に何がしかのチェックをしてもらわねばならないような、「裁判の公正さを損なう」ような違反行為は存在する余地がありません。
原理的に違反が存在しないのに「違反があるといけないから」などと理由をつけて可視化を要求するのは、そのこと自体が裁判の公正さを歪める考え方です。
ゲンさま
「被告に真の反省を促し、被告の犯した罪を自覚させること」
と
「刑の減軽」
とは両立しますよ。
また、No.28 は No.25 と噛み合っていないような・・・?
私がゴルフクラブで喩えた前提からは、裁判官も当然 「クラブヘッドのすぐそばに重心があること」 を知っています。
両端から長さの等しいところで吊られているクラブを裁判官が見たら 「それは不当に捜査機関側に傾いている」 と評価する、という前提です。
また、ゲンさまは触れていらっしゃいませんが、捜査機関の取り調べと弁護士の接見では、本質的な違いが(少なくとも)1つあります。
「違法行為が当該室内で行われるかどうか」 です。
接見においては、罪証隠滅の教唆(などを問題視されているのですよね?)などが行われる可能性がありますが、実行行為それ自体が室内で行われることはまずありえません。
一方、取り調べにおいて、「違法な取り調べ or 取り調べに付随する違法行為」 は、まさにその場所で実行行為が行われるものです。
国家権力v.s.一個人という対立関係を度外視しても、直接に監視すべき必要性に根本的な違いがあります。
横からすいません。
ゲンさまのお考えになるところは、わかるような気がするのですが、
私が思うに被告人と弁護人(ほとんどは弁護士だと思うのですが)は一心同体に限りなく近いものであって、弁護人が述べること=被告人の述べること、という風に、限りなく等式になるものであるはずで、それでなければ、「刑事弁護」というものをややこしくしてしまうような気がするのです。ですから国家権力に闘う為(法にもとづき)に、資産があれば、高額で私選弁護人を雇うでしょうし、なくても国選弁護人という制度が存在していると思うのです。(法曹専門家の多いこのブログでド素人コメントで恥ずかしいですが)
No.27 惰眠さまの仰ることにもいちいち頷けましたし、 ぷり(駆け出し弁護士)さまの仰ることも理解できます。
「法の抜け道」という危惧も確かにありますが、どれほど法文を駆使しても、完璧に作り上げることは可能なのでしょうか、いえそいう問題ではなく、上述した私が思うところで、弁護人はありとあらゆることを駆使して、(違法なことはいけませんが)被告人の利益を最大限守りぬくというものなんではないでしょうか、ですから弁護人と被告人の接見を監視することにあまり意味を感じないのですが・・・。
ド素人の駄文、失礼致しました。
失礼しました。訂正です。
私選弁護人×→私選弁護士
国選弁護人×→国選弁護士
No.36 惰眠さん
おっしゃる事は分かります。確かに囚われの身になれば凶悪犯的な態度はとれないと思いますし、法的フォローがなければサンドバッグ状態になるんでしょうね。
でも、やがて出所って事になったらやっぱり元凶悪犯なんですよね。検察側のみの可視化を実行して、現在よりも良い方向に向かえば何も言う事はないんです。
良い方向とは被害者も被告も納得できるものであり、且つ事件解決が問題なく進むのであればなんですが。
私自身のスタンスが反被告に偏り過ぎての意見だと思いますが、惰眠さんの多くのコメントは勉強になりました。
ありがとうございます。
性懲りもなく(笑)毎度横入り失礼いたします。
>>No.31 ゲンさん
のコメント全体への反論ではないのですが、途中の
>しかし、その行為が被告に真の反省を促しているのかは疑問に感じます。
この一文にだけ個人的にちょっと引っ掛かりを感じます。
推定無罪の原則からいえば、被告または被告人の立場で有罪か無罪かを裁判で争っている段階で、直接の相手(刑事なら検察,民事なら原告)以外の者からなんらかの「反省」を促されるいわれは全く無いように思われます。
刑事であれば反省すべきは検察か被告人かどちらか、あるいは民事なら原告被告それぞれがどの程度ずつ反省して妥協すべきか、まさにその点を争うのが裁判であろうかと。
とはいえ日本では裁判官の「心証を獲得する」被告人の反省の「演技」の問題は、陪審制のアメリカでも法廷で被告人の態度振る舞いを見た陪審員の心証が、評決の結果に影響を与える冤罪が少なくないということで、司法機関自らが問題視して反省し、改善に向けて動き出したということが昨年のNHKクローズアップ現代でも報じられていました。
捜査の適正化や可視化は、洋の東西を問わずこの「演技」の問題がある限り容易には結論に至らぬ難しい問題なのでしょうが、アメリカより議論が遅れてスタートした日本であるならば、先行するアメリカがすでに打った対策の有効性を検証しながら議論を進めることができるという点では、やや恵まれているということでしょうか。
反面、日本司法自らが改革に向けてアメリカのように動き出すという事態は、郷というか業というか、日本のお役所仕事ぶりではあんまり期待もできませんが(笑)。
No.37 fuka_fukaさん
可視化により弁護側が見たいのは、被告の人権を認めた公正な取調べが行われているかなんでしょうね。
権力を背景に密室での強引な取調べを危惧していると。
納得はできるのですが、それによる弊害の可能性を危惧しています。それがなければ問題は無いと思うのですが。
コメントありがとうございました。
No.38 Oさん No.41 ぼつでおkさん
すみませんが今から予定がありますので、後日コメントさせて下さいね。
申し訳ないです。
「減刑のため」のなかに反省は当然のことながら含まれます。
但し,それに尽きるものではないし,そもそも反省が必要なのか(事実に争いがある場合),反省できる状態なのか(責任能力を争う場面が典型的)ということも含めて被告人の言い分を聞き,被告人の状態を判断し,適切な主張をするのが弁護人の仕事です。
No.39 Oさん
訂正前の方があっていますよー
No.45 ぷり(駆け出し弁護士)さま
ありがとうございます。
ただひたすら、汗、汗、汗・・・・・でした。
例によって、主要な論調とは反対の書き込みをします(苦笑)。
No.36・惰眠さんのコメント中、「違法な防御」がそもそもあり得ないとか、違反行為が存在する余地がないという主張は、さすがに言い過ぎというか、明らかに間違いです。
例えば、被告人に不利な証言をすると見込まれる関係者を脅迫して(弁護人がその旨の文言を伝達して)出廷させないようにする行為は、違法な防御活動でしょう。被告人のために偽証を依頼するのも違法です。
また、例えば暴力団事犯において検挙された実行犯に対し、組長等未検挙の上位者からのメッセージを伝えること(組とは関係なく独自の判断でやったことにしろ、等々)も、犯罪ではないにせよ、相当な弁護活動といえるか大いに疑問です。
そして、被告人・被疑者と弁護人の秘密交通権を悪用してそのような行為が行われたことは現にありますし、法務・検察当局によれば、そうしたな違法な弁護活動は決して珍しくない。むしろ、刑事弁護の適正化というのは、各種協議会において頻繁に提出される議題です。
もちろん、弁護人がしばしば証人威迫や証拠隠滅に加担しているというのは、主に法務・検察当局の言い分であり、その全てが正しいとは断定できませんが、逆に、全てが根拠のない言いがかりであり国家権力の不当な策動(笑)であるとも断定できないでしょう。
弁護人と被疑者・被告人との接見は「密室」で行われており、弁護士会がその可視化を頑強に拒んでいるため、適切か否かの検証ができず、疑惑は疑惑のまま残っています。
そして、そのような疑惑を晴らすには接見の可視化が必要だ、という意見には一理あるように思われます(※私は賛成しませんけど。)。「やましいところがないなら可視化できるはずだ」というのは弁護士会が連呼してきたフレーズであり、「可視化により信頼関係が損なわれる」というのは捜査機関が連呼してきたフレーズです。
もちろん、性質上、取調べに違法行為が介在する危険性と接見に違法行為が介在する可能性は前者の方が大きいと思われ、fuka_fukaさんの仰るとおり「直接に監視すべき必要性」にはかなり差があると思いますが、それはあくまで程度問題であり、密室で不当な行為が行われる可能性というのはいずれにもある。取調べ過程について極端な可視化を要求する論者が、接見については秘密性を頑強に保持しようとする(というか、接見可視化論なんてハナから相手にしない)のは、何だかバランスが悪いように感じられます。
密室における捜査機関の不当な取調べについては、「それが裁判で認定されにくいのは可視化されておらず立証が困難なためである」と嘆息する人々が、密室における弁護人の不当な活動については、「裁判でも認定されておらず、そんな問題はそもそも存在しない」という主張になるのは、何だかなあということです。
注意喚起の意味で書いておきます。
訴訟当事者としてのパワーバランスが検察・捜査機関に有利に偏っているというのは、一般論として間違っていません。
しかし、刑事訴訟の根本的なルールが、被告人・弁護人にとって極めて有利であることも確かであって、弁護側は、検察官の主張立証を凌駕する必要は全くなく、そこにキズを付けられれば勝ち(無罪)になるわけです。
野球に例えれば、「検察チームは弁護チームより選手層も資金力も優位にある」反面、「検察チームは弁護チームを完封しないと負け。弁護チームは1点でも取れば勝ち」というルールで試合が行われている、という感じでしょうか。
しかも、検察チームの戦術は刑訴法によってこと細かく制限されている。
要するにそもそもの勝利条件が全然違うわけで、そこを無視して彼我の戦力差ばかりを強調するのは如何なものかと思います。
>>No.47 (ただいま謹慎中)さん
の「注意喚起」にほぼ全編なるほどですが、
>>No.48 (ただいま謹慎中)さん
>しかも、検察チームの戦術は刑訴法によってこと細かく制限されている。
については、警察や検察が隔絶された取調室において、違法な手順によって得られた証言や自白の証拠無価値性を隠蔽糊塗する行為の動機付けに悪用される事が無いよう。
私も一点だけ注意喚起のために(笑)
現実を知ってるわけじゃないので、感覚だけで書き込み。
警察・検察問わず、可視化は避けられないっしょ。
「やましくないならビデオで見せろ」は説得力ありすぎ。
「被疑者との信頼関係」って、昭和かよ。
一方で、全部録画しろとも思わないけど。
「自白してる雰囲気だけ見せて。警察や検察が好きに選んだ場面でOK」と思う。
これは、警察・検察さん側に都合がいい意見な気がする。
でも、テレビ見て新聞読んだ感覚だけで言えば、そんな気分♪
茶々を入れるつもりはないんですが・・・。
「やましくないなら見られてもかまわないだろ」という言葉が錦の御旗になってしまうと、ちょっと危険な気もします。
その言葉が国家に向けられているうちはいいのですが、一歩間違えば、街頭監視カメラや盗聴やDNA登録制度など、プライバシーと治安をバーターにする口実にもなりえます。
杞憂だと言われればそれまでですが・・・。
1 「やましくないなら・・・」は職務質問・所持品検査時の説得文句でしたな。
今やその矛先が捜査官に向かう。
2 要するに、被告人が逃れようとして何をしても仕方ないが、警察・検事・弁護士(弁護人)は違法・不当なことに手を染めないでね、ということでしょう。
それが疑わしいこともママあるから色々な意見が出てくる。
ただ、裁判官にそういう疑いの矛先が向かないだけ日本は幸せです。
3 ヤクザや悪ガキ、悪態つく相手に、取調官も「あなた、それでどうしましたか?」とは聴けないでしょうね、やはり。相手も調子狂う。
でも考えてみれば、医師・看護師或いはサービス業は、そういう方々や家族にも冷静に対処している(せざるを得ない応召義務)・・・尊敬のまなざし。
意味不明のコメントでした・・・
別エントリに誤爆してしまったものをもう一度書きます。
被疑者と利害の対立する一方当事者である検察官(捜査官)と被疑者の代弁者である弁護人を同列に並べて比較しちゃ駄目だと思います。
検察官(捜査官)としては一応証拠を揃え被疑者が犯人である可能性が高いと思うからこそ、逮捕・勾留に踏み切っていますから、その人物が裁判で無罪になっちゃいました、では格好が悪いでしょう。
だから否認する被疑者から有力な証拠である自白を得る必要があり、捜査側はさまざまな方策を巡らす、そしてそれが時に違法な取り調べをひきおこし、取り調べの可視化が叫ばれる。
それに対して「代弁者」である弁護人としては被疑者が否認すれば無実を前提に、自白していれば有実を前提に淡々と弁護するだけで、特定方向の供述を得ることについての利害関係が見あたりません。また被告人の有罪=弁護人の失態でもないですよね。
だから弁護人が被疑者の意に反する供述をさせるということは構造上起こりにくいと思います。
それに被疑者に対して直接物理的・心理的プレッシャーをかけられる捜査側に対して、接見室の仕切り越しでしか被疑者と話せない弁護人が無理矢理供述を強要したりすることは困難でしょう。
なので取り調べが可視化の必要性が叫ばれているのに対し、接見の可視化の必要性が出てくるということは今後もないのではないでしょうか。
>横レスすいません。
今枝弁護士のブログでこの件について取り上げてました。
秘密接見交通権(ようは弁護人の接見でいいのかな?)は憲法に由来する権利らしいです。
自分はパワーバランスの問題だとばっかり思ってましたが、憲法も絡むんですね・・・
捜査の妨げになるというのもわかりますが、人を逮捕、拘束する事を法的に認められている組織なんですから、その権力がより厳格に行使されているかちゃんと監視をしようって流れなんですよね?
ところで弁護側の接見の可視化って仮にDVDで録画したとして誰が見るんですかね?裁判官?検察官?
余計な負担がかかるだけだと思いますが・・・
取調べの可視化は(かりにDVDに撮っていたとして)被告人から弁護士に話せば該当する箇所(違法な取調べがされた時間)を探すのは比較的簡単そうですが、接見時に違法な事が行われたって言う根拠はいったい何処から持ってくるのでしょうか?
仮に接見をすべて監視できるようになってしまったら、検察に手の内がバレバレになってしまいませんかね?
補足:ところで以前感熱紙(刑)さんが「否認の任意性」という話で組関係者の意向で被疑者に(本意でない)否認をさせる弁護人の話をされていましたが、こういうのは特定の関係者の意向を汲んだ弁護人が利害関係者になってしまったからでしょうね(多くはないと信じたいですが)。
こういう弁護人(弁護士)はさっさと懲戒されて欲しいです。
No.54
そういうことを主張する人は、おそらく弁護士or弁護士会が自ら保管することで満足するのかも(勝手な憶測ですが)。
病院のカルテのように保管義務を課し、そして何か具体的疑いをかけられたら、そのDVDで反論すればよいでしょっ、とか。
No.55でいうように弁護士会による懲戒にも有力な証拠になるかも。
弁護士にとってごく僅かな刑事弁護に限っての話ですけどね(大半は民事だから、そこのトラブルが多いと思いますが)。
>No.53 ひらのさん
接見の可視化の必要性が出てくるということはないかも知れませんが、接見の可視化の必要性が「叫ばれる」可能性は多いにあると思います。
光市の母子殺害事件では、国民による弁護団へのバッシングがありました。これは刑事弁護に対する誤解が大きいとは思うのですが、結果として弁護士に対する不信感が発生、または増大してしまったことは確かだと思います。
取り調べの可視化と言う流れは、検察・警察に対する国民からの不信感が元で生じていると思います。刑事弁護に対して国民が不信感を持っているというのであれば、それはやがて接見の可視化という流れを作り出すことになるのではないでしょうか。
No.54 エッジさん
ありません。 あえていうと弁護士法くらいでしょうか。 でもそんな広汎な根拠だと,怖くてとても接見なんてできません。接見の可視化などという間抜けな議論している人は,それによって何が起こるのかもう少し把握してから言ってもらいたいものです。
No.38 Oさん
弁護人と被告が一心同体に近いのは分かります。それが理想だと思います。被告が度々に嘘の供述や模造した証言などすれば、迷惑な被告人となりやってられないでしょうね。事実、私とごく親しい人の民事訴訟を聞いた事があります。こちらが訴えたのではなく、相手側からの突然の訴訟でした。
相手側の証言をことごとく確証をもって反論していき、相手側弁護士の応対はこちらからみても可哀想なものでしたよ。こちらは事実を全て打ち明け、嘘偽りなく弁護士に打ち明けました。もちろん弁護士の手腕があったのですが、損害賠償請求を満額頂きました。後に「これ程気持ちの良い裁判は初めてでした」と弁護士に言われたと聞いた時は、正義は勝つんだね~と思ったものです。
余談はさておき、国家権力と闘う上で弁護士による法的フォローは当然であり、また裁判を行う上で必要不可欠です。
問題となっている接見の可視化ですが、検察側に見せれば当然問題があると素人ながらに思えます。ですのでそれには明確に反対という立場をとります。凶悪犯であろうとそこは守ってあげるべきかなと。
判決を下すのは裁判官ですよね。それは公平な目を持った人と信じてるのです。どちら側にも立たない、立てない筈の存在だから。その裁判官のみにお互いの記録を見てもらう事に抵抗を感じる事を疑問に思った訳なんですよ。
そこに違法性がなければ問題ないだろうとね。だがもし検察側だけの可視化を認めてそれを弁護士が見れる場合、厳しい取調べの違法性についての指摘が数多くでてくるのではと思います。暴力は論外だけど、厳しく迫った事が脅迫だとか、そういう判断は各弁護士によりマチマチであろうと思います。
それが違法かどうかをまた裁判で争う事になり、益々裁判が複雑化すると予想します。被告の人権を守る上で時間がなんだと言われれば確かに時間よりは人権の方が認められるべきとは思いますが。
検察側のみの可視化による利益は被告のものだけになるのではないでしょうか。そこに被害者が存在する事を考えています。殺された人は何も言えませんし、残された家族も事件の全容解明は望むと思います。
今まで以上に被害者の為になっていく法制度なら構わないんです。ですが被告の利益のみが向上されていく事は賛同できないのです。
冤罪でない殺人事件の被告の待遇は、被害者よりも上だと感じています。一人の殺人での死刑は稀だと理解してます。被告の人権が守られるのは理解しますが、その人権を奪わなければならない時もあるのです。その人権の侵害を憲法も認めてる筈だが、現在は命の重さに甲乙をつけていると感じてます。その考えの上で上記の意見を書きました。
>No.54 エッジさん
卵が先か鶏が先かと言う感じになりますが、憲法に「由来する」と言うよりは憲法が「保障する」としたほうがしっくり来るような気がします。
これは、公権力と被告人個人の力関係が極めてアンバランスであることと「別に」憲法の規定があるから保障されているのではなくて、あまりにも著しいアンバランスが存在するのでわざわざ最高法規のレベルにまで上げてでも公権力側の手を縛らざるを得ないという、一連の流れの中にある仕切り方ではないでしょうか。
なお、No.42でゲンさんが「被告の人権を認めた公正な取調べ」とお書きになっていますが『人権』とすると余りにも概念範囲が広がりすぎてしまうし、可視化要求の問題をいわゆる『人権論』と見なしてしまう(広汎には「人権」でもあってるんですけど)ことになりかねないので、もう少し具体的に「刑訴法(など関連法規)の定める適性手続きから逸脱しない公正な取調べ」くらいに絞ったほうが良いのではないかと思います。
なお(ただいま謹慎中)さんのご見解ですが、私には、問題の種類や方向性、問題視されねばならぬ制度上の背景、影響の範囲と深刻度等々がまるで違うものを、同列視していると感じられます。
No.59 ゲンさん
こう考えてみてください。
自白の任意性に問題があると言うことは,自白自体が虚偽である場合が多く(一概には言えませんが,とりあえず問題の単純化のためにこうしておきます),したがってその被告人を有罪とする重大な証拠がないことになります。
通常,無理な自白と言うものは,有力な客観的証拠がないときになされるものであるので(これも一概には言えませんが),自白が証拠として使えないとすると,その人は無罪放免ということになります。
しかし,その無罪放免の頃には,多くの月日がたっており,真犯人についての証拠も散逸しています。事件の迷宮入りです。
この場合,被害者が被る苦痛はいかばかりのものでしょうか。
しかし,可視化をして,無理な自白をとる取調べを予防しておけば,少なくとも上記のような事態は起きません。
こう考えると,可視化
No.41 ぼつでおkさん
推定無罪の原則で、殺人や事件への関与自体の有無を争ってる場合は反省も何もやっていなければ問題は無いと思いますし、反省を促せる必要はないかと。しかし、殺人は犯してしまったが色々と理由があった。今は後悔しているなんて場合は、きっとその殺人を犯した時点から反省は始まってるのではないでしょうか。
それを弁護士に話をし、それを聞いた弁護士は行為に至った経緯を説明してもらい、そこでどういう弁護ができるかを説明し、被告が許されない殺人を犯した事の重大さやもっと考えるべきだったのではと窘めるべき存在でもあると思いますし、そうしてるのではと想像してます。
もちろん私のような人間が関係者でもないのに、反省しろ!なんて事を言っても被告には何も関係ないし、お前に言われる筋合いはない!の一言で終わりでしょうけどね。
冤罪でなければ、法廷での判決が出るまでの間も悔やんでるなら反省しなければならないし、それは態度や言動からもある程度の姿勢は見えると思います。
「演技」による陪審員の心証ですが、「冤罪」が多いって事は「演技」が上手くないって事ですね。役者ならいとも簡単にできるんでしょうが、素人は難しいでしょうね。出来る素人もたくさんいるとは思いますが。
アメリカのような裁判を近代司法っていうのでしょうが、あまり良い印象はありません。金銭的に余裕があり高額な有名弁護士を雇いドリームチームを組めば、有罪をも無罪に変えれる気がしてなりません。それと高額な損害賠償のニュースを見てもアホか!って思います。
何れこの近代司法の方向で日本も進んで行くのでしょうね。様々な問題点が確認されてるいるならば、後発の国はもっと良い方向へ導いていかなければならないと私も思います。
役所には今まで通り期待できないのは、激しく同意しますね!
No.61 ぷり(駆け出し弁護士)さん
無理な自白というのは、取調官が大体の筋書きを述べ、それを被告の自筆により書かせる事ですよね。犯人しか知り得ない重大な文言を入れればなおよしってな具合で。
それに問題が無いとは思ってません。実際にあったようだし、刑事弁護に携わる弁護士にとっては見過ごせない問題だと思います。可視化の要求もそれが一つの要因なのでしょう。
しかし、「厳しい取調べ」とはどこまでが許せて、どこまでが許せないのかのボーダーラインが分かりません。弁護士は許せなくても検察は許せるだろうなんて事は敵対してる以上必ずあるはずです。
しかも弁護士が許せないと判断した状況下で、罪を自白した(犯人しか知り得ない事を話したり、証拠物の場所を特定した)事が過去にあったのなら、それこそどちらも引けない状況になりませんかね?
冤罪を危惧されての事だと思いますが、誤認逮捕により人生の一部や大半を奪われてしまう人達には同情します。もちろん可視化により確認できるならばそれが一番でしょう。
しかし、冤罪の可能性がある者がどれ程、誤認逮捕されているのか。罪を犯した者でも平気でシラをきり通し、証拠を突きつけられて渋々自白するような被告はたくさんいるのではないでしょうか。
検察側の可視化による冤罪防止の考え方には賛同します。しかし、実際に罪を犯した被告を有利に導くための可視化利用は賛同しかねます。
検察側の可視化された記録を見て、どこまでを弁護士側は利用、主張できるのか明確な線引きを提示してもらわないと、被告有利の底なしの要求が起こりそうな気もします。
「厳しい取調べ」が、憲法や刑訴法の禁則(暴力をふるうな、暴言を投げるな、誘導するな、非人間的な取り扱いをするなetc.)に抵触していないかいるかは、単に弁護側と検察側の対決構造の有無に関わらず、人によって「評価」や「判断」が割れる可能性があるでしょう。
「西部署」の取調官は「七曲署」での取調べを見ても問題ないと思うかもしれないし、「湾岸署」の調べ官は大問題だと思って監察官に報告するかもしれません。
一目瞭然でわかる具体的な暴力行為は別にして、侮辱的な言動だとか供述の誘導などについて明確な線引きをするのは、中々難しいと思います。
しかし、もともと憲法は違法手段で収集した証拠を刑事裁判で用いることを禁じていますし、刑訴法でも適法手続きが定められているのですから、可視化によって「封じられる」のは、いままで検察側が「密室であることを奇禍として得ていた不当な既得権益」に過ぎない、と言うことも可能かと思います。
犯罪者が処罰されなければならないのは当然のことですが、目的は手段を正当化しないといいますか、処罰を行う公権力がルール違反を平然とするようでは、その処罰の正当性自体が揺らぐのではないでしょうか。
暗黒街の帝王アル・カポネが、殺人の罪で裁かれたのではなく脱税の罪で罰を受けたことは、法治国家における正当な刑事司法手続きと言うのがどういうものなのかを示唆する、一つのエピソードではないかと思います。
>>No.62 ゲンさん
コメントありがとうございます。
いま希ガスな頭になにも浮かばない(笑)ので、今朝がた間違って別エントリーに書いたものを推敲せず貼ることをお許しください。以下のものです(2つを1つにしましたので長たらしくてすみません)。
1.
警察や検察、裁判所はトラブルを公権力で処理するところであって個人の人権は当然非常に制限されます。刑事トラブルで司直の介入を受けるということは、個人の「人権」にとっては社会生活を送ることができない程の法的重病や法的重傷を負ったと見做すことができ、刑事捜査のための逮捕や勾留は強毒伝染病の疑いでの隔離入院措置(強制受診や強制入院)にあたり、検察による事件の検討は入院先での詳しい診察や検査にあたるでしょう。そこで集められたエビデンス(日本語で証拠w)をもとに、確定診断や治療方針を決定するのが裁判所であるというふうに例えると、わかりやすいのではないでしょうか。
このように考えて司法と医療は社会のトラブル(人の嫌がるもの)を治療して(汚れ仕事でつねw)社会を前進させてゆく両輪(下支えというか、土台部分の基礎構造)であるべきだと以前書いたものでした。
そして、警察・検察・裁判所も病院も、いわゆる個人の「幸福な人生」にとっては不吉でできればお世話になりたくないものの象徴的存在となるのも、人情の当然でしょう(笑)。二つの場所ともそこにいるのは神仏ではない生身の人間(To err is human)ばかりですから、その場所に送り込まれれば常に生命の危険に否応無くさらされるからです。
このことを常識として社会人が受け入れている社会が、成熟した社会であるといえる、のではないかなという希ガスな私の1億2千万分の1の感想です(笑)。
2.
No.19をここに書いたココロは(笑)、
取調べの可視化を求める根底の感情と、インフォームドコンセントを求める根底の感情が、社会人の感情として同根のような気がしたからです。
とはいっても、この仮説もいまだ検討中なんですが(笑)
(コピペ終わり)
そもそも被疑者がたまたま拘束されているから接見という手段を取るのであって、
本来は外で自由に面会できるわけですよね。
これを録画するのは物理的にも理論的にも無理な気がしますが…
No.59 ゲンさま
ご返答いただきまして、ありがとうございます。
私も、個人としての正直な気持ちを言えば、ゲンさまと似たような気持ちを持っています。特に最後の方の、
>冤罪でない殺人事件の被告の待遇は、被害者よりも上だと感じています。一人の殺人での死刑は稀だと理解してます。被告の人権が守られるのは理解しますが、その人権を奪わなければならない時もあるのです。その人権の侵害を憲法も認めてる筈だが、現在は命の重さに甲乙をつけていると感じてます。
>
のお気持ちは、理解できます、私なんぞはもっと過激な考えを持っているかもしれません。なぜかと言えば、明確に殺人を犯した犯人になんで人権があるの?一部の人権でいいじゃないの?(自分で言っててよく意味がわからん)と思っているくらいですから。
しかし、犯罪に対して国家の立場として犯罪者へ罪を科するということにはさまざまな考え方があり、その考え方を凝縮して「法律」を作り上げ、可能な限り、罪の内容のランク分けをし、ランクごとに平等性を持たせるためには(こんな考え方がいいのか、悪いのか?)、私のような法律にはほとんど無知なものには、理解できない審判が下ることにも(コレにはマスメディアの一方的な報道に影響されることもあると思います)真摯に受け止めていかなければならないと思っています。ましてやそれを実際、役割として行なっていかなければならない法曹関係の皆様のご苦労を考えると、本当にご苦労様です。(あっ!裁判員制度も迫っている)
私はこちらのブログに出会うことによって、さまざまな犯罪のニュースを見る度に、以前に比べればかなり冷静に眺める事ができるようになりました。
話がそれすぎてしまって申し訳なかったですが、可視化の問題ですが、弁護人と被告人との関係とは同次元では語れないものだと思います。(さらに刑事弁護ということを考えれば、日本では無理解者が多すぎるし(?と思う))
もし、被害者とのバランスが違いすぎて行くということを考えるならば、違うことで考えていかなければならないのでは、と思うのですが、私のおつむでは、名案がなかなか浮かびません。
No.64
>憲法や刑訴法の禁則(暴力をふるうな、暴言を投げるな、誘導するな、非人間的な取り扱いをするなetc.)に抵触・・・>
「誘導するな」だけ違う(異質)と思います。
刑訴でも誘導できる場合があり(敵性証人、記憶喚起など)、法廷証言におけるルールなわけです。
被告人供述の場面ではないし(それが他人のための証言になるなら別)。
ただ、誘導すればそれだけ供述の信用性が低くなる(orなくなる)から、誘導した側はそのリスクを負わされるので覚悟しなさいよ、ということかと思います。
そのために誘導はできるだけ避けるようになるわけです。
>No.63 ゲンさん
お久しぶりです。私も大会議室に書き込むことが少なくなってきて、こちらにお邪魔する機会が増えて参りました。
>しかし、「厳しい取調べ」とはどこまでが許せて、どこまでが許せないのかのボーダーラインが分かりません。弁護士は許せなくても検察は許せるだろうなんて事は敵対してる以上必ずあるはずです。
これは永遠の課題なんでしょうね。でも、法律というのは区別しにくいものを区別していかないといけません。そういうものだと思います。それは、そもそも、法律が言語を基礎にしているからだと思います。言語というのは、人の認知作用、知性そのものと言っていいものですが、物事を区別する、というのは、その知性の本質的作用であることは、ソシュールの言語学を少しかじれば理解が深まると思います。
>しかも弁護士が許せないと判断した状況下で、罪を自白した(犯人しか知り得ない事を話したり、証拠物の場所を特定した)事が過去にあったのなら、それこそどちらも引けない状況になりませんかね?
>しかし、実際に罪を犯した被告を有利に導くための可視化利用は賛同しかねます。
違法収集証拠排除の原則が問題になりますね。でも、実際の実務では、有罪であることは明らかだけども、証拠が違法に収集されたため、その証拠が排除された結果、無罪になる場合というのは極めて限定されます。その捜査側の違法がとてつもなく高いレベルの違法であり、違法捜査を抑制するためにやむを得ないような場合でしょう。最高裁判例では、「証拠物の押収等の手続に憲法三五条およびこれを受けた刑訴法二一八条一項等の所期する令状主義の精神を没却するような重大な違法があり、これを証拠として許容することが将来における違法捜査の抑止の見地からして相当でないと認められる場合においては、その証拠能力は否定される」としています。
>しかし、冤罪の可能性がある者がどれ程、誤認逮捕されているのか。罪を犯した者でも平気でシラをきり通し、証拠を突きつけられて渋々自白するような被告はたくさんいるのではないでしょうか。
冤罪はとんでもなく悲惨なことであり、絶対に防がないといけない、その為には一定範囲で有罪の者を取り逃がしてもやむを得ない、というのが近代刑事法の考えです。私も、これには完全に同意しています。
>No.56 psq法曹さん
>No.58 ぷり(駆け出し弁護士)さん
>No.60 惰眠さん
レスありがとうございます。
法曹の方からレス頂いて、ちょっとうれしかったりして^^;
惰眠さんのコメントにはいちいち納得です。
もともと取り調べの可視化とかは警察&検察と被告人&弁護人のパワーバランスの問題から発展していると自分の中で理解しているので・・・
No.58 ぷり(駆け出し弁護士)さん のレスは自分の理解が間違っていなかったと安心させられました。
そもそも、このブログのコメント欄でたまに見かけるゲンさんからこういった事をコメントするのが理解できませんでした。(批判じゃないです、純粋に疑問に思ったので)
エントリずれ&他エントリのコメントにもありますが、報道を鵜呑みにしすぎじゃないでしょうか?
光市事件の被告に関しては懲戒請求騒動があるまでは、自分はゲンさんと同じ気持ちだったと思います。(それまで大して事件に興味をもっていなかったので)
このブログを見るようになってから一番衝撃を受けたのは、例の手紙の入手経路とそれを書くまでに至った経緯です。
あまりにも報道&ワイドショーで見聞きしていた事と違ったので、元少年の未熟さを報道したTV局は皆無ですし・・・
もともとTVや新聞には嘘が混じってるんだ位には見ていましたが、今はその報道の裏には何があるのかと脊髄反射しないように見ています。
エントリ内容に戻りますが、裁判員については可視化について含めるべきではないと思います。
法曹三者については経験もあり法律という基本的理解があるので、適正かどうかの判断が比較的下しやすいとおもうのですが、
一般の人はどうしてもバイアスのかかった目で見てしまうでしょうから、被告人が悪く見えるのは当然でしょうし、ひょっとしたら強面の捜査員で被告人が優男だったら逆もありかなと・・・
No.70 エッジさん
ちなみに,接見室で脅迫とかすれば,犯罪にはなりますよ(そんな事例があるのかは知らんが)。
ただ,それを言い出すと接見なんてできなくなるので・・・・・・・
まぁ,何かの間違いで接見時に問題が生じたときにこそ,懲戒制度があると理解していただければ。
>No.71 ぷり(駆け出し弁護士)さん
こんな事例があるようです。
私の友人が司法試験予備校でこの講師のクラスをとっていたらしく、弁護人に名を連ねようかと思っていると言われました。
No.72 ひらのさん
ありましたねぇ。こんな事例。
上の方は結局どうなったんですかね?
No.63 ゲンさんの指摘される「弁護士は許せなくても検察は許せる」というゾーンは、恐らく一般の方が思っている以上に大きいと思われます。
現に、取調べ状況を録画したDVDが証拠として採用された実際の事件でも、その録画映像に対する評価について、検察は「任意性があることが明らかになった」、弁護側は「任意性がないことが明らかになった」と正反対の意見を述べているわけでして・・・・。
まあ、訴訟当事者の使う「明らか」とか「明白」という言葉の重みは、世間一般に比べて明らかに軽いことが明白なのですが、それを差し引いても、認識の差は大きい。
さすがに直接的な暴力を肯定する法律家はいないにせよ、それ以外の殆ど全ての取調べ方法について、常に見解の相違は生じましょう。
・・・・全然関係ないけど、取調べが録画されれば、取調べ中の被疑者が、どれだけ悪態をついたり嘘八百を述べたり警察官を脅迫したりしているかが明らかになって(そういう態度を悪い情状証拠として出せて)、かえって嬉しい! と考えている捜査関係者は多いのではないかと想像します。
>No.73 ぷり(駆け出し弁護士)さん
ヤメ蚊さんのところに被告人側の言い分について詳細が乗っているようです。
結構な人数の弁護団が組まれたようです。友人がその中に入っているかどうかは聞いていませんが。
はたして被疑事実が真実か冤罪なのかは判断できませんが、こんなのが「害悪の告知」にあたるのか?というのが私の感想です。
No.75 ひらのさん
ありがとうございます。
経緯も含めていまいち事件の概要がつかめませんでしたが、今後の裁判の成り行きを見守りたいと思います。
黙秘すすめて処罰されたらかないません。
議論が盛り上がっていて、すっかり遅レスになってしまいましたが
>No.21 psq法曹さん
私は、取調べの可視化については刑事訴訟法、犯罪捜査規範等の改正や可視化のための新法の制定が必要不可欠であると考えます。
取調べの録画そのものについては、捜査機関にとってそれほど問題ではない、むしろ違法な手段により供述を捏造し、冤罪事件を引き起こして他の警察官に迷惑を掛けるような捜査官や、取調室では自分からペラペラと自白しておきながら、公判になった途端供述を翻し否認に転じるような嘘吐きの跳梁を抑止出来るという意味で、捜査側、被告側双方に有益なものであると考えます。
しかしながら、問題になるのはその録画記録の取扱いです。
繰り返しになりますが、記録に触れる人間が多ければ多いほど、流出の危険性は増加します。
特に記録の複写が行われ、外部に持ち出されるようなことがあれば、不心得者の手や偶然によっていつか流出することは間違いありません。
一度流出したという事実が発生してしまうと、いかに当事者を処罰しようと、再発防止策をとろうと、被疑者にとっては「取調べの記録は流出するもの」として認識されてしまいます。
自分が話した秘密が、敵対関係者を含む不特定多数の人間に知られる可能性があるのに、自分から話す人間がどこの世界にいるのでしょうか。
被疑者から情報を入手することが出来なくなれば、組織犯罪捜査は壊滅的な被害を被り、治安の崩壊に繋がる可能性もあります。
また、共犯事件において、被疑者の供述なしでは特定困難な共犯被疑者の検挙は絶望的となるでしょう。
ということで、現在検察側の証拠の一部として取り扱われている録画記録を裁判所の権能として実施し、その開示についても裁判官(裁判員)のみに限定することが必要であると考えます。
すいません、また言葉足らずでした。
×裁判所の権能として実施し、その開示についても裁判官(裁判員)のみに限定することが必要であると考えます。
○裁判所の権能として実施し、その開示についても裁判官(裁判員)のみに限定する旨の法改正、あるいは立法が必要であると考えます。
です。
ホント文章下手ですいませんm(_ _)m
>>No.77,78 感熱紙せんぱいの現場人としてのご意見に共感するところ多々哉にござります。
(毎度希ガスアタマでした。おアトがよろしいようで)
No.64 惰眠さん
西部署と湾岸署の例えは面白かったですね。
線引きを明確にするのは難しいという事ですが、良心的に検察側、弁護側がお互いが譲れば問題はないんですが、判断するのが裁判官である以上、お互いは最大限自分に有利の努力をしなければならないんですよね。
検察側のみ可視化になった場合、弁護側の良心的判断(少々厳しい取調べだが法的には問題ないと思えるか)に任せるしかないんでしょうね。
取り調べる側が罪を犯してはならないのは重々承知してるんですが、なんか優しい取調べじゃ自白しないのではないかと考えてしまうんです。
No.65 ぼつでおkさん
例えの話は、なるほどと納得させられました。すごく理解し易い良い例えだと思います。
これだけ刑事事件の被告に弁護士が頑張っているのに、被害者側にはこれだけの情熱をもって助けてくれる人が少ないのだろうか、と常に思ってしまう。
検察側の可視化を求める事は、弁護士にとって当たり前って言われればそうなんですがね。
もっと被害者保護やフォローが満足いくレベルにあるなら、すんなり受け入れたくなるのですが。被害者の方を先に改善してよって思う心がどうしても大きいんですよ。
No.67 Oさん
とんでもないです。こちらこそありがとございます。
共感する部分は多々あります。刑事弁護の理解とはやはり感情が先走っては納得する事ができないんでしょうね。私自身が被害者家族にでもなれば未だ冷静には向き合えないと思います。
私もここのブログに来てある程度、自身が無関係の事件ですが、冷静に刑事事件を見る事ができます。マスコミの報道も話半分で聞くのが冷静な判断をする上では重要ですね。
被害者とのバランスですが、反被告感情を少なくする為にも早急な対策が必要だと思います。一方が納得すれば一方が納得できないって事が多いんですよね。
No.69 すちゅわーですさん
ご無沙汰しております。大会議室の方は徐々に復活していますが、こちらの方がリアルタイムなのでやっぱりストレスがありませんね。
永遠の課題ですが、やはり法的に、これだと決めなければ前には進まないんでしょね。ソシュールの言語学って私が理解できるのか、良く国語力は全く無いなと怒られたもので。
違法収集証拠排除の原則は、素人から見れば証拠が見つかったら違法でもいいだろ!なんて考えを持ってしまいそうです。これが素人の怖さなんだろうけど、いや、それはダメだ!なんてキッパリ言えない自分は怖い素人の一人なんだとつくづく思ってしまいます。この原則は法的に検察有利なように見えますが、どうなんでしょうか?
きっと長い刑事裁判の中で、目に余る違法な取調べや証拠収集が横行し、法的に歯止めが必要だったんでしょうね。冤罪で苦しんだ人もいたりして、そのような人達の苦しみは未だ癒されていないでしょう。
一定の範囲での取り逃がしは、冤罪を起こさない為には止むを得ない事は厳罰を求める者も理解はしなければと思います。その中に凶悪犯がいない事を望むばかりです。
No.83 ゲンさん
>>違法収集証拠排除の原則は、素人から見れば証拠が見つかったら違法でもいいだろ!なんて考えを持ってしまいそうです。これが素人の怖さなんだろうけど、いや、それはダメだ!なんてキッパリ言えない自分は怖い素人の一人なんだとつくづく思ってしまいます。この原則は法的に検察有利なように見えますが、どうなんでしょうか?
検察有利とか、不利と、一概に言えないと思います。ただ、裁判所も、捜査に軽微な違法があるだけで、本来、有罪と思われる被告人を無罪にするのも正義に反するし、他方で、目に余るような違法がある場合に、それを野放しにすることも正義に反するし・・・、という具合で悩んできたのだと思います。ゲンさんがお持ちの問題意識を、ずっと裁判所も抱えてきたんだと思います。
最高裁は、上記のような違法収集証拠排除の基準を示していますが、この基準も曖昧なものです。どこで線引きするのが一番正義に適うのか、今も揺れているのが現状だと思います。
このような悩みの中で、実務というのが動いていることを知っていただき、それを一般の方にも理解していただければ、と思い、投稿しました。