お笑いから絵本を経由して通貨まで、そこそこ多岐に渡って(あらゆる分野で)、計画、実行、評価、改善を繰り返していると、求められる事柄の共通項が見つかり、さらには「無くなる仕事」と「無くならない仕事」が手触りをもって分かってくるようになった。

昨夜はオンラインサロンの大阪のメンバーとの忘年会。
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学校の先生もたくさん参加されていて、「学校の先生の必要性」についての話が盛り上がった。
「AIが~」「ロボットに代替え~」「インターネットが~」といった類の話だ。

先生方は随分不安がっていたが、僕は「学校の先生」という仕事は無くならないと結論している。
「学校の先生」は今後も必要だ。

ただ、そこには一つだけ条件があって、今のような、“一方的に答えを教えるだけの先生”は要らない。
フランス革命が何年に起きたなんて、Google先生に聞けば分かる。
つまり、「答え」には何の価値もない。

なので、一方的に答えを教えるだけの先生は要らないが、どっこい、少しだけ役割(業務内容)を変えれば「学校の先生」という仕事は必要だ。

今後、「学校の先生」に求められるのは、バラエティー番組のMCのような技術になってくるだろう。
生徒と生徒や、生徒とGoogle先生とを繋ぎ、生徒と共に学び、生徒と共に悩み、そして潤滑に会話を回す仕事だ。

共に悩んでくれることで救われる生徒はたくさんいるが、「共に悩む」などという非効率な機能は、ロボットが逆立ちしても手に入れられない。
ここに「学校の先生」という仕事の活路がある。

「占いは統計学だ」と謳う“占い師”という職業が、統計学のスペシャリストであるAIが出てきても無くならないのと同じ理屈だ。
答えを出すだけなら、AIの方が遥かに優れているが、答えに辿り着くまで“伴走”してくれることに占い師の価値がある。

2パターンの服を持ち出してきて、「どっちがいいかなぁ~?」と糞相談してくる女子が求めているのは、「答え」ではなくて、「共に悩んでくれること」だ。

人は必ずしも効率性を求めているわけではなくて、ときどき“無駄”に吸い寄せられる。
バーベキューで肉を焦がしてゲラゲラ笑ってしまうという圧倒的に無駄な行動を、ロボットは理解できないだろう。
結論、“価値のある無駄”がはらんだ仕事は無くならない。
「スマホ禁止」とか言う先生は、ただちに絶滅した方がいいんだけども。



【追伸】
新幹線の車内販売で「チップスター」を注文したら、「ちくわ」が出てきた。
こんな無駄は要らない。
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『革命のファンファーレ』がノミネートされました。あざす↓