特集

「史上最低のキーボード」の汚名返上に向け、富士通の"Mr.キーボード"が0.05mmにかけた執念

~富士通ノートPC開発舞台裏取材記 キーボード編前編

富士通「LIFEBOOK UH75/B1」

 富士通が2017年2月に発売した世界最軽量モバイルノート「LIFEBOOK UH75/B1」。13.3型で世界最軽量の777g(発表当初の数値)を謳う意欲的なモデルだ。外に持ち出して使う超軽量モバイルPCとして徹底的に軽量化にこだわっている。

 評価用に同社から送られてきた製品を試してみると、近年まれにみるほどキーボードの叩き心地がいい。配列はもちろん、ストロークといいピッチといいキートップの遊びといい表面の加工といい、モバイルだからといっていっさいの妥協をしていないことに感動さえ覚えた。それがファーストインプレッションだった。

 だが、そのキーボードにはすべてを台無しにする問題があった。実際に入力してみると、キーボードが打鍵を取りこぼすのだ。最初は自分の叩き方にクセがありすぎるのかと思った。だが、手元にある他のノートPCでこうした問題を感じたことはない。

 「しゃべるように入力できる」ことが理想のキーボードであり、このLIFEBOOK UH75/B1のキーボードモジュールはそんなキーボードにかぎりなく近いと思っていたが、入力すればするほどストレスを感じるようになった。

 メインメモリが4GBの環境を使うのは久しぶりだったので、そのせいで動作が緩慢になっているのかもと思ったが、しっかりとキーを叩けばきちんと入力できる。でも、普段のやり方で叩くと打鍵をこぼす。とくに、「O」や「P」そして「、」や「。」など、右手の薬指、小指を上下させて打鍵するときに頻繁に発生する。指の力の弱さに起因しているのは想像できる。

LIFEBOOK UH75/B1のキーボード(撮影:ジャイアン鈴木氏)。叩き心地とは裏腹に、打鍵を取りこぼすことが

 「これはもう実戦に使うのは無理」と判断するまで長い時間は必要なかった。

悪いのは自分の叩き方との相性ではなかった

 そんななか、5月22日、同様に評価機を試していた若杉編集長からFacebookメッセンジャーのメッセージが届いた。

 「LIFEBOOK UH75/B1のキーボード、祥平さん的にはどうです? 僕はギブアップ寸前なんですが(笑)。キーの中心を押さないと打鍵されなくないですか? でも、この前のレビュー比較で借りた別の個体はそんな感じじゃなく、普通に打ててたと思うんですよねぇ」。

 若杉編集長も同じことを感じていたようだ。ということはもしかしたらロットの問題かもしれない。とは疑いながらも、仕事には別のモバイルPCを使い、結局LIFEBOOK UH75/B1の件はしばらく放置していた。

 7月になってUSB Power Deliveryでの充電についていろいろ調べるなかで、久しぶりにLIFEBOOKを使ってみた。あいかわらず打鍵はおかしい。

 PD充電仕様の問い合わせついでに、富士通クライアントコンピューティング(FCCL)広報部にキーボードについて問い合わせてみた。もしかしたらすでに問題が発覚し、対策が講じられているかもしれないという期待もあった。

 翌日、広報から新ファームウェアのURLを記載した返答があった。その返答には、

「打鍵取りこぼしは、出荷時のキーボードファームウェアの多重入力防止の味付けが主要因と考えています。そちらを修正するファームウェアを提供しました。ただ、キーボード自体に問題がある可能性も否定できませんので、併行してキーボードの調査も実施したいと考えております」。

という技術部門からの伝言が添えられていた。

製品発売後に公開されたキーボード操作性改善のコントローラ用ファームウェア

 Webで配布されていた新ファームウェアを適用したところ、多少はマシになったもののやはり問題は発生する。そのことを広報に伝えたところ、入力関係について事業部のメンバーと話をする時間を確保してほしいという提案が返ってきた。

 このときはまだ、新しいキーボードの開発が進んでいるとは想像だにしていなかった。

開発担当者に率直な意見をぶつける

 2017年8月3日。若杉編集長と共に富士通川崎工場を訪ねた。

 「これ、史上最低の(ノートPC用)キーボードじゃないですか?」。

 開口一番、こう切り出した。きつい言葉ではあるが、あえて本音をぶつけてみた。

 そして、開発担当者から聞いてわかったのは、従来品は滑らせるタイピングの人に合わせたチューニングであり、それに基づいた基準値設定で検査を行なっていたが、筆者のように突くタイピングでは、本検査下限値だと、端を突くなどした場合に打ちもらししやすくなるということだった。

 われわれが使っていたロットのキーボードも富士通の検査基準は満たしており、その意味では不良品ではない。ただし、各部材の検査しきい値のマージン下限が重なると、検査ではOKとなるが、打ち方によって打鍵を取りこぼすという状況が生じていたようなのだ。

LIFEBOOK UH75/B1では、各キーの中央および4隅の打鍵テストを実施していたが、滑らせて入力するタイピングにあわせた基準値設定であったため、突くタイピングの人によっては取りこぼす可能性のある基準値であるとわかった

 古くからのPCユーザー以外にはあまり知られていないかもしれないが、富士通はキーボードをグループ会社で内製している。そのぶん、キーボードに対する意気込みやこだわりも強い。それだけに、この製品がタイピングの仕方によって非常に使いにくくなるという問題は、社内でも大きな課題となった

 そこで検査しきい値を厳しくしたバージョンのキーボードモジュールを実装した実機をその場で見せられ、叩いてみたところ、打鍵の取りこぼしは皆無だ。タッチも何も変わらない。これならいい、そう思った。「LIFEBOOK UH75/B1」に対する印象は大きく変わった。

 その検査閾値を厳しくした試作機を試してみてほしいという提案があった。もちろん断るはずはない。3週間後に対策済みキーボードを実装した実機を受け取った。

新型キーボードができたとの一報

 キーボードモジュール換装後の実機は、すこぶる調子はよくなった。個人的には、「K」キーとスペースキーが不完全な印象があったが、以前よりも格段によくなり、実戦に投入する気になるレベルになっていた。

 8月終わりのドイツ・ベルリン開催のIFA取材にも持参したが、長期取材では、数台のPCを携行することになるので、777gという世界最軽量はじつにありがたい。

 IFAが終わり、東京に戻ってすぐ、9月12日に富士通の広報からメールが届いた。

 これまでのものとはまったく別の新しいキーボードが完成し、打鍵が飛躍的に改善されたので、試作機を体感してほしいという。

 ということで、9月25日。若杉編集長と川崎工場を再び訪ね、ミーティングに参加することになった。

キーボードを別物へと再度換装

 驚いたことに、ミーティングには仁川進氏(富士通クライアントコンピューティング株式会社 執行役員)が同席した。富士通のノートPC関連事業をになう人物だ。

 この日のミーティングで、それまで、2018年春頃に投入予定で開発していた新型のノート用キーボードを急遽、2017年末発売の新「LIFEBOOK UH75/B3」に前倒しで実装することになったことを告げられ、その試作機を見せられた。

LIFEBOOK UH75/B3のキーボード(撮影:平澤寿康氏)

 その場でほんのすこし触ってみただけだが、UH/75B1世代のキーボードモジュールとは明らかに違う打ち心地がかなえられていた。こんな言葉はあまり使いたくないのだが、間違いなく名機の予感がする。

 さらに、その新しいキーボードモジュールを試してほしいと言われた。この申し出も受けない理由はない。われわれは、ふたたび、手元の実機を富士通に預けることにした。

 あとでわかることだが、新キーボード投入の半年の前倒しを指示したのは、まさに、仁川氏だった。さらに、Mr.キーボードという人物の存在をのちに知ることになる。

新キーボードを前倒し搭載したLIFEBOOK UH75/B3発表

 10月5日、新製品「LIFEBOOK UH75/B3」に実装されることになっている新キーボードモジュールを実装した「LIFEBOOK UH75/B1(改2)」が手元に届いた。

LIFEBOOK UH75/B1の筐体に同B3のキーボードが換装された筆者のPC

 結論としては、「いったいどこまでよくなるのか?」と思うくらいの仕上がりだった。

 そして、その翌週、10月17日、その新キーボードモジュールを実装した「LIFEBOOK UH75/B3」が発表された。実に最軽量モデルの重量は748gと、従来モデルよりさらなる軽量化をはたしている。

 そして、キーボードの打鍵についてはもちろん申し分ない。これは保証する。

 われわれが「史上最低のキーボード」を指摘してからほぼ半年が経過していた。今回の問題はなぜ発生し、そして富士通はどのように解決したのか。そこには、経営層である仁川氏の鶴の一声や、0.05mm単位でキーストロークを調整するといった、開発者の泥臭く夜を徹した作業もあったという。

 そこで、そのあたりの背景を取材することにした。

LIFEBOOKの新キーボードは富士通コンポーネント製だった

 2017年11月2日に、Lenovo Group Limitedと富士通株式会社が、PC事業に関する共同記者会見を開催、富士通のPC事業を行なう富士通クライアントコンピューティング(FCCL)に、Lenovo Group Limited(レノボ・グループ・リミテッド)が51%を出資し、レノボ傘下で事業を推進することが発表された。

 そうした動きとはまったく関係なく取材日程の調整が進められ、若杉編集長ととともにキーボード開発の拠点訪問のために長野駅に到着。富士通と言えば島根工場を想像するが、今回の訪問は島根ではなく長野である。

 じつは、富士通グループでキーボード開発を行なっているのは富士通コンポーネント株式会社だと知らされたのは取材の直前だった。その開発拠点が長野駅から長野電鉄で約30分、十数kmの距離にある須坂市にあり、今回は、そこを訪ねた。

長野にある富士通コンポーネント

 富士通コンポーネントの名前を聞いて思い出したのが、ちょうど10年以上前のできごとだ。過去のメールを検索すると、2007年1月16日づけで、富士通コンポーネントからの

「開発中の新規キーボード(プロのライター様及び準ずる方向けに開発)について、正式発表前にご紹介致したく、失礼を承知でメールさせて頂きました。

 本KBは、従来からあるデスクトップKBで見た目は新規開発品とは見えないのですが、キー押下感触はこだわりました。ぜひとも1度触って頂き、ご意見を頂戴できたらと思っております。当社(五反田)へお越しいただく事は可能でしょうか?」

という内容のメールが見つかった。

 10年前、半年ほどの間に、何度か同社の五反田本社を訪れ、あれこれとコメントしたことを覚えている。そのキーボードが2007年6月19日に販売が開始されたキーボード「リベルタッチ(Libertouch)FKB8540シリーズ)である。キーボードの名機として語り継がれ、現行製品は10年間を経た今も発売当時と何も変わっていないという希有の製品だ。

リベルタッチ

 その名キーボードを開発した富士通コンポーネントでの取材と聞き、すべてが氷解した。なるほどそういうことだったのかと……。

※後編へと続く