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異世界シャワー

 それは、一粒の赤い滴からはじまった。



「……おりょ?」

 シャワーから滴り落ちた赤い液体を掌に取り、瀬見川は間抜けな声を上げた。
 新宿東口というよりも西武新宿にほど近い位置にある、古いサウナの大浴場。
 その一角で、徹夜疲れの身体を流そうとしていたときに、雫は落ちてきた。

「なんじゃこりゃ」

 配管に錆でも浮いたかと思ったが、それにしてはいい知れない不気味さがある。
 錆で濁った水は、ここまでぬるりとしていないものだ。
 すみませーん、と暇そうにしている男子大学生風のバイトに声を掛けながら、瀬見川はもう一度蛇口を捻ってみる。勘違いでしたとなると、少し恥ずかしい。
 どぼどぼどぼとシャワーから溢れ出るのは、やはり、赤い液体だ。

「うっわ、すんません」

 少し北の訛りのある謝罪の言葉を述べながら、バイトが慌ててタオルを取りに走る。
 だが、瀬見川にはそんなことよりも気になることがあった。

「……これ、血だよな」



「結論から申し上げると、これは、地球上に存在するどの生物種のものとも異なる生物の、血液であると考えられます」

 国立城北大学の教授を招いた総理レクは、紛糾した。
 新宿のサウナは既に年明けの取り壊しが決まっているような老朽設備だが、配管の錆などではないというのが専門家の出した結論だ。

「どこかに繋がっている、ということか?」

 そうなりますね、と研究者は素っ気なく答える。
 今すぐにでも研究室(ラボ)に帰って血液の分析を継続したいと顔に書いてあった。
 ふぅむ、と総理がソファーに身を預ける。

 正直なところ、面倒な話だ。
 どこかに繋がったシャワーなんて本当はどうでもいい。
 数年後に迫ったオリンピックのために進めている首都大改造の為には、あの辺りの老朽化したビルは根刮ぎ潰してしまいたいというのが、党の長老連中の考えていることだった。

「何とかならないのか」

 その言葉を、研究者や環境省の役人、それに秘書たちは、違う意味に捉えたらしい。

「シャワーノズルを外してみますか」



 べちゃり。

 ホースの口から現れたのは、魚だった。
 まだ生きており、びちびちと跳ねている。

「おおぉ!」

 シャワーノズル除去に立ち会った生物学者たちは随喜の声を上げ、手袋を嵌めた手で魚を捕まえようとした。
 まるで、子供だ。

「ああ、ああ、触らないで」

 立ち会った警官と陸自の隊員が、慌てて制止する。
 何かあったときのために対NBC装備まで用意してきたのだが、一番慎重であるべき研究者がこんな風ではちょっとどういう顔をしていいのか分からない。

「同定はできますか?」

 首相補佐官が尋ねると、城南大学理学部の教授は眼鏡を押し上げた。

「現在人類の発見している既知の魚類とは、どうにも違うようですな」

 即答されてしまうと、溜息しか出ない。
 どこかのバカがリークしたせいで、この“異世界シャワー”のことは既に世界各国で噂の的だ。

 既にアメリカとEU、インドは共同研究の打診をしてきている。
 中国に到っては、人類共有の財産であるシャワーを国際社会の元で管理する必要があるとして、新宿区を日本国の行政から一時離脱させるべきだという提案を国連総会に提出するべく暗躍しているらしい。
 まったく、困った話だ。

「どうします?」

 都の職員に尋ねられ、首相補佐官はもう一度溜息を吐いた。

「シャワーの根元を掘削して、本当に異世界と繋がっているのか確かめろ、というのが政府の指示です」

 え、と生物学者の間からどよめきが漏れる。
 ノズルを外すだけ、という説明しかしていなかったのだから、無理もない。

 だが、ここまで来たのなら毒喰らわば皿まで。
 ガスマスクを装備する陸自の隊員が、削岩用の装備を用意しはじめる。

「何事もなければいいんですが」と生物学者が心配そうに呟く。
「まさか。小説でもあるまいに」と首相補佐官は小さく肩を竦めた。


 次の瞬間、新宿が消えた。




 異世界のファーストコンタクトは、本来徐々に行われる予定であった。
 高度な知性と魔法技術を有する汎惑星魔導連盟主導の異世界接合実験は、ほんの小さな接触点を皮切りに、少しずつ拡大していくスケジュールで承認されていたのだ。

 はじめは、生物の血液などの有機体が存在可能な空間か。
 次に、魚類などの高等生物を送り込んでも問題が発生しないか。


 実験は上手くいくはずだったが、まさか世界接合魔法陣を相手側から強制的に破壊されるとは、魔導師たちも想定していなかった。
 結果、連盟本部近くの魔導実験設備は崩壊し、多くの犠牲者が出ることになった。
 連盟は魔法陣を破壊した敵に対する報復攻撃の実施を決定。


 戦争は、今もなお、続いている。

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