タイトルを見て「当たり前だろ」と思う人がいるかもしれないが、書かせてほしい。
漫画、小説、映画などの人気作は支持も多い分、批判も多い。面白いと思う人もいれば、つまらないと思う人もいる。どう思うかは人それぞれ、は当然のことだ。
だがその「人それぞれ」を容認できず、つまらないと意見する人を叩く輩が多すぎる。さらには、「意見は人それぞれだから批判するな」という意味不明な文句を言ってくる人もいる。
いくら支持の多い人気作でも、つまらないならつまらないとはっきりいいたい。わざわざ金を払って読んだり観たりしているのだから、人気作は批判してはならないというルールなんてないだから、つまらないと感じてもやもやを晴らすためにも、自由に批判は書きたいものだ。
だが批判を書いた結果、上記の連中に集られて炎上するケースがかなりある。
私も、人気作なのに中身がとてつもなくつまらない作品を買ってしまい、怒り任せに酷評を書いた結果炎上し、ブログごと感想文を消してしまった身である。その体験談を書こうと思う。
私が買ったそのつまらない人気作は、とある有名なレーベルの新人賞で最優秀賞を獲得したライトノベルだ(以下某ラノベ)。一発本だがアマゾンでレビューが100件以上もあり、今でも高い評価を誇る名作である。タイトルは伏せる。
帯に有名な小説家や編集者の絶賛コメント、最後に解説もあり、稀にみる面白い作品なんだろうな⋯⋯と期待して買って某ラノベを読んだ結果、あまりのつまらなさに私は怒り心頭だった。
某ラノベの中身を一言で表すと、素人が書いた下手くそなケータイ小説そのもの。文章がとにかく酷すぎ、滅茶苦茶、接続詞間違えまくり。さらにストーリー構成も最低で、全体的に展開と展開の繋ぎ目が適当過ぎで、どうしてこうなったのかは読者の想像に任せっきり(たとえば、今まで主人公に心を開いていなかったキャラが次のページでいきなり主人公に対しフレンドリーになってたり)。
帯のコメントやアマゾンの高評価は、一体なんなのだろう? あれのどこが良いのか理解に苦しむと私はひたすらもやもや、イライラした。
私はそのレーベルが大好きでたくさん文庫本を買って読んでいるし、大賞にも参加したことがある。だから、あんなとんでもない駄作が大賞の最高峰ということがかなりショックだった。
手元に置くのも腹立たしいため、翌日某ラノベをBOOK・OFFに即行売ってきた。だがそれでもすっきりせず、怒り任せにブログで酷評を書き殴って掲載した。すると、すぐにワナビ仲間がTLで名指しではないが明らかに私の酷評に対する反論と思われるツイートを垂れ流した。
「自分の好き嫌いを基準に面白いかつまらないか判断するなら、作家になんかならないほうが幸せなのかもねー」
チャットでも何度か話したことのある人だったので、このツイートはとてもショックだった。
怒り任せとはいえ、ただの悪口にならないようにちゃんと悪い所などの根拠をたくさん挙げた上で意見を述べていたはずだった。なのに「好き嫌いを基準に面白いかつまらないかを判断している」と一方的に決めつけられて、何でそんなこというの⁉ と思い私は思わず返信した。ちゃんと根拠を挙げて意見したけど、好き嫌いを基準に判断してるってどういうことなの?と。
すると、その人は「作品の良い悪いは個々人の好みでしょ。意見は人それぞれ。面白いっていう人もいるんだから、あんたのつまらないという意見は所詮好みの問題。それを理解できてないなら作家に向いてないっつの。だから好き嫌いを基準に面白いかつまらないかを判断してるって言ったの」と返信し、
最後に「あの作品は一定の評価を得たもの。だからあんたの感想はその作品の良さを殺すことになる」と付け加えた。
え⋯⋯所詮は好みの問題? 明らかに技術が未熟な作者を拾い上げた選考員に問題があると思うんだけど? 文章なんて日本語滅茶苦茶だし、ストーリー構成も欠損まみれだと思うんだけど? これがプロとか言語道断なんだけど? なのに全部、好き嫌いの問題で片付けちゃってもいいんですか?
つか、あんたの感想はその作品の良さを殺すことになるって、じゃあ人気作には酷評書いちゃだめってこと? ていうか意見は人それぞれとか言っておきながらなんで批判はするなっていうの? 矛盾してないか?
と反論は色々思い付いたが、上記の一言でもうその人と絡むの萎えたので以降関わらないようにした。
これでワナビ仲間との件は落ち着いたものの、今度は酷評を投稿したブログに某ラノベのファンと思われる人たちが次々にコメントをしてきた。
「意見は人それぞれです、だからつまらないだなんて決めつけるのはよくないです」
「単にあなたの読解力がなくてお話についていけなかっただけでしょ?」
「あなたはただ作者を誹謗中傷したいだけなんですよね? 不愉快です、消してください」
みたいなコメントがずらりと並ぶ、並ぶ⋯⋯。
意見は人それぞれと言いつつ、つまらないと決めつけるなと言われ、酷評を書く前に「ファンの人は見ないほうがいいよ」と大きい字と赤字で警告したにも関わらず不愉快ですと言われた。さらに作者を誹謗中傷するようなことは書いたつもりはない。(アマチュアに帰れと書いたがこれ中傷?)
とにかく、あのワナビ仲間みたいなことを言う人が次々とブログにコメントを書きまくってきたのである。
さすが人気作、Googleでどんどん検索されて色んな人がブログに来た。だがその大半は、酷評するのやめろと言ってくるファンらしき人ばっかり。
一個人の、しかもファンの人は見ないほうがいいときっぱり断った上で書いている酷評なのに、なぜそこまで集中的に寄って集ってくるわけ? と理解に苦しんだ。
要するに、人気作は賛美両論で意見は人それぞれなのは認めるけど、私たちの好きな作品は否定しないでってことか?
中にはとんでもなくマナーの悪いファンが来た。そいつは私のブログに何度も粘着し、さらに2ちゃんねるにブログを晒し、他の連中を呼んでコメントに集中攻撃してきて、ブログを運営するのが困難になった。
「ただの僻みでしょ」
「筆を折れよ」
いつもいつも粘着され、コメントが増えまくり、ブログを続けるのが困難になり閉鎖してしまった。ファンの人たちはとても喜んだことだろう。
だがこの件で私は某ラノベのファンがどれだけマナーが悪いか、どれだけ狂信的かよくわかった。彼らはまるで悪徳宗教の信者だ。要するに駄作には駄作なりの読者が付くわけだ。類は友を呼ぶってことか。
彼らは賛美両論を認めているようで、実は自分たちの好きな作品を批判する者を徹底的に叩きのめし排除して、都合のいい意見ばかり見聞きしようとしている。
私にも好きな作品は山程あるが、批判を見かけても「そういう見方もあるんだね」と受け止めてスルーしている。この人はここがだめだと思っている、でも私はそこに目を瞑れるから大丈夫、とそう割りきっている。
というわけで、人気作の酷評を書くとこういう酷い目に遭うかもしれないので、読書感想文をネットで書いている人たちは要注意。
人気作の酷評をどうしても書きたければ、こういう批判、晒し、荒らしに遭う覚悟で書きましょう。
危険って言うから家や職場に押しかけられたとかなのかと思ったらそういうわけではないのね
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そして宗教戦争が起こるということは歴史が証明している。 それを経て、世界は多様な価値観を認め始めたのに対し、 元々多様な価値観を認めていたはずの日本は自分と違うものを悪と...
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ブギーポップ?
カスタマーレビュー100件もなくね? というか巻末解説付きなら富士見だと思う。