今日12月25日はTYPE-MOONにとって特別な日であろう。
原初の聖杯を生み出すセイヴァーの生誕の日、かの魔術の王が英霊の座から永久に消え去った日、愛を知らぬ獣が『人の王』となった日。そして、
オルガマリー・アニムスフィアの命日であり、私がFGOというゲームから限りをつけるターニングポイントとなった日である。
私と型月との出会いはZeroアニメだった。そこから転がるように世界観に傾倒していき、レアルタ・ホロウ・らっきょ・月姫(漫画版チェンゲだが。リメイクはよ)等々沈みこんでいった。
私はキャラクターよりもそれを取り巻く「世界」に好意を抱く人間だ。そこで積み上げられた世界観を不特定多数で共有したい、そんな思いからネット上の聖杯戦争を下敷きにしたTRPGセッションによく参加していた。
所謂月厨がよい印象を持たれないことはよく分かっていたので、そのセッションと型月板以外では大人しくしていたと思う。それが周りから見て「いいファン」たりえてたかは、今となっては分からないが。
そしてFate/Grand Orderがサービスを開始した。あのメンテ地獄をどう乗り切ったか、既に忘却してしまったのだが、きっと同じ境遇の掲示板上の同好の士が支えてくれたのだろう。
長いメンテが終わった先にあったのは、初めて抱いたキャラクターへの好意だった。
いつか「所長目当てにFGOを始めたら誰も彼女が死ぬことを教えてくれなかった。愉悦部だ」といったツイートが流れてきた記憶があるが、それはどうだろうか。所長の魅力は彼女の死に対して最も輝いていたと思うのだが。
閑話休題。
ともかく序章が終わった時点で私のFGOへの一番のモチベーションは所長になった。
その後も所長のみを求めて本編・イベントを進めていった。自身の形質もあってか、幸い「推しを引かねばならない」という焦燥感に駆られることなく、『「好きなキャラを引く」ではなく「引いたキャラを好きになる」(当然そこにあるのは「愛情」ではなく「愛着」だが)』というスタンスで進めるという割と健全なプレイをしていたのではないかと思う。(結局課金は16年の福袋のみに徹した。余談になるが、私は意識高い系として散々弄られた庄司Pの「ゲームの価値は顧客一人一人が決めるもの」という発言だけはマーケティングのいち真理だと考えている。今となっては喧嘩別れのようなかたちで引退した身であるが、払った金額ぶんだけの価値はあったと思うし、そこに後悔はない)
恋の続く期間のひとつの区切りは3ヶ月だ、などという話をよく聞く。私の所長への一方的な恋は、その区切りを何とか乗り越えることができた。
しかしその恋心に対してFGOは残酷であった。マスターの皆様方ならお分かりであろうが、月見イベント以降シナリオ上で所長に関する言及がぱったりと途絶えるのである。
型月の世界観は愛していた。しかしその時の私はそれ以上に所長に対しての思いが勝っていた。
そんな私に与えられたのが所長の情報の断然だった。そんな状態で、所長への思いは潰えない代わりに型月世界観へのそれが立ち消えていくのは時間の問題だった。
きっかけが何だったのかはもう不明瞭であるが(戦闘が面倒だとか案外そんな今更な理由だったのかもしれない)、メインシナリオへのモチベーションが第六章の途中ですっかり折れてしまい、数ヶ月間に渡ってログインと必要最低限のイベント周回を行うのみになってしまった。パーソナル・レッスンは当然限凸したが。
時は流れ、2016年冬。そんなモチベーションの転機となったのが終章前のキャンペーンであった。適当な自己分析ではあるが、その時の思いは「所長・石30個への乞食感情・『リアルタイムならでは』という言葉に対しての勝手な勘違い(恥ずかしながら、『終章そのものが期間限定である』と思いこんでしまっていた。この祖語がどう影響するかは後に話す)」であったと思う。その時の私は、単純計算でも半分以上義務感でシナリオを進めていたに過ぎなかった。(6,7章のシナリオこそ読み飛ばしはしなかったが。それでもなお最近のエレシュキガルフィーバーに「遠坂凛である、以上の湧き上がる理由がわからない」と言ったらモグリ扱いされるのだろうか、といった程度の読み方しかしていないが)七章まで終わらせたのは終章開始ほんの数日前、だったように思う。
そして終章。そこで待っていたのは「素材激ウマクエストを周回する権利」という自業自得な裏切りであった。これに関しては100%私が悪いのでFGOに対してどうこう言うつもりはない。モチベーションの柱がひとつ折れた。
マーリンは引けず、柱がもう一つ折れたなか、魔神柱は必要最低限の各一回のみ倒し、追悼動画なんてものをどこか冷めた目で見ていた。
もはや私に残されていたのは「最後に所長に関する言及があるかもしれない」という曖昧な希望しか残っていなかった。
そして来たる2016年12月25日。最後の魔神柱陥落の知らせを受けた私を待ちうけていたのは、純粋なストレスであった。
勝てない。
勝てない。
勝てない。
休止期間中に溜まりに溜まった林檎を齧り、手を替え品を替え鯖を替え礼装を替えても勝てない。羅刹王の効果がなかったのは未だに許していない。
その時の私は確実にスレていた。「聖晶石は『未来を確約するモノ』なのだからコンティニューは恥ずかしくない」なんて文章を見てしまったため、意地でも石を割るものか、と思ったほどだ。結局その意思すら割れてしまったが。
人理は修復された。そこまでのストレスと差し引いたらどうかとは思うが、悪い終わり方ではなかった。所長に対する言及さえなければ。
人理修復を達成したマスターならばここで疑問に思うだろう、終章にはオルガマリーのオの字も出てこなかっただろう、と。しかし言及はあった。あってしまったのだ。
そう、「語られない者」、二百名の「その他大勢」として語られてしまったのだ。
ただただ放心した。那須きのこの中には、既にオルガマリー・アニムスフィアという存在はいないものなのだと、そう感じた。
言及されない、ということも覚悟はしていた。しかし現実に突き付けられたのは、「きのこは所長を覚えていない」という実質的な死刑宣告であった。私の中で、もしかしたら復活するかもしれない、という希望が立ち消え、最後の柱が折れた。
一回忌。
SNS上で多くの人間がFGOに対して感謝を述べるなか、漫然たる義務感と所長への思いだけで一年半継続してきた私は取り残されてしまった。
そこで私と他マスターとの間に大きな亀裂が生じてしまった。妬ましいのだ。
何で俺が救われていないのにお前らは救われたんだ、感謝の言葉を言えるんだ。そんな身勝手な、醜い嫉妬。
そんな思いから一気にFGOへの思いが覚めてしまい、止まってしまった私は先達を気持ち悪い内輪ネタとしか思えなくなってきた。
その後も惰性でログインとイベントだけ続けていたが、その惰性すらチョコ礼装のテキスト「いつかこれに乗って、""四人で""颯爽と聖地の荒野を渡る事を天才は夢見たのかもしれない。」に心折られ、近しいうちに引退した。
引退後は徹底的に自衛を行った。私の心理状態はアンチのそれに近しいものだっただろう。ただ、それを行動に出すのはみっともない、そうも考えていた。
「嫌なら見るな」とはよく言うが、本当にその通りだと思う。見えなければ怒りは湧いてこないのだ。そして、作品に対するアンチ行動は作品そのものではなく「その作品を楽しんでいる人間」そのものに向けられていることも理解した(私が特殊なだけかもしれないが)。
一年が経ち、作品そのものに対する不満は引いてきた。それを取り巻く人間に対しての嫉妬への対処は、まだもう少しだけ時間がかかりそうだが。
そして、この文章は一年という澱みに対する気持ちの整理である。一年前では良くも悪くもここまで冷静に物事を見れなかったであろう。
ただ、身勝手な望みでしかないのだが、願わくば所長には復活してもらいたくない。創造主から一度忘れさられたものをサルベージされたならば、それはもう菌糸類からのキャラクターへの愛情ではなく只のビジネスだ。
好きでもないキャラクターをビジネスとしてピックアップさせ、好きでもなかった人々から「ずっと待ってた」などと空虚な言葉をかけられ性的非性的に搾取される。
そんな未来は、きっと耐えられないだろう。
エリートが悲惨な末路をたどるのはある意味型月作品の伝統なので諦めなされ