実は「渋谷系」だったホフディラン
柴那典(以下、柴) 小宮山雄飛さんは、今、渋谷区の観光大使兼クリエイティブディレクターをやられているんですよね。
小宮山雄飛(以下、小宮山) そうですね。長谷部(健)さんが渋谷区長になった時からなので、もう2年くらいやっています。長谷部さんは地元の先輩で「区長になったら雄飛もなんかやってよ」って言われてたんです。で、ギャグのつもりで「副区長にしてください」って言ったら「それは無理」って(笑)。でも、当選した次の日に電話があって観光大使になったという。
柴 長谷部さんも原宿生まれで、雄飛さんも原宿なんですよね。
小宮山 そうです。
柴 原宿って、どんな街だと思いますか。
小宮山 やっぱり観光地の要素が強いんですよね。たとえば80年代に竹下通りにタレントショップができたり、竹の子族がいたり。そこから文化が発生するというよりも、外から文化がやってくるような場所だと思います。
渋谷も、僕が子供の頃にはすでに観光地、商業地になっていたので、そこに住んでいる人が何かを作るというより、いろんな人が遊びに来たり買い物に来たりする街なんですよね。
柴 雄飛さん自身は渋谷で育ってきたわけですが、音楽との関わりはどういうところが大きかったですか? たとえば『渋谷音楽図鑑』では道玄坂のヤマハ渋谷店が大きな役割を果たしたということが書かれていますが。
小宮山 僕もそこでピアノを習っていました。ただ、渋谷には小さいライブハウスがそんなになかったので、アマチュアミュージシャンがライブをやる場所は下北沢でしたね。
「渋谷系」というのは渋谷のレコード屋さんに行ってる人達のことを言う感じで、そこで演奏しているという感じではなかったんです。
柴 ホフディランとしてデビューした当時はどうでした?
小宮山 ホフディランは実はすごく渋谷と関係があって。デビュー前の94年にやった最初のライブが渋谷クラブクアトロなんですよ。しかも、TOKYO No.1 SOUL SETの前座だった。
柴 そうなんですね。ホフディランは「渋谷系」という言葉にはくくられなかったけれど、人脈としては、まさにその界隈の人たちとつながっていた。
小宮山 そうですね。そもそもホフディランが始まったきっかけもそのライブだったんです。僕は学生時代からスチャダラパーのライブとかに遊びに行かせてもらったりしてて、そうすると打ち上げに小沢(健二)くんがいたりとか、暴力温泉芸者の中原(昌也)君と一時期一緒にやってたら、小山田(圭吾)くんとつながってたりとか、そんな環境でした。デビューした時期は後だったんですけど、いわゆる渋谷系の人たちの周りにいたんですよね。もちろん仲間は渋谷系とは言ってなかったけど。
柴 不思議な立ち位置ですね。
小宮山 「渋谷系」ってHMVの太田さんが作った言葉なんでしたっけ?
柴 最初にメディアに乗ったのは93年の『apo』という情報誌らしいですね。『Barfout!』を創刊した山崎二郎さんがHMV渋谷店を取材して、その時にキャッチフレーズとして出てきたのがその言葉だった。太田さんは当時のHMVで「SHIBUYA’S RECOMMEND」という棚を1階に作っていて、そこに載っているアーティストが渋谷系と呼ばれ始めた。
小宮山 なるほど。太田さんが自分で渋谷系と言ったわけじゃないんですね。
柴 そうですね。あと、ほぼ同時期の『ロッキング・オン・ジャパン』では、編集長の山崎洋一郎さんが「最近、“渋谷モノ”というのがあるらしい。宇田川町界隈でレコードを掘っているような若者が好きな音楽をこう言うらしい」みたいな原稿を書いていて。言われ始めた当時、「渋谷系」って、必ずしもポジティブな言葉じゃなかったんですよ。
小宮山 ああ、なるほど。渋谷のヤツらみたいな。
柴 そうですね。「渋谷系」って言われるのを嫌がる人たちもすごく多かった。この辺は雄飛さんもリアルタイムで見ていたと思うんですけれど。
小宮山 いまだにそうだと思うんですけど、ミュージシャンって基本的に括られたくないですからね。渋谷系の時もそうだし。僕らのときは「フォーキー」って括られていたんですよ。
ホフディランとかサニーデイ・サービスとかヒックスヴィルとかをそう言ってたんですけど、やっぱり誰も自分たちから「フォーキーです」とは言わなかった(笑)。
柴 ですよね。あと、これは最近思うんですけれど、「◯◯系」という言葉自体に若干侮蔑の匂いがあると思うんですよ。たとえば「意識高い」という言葉にはそういう意味はないのに「意識高い系」と言った途端に見下すようなニュアンスが入ってくる。
小宮山 確かに。「◯◯系」って言うと、似たヤツら、ある種の偽物みたいな感じのニュアンスが入ってくるのかもね。
柴 でも、「渋谷系」という言葉は、最初にあったネガティブなニュアンスがなくなって、今は伝説化している。その後の時代に強い影響力を持ち続けている。そういう意味ではすごく不思議な言葉だと思います。
次回「40歳を越えても半ズボンの覚悟」は12月26日(火)公開予定
構成:柴那典