「不安と心配」に本で保険をかけよう──『スゴ本』中の人が選ぶ、「いざ」という時に寄り添ってくれる5冊

わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる」の中の人、Dainと申します。古今東西のスゴ本(凄い本)を探しまくり、読みまくっています。

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 気力と体力が低下し始めて無理ができなくなり、勢いで徹夜すると翌日ガタがくるようになるのが30代。仕事でもプライベートでも義理と責任が増えるのも30代。心ない仕打ちに心が折られやすくなるのも30代。

 いざというときに心を折らぬよう、保険になる本を紹介する。漠とした不安と眼前の火宅に対峙せざるを得ない30代以降の皆さんに向けて、そんな中でも前を向いて生きていくための5冊を選んだ。

 「自分の仕事の意義を見直す」「今の不安や将来の絶望に保険をかける」「人生の意味を考える」など、「いま」というときよりも、「いざ」というときのための5冊だ。

 もちろん、いま読んでおくのが望ましい。だが、「こんな本があるんだ」とタイトルだけでもメモっておくか、手元に置いておくだけでも十分効果はある。パラパラっと目を通しておいて、「困ったときは本棚のあそこの一冊を手に取ればいいんだ」と心に留めているだけで、ずいぶん安心できるはず。俗にいう「中年の危機」は、予防も回避もできるのだから。

【1冊目】働き方が変われば、世界が変わる可能性だってある──『自分の仕事をつくる』西村佳哲著(ちくま文庫)

自分の仕事をつくる (ちくま文庫)

 すべての「自分の仕事をする人」に、強くオススメ。

 いま思い悩むことがなくても、いまの仕事について、ちょっと距離を置いて考えてみるのに良い一冊。「自分の仕事」とは何か、「良い仕事」とは何かが、デザイナー、サーフボード・シェイパー(サーフボードを削り上げる人)、パン職人などのインタビューから見えてくる。

 著者はデザイナー。いわゆる大企業でのサラリーマン・デザイナーだけでなく、フリーランスでデザインプロジェクトの企画や制作も経験している。「働き方研究家」を称しており、さまざまな人のインタビューや自身の試行錯誤によって、ある結論に到達する。

 すなわち、働き手たちが、例外なくある一点で共通しているという。働き手は、どんな仕事でも、必ず「自分の仕事」にしていた。仕事とその人との関係性が、世の中のサラリーマンと異なっていると主張する。そしてこの「自分の仕事」とは、与えられたリソースの中で、自分にできる最高の結果を出すことである。どんな請負の仕事でも、それを自分自身の仕事として行い、決して他人事にすることがない。レンガ積みの職人の寓話やね。「ここまでが職務」と線を引きたがり、「これはウチのせいじゃない」などと尽力するわたしに、グサグサ刺さってくる。

 なぜ著者が「自分の仕事」にこだわるのかの理由が良い。それは本書のメッセージにもつながる。

結果としての仕事に働き方の内実が含まれるのなら、「働き方」が変わることから、世界が変わる可能性もあるのではないか。この世界は一人一人の小さな「仕事」の累積なのだから、世界が変わる方法はどこか余所ではなく、じつは一人一人の手元にある。多くの人が「自分」を疎外して働いた結果、それを手にした人をも疎外する社会が出来上がるわけだが、同じ構造で逆の成果を生み出すこともできる。(「まえがき」より)

 むかし、ジョージアのCMで知ったセリフを思い出す。「世界は、誰かの仕事でできている」というやつ。世界は、働き手たちの「自分の仕事」でできている。だから、それを変えるのは、それぞれの働き手たちに委ねられている。もちろんそれは、あなたの仕事でもあるのだ。

【2冊目】生きる実感を痛烈に確かめろ──『ファイト・クラブ』チャック・パラニューク著(ハヤカワ文庫NV)

ファイト・クラブ〔新版〕 (ハヤカワ文庫NV)

 完全に男性向け、というか男は絶対読め(命令形)。

 生きている実感が湧かないなら、自分が何なのか見失ったら、そしてあなたが男なら、強力に切実にこれを薦める。

 「良い子」から「良い大人」になるように育てられ、(結果はともかく)受験や就職は周囲の期待に応えることに費やされ、「良い社会人」「良いリーダー」になるべく追いまくられる。「良い」理想像とのギャップを埋めるための努力だけが「努力」だと思い込んできた身にとっては、「自分自身」なんてものは存在しない。

 この主人公「ぼく」がそうだ。生きている気がせず、不眠症の頭を抱え、ずっと宙吊り状態の人生に嫌気がさしている。そんな「ぼく」と出会ったタイラーはこう言う、「おれを力いっぱい殴ってくれ」。そして、ファイト・クラブで殴り合うことで、命の痛みを確かめる。

 最初から最後まで、名前を持たない「ぼく」は、読み手自身を重ね合わせ、注ぎ込むための器だ。そして、「ぼく」を殴るタイラーは、剥き出しの欲望そのものだ。これは、「わたし」だ、精神的に去勢された「わたしの物語」なのだ。この器に注ぎ込まれたアドレナリンは、読み干すそばから体内で、沸々とみなぎっていることに気づくだろう。

 タイラー役のブラッド・ピットが強烈な映画として有名だが、小説はさらに凄いぞ。いつか自分を見失いそうになるときのため、「読む爆弾」として取っておくのも吉。あるいは今読んで、「読む時限爆弾」としてセットしておくのはもっと吉。

【3冊目】すべてが手遅れになったときの予行演習──『タタール人の砂漠』ブッツァーティ著(岩波文庫)

タタール人の砂漠 (岩波文庫)

 人生の「手遅れ感」の予行演習になる。

 いつ来襲するとも分からない敵を、辺境の砦で待ち続ける兵士の話。ある種の読書がシミュレーションなら、これは人生の予行演習になる。若い人にこそ読んでほしいが、これ、20代だとピンとこないかも。30代になって、自分の人生の「先」が見えてくるようになると、本書が一種の警告だと分かるようになる。さらに、40を超えてから読むと突き刺さり、歳を経るごとにダメージが増加する。

 著者は、カフカの再来と称されたブッツァーティ。きわめて寓意性の高い幻想譚を描き、物語の面白さにうっかり釣り込まれると、極めて当たり前の、普遍とも言えるメッセージを突きつけられる。いつもなら目を逸らしていた事実と対峙させられ、気付いたら逃げられない。ほとんど恐怖に近い感情を覚えながら、ストーリーとともに苦い読後感をいつまでも引きずることになる。

 目の前を通り過ぎてゆく幸せを、そのまま放置してしまった自分の愚かしさを、取り返しのつかなさを、ゆっくり、じっくり噛みしめる。わずかな残りの人生全部を使って、後悔しながら振り返る。そして、何か価値があることが起こっているのに、自分は一切関与できない。焦りのようなむなしさに苛まれながら、じっと待ち続ける間にも、時は加速度的に、容赦なく流れ去る。

 もし、「今」から50年の時が一瞬で流れ去り、その間に自分は何もしていなかったならば、きっと痛いほど感じるであろう後悔を、たった「今」味わうことができる。すべてが過ぎ去って、もう人生も終盤で、何もかもが手遅れになった感覚である。

 読み手は、これが小説で良かった、自分の人生でなくて良かったと胸をなでおろすだろう。そして、シミュレーションではなく実践として、自分の人生を見つめ直すだろう。「わたしが本当にやりたいことは何か」という目で。

【4冊目】つらい時期にポジティブな本は読めない──『絶望読書』頭木弘樹著(飛鳥新社)

絶望読書――苦悩の時期、私を救った本

 ずばり、絶望したときの保険本。人生のつらい時期をどうやって「やり過ごす」かが書いてある。

 失敗、事故、病気、災難、離別──人生には多様な不幸が待ち構えている。ノーミスクリアは珍しいというよりありえない。誰であれ、失意の時がある。

 そして、絶望する期間が長引くほど、荷はどんどん重くなり、日常は侵食され、朝起きることすらつらくなる。時が解決してくれるかもしれない。いずれ折り合いが付くかもしれない。だが、絶望している間、どうやって過ごせばいいのか?

 絶望からどうやって立ち直るのか、さまざまな方法論や先人たちの知恵を紹介してくれる本がある。くじけそうな自分を励ましてくれる本がある。そもそも絶望しないための本もある。だが、絶望から戻ってくるまでの期間、どうすればよいのかに答えた本はなかった。

 これに応えたのが、『絶望読書』だ。

 著者は、人生の輝かしい時期に大病を患い、つらい思いをしてきた。その間、お見舞いがてらに渡された、気分を上向きにしてくれる本を読んだという。引き寄せの法則やポジティブ思考など、「信じれば願いはかなう」系は、読めば読むほど気分が沈んでいったという告白は、さもありなん。闘病記や逆境を克服する話も、読むほうはつらいらしい。病気になっても明るく前向きに頑張れる人は特殊で、普通はそんな立派な人になれやしない。病気だけで精一杯で、読書なんて無理。絶望しているときは、絶望していることしかできない。

 ただ、つらさが長期間続くとき、数週間から数年に渡るとき、どうすればいいか。著者自身の経験から、お薦めと、お薦めできない作品が紹介される。本当につらいときに必要なものは、激励や克服などではなく、ただそばに寄り添ってくれることだと考える。ドストエフスキーから桂米朝まで、本に限らず「寄り添ってくれる」ものを選んでいる。

 本書は、いま読まなくてもいいが、「いざ」というときは読んだほうがいい。だけど、「いざ」というときは本なんて読んでられないだろう。だから、いま読んで、お守りのように手元に置いておこう。

【5冊目】いつも"わたし"を選び取る──『それでも人生にイエスと言う』ヴィクトール・フランクル著(春秋社)

それでも人生にイエスと言う

 「わたしの人生の意味は何だろう?」と思ったときに開く本。

 端的に言うと、「心が傷んだとき」に効く本……なのだが、先にも言ったように、そんな状況に置かれていては本なんて読んでる余裕は全くない。だから、いまのうちに読んでお守り代わりにする保険本やね。

 著者はヴィクトール・フランクル、ナチスによって強制収容所に送られた経験をもとにして書かれた『夜と霧』は、あまりにも有名。凄まじい実態を淡々と描いた中に、生きる意義をひたすら問い続け、到達した考えを述べている。

 『それでも人生に…』は、このテーマをさらに掘り下げ、さまざまな視点からの疑いと、批判への応答を試みる。いくつかは肌に合わないかもしれない。彼のように考えるのは難しい、そう感じるかもしれない。だが、それを理由にして、フランクルがたどり着いた答えを無視するのは得策ではない。

 フランクルは、「しあわせ」は目標ではなく、結果にすぎないと言い切る。人生には喜びもあるが、その喜びを得ようと努めることはできないという。"喜び"そのものを「欲する」ことはできないから。言い回しとしてはありがちだが、「しあわせ」に向かって進んだり、「しあわせ」を手に入れたりすることはない。なぜなら、しあわせは、「なる」ものではなく「ある」ものだから。「幸せになる」という言葉も、「幸せだった」というセリフも、そう発言している人はいま幸せではない。幸せな人は、幸せ「です」という。つまり、幸せとは現在形なのだ。

 さらに、どんな状況でも選択の余地はあり、常に"わたし"の方を選べと主張する。収容所の体験を語りながら、たとえすべてのものが取り上げられても、たとえわずかなものであれ、選び取る自由は残っていたという。収容所が強いる考えに染まるのではなく、"わたしならこうする"という選択を見いだし、そのわずかな余地で、"わたし"のほうを選びとること──これが、生きるということになる。

 言い換えるなら、生きることの一瞬一瞬が、この選択を問われていることに他ならない。そして、生きることは、その一瞬一瞬の具体的な問いに答えることであるのだと。人生の意味を一般的な問題にすることは、あたかもチェスの個々の具体的な局面を離れて、「一番良い手は何か」と問うようなもの。定石はあるかもしれないが、あくまでもその一手を"わたし"が選ぶことが、生きることだと言いたいんだろうね。

 人生に意味はないけれど甲斐はある。それは常に"わたし"となる方の選択をし続ける行為そのものである。フランクルと共に見いだしたこの結論は、失意の時にもわたしを支えていてくれる。自分の本棚の隅に、この本が存在するというだけで、ずいぶんと助けになる。そういう、かけがえのない一冊。

【おわりに】

 あなたの心を折りそうになる悩みが何なのか、わたしには正直分からない。しかし、わたし自身が人生を送る中で心がダメージを受けたときに助けになった本、そうなる前の保険になってくれた本はある。今回は、その中から選りすぐりを5冊紹介した。

 それぞれの悩み事に直接効く処方箋のような本ではないが、あなたが抱える将来の不安や目の前の心配事に、きっと寄り添ってくれることは保証する。

 そして、ここまで読んで、もし、あなたにとって助けとなる本を思い浮かべたならば、ぜひ教えてほしい。Twitterや、ブログのコメント欄からでもいい。なぜなら、わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいるのだから。

執筆者プロフィール

Dain

Dain

ブログ「わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる」 の中の人。気になる本をすべて読んでる時間はないので、スゴ本(凄い本)を読んだという「あなた」を探しています。
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