ロシア革命から100年――現代への教訓を探る

今から100年前の1917年、2月、10月とロシアは二回の革命を経験した。300年に渡る絶対的な帝政は終焉を迎え、世界初となる共産主義国が成立した。社会の仕組みそのものが根底から組み直された革命は、いかにして起こったのか。その契機と変遷に迫ります。2017年11月7日放送TBSラジオ・荻上チキ・Session-22「ロシア革命から100年〜そのとき何が起きていたのか?激しい経済格差、エリートと大衆の乖離、国際協調と国益…現代への教訓を探る」より抄録。(構成/芹沢一也)

 

■ 荻上チキ・Session22とは
TBSラジオほか各局で平日22時〜生放送の番組。様々な形でのリスナーの皆さんとコラボレーションしながら、ポジティブな提案につなげる「ポジ出し」の精神を大事に、テーマやニュースに合わせて「探究モード」、「バトルモード」、「わいわいモード」などなど柔軟に形式を変化させながら、番組を作って行きます。あなたもぜひこのセッションに参加してください。番組ホームページはこちら →https://www.tbsradio.jp/ss954/

 

 

第一次世界大戦により揺らぐ帝政

 

荻上 本日のゲストをご紹介いたします。東京大学准教授の池田嘉郎さんです。池田さんの専門分野は近現代ロシア史、著書に『革命ロシアの共和国とネイション』、編著に『第一次世界大戦と帝国の遺産』などがあり、今年1月に岩波新書から『ロシア革命 破局の8か月』を発売されました。よろしくお願いいたします。

 

池田 よろしくお願いします。

 

荻上 今日はロシア革命について伺っていきますが、最初に革命という言葉の定義について教えていただけますか。

 

池田 とても難しい問題です。ひとつだけ正しい定義があるわけではありません。権力者が変わるだけの政治革命もあれば、社会の仕組みそのものが変わることもあります。社会革命ですね。規模が小さければ政治革命だけで終わりますが、ロシアで起こった出来事は根底から社会の仕組みがひっくり返る、真の社会革命だったといえます。

 

荻上 ロシア革命がおこる1917年以前のロシアは、どのような状況にあったのでしょうか?

 

池田 当時、ロシアはとても古臭い体制をとっていました。皇帝の権力が非常に強かったんですね。国会はあったけれども、あまり機能していませんでした。憲法も同じく、うまく機能していなかった。

 

人々は身分によって分かたれていて、同じロシア市民でも、貴族に生まれれば特権がある、農民に生まれれば多額の税を払わなければならない。同時代のヨーロッパですと、お金があるかないかで格差が出てくるような階級社会はあったのですが、ロシアの場合は生まれによって法律上の立場として農民であるとか、貴族であるとかが決まってしまうわけです。フランス革命前の18世紀ヨーロッパのような、古臭い体制を保っていたのが革命前のロシアです。

 

ところが、1914年に第一次世界大戦が起こりますが、この戦争に参戦していく中で、ヨーロッパと同じような規模の動員をしなければいけなくなります。このことによって、古臭い社会が動揺するのです。

 

荻上 そもそもロシアは、なぜ第一次世界大戦に参戦したのでしょうか。

 

池田 中立を保つこともできたかもしれませんが、実際には難しかったのです。というのも、ロシア帝国というのは、皇帝が社会全体を束ねている世界なので、皇帝の権力や権威が絶対的なんですね。そうすると、皇帝の権威を保つためには、ロシアは強くなくてはいけない。そのため、偉大なロシアたるもの戦争をしないわけにはいかない、こうした発想が出てきます。

 

荻上 参戦ともなれば、人員も物資も戦争に投じられるわけですよね。その影響はロシアにどう現れたのでしょうか。

 

池田 ロシアは巨大な国ですが、弱点は流通なんです。戦争で兵隊や馬を運ぶうちに、貨車が壊れていきます。ところが直す余裕はない。そうすると、田舎では穀物を集めることはできても、穀物が運べなくなります。流通が滞っていく中で、都市の市民の生活に影響が出てきます。

 

荻上 そうなると政治も影響が出てきますね。

 

池田 皇帝とその周りの貴族たちが政治を牛耳っていて、一方で工場主であるとか、あるいは地方の民間のリーダー、彼らはエリート層ですね、この両者のあいだのギャップがとても大きいんですね。エリート層は、自分たちも政治に参加させてくれれば、もっと立派に戦争指導ができるはずだと考えている。そこに民衆の不満が乗っかって、軋轢が深まっていくという構図です。

ある種、三層構造のようになっていて、トップに皇帝と貴族グループ、そして政治参加を求めているエリート層、さらに政治からは完全に疎外されている大量の民衆たち。

 

じつは政治に参加させてくれと言っているエリートたちは、民衆のことをかなり恐れていました。民衆が一度立ち上がると、コントロールするのがきわめて困難となるからです。それもあって、自分たちエリートを政治に参加させることによって、そうした不安定な要因をなくそうと主張しているわけです。

 

 

池田氏

池田氏

 

食糧難から革命へ

 

荻上 そうした中、二月革命が起こります。二月革命とは何だったのでしょうか?

 

池田 二月革命は1917年の2月、我々の暦では3月ですが、皇帝とロマノフ朝が倒された出来事です。ペテルブルクで、当時はペトログラードと言いましたが、女性の労働者たちが立ち上がります。最初はパンを寄こせというところから始まりました。

 

先ほどお話しした流通の不備もあって、食料が不足しているので、何時間も並んでパンを買わなければならない。工場の労働が終わってから、子どもを面倒みながら、パンを買うために行列するわけです。この苦しみの中で、彼女たちは街頭で立ち上がりました。

 

荻上 みんなで「パンを」と叫びながら街を練り歩いた。

 

池田 仕事をストップして、外に出て来るわけですね。そして他の工場にみんなで行って、みんなもやめてくださいと。みんなで外に出ようと呼びかける。こうした動きがだんだんペテルブルク中に広がっていきます。

 

最初は労働者だけだったのですが、また労働者だけでしたら鎮圧することも可能だったと思うのですが、デモから4日後に兵士たちも反乱に加わるんです。労働者に発砲しろという命令を受けた兵士たちは、そんなことはできないと反乱したんです。これがかなり大きな転換点になりました。

 

荻上 そのように膨らんでいった民衆のエネルギーは、どういったかたちで二月革命に流れ着くのでしょうか?

 

池田 それはとても重要な問題です。結局、民衆は動き始めた。パンを寄こせというだけではなく、このような状況は嫌だということを言い始めた。ですが、具体的にそれをどういうかたちに持っていくかというのは、やはりなかなかわからない。それは難しいわけです。

 

そういうときに「自分たちには指導者が必要なんだ」ということを、民衆自らが言うようになります。そうすると、政治に参加させろと言っていたエリートたちの中から、民衆を指導して自分たちが権力をとろうという動きが出てきます。

 

彼らは国会議員たちなのですが、その中でもいわゆる自由主義者と呼ばれる人たちです。あるいは弁護士や、労働者に近い社会主義系の人々もいましたが、いずれにしても彼らは、「ここは我々が民衆を指導しなければならない」と、皇帝政府を倒すところまでいかなければ終わらないという風に、民衆に押されるかたちでなっていきます。

 

荻上 エリートたちは、もともとはどこまで考えていたのでしょうか?

 

池田 革命というものは、単一の勢力が動いて何かが変わるということではなくて、大量の民衆が動くことでつねに状況は流動化していきます。そこに方向性を与えるのは、民衆とは別のリーダーたちだったりするわけですよね。それでは、そのリーダーたちはどういうことを考えていたかというと、最初は自分たちだけが皇帝と組んで、新しい政府をつくればいいと思っていました。

最初は皇帝をやめさせて、幼い息子に変えれば、帝政の実態はなくなるだろうと考えていたのです。けれども、民衆はそれでは納得がいかないということで、だんだん路線が急進化していき、結局は共和国を目指すというかたちになっていきます。

 

荻上 そうしたエリートたちは党派にまとまっていたのですか?

 

池田 一番大きかった党派は立憲民主党、カデットというのですが、彼らは自由主義者です。イギリスやフランスを理想としていました。議会があって、言論の自由もあって、イギリスのように国王がいる場合でも、それはかたちだけの体制ですね。エリートたちが国会議員になって政治を指導していくような、ヨーロッパの先進国のようになりたいというのが、二月革命段階では重要な勢力でした。

 

それに対して、同じ国会議員の中でも社会主義者は、もっと労働者や農民よりの政策を強めていくべきだと言っていました。ただ2月革命の段階では、どちらかといえば方向性は立憲民主党、自由主義者のほうが中心でした。力関係は微妙でしたが、とにかくこの二つの勢力があったといえます。

 

荻上 ヨーロッパの普遍主義的な価値観に基づいて、市民の代表が政治を動かす体制を目指していたと。

 

池田 そうです。その点では社会主義者も同じです。社会主義者といっても、いきなり社会主義を目指すなどということは考えていませんでした。あとでお話できると思いますが、レーニンのボリシェビキ以外はそう急進的なことは考えていない。ですから、目指していたのは基本的にはヨーロッパ型の、イギリスやフランスのような議会政治を確立することです。

 

荻上 二月革命で倒されるロマノフ朝はどのくらい続いていたのですか?

 

池田 300年余りです。

 

荻上 300年の歴史があっても、崩壊するときはあっという間なんですね。

 

池田 ヨーロッパの王朝は19世紀の後半になってくると、神に与えられた権力だとか、特別な血統だとかいっているだけではもう正当性がないということに、だんだん気づき始めます。科学の時代ですからね。そうなると、これからは国民の国王なんだと。あくまで国民が主体であって、自分たちはそれに合わせる、というスタイルに徐々に移行していきます。

 

これはイギリスが典型ですけれども、ドイツなども同様でした。日本の天皇制も多かれ少なかれそういうところがあったわけですね。ところがロシアだけは、およそそういうことを考えずに、いつまでも自分は専制君主であると。神から与えられた絶対的な権力を持っているんだといい続けてきたものですから、何かの拍子に体制のバランスが崩れ始めると、非常にもろかったといえますね。【次ページにつづく】

 

シノドスの運営について

 

シノドスは日本の言論をよりよくすることを目指し、共感してくださるみなさまのご支援で運営されています。コンテンツをより充実させるために、みなさまのご協力が必要です。ぜひシノドスのサポーターをご検討ください。

⇒ https://camp-fire.jp/projects/view/14015

98_main_pc (1)

 

 セミナー参加者募集中!「対話/ダイアローグから見た精神医学」植村太郎(12月16日16時~18時)

 

 

無題

 

vol.233 公正な社会を切り開く 

 

・ジェームズ・ミニー氏、鈴木啓美氏インタビュー「もっと楽しいお買い物を目指して――フェアトレードの魅力」

・【「民主」と「自由」――リベラルの再生へ向けて――】古川江里子「大正デモクラシーと吉野作造 ―大日本帝国憲法下での民主主義的政治の試みが現代に問うもの」

・【知の巨人たち】重田園江「ミシェル・フーコー――なぜ『絶望系』なのに読んでしまうのか」

・阪井裕一郎「学びなおしの5冊 <家族>」

 

vol.232 芸術にいざなう 

 

・吉澤弥生氏インタビュー「人をつなぐ芸術――その社会的評価を再考する」

・【現代演劇 Q&A】長瀬千雅(解説)「時代を捕まえるダイナミクス――現代演劇事始め」

・【今月のポジ出し!】橋本努「タックス・ヘイブン改革 香港やシンガポールにも圧力を」

・増田穂「『知見』が有効活用されるために」

 

1 2
シノドス国際社会動向研究所

vol.233 特集:公正な社会を切り開く

・ジェームズ・ミニー氏、鈴木啓美氏インタビュー「もっと楽しいお買い物を目指して――フェアトレードの魅力」

・【「民主」と「自由」――リベラルの再生へ向けて――】古川江里子「大正デモクラシーと吉野作造 ―大日本帝国憲法下での民主主義的政治の試みが現代に問うもの」

・【知の巨人たち】重田園江「ミシェル・フーコー――なぜ『絶望系』なのに読んでしまうのか」

・阪井裕一郎「学びなおしの5冊 <家族>」