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「中国民主活動家 劉暁波氏死の波紋」(時論公論)

加藤 青延  解説委員

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中国の民主活動家でノーベル平和賞受賞者の劉暁波氏が服役中、13日、がんのため当局の監視下で亡くなり、中国内外に波紋が広がっています。そこで、劉暁波氏の死の持つ意味と、中国の政治にもたらす影響について考えて見ます。

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中国では中国共産党の事実上一党独裁体制のもと、これ反対する言論や行動は、厳しい規制を受けています。しかし人々の生活が次第に豊かになるにつれ、政治の面でも、民主化によってより自由にものが語れる社会が実現することを願う、心ある人たちが増えてきました。

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劉暁波氏は、まさにそうした人たちの精神的な支柱になってきた民主化運動の活動家です。私が劉氏の姿を始めて目にしたのは、今から28年前の天安門事件のときでした。劉暁波氏は民主化を求めるハンガーストライキの座り込みの先頭に立ち中国政府に民主化を訴えていました。2008年には、中国民主化の設計図とも言える「08憲章」を起草し、1万人以上の賛同を得ました。しかし、これが中国当局にとって大きな脅威とみなされ、劉氏は国家政権転覆扇動の罪をきせられ、刑務所暮らしを余儀なくされてきたのです。2010年、劉氏はノーベル平和賞を受賞しましたが、授賞式に参加することも許されませんでした。

では、中国で民主化運動にかかわってきた人が数多くいる中で、なぜ劉氏一人がノーベル平和賞を受賞したのでしょうか。私は、劉氏が終始「非暴力主義」を貫いたことにあると思います。

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1989年6月の天安門事件の当時、座り込みの先頭に立っていた劉暁波氏は、最後まで広場にとどまりました。

当時、広場に残った学生や市民の中には、軍から奪った自動小銃や刃物などの武器を隠し持ち、広場で軍と最終決戦を行おうと考えている人たちもいました。そのことに気づいた劉暁波氏は、学生や市民に呼びかけてすべての武器を回収し、みんなの前でこれを破壊して見せたのです。「民主化を求める戦いは、あくまで非暴力でなくてはならない」劉氏はそう強く呼びかけ、血気に燃える若者たちをいさめました。

このときの劉暁波氏の行動によって、軍と学生が銃撃戦を展開する最悪の事態を回避し、天安門広場の事実上の「無血開城」が実現しました。

それまで勇ましいことを口走っていた学生リーダーたちの多くは、事件の後、次々と海外に逃亡しました。しかし、愛国心が強い劉暁波氏はあくまで祖国に踏みとどまる決断をし、当局に身柄を拘束されました。3年後に釈放された劉氏は、今度は、インターネットを使って民主化を呼びかける手段に打って出ました。中国が民主国家に生まれ変わるために必要なことを箇条書きにまとめた「08憲章」の起草と署名活動です。

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中国の政治体制は、中国共産党が事実上の一党独裁体制を敷き、行政も立法も司法もすべて支配する体制になっています。また中国共産党に反対する意見を封じ込めるため厳しい言論統制を行っています。これに対して、08憲章では、一党独裁をやめて与党と野党にわかれた政党政治の実現を求めました。また、立法、行政、司法の三権分立や、言論・宗教・結社の自由を求めています。インターネット上に発表されたこの憲章には、賛同する300人あまりが連名で名を連ね、さらに1万人以上が賛同の署名をしました。

ネットを通じた民主化運動がさらに拡散すれば中国共産党の支配体制すら覆されかねない。そう考えた中国当局は、国家政権の転覆を扇動したとして再び劉氏の身柄を拘束したのです。

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服役中の劉暁波氏の体調がひどく悪化したのは、今年5月のことでした。病院に移された劉暁波氏は、検査の結果、末期の肝臓がんと診断されました。劉氏の支持者の間からは劉氏を海外に出国させ先進的な治療を受けさせてほしいという声も出ましたが、当局は、すでに手遅れだとしてこれを拒絶。ついに劉氏は帰らぬ人となったのです。

劉氏の病状が手遅れになる前に、どうしてもっと早く手を打てなかったのか。中国当局が意図的に劉氏の病状悪化を隠し続けてきたのではないか。中国内外の支持者たちからはさまざまな疑問の声が上がっています。ノーベル平和賞の受賞者が当局の拘留監視下で死亡したのは極めて異例なだけに、劉氏の死は世界に大きな衝撃と嘆きを与えました。

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劉氏の早期釈放と海外での治療を求めるデモが起きていた香港では市民が劉氏を追悼する動きが広まっています。また、アメリカの国務長官は、劉氏を「正義と自由を追求するため人生をささげた」と高く評価。国連人権高等弁務官も「世界の人権運動は劉暁波氏という高潔な闘士を失った」と哀悼の意を表しました。さらにドイツの首相は、「自由と民主主義のための強い声が失われた」と劉氏の死を悼み、EUの大統領も「劉氏は中国でもっとも傑出した人権活動家の一人だった」とその死を惜しみました。さらにイギリスの外相は、「中国は劉氏の海外治療を拒否した」と述べ、中国当局の対応を問題視していますが、そうした海外の声に対して、中国当局は「これは中国の内政問題だと」と居直るかのように強く反発し、みずからの措置を正当化しようとしています。

中国当局がいかに劉氏を恐れていたか、それは中国当局があの手この手で情報操作を行い、批判の矛先が自らに向かわないようにしてきたやり方からも見えてきます。

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まず劉氏の病状悪化が進んだ5月末から6月半ばにかけて、中国のテレビや新聞などマスコミは一切これを報じませんでした。当局が言論統制を強化し、国内の政府批判を封じ込めようとしたものと見られます。しかしネットなどで情報が広まった先月末に、一転して次のような手を打ちました。まずタカ派の新聞、「環球時報」に劉氏を批判する記事を掲載させました。国内の同情論を押さえ込むねらいでしょう。その一方で、入院先の病院や地元の司法当局のホームページには劉氏の病状などを公開し、当局が「情報を隠蔽している」と非難されないための既成事実も作りました。さらに、ユーチューブなど中国国内では見られない海外のサイトに「劉暁波氏を手厚く治療看護する動画」が貼り付けられました。中国当局のやり方が「非人道的だ」と非難されないよう、印象操作を行い、海外世論を懐柔する狙いも浮き彫りになりました。

それにしても中国政府がどうしてここまで劉暁波氏の問題に敏感になるのでしょうか。ひとつには、劉氏の追悼運動が国民の間に広がり、それをきっかけに、これまでは力で封じ込めてきた民主化運動が再び息を吹き返すことを恐れているのかもしれません。そしてもうひとつは、中国が今、政治の季節を向かえていることです。

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中国では、この夏、渤海湾に面した避暑地北戴河で、引退した大物指導者と現役指導者とが今後の政策や人事について意見交換をする秘密会議が開かれる時期を迎えます。そして、その結果を受けて秋には、次の指導体制を決める5年に一度の共産党大会が開かれることになっているのです。劉暁波氏の死が、共産党内でも政治改革に積極的な人たちを勢いづかせ、政治改革に消極的な習近平指導部の権力拡大にマイナス効果をもたらすことを警戒していることも考えられます。

世の中には「虎は死して皮を留め、人は死して名を残す」ということわざがあります。劉暁波氏が死しても、その名声と民主化を求める中国の人々の希望が失われなければ、いずれ将来、中国共産党の支配が終焉を迎えるとき、劉暁波氏が中国の歴史に名を残す英雄になることもありうるのです。劉暁波氏をめぐる一連の対応は、そうなることを、習近平主席を核心とする現在の共産党指導部がもっとも恐れていることを、何より物語っているといえるのではないでしょうか。

(加藤 青延 解説委員)

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