雨の日は木の皿で
今朝、八ヶ岳南麓には霧雨が降っていた。
宮城教区の生長の家講習会が翌日にあるため、私たちは早く自宅を出て、東京から新幹線で仙台まで移動する。こんな日の朝食はサンドイッチが定番になった。しかも、食器洗いをできるだけ簡単にするために、一皿料理である。
新居を建てるとき、食洗機も入れた。ただし、私たちの目的である“炭素ゼロ”の生活を実現するためには、電気製品はよく考えて使わなければならない。晴天時の食洗機使用はほとんど問題ない。電力使用量が発電量よりだいぶ少ないからだ。しかし、今日のような雨天や曇天の場合、食洗機を動かすと、モニターには「買電中」を示す橙色のランプが点る。これは、東京電力から電気を買っているという意味で、“炭素ゼロ”でなくなってしまう。だから、雨天や曇天時の食事には、食器数をできるだけ減らしつつ、見栄えも悪くならない工夫が必要だ。料理は口から食べるだけでなく、目からも、鼻からもいただくからだ。
ということで、雨の日のわが家の朝食には、木目も鮮やかなケヤキの皿が登場することになった。この皿は、日本の森林の重要性を訴えてきたオークヴィレッジ製の漆器で、高級品だ。いつか贈り物としていただいたものを押入れから出してきて、私たちの“森の生活”で活躍することになった。漆器だからナイフやフォークを突き立てて食べるわけにいかない。だから、それに載せる料理は、あらかじめ口に入る大きさに切り分けておくか、傷がつきにくい木製のフォーク、あるいは箸を使う。漆器はもちろん食洗機で洗えないので、手洗いすることになる。
私は、こういう細やかな配慮をしながら食事をすることに、“新しい文化”を感じるのだ。大量生産、大量消費の時代には、朝食は効率よく作って、マヨネーズなどで濃い味をつけ、頑丈な食器に載せてガチャガチャと出し、テレビを見たり新聞を読みながら、会話もなく、ロクに味わわずに短時間で掻き込む人が多かったのではないか? 食後はもちろん食洗機に頼り、前夜の食器がその中に残っていれば、別の食器を出して使う……こんな食事の仕方では、資源やエネルギーの浪費は進んでも、季節の移り変わりを感じながら食材を味わい、その根源である自然の恵みに感謝の気持を起こすことなどないに違いない。つまり、自然と人間とは分離していたのだ。
しかし、自然と共に生きようとする時、人間は自然を常に意識し、自分の行動が自然に与える影響について配慮するだろう。その気持を抽象的なレベルに留まらせず、具体的に、五感をもって確認するための最良の機会が、「食事」の場なのではないだろうか。朝起きて空を仰いで天候を知ったならば、それに合わせてエネルギーの利用法を考え、食器を選び、メニューを考える。これはもう「人間のため」だけの食事ではない。木目の美しい食器に地元の食材を載せ、器の柔らかさを感じながら、ていねいに、ゆっくりと味わいながら食べる。それが雨の日の朝だということが、私にはなぜかピッタリ来るのである。
谷口 雅宣
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