インターネットのお友達が大好きな「クリスマス終了のお知らせ」ネタがこの時期になると毎回でてきますね。
ネタではなく、実際にクリスマスを終了させた国が存在しました。そう、ソ連です。
過去のイベントでお話ししました、ソ連&ロシアのクリスマス事情、そしてお正月との関連性を紹介したいと思います。
ロシアとクリスマス
まず、現在のロシアにはクリスマスを祝う習慣があまりありません。
そもそも、ロシア正教のクリスマスは1月7日です。12月25日ではないのです。これはロシア正教がユリウス暦を使っているため。ユリウス暦の12月25日がグレゴリオ暦の1月7日となります。
1月7日のクリスマスに何をするのかといいますと、熱心なロシア正教信者は教会へ行きミサに参加します。
大多数のちょっとした信者はTVでその様子を見たりもするのですが、ほとんどの人は何もしません。
12月25日の我々がよく知るクリスマスも何もしません。世界中がお祭りムードとなるこの日、宗教的に関係のない日本人のようにお祭りとして楽しむことも基本的にはありません。
しかし、この時期にロシアへ行くと、クリスマスツリーやサンタクロースをよく見かけます。ですが、実はこれ、全くの別物なのです。
クリスマスツリーのような「ヨールカ」
サンタクロースのような「ジェット・マロース」
この、「ヨールカ」と「ジェット・マロース」はクリスマスではなく、ロシアのお正月に関係するものなのです。
ヨールカ
始まりは1700年、ピョートル大帝がロシアのヨーロッパ化を進めていた時代。ピョートル大帝はドイツのクリスマスツリーをロシアに持ち込み広めようとしました。
しかし、当時のロシアではもみの木は死の象徴であり、もみの木を飾るといった行為は理解できないし、まして家の中に入れるなど以ての外でした。
ピョートルによってはじめてロシアにツリーが持ち込まれてから100年以上が経ち、ようやくロシアにもツリーが広まり始めます。
個人の家でツリーを飾るようになったのは1840年以降。まだ珍しいものでしたが、じわじわと広がっていきます。これは当時のロシアで流行っていたドイツ文学の影響ともいわれています。
この時代の家庭用ツリーはとても小さく、テーブルの上におけるサイズでした。これも当時のドイツの影響らしいです。
ツリーに飾られるオーナメントは現在のようなものではなく、お菓子やナッツ類、りんごなどが飾られました。
最初は小型だったツリーですが、ロシアで広がっていくにつれてサイズがどんどん大きくなっていきます。人々は大きさを競い合ったということです。
また、公の場にツリーがはじめて飾られたのは1852年。サンクトペテルブルクのエカテリーナ駅(現在のモスクワ駅)に飾られました。
この時代のヨールカはドイツのマネなのでクリスマスのために飾られており、お正月のためではありませんでした。
12月24日頃から1月6日までヨールカが飾られていたらしく、新年のためではないのですが1月1日にもヨールカが飾られていたことになります。
ジェット・マロース
Дед(ジェット)はお爺さん、 Мороз(マロースは)厳寒、極寒という意味。元々は冬の神様、冬の精のような存在でした。
19世紀後半、「ロシアにもサンタクロースのような存在を!」ということでジェット・マロースに白羽の矢が立ちました。
ここでサンタクロースとジェット・マロースの見分け方を説明します。
まず…
かぶっている帽子が違います。ジェット・マロースの帽子にはボンボンはついていません。毛皮の暖かい帽子です。
ジェット・マロースの髭はストレートで床に届くくらいの長さが特徴です。
サンタクロースはブーツを履いていますが、ジェット・マロースはバレンキというロシア伝統のフエルトでできた防寒靴を履いています。
ジェット・マロースは分厚い毛皮のロングコートを着ます。ベルトは使わず帯を使うのがオシャレポイント。
サンタもマロース爺さんもプレゼントの袋を持っています。子どもたちはこの袋には底がないと信じています。
ちなみにサンタは煙突から家へ侵入しますが、マロース爺さんは普通にドアを開けて侵入してきます。
サンタにはない特徴として、マロース爺さんは魔法の杖を持ち歩いています。深い深い雪を歩く際の助けとなるこの杖。ロシアのお正月のシンボルになる前、森の精時代にはこの魔法の杖を使い人間を凍らせたりもしたとか。
ちなみにこの私の描いたイラストだとそもそも色が違うので見分けは簡単につくのですが、下のイラストのような赤いジェット・マロースも存在します。
もともとは白い毛皮のコートだったのですが、20世紀のはじめに青くなり、ソ連時代に入ると革命の色である、この赤いコートを着るようになりました。
現在では白か青が認められているとのこと。
現在では白か青が認められているとのこと。
1885年に描かれた白いマロース爺さん(ヴィクトル・ヴァスネツォフ作)
また、サンタクロースはトナカイのソリに乗りますが、ジェット・マロースはロシア伝統のトロイカに乗ります。三頭立ての馬車です。
ロシアのお正月の歴史
話はクリスマスからお正月へ。もともとロシアでは15世紀までは3月1日、15~17世紀は9月1日が元旦でした。
1700年にヨーロッパ化を進めていたピョートル大帝が1月1日を新年と定めました。
※ロシアはこのときからユリウス暦を採用した。それまでは世界創造紀元を使用。グレゴリオ暦はソ連時代から。
しかし、急にお正月が夏から冬に変わったためロシア国民は戸惑い、嫌がりました。
ピョートル大帝は1701年から花火をあげたりして無理やり新年を演出し、その後ピョートル大帝の娘であるエリザヴェータ女帝が派手なダンスパーティーや無料のフェスティバルなどを開催してなんとか国民へ浸透させることに成功したのです。
クリスマス終了のお知らせ
ソ連時代の特徴の一つとして宗教の禁止があります。ソ連時代に入り、宗教行事であるクリスマスはもちろんのこと、お正月を祝うことも禁止されます。このときからヨールカとジェットマ・ロースもソ連から消え去りました。
ソ連時代に描かれた子どもたちとヨールカの周りで楽しむレーニン。
しかし、クリスマスと新年のお祝いの終了にレーニン本人が関わっています。
つまり、実際にはこうだったはずです。
これも実際には
こう!
お正月の復活
1918年から35年までの間、クリスマスとお正月を祝うことは禁止されましたが、1935年、子どもたちのために新年を祝おう!と政治家のパーヴェル・ポスティシェフによってお正月がソ連に復活します。
お正月復活と同時にヨールカとジェット・マロースも政府公認で復活。さらにマロース爺さんの横には彼の孫娘であるスネグーラチカの姿も!
スネグーラチカ
スネグーラチカはマロース爺さんの孫娘という設定ですが、元々はロシア民話に登場する雪でできた女の子(雪娘)です。マロース爺さんと同じくロシアに伝わる雪の精のような存在でした。
1885年に描かれたスネグーラチカ(ヴィクトル・ヴァスネツォフ作)
19世紀末から20世紀初頭にかけて、子どもたちが新年に演じる芝居に登場するようになり、ヨールカに人形が飾られるようになります。このときはまだただの新年のキャラクターであり、マロース爺さんとの直接的な関係はありませんでした。
お正月復活後の1936年、マロース爺さんとスネグーラチカはモスクワの「同盟の家」にて初共演をし、このときからこのコンビは新年のシンボルとして現在まで活躍をしています。
ヨールカとヨールカ
新年のために飾るツリーのヨールカとは別のヨールカが存在します。これはお正月に行われる子供のためのパーティーのことです。
なぜ同じ名前なのかといいますと、元々ドイツから持ち込まれたヨールカ。ドイツ語でクリスマスツリーはWeihnachtsbaum。この言葉にはクリスマスツリーの他にも「ツリーの日」という意味もあるそうです。そこで、ロシアではこれを真似て新年のパーティーも「ヨールカ」と呼ぶようになりました。
ヨールカを初めて行ったのは1817年、ニコライ1世皇后であるアレクサンドラ・フョードロヴナです。ただしこのときは自分の家族向けのパーティーとして開催。公的なヨールカは1852年から。
1935年、政治家のパーヴェル・ポスティシェフの「子どもたちの楽しみを奪うべきではない。コムソモールはヨールカをやるべき。」という発言が新聞「プラウダ」の記事として掲載されました。この正月復活宣言のヨールカは、ツリーではなくパーティーの方のヨールカです。
ソ連時代、各地でヨールカが行われましたが、一番豪華だったのがモスクワのクレムリンで行われていたもの。当時の子供達はクレムリののヨールカに参加することが夢でした。
おまけ
以前、大陸とラベルさんとのコラボツアーで郊外のダーチャ(別荘)を訪ねたときに庭のパイプに被せられていたヨールカに参加したときにもらえるプレゼントケース
ソ連にクリスマスは存在しなかったけどお正月はあった!
以上、簡単にですがジェット・マロースとヨールカからみる、ロシア、ソ連のクリスマスと正月の関係についての解説でした。
それではみなさま、メリークリスマス&良いお年を!!
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