田舎から某帝大に合格し、東京に出て4年。一旦は東京の会社で勤めていた。
遊ぶところには事欠かなかったし、東京は何事も最先端だったので楽しい部分もあった。
このまま東京に住み続けるのかな、と思っていた俺が田舎に帰った理由は笑ってくれてもいいが、家の犬だった。
大学に行くまで毎日散歩していて一緒に寝ていた俺の愛犬が、年を取り、もうよぼよぼになってあまり長くないと親から電話があったのだ。
次の休みで飛行機に飛び乗り帰ってくると、足がおぼつかない老犬がよろよろと迎えに出てきた。
けなげにしっぽをぱたぱたと振っていた。
母親が、いつもはずっと寝てるのに、迎えに出てくるなんて、と驚いていた。
人はバカだと言ったよ。年老いた両親のためならともかく、飼っていた犬のために会社を辞めるのか、と。
そうだね、自分でもそう思う。でも、このまま東京で働いて、何年か後に「死んだよ」と聞かされたら絶対に後悔すると思ったのだ。
後ろ足が立たない犬のために自作で車椅子を作り、一緒に毎日散歩した。大好きだった海にもよく連れて行った。俺の勉強で得た知識なんて、老いる犬には、何の役にも立たなかった。
寝るときも側にいた。
何度も夜泣きで起こされて、その度に犬を抱えて、外を歩いた。自分でも、どうしてこんなにかいがいしく世話をするのだろうと思った。
理由はと言われると、やっぱりかわいかったから。大好きだったから。としか言えない。
その後、一年間ぼーっとしていた。本当にぼーっとしていた。引きこもって、ひたすらゲームをしていた。
朝昼晩の食事はなぜか家族の分も作っていた。料理は好きだった。
介護含め、トータル三年、ニートを実家で続けた。親は何も言わなかった。
愛犬が死んで一年して、仕事を探した。中小企業に雇ってもらえた。
なんでこんな学歴の人間がうちを受けたの、どうせすぐに辞めるんでしょ?なんて言われた。会社に同じ帝大卒の人がいて、気があった。
彼も同じように言われているらしい。二人で「給料よりも、大切な物があるんだよな」と話した。
今の会社は給料はそこそこだが、残業もないし、社内が殺伐としていない。東京にいるときより幸せになっていると思う。欲しいのは給料ではなくて、心の安定だった。
犬のことがなければ、今の状態はなかったのだから不思議な物だ。
数年前のクリスマスイブ、ケーキに一口も口をつけることもなく、亡骸を抱えて家族で泣いていた。あれから、イブは俺たち家族には命日だ。
「今の俺の幸せは、おまえのおかげかなあ」と言いながら、今年も骨壺と一緒に酒を飲んでいる。