2017-12-24

クリスマスイブは骨壺と一緒に酒を飲む

田舎から某帝大に合格し、東京に出て4年。一旦は東京会社で勤めていた。

給料はとても高かったし、福利厚生文句なしの超大企業

しか残業三昧だった。

残業代は出るとはいえ、何年も働いていると身体が疲れてきた。

人間関係希薄で、家と会社の往復の日々。

遊ぶところには事欠かなかったし、東京は何事も最先端だったので楽しい部分もあった。

このまま東京に住み続けるのかな、と思っていた俺が田舎に帰った理由は笑ってくれてもいいが、家の犬だった。

大学に行くまで毎日散歩していて一緒に寝ていた俺の愛犬が、年を取り、もうよぼよぼになってあまり長くないと親から電話があったのだ。

次の休み飛行機に飛び乗り帰ってくると、足がおぼつかない老犬がよろよろと迎えに出てきた。

けなげにしっぽをぱたぱたと振っていた。

母親が、いつもはずっと寝てるのに、迎えに出てくるなんて、と驚いていた。

なぜだか、年甲斐もなく泣きまくってしまった。

人はバカだと言ったよ。年老いた両親のためならともかく、飼っていた犬のために会社を辞めるのか、と。

そうだね、自分でもそう思う。でも、このまま東京で働いて、何年か後に「死んだよ」と聞かされたら絶対に後悔すると思ったのだ。

引き継ぎを済ませ、東京大企業を辞め、地元に帰ってきた。

ほとんど動かない身体の犬と、ずっと一緒にいた。

後ろ足が立たない犬のために自作車椅子を作り、一緒に毎日散歩した。大好きだった海にもよく連れて行った。俺の勉強で得た知識なんて、老いる犬には、何の役にも立たなかった。

寝るときも側にいた。

何度も夜泣きで起こされて、その度に犬を抱えて、外を歩いた。自分でも、どうしてこんなにかいがいしく世話をするのだろうと思った。

理由はと言われると、やっぱりかわいかたから。大好きだったから。としか言えない。

介護生活は二年続いて、俺の腕の中で愛犬は死んだ。

その後、一年間ぼーっとしていた。本当にぼーっとしていた。引きこもって、ひたすらゲームをしていた。

朝昼晩の食事はなぜか家族の分も作っていた。料理は好きだった。

介護含め、トータル三年、ニート実家で続けた。親は何も言わなかった。

愛犬が死んで一年して、仕事を探した。中小企業に雇ってもらえた。

なんでこんな学歴人間がうちを受けたの、どうせすぐに辞めるんでしょ?なんて言われた。会社に同じ帝大卒の人がいて、気があった。

彼も同じように言われているらしい。二人で「給料よりも、大切な物があるんだよな」と話した。

今の会社給料はそこそこだが、残業もないし、社内が殺伐としていない。東京にいるときより幸せになっていると思う。欲しいのは給料ではなくて、心の安定だった。

犬のことがなければ、今の状態はなかったのだから不思議な物だ。

数年前のクリスマスイブケーキ一口も口をつけることもなく、亡骸を抱えて家族で泣いていた。あれからイブは俺たち家族には命日だ。

「今の俺の幸せは、おまえのおかげかなあ」と言いながら、今年も骨壺と一緒に酒を飲んでいる。

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