最近、「プラントハンター」を肩書とする方の行動が物議をかもしているようなので、思い出したこと。
あるとき、話の流れで西畠清順氏の活動を外国人に英語で説明することになり、「彼の職業は plant hunter だそうです」と述べたところ、
と聞き返されました。
「西畠氏の家業は花や植物の卸問屋ですが、彼自身は世界各地で珍しい植物を見つけてきて売買したり、イベントを行ったりしているようです。16世紀にオランダにチューリップをもたらしたり、18世紀にロンドンのキューガーデンにある植物をもたらしたりしたプラントハンターにちなんでいるみたいです」
「それを日本ではポジティブな仕事として受け止めているのか?」
と驚かれました。そこで私から、
「プラントハンターという職業が帝国主義による植民地支配の産物であることは、私自身は多少理解しています。そしてそれが欧米ではかなりネガティブに響く言葉だということも。ただ、日本人には、残念ながらそうした知識も認識も理解もあまりありませんし、なにより西畠氏は、プラントハンティングによってめずらしい植物を手に入れて紹介することによって人々が多様な植物に触れて喜んだり、新薬や新しい食品の開発につながったりする面に誇りを感じ、この肩書を使われているようでして」
とこたえました。すると、
「plant hunting や plant hunter という言葉は、現代の英語ではネガティブにしか響きません。この言葉は、帝国主義による植民地の資源略奪行為を称揚することにつながりかねないのも問題だし、現実として、帝国時代のプラントハンターの行為が、原生地の植生に悪影響を与えたり、異国の植物をもたらした側の土地の植物多様性に悪影響を与えたりしたことも少なくなかったのです。生物多様性条約にもあるとおり、近年は原生地の植物多様性を包括的に維持することが国際的に強く意識されており、たとえ有用な薬品や食品開発のための植物採集であっても、非常に慎重に採取すべきとされています。それなのに、日本人は未だにそのような軽々しいエキゾティズムを喜んで受け入れているのですか。」
と絶句されてしまいました。(注:exoticとか exoticismは基本的にネガティブなニュアンスです。本質を理解せず表面的な異国情緒に惹かれるようすを表す感じです)。続けて相手は、
「そもそも、ハンターとかハンティングという言葉も、あまり良いニュアンスではなく、せめて plant collectorとすべきでしょう。たしかに、イギリスのキューガーデンは魅力的な施設であり、膨大な植物コレクションの構築に貢献したのは大英帝国のプラントハンターたちですが、プラントハンティングとは、振り返ってみれば、本質的に、帝国による植民地に対する略奪行為だったのです。そのことを認識しないで、ただめずらしい植物の美しさをうっとり楽しめばすむ時代は、少なくとも英国ではとうの昔に終わっています」
とも。
増田に書いてどうなるものでもありませんが、例のクリスマスツリーの一件を知り、記しておきたくなったので。
ハントって言葉はいい感じしないよね 狩る/狩られるの一方的な搾取であり狩られる側の都合は一切無視です、と自ら宣言している感がある