情報の小出しは大嫌いな性分でここまで一気に書いてきた訳であるが、一旦この記事で止めることとする。
終局処理、商業でいうなら廃刊時の処理であるが、編集者にとっての終局処理は「原版、ないしは直ぐに他誌で掲載できる状態で原稿を戻す」事を指す。この「直ぐに他誌で掲載できる状態」が重要であり、廃刊が決まった日から事実が公開される日までの間にこの作業を行って差し戻すまでが編集の仕事となる。
これは写真でも同様であり、企画中止を決めた日から企画中止を公表する日までの間に現像(レタッチではなく高度な現像処理のこと)して、他の媒体でも使える状態に仕上げるのが編集としての責務となる。
……のが普通だと考えていたし、実際にその作業を進めていた。
レタッチほどではないが、現像処理は感性と画面の発色再現性が重要となる。何しろ本気で現像処理を行うとただの写真を芸術作品にできる、高度な現像処理後のレタッチは最小限で済むというのが元々の持論であり、どちらかと言えば色温度と細かいコントラストの調整をメインに作業を進めていた。
実のところ現像後のレタッチ処理は二度手間と感じていたため、現像中の簡易レタッチでどこまで追い込めるかを確認した上で「未レタッチで現像して後処理でレタッチ」と「現像とレタッチを同時に行い現像後処理を最小限」のどちらの状態で引き渡すか試行錯誤を行っていた。
……さて、自分はたびたび主宰のことを「伝声管」と表現していたが、これには歴とした理由がある。
終局処理のための現像の最中に「軽度の手ぶれが見られる写真を使った前処理画像の見本」を主宰に程度確認のため「ほぼオフレコ」の扱いで渡したところ、見事に参加者に勝手に流した挙げ句(手抜き処理なのだから酷評が出て当然なのだが)酷評が出ている旨を態々知らせてきたのだ。
その時点で前処理レタッチを止めて後処理レタッチの見本作成を始めていたのだが、主宰自らに伝声管をやられたのでは「企画中止時に他で公開できる状態まで現像処理した写真を提供する」ために必要な「情報管制」が機能しなくなる。結果としてその時点で再開の可能性がほぼゼロに近い作業中止を不本意ながら決めざるを得なかった。
終局処理という言葉には「編集が何一つ問題も滞りもなく原稿等を次にバトンタッチする」という意味も含まれる。この作業を行っている間は通常時と異なり秘匿性が強く求められる。
ここで主宰が伝声管をやったことで、編集だった自分が完全に心を壊すに至ったのだ。何しろ色温度もなにも最低限でしか弄らずテスト現像したものを勝手に流された訳であり、仕掛品を勝手に本製品扱いで流されて酷評されて傷付かない会社や個人がいたとしたら、自分ならその人の血の色を調べるであろう。