彼と自分は考えが全く一致しない。
恐らく、これはイデオロギーを超えた本質的な属性によるものだろう。
性的魅力というものに個人それぞれの格差がある限り無くならない。
高校時代に顔が良くて、尻がでかいマナカちゃんという女の子がいた。
どこまでも、高校では大切にされていたし、その自己肯定感を武器にしてか慶應大学に進学した。
彼女は如何に選ばれるかを考えるはずだ。そうなると絶対に自分の性的魅力をアピールするはずだ。
それは彼女自身が意識してようが、意識してなかろうが行うはずだ。
性的魅力というものをアピールされた側は、「特別な才能がある」と彼女を選び取るだろう。
それの性的魅力アピールが行き過ぎた結果が、セクハラに繋がるのではないか。
それを持たぬ者は、そもそも性的魅力を持つことすら叶わないのだから被害者に何か同情を感じたりはしない。
皆で解決するために加害者を告発するのも最終的には悪化を招く可能性もある。
解決しようと思う人間も、最終的には被害者の性的魅力ゆえに突き動かされている可能性が高いからだ。
セクハラを無くすには、皆が平等に性的魅力を持てる世界に変わっていくしかないのだろう。
マナカちゃんは高校時代を笑ったが、自分は空気扱いで自分の鏡を見ては泣く毎日だった。
彼女が社会人になり、セクハラを叫んでも自分にはどうでもいいことだろう。
私も同じことを思った。美人でスタイルのいい人間がセクハラ被害を訴えたとしても、私の心には全く響かないんだよね。 心に響かないどころか、その美人に対して嫌悪感しか湧いてこ...