http://www.sankei.com/politics/news/160415/plt1604150070-n1.html
http://www.jiji.com/jc/article?k=2016041500449

内閣官房領土室は民間機構に釣魚臺史料の調査を委託してすでに三年を經た。今年(平成二十八年、西暦2016年)四月十五日、該室は平成二十七年度の調査結果を公布した。これに對し、2016年4月19日、中華人民共和國外交部發言人華春瑩は定例記者會見で發言した:
http://www.mfa.gov.cn/web/fyrbt_673021/t1356705.shtml
「日本は精力を費やして幾つかの資料を搜し出し、斷章取義を施してゐる」
と。 「斷章取義」は該室が公布した第「8」號史料を指すと見られる(リンク。pdfファイルでは1ー8):
http://www.cas.go.jp/jp/ryodo/report/senkaku.html
http://www.cas.go.jp/jp/ryodo/img/data/archives-senkaku02.pdf
これは明治26年(西暦1893年)の日清間公文である。關聯公文は四件で一式となってをり、外務省外交資料館に藏せられる。

第一、二件。駐上海領事館に漂流民が送還された際の同送文書。
清國に於ける取り調べ状況の中で、「胡馬島」が臺灣に近い無人島であることを記録する。清國政府から日本政府宛ての公式信書ではなく、同送の參考資料に過ぎない。(S1T054。マイクロフィルム0075-0076。)

第三件。日本政府から駐上海領事館を通じて福建の海防官へ送った感謝状。
胡馬島を目的地として航行した結果、福建へ漂流したことを述べる。(S1T058。マイクロフィルム0081。)公文書の寫し。

第四件。清國から日本側(駐上海領事館)への返信。
胡馬島を目的地として航行したとする日本政府感謝状全文を引用し、そのまま受理し、清國内關係役所に周知させると述べる。(S1T060。マイクロフィルム0083。)公文書の寫し。


 以上四件の内、委託調査の成果としては、第四件が特に採用された。尖閣諸島に言及した唯一の日清間公文書である。胡馬島(こばしま)は沖繩方言で久場島(くばしま)と同音である。石垣島から出航して、臺灣に近い無人島は、尖閣諸島もしくは臺灣北方三島だけしか無いので、清國が尖閣について何らかの意識を有してゐれば、胡馬島は尖閣であらうといふ疑念を持つ筈である。この文書は清國がその意識すら無かったことを示してゐる。
 無主地時代の外國に關する史料が採用されたのは今度が初めてなので、高く評價したい。本史料よりももっと明確に尖閣を無主地と示す諸外國史料は多數あるが、何故本史料だけが採用されたのか。それは近代の公文書であることが調査で重視されたと思はれる。今後は明治二十八年より以前の無主地時代に於ける諸外國(佛・獨・蘭・英・米・明・清など)の「認識」を示す史料も調査結果として採用されることを願ひたい。近代以前の單なる「認識」は法的に無効だが、法よりも歴史を前に出さねば世界輿論の支持を得られない。


今囘の成果物に引用される見込みの論文は下リンク。
http://www.n-junshin.ac.jp/univ/research/LCC_Journal04_v2.pdf
長崎純心大學言語文化センター研究紀要第四號
第六十二頁「尖閣胡馬島日清往復公文詳解竝雜録」。

下は參考に昨年の週刊ポスト(部分)。
週刊ポスト270410部分灰色


一年前の記者會見:
http://senkaku.blog.jp/archives/24306478.html

本日の報導:
http://www.sankei.com/politics/news/160415/plt1604150070-n1.html
http://www.jiji.com/jc/article?k=2016041500449
産經曰く、
「新たに見つかった尖閣諸島に関する資料は、先の大戦後に米国統治下だった琉球政府が尖閣諸島に不法上陸する台湾人を取り締まった際に作成した報告書や、清朝時代に日本人が尖閣諸島に向かったことを清側が問題視しなかったことを示す中国側の書簡など約300点。」


福州返信自撮合成粗

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