人気ブロガーの「はあちゅう」さんのセクハラ告発が大変な話題になっています。
告発記事を読んだ時に、まず、相手の方のゲスぶりが、バブルの頃にテレビや漫画で目にしたホイチョイプロダクション的な広告代理店系でドン引きしました。
なにせ私が仕事してきた業務系ITの世界というのは大変地味で、特に私は上流工程で分析を行ったり、監査をやるといったこれまた地味な世界なため、枯れた仙人のような方のほうが多く、マッチョセクハラゴリラは希少動物です。
さらに、スーパーバイザーに夜中に自宅に呼び出されていくというのも意味がわかりませんでした。
北部欧州や北米の「地味系IT業界」だと、職場以外で作業したら、事故などあった場合に職場の安全管理義務違反になってしまいますから、上司自体が嫌がります。そもそも管理者側としては、規定の時間外に仕事されるのはむしろ迷惑です。工数がきちんと計算できませんし、働く人の健康や精神状態にも影響が出てしまって、ミスや事故が起こりやすくなり品質が落ちるからです。
私の本業の一つはITガバナンスやプロセスの適正化なので、工数管理や品質管理は重要事項であり、こういう実態がわかったら経営的な大問題になってしまいます。これは製造業だともっと厳密です。ちょっとしたミス、人員の疲弊、事故が人命に関わることもあります。
こういった環境が当たり前なので、日本の広告業界というのは随分特殊な世界なのだなと驚きました。会社側がこういう労働実態を把握していないとしたら管理体制を疑問に思われても仕方ないですね。
さらに告発を読んでいる間にたまたまツイッターに流れてきたはあちゅうさんの過去の発言と動画を見て驚いたのです。
元職場の方に権力や地位を元にハラスメントを受けた一方で、ご自身も他の男性たちと一緒になって、「童貞」、つまり性的体験がない男性を笑いのネタにし、それをネットで公開しているのです。
私の周囲はこんな発言を冗談でもする女性も男性もいないので、かなり驚きました。こんな発言を会社のパーティーやティータイムの雑談でしたら驚かれてしまいます。
彼女は酷いパワハラとセクハラを受けていたのに、なぜこんなことをネットで発信するのだろうかと考えていました。
大手広告代理店というのは日本における勝ち組富裕層が集う所です。北米で例えたら、スクールカーストの最上位にいるジョック(白人体育会系)で運動も勉強も得意な人々が入社する職場です。
この階層の内部は、左派の人達が夢想するような平和で共産主義的な平等社会とは無縁で、性的なジョークやマッチョイズムを凝縮したような弱肉強食の世界なのでしょう。
構成員の殆どは、それなりの家庭で育ち、良い成績を収め、数多くの人々の中から選抜された人々なので、他人に頼らなくても生きていけます。だから、強いものが勝つマッチョゴリラの価値観が当たり前になるのではないでしょうか。
北米でも、投資銀行やメディアの世界でのマッチョな行いやセクハラが問題になります。これはイギリスでも同じです。時々投資銀行やIT企業でのセクハラ事件や、会社でストリップクラブにいったといった話が話題になります。こういうことが起こるので、性差別を禁止する罰則が厳しいのです。(つまり規則が厳しいということは前例があるということです。)
ジョックは、大学ではフラタニティ(女性の場合はソロリティですが)という組織に所属します。日本語だと友愛会とか訳されますが、お金持ちの坊っちゃん嬢ちゃん達の集まるお遊びサークルです。しかしこのような団体では、飲み会やイベントでのセクハラやレイプが時々大問題になります。ハーバード大学ですらこの団体で起こったセクハラを大問題にしています。学生時代にすでにマッチイズム全開の行いが当たり前になっているのです。
このような北米の例からもわかるように、闘争心旺盛な勝ち組富裕層の世界は、日本だけではなく、他の国でも、実は旧態依然とした古い価値観を引きずっているのが実態です。
はあちゅうさんが生きてきた世界はそういったものが当たり前なのでしょう。そういう世界に身を置く女性は、強いものが勝つ倫理観を受け入れる必要があったのではないでしょうか。否定したら村から追い出されてしまいます。そして、生物学的には女性ではあるが、心はマッチョイズム満載の男性性に支配された人が出来上がるのかもしれません。
はあちゅうさんはその世界の弱肉強食の仕組みの中で、より大きな力を持った人間の餌食となり、自らだけではなく、自分を支える大事な友人達も差し出してしまいます。
その一方で、この仕組をおかしいと思いつつも、構造を内部化し、正当化するために、更に弱いものを叩かざる得なかったのでしょう。
それが「童貞」と呼ばれる性的体験のない男性に対する嘲笑や、「非モテ」と呼ばれる異性パートナーを得られない男性を叩くことにつながります。恐らく彼女の周囲の男性達にとって、「童貞」「非モテ」を笑いのネタにすることは日常生活なのです。
彼女は直接的なセクハラと、村の一員になるために、この構造を内部化しなければならなかったという二重の被害を受けているわけです。
ゴリラマッチョの世界では、異性を得られない男性、性的に不活性な男性は淘汰の対象であり、弱さの象徴です。
男性にとっては仕事の肩書、資産、異性の有無といったものが階層の象徴になるからです。このゴリラマッチョの世界観においては、自分より弱い男性を叩くことは、階層の上位に所属することの確認です。
これは、フラタニティに加盟したい人が、先輩の糞尿を飲まされたり、ポリネシアの村で成人になるために崖から飛び降りる儀式と同じです。村の構成員になるための儀式であり、その構造の中で受けれられるためには、自分自身の中では疑問に思う理不尽さも受け入れるという意思表明が必須なのです。
一方で彼らが叩いていた童貞は、しかし今の日本においては、単なる少数派の「負け組」ではありません。
階層格差が広がる現在の日本においては、性体験を得られない男性はますます増えているからです。
厚生労働省が2015年に実施した「第15回出生動向基本調査」によると、20~24歳の童貞率は47%、25~29歳は31%、30~34歳は25.6%です。性経験のある未婚者割合は、男性ではそれまでの上昇傾向が 1990 年代後半から頭打ちとなっていましたが、2000 年代に入り上昇に歯止めがかかっています。
35~39歳で配偶者がいる人は61.7%でしたが、1992年には77.2%、交際している相手がいない人は26.9%でしたが、1992年には11.9%です。配偶者がいる人も交際している人がいる人も、23年前に比べて大幅に減っているのです。結婚適齢期の男性は交際相手も性経験も減っており、それは日本の経済停滞と見事にリンクしています。
また結婚相手に求める条件として、女性は9割以上が男性の経済力を重視しており、年々上昇しています。男性の場合は女性に経済力を求めるのは4割です。交際相手や結婚相手との出会いは男女いずれも職場がトップで30%近くです。
つまり、男性が職場で地位が低かったり、経済力がないと思われてしまうと、女性に相手にされなくなってしまうのです。それが交際相手や結婚相手との出会いのなさとリンクしてしまうのでしょう。
シフト勤務や男ばかりの職場では女性と出会う機会はありません。事務や出入りの業者の女性はそもそも年収300万円の非正規雇用の男とは話をしようともしないし、目も合わせません
かといって、彼らは風俗には興味がない。異性との「関係」、パートナーは求めますが、性的なサービスを求めているわけではないのです。欲しいのは一緒に食事に行ったり、映画や近所の風景の些細な話をしたり、一緒に旅行に行ったり、お正月やお盆やクリスマスを一緒に過ごす相手です。
彼らが住むのは親が立てた一軒家です。屋根や壁が剥がれかけていますが、直すお金も気力もありません。連日のシフト勤務、上司やお客さんからの叱責、いつ切れるかわからない契約を前に、大工仕事をする元気なんて出るわけがありません。
認知症の親は先に死ぬでしょう。忍び寄る孤独、将来への不安。でも先の見えない非正規雇用、もらえるかどうかわからない年金、年収280万円では、一緒に住んでくれる女性も、休日にどこかへ出かけてくれる女性もいないのです。自分には気の利いた夕食をおごる余裕も時間もないのですから。
今の日本は、そういう「非モテ」男性が溢れているのです。その中には「童貞」の人だっている。たまたま機会がなくて「童貞」になってしまった。
かつての豊かな日本なら、正社員になれていたし、お節介な上司が彼女や奥さん候補を紹介してくれた。しかし、非正規雇用にそんな気使いをするような職場は壊滅したのです。職場はもう疑似家族ではなく、正社員と非正規という2つのカーストがお互いを憎み合う修羅の国に過ぎません。
世の中の男たちの大半は、闘争心全開のの勝ち組男の様にセクハラするようなセックスモンスターでも、マッチョゴリラでもないのです。単にちょっと気が弱く、人がよく、大人しくて、ただ静かに暮らしたいという、そういう「普通」の人達で、パートナーがいないのは、様々な外部要因も原因なのです。
誰だって正社員になって、パートナーを得て、家を新築して、胸を張ってクラス会に出たい。
でも今の世の中はそれができないんです。
「勝ち組」になった人達は、運良く良い家庭に生まれ、運良く勉強する機会を与えられ、運良く良い仕事を得ることができました。
しかし世の中はそういう人ばかりではありませんし、外部要因のせいでパートナーを得られない人も大勢いるのです。
「童貞」揶揄は、狭い村の中でのマウンティングの儀式にすぎません。1月に発売になる私の著書「バカ格差」でも書きましたが、日本はとにかく凄まじい格差が広がっているのですから、運の良い人は、狭い世界の構造に飲まれるのではなく、そういう格差で苦しい思いをする人達のことを考えて行動したほうが、世の中のためになるのではないでしょうか。
「勝ち組」の価値観を否定しなければ、パワハラやセクハラを根本から撲滅することはできません。自分も当事者になってしまうことだってあるわけですから。