米国の俳優たちがセクハラ被害を告発する「#MeToo」運動が拡がりを見せる中、有名なブロガー・作家である「はあちゅう」さんが被害を訴えたのに対して、ネット上ではあちらこちらで大小さまざまな色合いの火の手が上がっていますが、被害者のことも加害者らしき人のことも深く知らないオレとしては、「#HerToo(はーちゅー)だね」と軽口を叩きながら騒動を外野から眺めるだけの日々でした。
過去記事にも書きましたが、はあちゅうさんのようなインフルエンサーは、その世界で然るべき生き方をしているだけだと思っているので、インフルエンシー(影響を受けるだけの人)であるオレのような人間が言えることは特にありません。そもそも、彼女の考え方や発言に対して感情的に反応できるほどの若さは、もうありません。
ところが今日、購読している全国紙の1面や社会面にその記事が取り上げられ、外野にいたはずの自分が気付いたら内野を守っている感覚に陥り、偶然に転がってきた内野ゴロをただ捕球して1塁に投げるだけというのもアレなんで、何か事件が起こったらそこから1つでもいいから教訓を得ようとするオヤジの悲しい習性を活かして、重い筆を立ててみることにしました。
》BBQが山火事になったような
告発を発信したメディアが中立な立場の第三者なのかどうかは分かりませんが、被害を告発すること自体は、このネット社会では当然というか個人の自由であり、時代性を強く感じます。「新刊本が出るタイミングでの告発だ」という声もあるようですが、それも含めて、インフルエンサーからの発信をインフルエンシーがどのように受け止めるかが問われているんでしょう。
しかし、今回の件がややこしくなっているのは、はあちゅうさんの過去の問題発言(セクハラ発言)やそれを受けてインフルエンシー側で確立されてきた「はあちゅう像」と今回の告発内容とが矛盾していることが原因のようです。「過去の発言と今回の告発は分けて考えるべき」という、一瞬たじろいでしまう正論もありますが、少なくともオレのような未熟者にできる技ではありません。
インフルエンサーにはファンもアンチもいるため、過去/現在を問わず問題を抱えるインフルエンサー同士が相まみえると、周囲のインフルエンシーも巻き込んで、本題から外れるどころか議論があらぬ方向に突き進み、宇宙の彼方まで飛んで行ってしまいます。火を起こしてBBQをやろうとしたところ、火の粉が飛んで山火事になり、BBQの材料や道具もろとも火の海に飲み込まれてしまったような状況です。
問題を抱えていたり、過去の発言と矛盾していたりすること自体はまだ良いとしても(本当は良くないんでしょうが)、それによって本来やりたいBBQができなくなってしまうのは、社会全体として大きな損失であり、リソースの無駄遣いのような気もします。
》溝を埋めたいのか深くしたいのか
「#MeToo」運動も今回の件も、男女間の問題です。そして、セクハラ問題というのは、往々にして世代間の問題でもあるように感じています。ある程度の年齢差がある者同士(あるいは、前世代の価値観を引きずっている人間と現世代の価値観が行動原理になっている人間)の価値観の相違のようなものです。たとえば、オレの世代から見て、今の小中学校のような男女平等は、もはや別世界ですからね。
そして、このような問題の結末は、溝を埋めることと溝を徹底的に深くすることのどちらにあるのだろう、と考え込んでしまいます。
少し極端な見方かもしれませんが、大きな声を上げられる人は、たとえ溝が深くなってでも社会を良くしようという強い思いがあり、それができるだけの能力や自立心が備わっている人です。ただし、それは限られた一部の人たちだけが持っている資質であり、溝を深くすることなく、どちらかと言えば溝を埋める方向で解決したいと思っている人の方が多いのではないでしょうか。
溝を埋める方向の解決策にどのようなものがあるか、チタン合金やタングステン合金よりも硬くなったオヤジの頭にはなかなか思い浮かびませんが、インフルエンシーの関わり方に1つヒントがあるような気もします。
》パパ上のお考え
今回の件を(男女間+世代間)の問題と考えるなら、はあちゅうさんの対極にある年配男性として最も身近なのは、ご自身のパパ上ではないでしょうか。
何であれ一線を越えそうな時には、対極にある人の意見が参考になる場面が少なからずあります。告発までの経緯は知る由もありませんが、パパ上と普通に会話できる関係であるなら、最も身近な対極者の意見として話を聞く機会がなかったのかどうか、気になるところです。今回はセクハラ問題なので、身近であればあるほど聞きにくいことかもしれませんが、何であれ、カウンターオピニオン的なものは大切にしたいところです。なお、もしもオレ自身がムスメからそのような相談を受けた場合の対応は未定です。
一線を越えた鼻毛や耳毛がはやく全白髪になって目立たなくなることだけを日々願うオヤジには、何とも重い筆となってしまいました。失礼。