Asano Seminar:Doshisha University
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    小田実さん講演会報告
掲載日:2006年11月10日
作家の小田実と玄順恵(ヒョン・スンヒエ)さんが2006年6月29日午後3時~5時半、同志社大学新町校舎臨光館210教室で行われた浅野ゼミでゲスト講義した。


浅野ゼミで講義する小田実さん©浅野ゼミ
 小田実さんの講義は次のとおり。

 同志社でこうやって教えるのは初めてです。講演した事はあるんだけど。さっきは、ブライアント・コバートさんが、国際コミュニケーション論のかな、英語でしゃべっていましたが、ここは日本語でしゃべります。

 さっきのクラスでね、私はこの間のブラジルと日本の、サッカーの試合のゲームをTVで見た話を皮切りにしてしゃべった。まあ、君たちも見たと思うけど。日本は完璧に負けたでしょ。完敗した。私は別にサッカーに興味があるんじゃなくて、私が行った国がたくさんある。そこが興味があってみてたんだけど。たとえばクロアチアね。クロアチアは私はクロアチアがユーゴスラビアから完全に分離する直前にね、クロアチアに行った。ザグレブというところは知っていますね。知り合い、クロアチアが一人だけど、ユーゴスラビアの共産党を作った人のお孫子さんを私は知っていたので、その人の紹介で行った。
クロアチアってのは比較的よく知ってたわけで、その前にオーストラリアとやったでしょ。オーストラリアは私はオーストラリアのメルボルン大学の客員研究員だったんですね。そして3カ月くらいいたんです。そしてあっちこっちオーストラリアの大学で講演したり講義したりしたんですね。で、オーストラリアもまあなじみがあるわけだ。その次がクロアチアだ。ブラジルはまあサンパウロに行ったりなんかしたんです。まあそれでそういう縁でね、W杯サッカーはなかなか面白いね。見ていると。

 日本というのはふしぎな国で、なんか「日本は勝つ」みたいな話ばかりしていたでしょ。オーストラリアに勝つとかね。クロアチアに勝つとか。なにを根拠にそんなこと言えるのかと思って。私は負けると思ってたんですよ。みんな情況を知らないで、気持ちいっぱいそこでしゃべってるでしょ。おかしな話だと思ってね。しかもマスメディアは後から聞いたらその時は本当に言いたかったことが言えなかったなんてね。そんな阿呆なね。「負ける」と言えばよかったとか。誰も言えないってのはもう一億が燃えあがったときに、反対意見が言えない、こんなおかしな話はないよね。

 オーストラリアが絶対勝つと思ったですよ。あんなデカイ選手を揃えた上に、韓国で活躍した監督をつれて来てやれば。僕はジーコさんってのは好きなんだよ。自由にやれって言う。日本はね、自由にやるってことに慣れてないんですよ。ぎこちないよね、見てたら。言われたってできないのよ。まあ、ヒディング監督なんかは優秀だよね。02年のW杯で韓国をベスト4まで勝たした人。その後オーストラリアに行ってデカイ選手を集めてやったら、それは勝つと思うね。なんで日本が勝つわけ、バカなこと考えたんだね。その次はクロアチアなんか弱いって言ったでしょ。そんなことないよ。クロアチアは強いに決まってるじゃない。クロアチアは0-0で残念でしたって、ようゼロになったと思うよ。ゼロになってね、がんばってやったから、俺は誉めてやれという主義だよ、日本チームはね。まだ弱いじゃない。それがブラジルと当たったら負けにきまっとるじゃない。

 まったく日本がね、戦争に入っていく過程とおんなじですよ。誰も反対しないで、みんな勝つ勝つ言ってて、なんとなく負けるって言えないでしょ。そんなこと平気で言ってたのは日刊現代って駅売りの新聞だけだよ。朝日も毎日みんな勝つみたいな話しかやってなくて、テレビもみんな勝つみたいなこと言うでしょ。そしたらたぶん噴出したね、神がかりになってきたね。神さまに祈ってる人とかね、神社に祈願している人とか。まったく、日本が戦争に入っていく過程と同じですよ。やっぱり、なんと言うことか、何にも変わっていないと思ったね。
実は、ブラジルの戦いをどうするかと見てたんだけどね、そしたらまあ勝つ勝つみたいなことを言う。まあ2-0で勝つ、そんなことありえないじゃない。ねえ、他の2つのチームに1つは負けて、もう1つはやっとゼロになって、何で勝つのかね。それでも万が一、勝つみたいなこと言うでしょ。

小田実さん 実はねえ、面白いと思うのはね、日本は戦争するときには大きな国とするでしょ、日清戦争、日露戦争、それから第二次世界大戦。だいたい宣戦布告してやらへんでしょ。支那事変の時だって勝手に行くんだから。宣戦布告しない戦争でわーっとやるのよ。まあ、そういうふうにやってきた日本だから。正式に宣戦布告したのは日清戦争、日露戦争、それから第一次世界大戦。それと太平洋戦争ですね。大東亜戦争、当時の言い方でいうと。そのかわりね、そういう宣戦布告の文書ってのは君ら見たことあるかね。そういうのはちゃんと見とくんだよ。そしたら特徴的なのは3つとも、―私は第一次大戦のは手に入れることができなかったから―日清戦争、日露戦争、太平洋戦争まあ、その頃は大東亜戦争と呼んでいたから、大東亜戦争の宣戦布告の文書、全く同じよ。違うのはね、後で言いますけど、一緒なのは必ず「天祐ヲ保有シ」というのが来るわけ。「天祐ヲ保有シ万世一系ノ皇祖ヲ踐メル大日本帝国・・・」なんとかと言うんだけど、冒頭の一句はね、「天祐ヲ保有シ」だよ、天祐ってのは英語に訳すとGod your heavenかな。ね、だから神がかりだよ。そもそも。そんな神がかりで何とかなりますよ、っていう宣戦布告は他の国にはないよ。まあ、要は無責任な話だね。神様ついてるから大丈夫だっていう感じね。誰も信じてない。コレ全く同じですよ。「天祐ヲ保有シ」っていうのは。そこからやっぱり日本のあり方を考えた方が良いと思う。で、まあ天祐を保有してやって目茶目茶になったでしょ。で、天祐なんか来なかったでしょう。日清戦争、日露戦争は2年やって、日露戦争は長続きしたら日本はボロ負けに負けてるよ。日露戦争勝った訳じゃないでしょ。ボロボロですね。なんか訳のわからんところで終わっちゃったでしょ。それで終わらなかったのが太平洋戦争だよな。大東亜戦争。仕方がないから天祐を作り話にしたわけよ。これはもう、この国に神風が吹くなんて誰も信じてないわけだよ。信じてないけど神風が吹くからなんとか、と言ってたわけだよ。神風が吹きますって本当に吹くんですか、って半信半疑だよね。あるいは全信全疑だよ。まあたとえは言わなあかんでしょ。勝つ根拠が何もなくなってくるわけ。否応ナシに。で、神風神風になっていった。で吹かないからね、仕方がないから特攻隊作って、神風攻撃隊ってカミカゼでしょ。それから玉砕の戦いするわけよ。皆死んじゃうの。

 それとね、あれ見てるとね、神様に祈ったりね、ブラジル戦の前で。もう負けるに決まってるじゃない。負けるの決まってるのに神様に祈願しに行くのをテレビでやってるでしょ。それ見たら神風って書いてある鉢巻みたいなのした奴が出てくる。全く同じじゃない、これ。負けるに決まってるけど何とかなるだろう「天祐ヲ保有シ」だよ。変わってないねえ。それでボロ負けに負けたでしょ。で、「私は本当はこう言いたかったんだよ」て言ってる。テレビに出てきてしゃべってる人が。負けるって言いたかったけれどやっぱり言えなかったって、そりゃ全く同じじゃない。全く変わってないし、これは前よりも激しくなったね。

 それで今度たとえばサッカーのサポーター連中がサムライ、サムライって言い出したでしょ。4年前の日韓でやったときなんかはそんなこと言ってなかった。サムライなんて日本しか通用しない価値だろ。そんなの振り回して、サムライって振り回したところでどうなるの。よっぽど日本人はおかしくなって来てんじゃない。そんなサムライの価値なんか誰も知らないじゃない。サムライのことについて私の考え方が知りたかったら、『随論・日本人の精神』ってのを2年前に書いたけど、これに全部書いてある。いかにサムライがインチキかということを書いてある。これ筑摩書房です。
まあ今その話をするつもりはないんだけど、サムライを振り回す、誰も分からないじゃない。サムライなんて謳歌している人は、よっぽど気が狂った連中よ。たとえばね、今から何年か前に、神風がはやったでしょ。三島由紀夫に凝り出した若者たちがね、神風って鉢巻して旅して歩いてみたりしたわけ。もうその流行は終わった、誰も知らないですよ。だから今のジャーナリズムのいけないところは、その時の現象しか言わないことです。10年前に流行った事――今漫画がはやってるでしょ。そんなものすぐ消えますよ。そんなもの追っててもしょうがないわけね――神風がはやってさ、パリで神風、神風って言ってた。これ今でも思い出すけどね、私はザグレブ、クロアチアに行ったんだ。クロアチアへ行ったら、私が来たってんでインタビューするって言ってね、クロアチアのラジオが来た。ラジオの人が来て、そこの有名な流行のミュージシャンでロックンロールやってたやつかな。彼がインタビューしますって言うから、何を聞くのかって思ったら神風の話しかしないんだよ、神風、神風って言ってんだよ。その若者が。何にも知らないんですよ。

 で、神風のサッカー、神風の国のサッカーみたいなこと言い出してね、僕はクロアチア語は読めないんだけど、彼に雑誌くれって言って見たら、日の丸つけた飛行機があるでしょ。そこに日本刀差した男が、神風の鉢巻した男が乗るわけ。これこそ神風パイロットね、それ三島由紀夫が撒き散らしたイメージだよ。それ以外ないじゃない。で、神風神風、って言ってるわけよ。何も知らない。その時流行ってた訳だよ。彼の流行が過ぎたわけでね、彼が西ヨーロッパで流行ったのはそれから2、3年前だと思う。私がクロアチアに出かけたのは10年くらい前ですね。で、周辺はね、中心のものを真似るでしょ。中心の流行を周辺が真似るときは、もう終わりよ。それをもっと激しくやるでしょ。パリで真似て、パリで流行ったものをクロアチアが一度真似て、そして一生懸命やっているうちに私が現れたわけ。パリではもう終わってるわけ。何にも知らない奴が神風神風って、もうそれは流行終わってるのよ。ことにもうクロアチアが日本と勝ったか負けたか分からないようになったから、もう流行終わりやね。それでサムライ、サムライ、って日本だけ言ってる。それは全然流行ってないよ。そういう遅れた意識をね、日本人が最先端と思ってバカなこと考えるわけだよ。

 君たちは、若いんだからしっかりしてくれよ。俺は恥ずかしくてしょうがないよ。で、神風が吹きそうだって何も知らない奴が神風神風って言ってる。サムライなんて流行ってないですよ。それをサムライ、サムライと全世界がもてはやしているみたいなこと言って、テレビに出てきた連中がしゃべるでしょ。俺見てて恥ずかしいね。これでボコボコに負けたでしょ、ブラジルに。

 実はあれ見ててね、面白かったって言うか、悲しくなったね。日本が負けたことが悲しいんじゃなくて、負けることは当然やと思ってたけど、戦争中の日本とソックリなんですね。勝つみたいなこと言って神様祈ってみたりして、それでね、初めに1点入れたじゃない。大騒ぎしたでしょ。そのうちブラジルが本気になって、今度は日本が負ける姿勢に変った。本気になったと思う。本気になってやったらあとはボロ負けに負けたでしょ。

 日本の戦争中とソックリよ。日本は戦争するときに大きな国とするわけ。「天祐ヲ保有シ」と言い出してね、まともにやったら負けるに決まってるから、神様助けてくれって、で神国だから助けてくれるって。誰もそんなことは保証できないでしょ。それで、そのときにやることは必ず決まってる。日本の戦争の歴史を見てごらん。必ず奇襲攻撃をかけるわけ。最初に一撃をワーッとやるわけ。で進攻するでしょ。進軍して相手をビックリさせて、そこから始めるわけ。日清戦争然り、日露戦争然りですね、それから太平洋戦争そうでしょ。大東亜戦争は奇襲してるでしょ。パールハーバーから始まる。パールハーバーで一撃を加える。向こうは何の準備もしていないわけね。そりゃ勝つよ。それで万歳万歳言ってワーッと有頂天になって、有頂天になっているうちに本格的に戦争始まるでしょ。そしたらドンドコドンドコ負けていくわけ。

 その歴史を追体験したですね。私はブラジル戦を見てて。最初に1点入れて。オーストラリア戦もそうでしょ。最初に1点入れてワーッと有頂天になっている間にボロボロに負けた。本格的なブラジルに負けましたね。そのことを誰も評論しないじゃないか。偶然負けたみたいなこと言っているが、必然的に負けたのよ。戦争の過程と全く同じですね。そういうことをね、君たちはちゃんと考えて欲しい。それで負けているうちにね、エライ事になったわけよ。1941年勝った勝った、42年もまだ、勝った勝ったって言っていたわけ。で、我々が知らない間にミッドウェーで大負けに負けたでしょ。ボロ負け。5月にね。で、日本の航空母艦主要なやつはみんな沈められたじゃない。それでアウトになっちゃった。仕方がないからアリューシャン列島行って、アッツ島とキスカ島と占領して見せて、勝った勝ったと僕らに言ったわけね。でも持たないでしょ。アリューシャン列島の果ての果てに基地作ったって、何にもならない。で、次の年の5月、1年くらい持って、そこから玉砕が始まる。アッツ島の玉砕。そこからもうドンドコドンドコ負けていく。もう勝つ戦一つもない。

 次から次へ負ける。で最後に、日本に戦争がやってきた。戦争が私たちのところへやってきた。私は大阪生まれで大阪育ち。その頃13歳で中学校1年生だった。で、これが来た(注;大阪空襲の写真を見せる)。これ大阪だよ。「これ何処の都市ですか?」とウチへ来る人間に聞いてみると、みんな「ヨーロッパですか?」って、なに言うとるねん大阪や。でビックリするわけ。俺はここにいたわけ。この辺にね。この辺が心斎橋や。この辺になるともう煙やろ。もう地獄や。全く真っ暗や。これビルよ。それで物凄い火炎の地獄。こういう状態がワーッと来たわけ。我々にね。

 私が戦争の実態を言いますとね、映画見てるとこういう映画あるだろ。どっかの家でパーティしてると。西洋の家でパーティしてて、ニコニコしてて、騒いでるときに、突然何かが鳴って、バーッと風がね、カーテンが捲られて、ガラス窓が破られてワーッと風が入ってきてそこらが吹っ飛ぶと。よくあるでしょ、SF映画なんかに。それですね。私の実感は。まさかここまで来るとは、と思っているうちにこれ来たわけよ。ワーッと風が吹いたと思ったらコレよ。これもう、戦争というものじゃないのよ。戦争というのは、互角の人が戦うわけだから。コレだけの力とコレだけの力がドンとぶつかる。で、これは全然違う力でしょ。一方的だよ。

 今の人たちはね、コレは覚えといてくれよ。日本を守るためには軍備がいりますなんて、みんな言ってるでしょ。何をぬかしとるかと思うね。早い話ね、飛行機は飛ばないですよ。飛行機の燃料がないんだ。日本は石油できるか。できないでしょ。全部輸入するだろ。戦争になってみろ、輸入が止まったら終わりだ。前の戦争がそうだったわけ。戦闘機も何も飛ばないよ。飛べないわけ。それに性能が劣ってるよ。物凄い巨大な爆撃機、B-29って言うんだけど、それに比べて遥かに劣っているのが日本の戦闘機。ゼロ戦なんか過ぎたよ。すぐ追い抜かれた。ゼロ戦のイメージでやったらダメよ。ゼロ戦はもうダメになっちゃったわけ。もう使えない。彼らが本格的にやったらゼロ戦なんか吹き飛ばしてしまったわけ。対抗できないですよ。戦闘機では対抗できないし、戦闘機がそもそも飛ばないじゃない。石油ないんだもん。ね、何をぬかしとるかと思うね。例えば戦車動かないでしょ。そんな燃料できないもん。動くはずないじゃない。だから私はねえ、日本が戦争ができるような、自衛のために軍備を作ってちゃんとやれと、憲法変えろと言うような人らはなに考えとるのか、夢物語とちがうかと。どないするのよ。なんぼ軍備そろえたところで戦車動かないし、飛行機飛ばないでしょ。

 それからもう一つはね、日本は食料がないのよ。我々は飢えてたわけ。全世界でね、ドイツはあの頃配給切符出してたわけよ。配給切符って言うのは、君たち世界史や日本史の教科書見ると「配給切符出して大変でした」って書いてある、嘘八百だよ。日本はね、配給切符はくれたけど、紙切れはくれたけど、現物くれなかった。これは日本だけよ。ドイツはくれたのよ。ナチスドイツはひどい事したけれど、最後まで食糧は供給した。配給切符を出すいうことは、絶対にこれだけは保証するということですね。そうでなかったら政府の価値はないじゃない。で、切符はくれたよ俺に。だけど食糧ないじゃない。あと6カ月戦争が続いていたら、栄養失調か餓死して死んでたよ俺。今食糧の自給率君たち知ってるだろ。40パーセントだろ。これどないするのかね。あっという間に供給できなくなるでしょ。石油来ないでしょ、食糧来ないでしょ、どうすんの、死ぬじゃない。

 それを抜きにしてね、日本を守るために自衛隊をちゃんとしろとか、いろんなあほな議論するテレビの連中達ね。テレビで座ってるだろ。まともな事思わせてなんやもっともなこと言うじゃない、あの連中。その現実知らんのだ。夢物語で喋っとるんだ。さっきの、サッカーで負けると言わなかった連中と同じよ。言うとなんか腰抜けみたいに思われるんですよね。ダメだそれは日本を守るためには必要ですよ、なんてウソ。みんな夢物語喋っとる。俺はリアリストだよ。そんなこともね、君たちみんな若い人たち、しっかりよく考えてくれ。

 大正年間にね、大日本帝国海軍はね、戦争できない軍になったのよ。知ってるか。それは何故か。想像してみな。大日本帝国海軍は大正年間に戦争できなくなった。何でか。想像力働かせてみな。今の僕の話から関連して。わかる?そういうことが歴史なの。年代覚えるのと違うんです。こんなの何処にも書いてないだろ。日本史の教科書。一番根本的なこと書いてない。それは何か。大日本帝国海軍は燃料を石炭から石油に変えた。石炭だと速度が遅いから近代戦争を戦えない。で、戦争のときに、戦争に備えるために日本は軍艦をね、石油で走らせたでしょ。ディーゼルに。そしたら石油ないじゃない。この国。その瞬間に、日本海軍は戦えない軍になったわけ。戦争できない国になった。大正年間に終わりよ。そんなこと書いてないでしょ。ちゃんと普遍的なとこでね、物を考えて欲しいのよ。

 私の愛読書の一つはね、『大日本帝国海軍』という本があるのよ。これ翻訳がないんだけどね。「第二次大戦における日本海軍」っていうアメリカが作った本があるのよ。『Japanese navy in the World War Ⅱ』っていうのよ。これ私の愛読書です。日本というものは否応ナシに出てくる。それでね、日本が戦争に負けてからアメリカ海軍はちゃんと研究する国だから、日本海軍のかつての若手の士官がちょっとくらい年をとってから、証言させているんだ。彼らが書いたりした本だよ。あからさまにでてくる、日本の欠陥というのが。何も学んでいない過去の歴史から。で、戦後になってみな考えたわけ、何で負けたか。日本海軍は何故負けたか、それを非常に徹底して書いた本でね、面白い。
あの陸軍ていうのはね、要するにその土地で戦っているからよう分からんわけよ。対等平等な戦いしてないからよう分からんわけよ。日本陸軍は中国でやっているから、アメリカ陸軍が何かよう分からんわけよ。

 かし海軍というのは太平洋で戦うでしょ。どっちも軍艦持ってるでしょ。近代兵器持ってるでしょ。近代兵器で互角にドンパチするわけだから。そうすると日本の特性が出てくる。同じ物使うでしょ。陸軍だったら違う、竹槍使う、いやまあ竹槍は使わないけど勝手にやっているわけだから。わからないわけよ。陸軍で比較しても。海軍はね、否応ナシに見えてくる。それ面白い。だれも読まないけど俺だけ愛読してる。日本の特異性を一番書いた本やと思うから。日本海軍がメチャクチャ分かるよ。そういう普遍的な眼で一回見たほうがいいと思う。そんな勝つ勝つなんて思っていないでね。

 で、日本海軍は既に戦争できなくなっちゃった。だから山本五十六は戦争できないこと知ってたから、彼は「2年間くらいは暴れて見せるからあとはやってくれ」て言ったわけでしょ。石油の路線だけは獲得してみますと、石油がないんだから石油はインドネシアから持ってくる、蘭印からね。それが一つの戦争の要因でしょ。このまま行けば、石油の備蓄が無くなって終わりになって、軍艦がみな動かんようになる、だから2年間石油だけ確保するために戦争すると言ったわけね、彼は。彼は海軍だから割と合理的だよ。だけど陸軍の連中は分からんわけよ。石油がないと飛行機飛ばないとか軍艦動かないとか知らないわけよ。普遍的な眼がないわけよ。大和魂でできると思ってるわけ。だからブラジルとのサッカーも同じよ。まったく似たような頭だね。そうするとね、石油確保すると言ったはいいけどね、今度は石油を運んでこなあかんでしょ。要するに日本はできないのよ。運んでこなけりゃできないでしょ、日本は。輸送船、オイルタンカーで運んでくる。
そうするとね、補給がいるでしょ。蘭印からここまで来るのに。絶対大事ですね。このことを一切考えなかったのが日本海軍よ。ふしぎな国だよ。第一次世界大戦に日本は参戦した。そしてイギリスの側について、ドイツをやっつける側に回った。これどうしてか。山東半島がほしかったのよ。山東半島のチンタオね、まあドイツの町だあそこ。チンタオがほしかったから日本は参戦した。イギリスはね、はじめドイツとの戦いで軍艦が足らなくなったものだから、日本の助けをかりたくて日本に参戦しないかと言ったのよ。日本はノーと言ったんだよ。日本は参戦しましょうって言ったわけよ。でも後で日本の出現によってイギリスの権益がそこなわれることを憂い、熱心でなくなった。しかし、日本はドイツの権益欲しかったから、日本は要らん要らんと言いながら宣戦布告して、否応なしに押しかけ女房みたいに第一次大戦に参加して儲けたわけね。それで山東半島パクる、チンタオパクったでしょ。で、21ヵ条を中国に対して突きつけた。これがもう反日の一つの始まりだわな。

 世界史ってのは広がっていくからね、よく考えてください。専門家はちょっとしか知らないから、全体を想像してみろよ。みんな若者だろ。専門家がバカになっとるんだ。そうやって広い目で見てくれ。そうして第一次世界大戦で否応なしに、山東半島パクって、チンタオパクった。

 今ね、中国料理屋行ったら、一番旨いのは中国製のビール。あれね、チンタオビールって言うんだけど、チンタオのビール。それドイツのビール、だから旨いんだよ。それ知ってたらいいんだけど、チンタオビールなんで旨いかって答えられないでしょ。そういうことが大事なの。チンタオビールなんで旨いかって、歴史の先生に聞いてみて。できた先生は大したものだ。

 話戻すとね、そういうときに、結局第一次大戦に参戦したでしょ。それから何も学んでないのよ日本海軍は。どうしてかというとね、イギリス海軍はそのときに、ジェットランド沖で撃ち合いした、そればっかり書いてあるのよ。だけど第一次大戦でイギリスが一番学んだことは、“護送船団を作る”ということ。ドイツのUボート、いわゆる潜水艦。それが活躍してドンドコ沈めたわけ。要するにUボートが一番利くのは輸送船を沈めること。軍艦なんて沈められない。そこまで近づけないでしょ。輸送船は無傷だからボカーンとやってしまう。でドンドコ沈めたわけよ。イギリスは島国だろ。アメリカから持ってくるだろ。それが沈められるわけ。何とかせなならんだろ。それで護送船団ってのを作ろうとして、つまり10隻ぐらいの輸送船の周りを最優秀な軍艦で取り囲んで動く。潜水艦を入れんようにして、上からドカンと潜水艦をやっつけるわけ。そういう方式を第一次世界大戦で作り上げたわけよ。それでUボートがいくらでもやっつけられるようになった。でドイツは潜水艦作戦がダメになっちゃったわけ。最初勝ってたんだよ。Uボート優秀だから。日本の潜水艦はあれよりも小型ですけどね、それでも輸送船を撃沈することに対しては物凄い優秀なわけよ。

 で、日本海軍はそこから何も学んでない。2つある。一つは護送船団を作ろうとしなかったこと、もう一つは、日本の潜水艦を軍艦相手に、航空母艦や戦艦をやっつけようとした。バカだよ。アメリカの潜水艦はドイツから学んで、全部輸送船の撃沈に回る。軍艦撃沈なんてしないよ。日本バカだよ。な、要するに輸送船を撃沈しない。軍艦をやろうとする。そりゃ無理だよ。潜水艦の速度遅いし。で、結局全部役に立たなかったでしょ。これ有名よ。潜水艦作戦は完全に失敗した、日本は。これはものすごい愚かでね、日本の潜水艦優秀だった。優秀だったけれどもそんな戦艦や航空母艦やっつけにいけるわけないでしょ。で、何にも学ばなかった。日本海軍は。普遍的なことでね。そしてね、何をしたかって言うと、潜水艦や航空母艦ねらって、みんな撃沈されちゃうわけ。殆ど役に立たなかった。かわいそうにね、死んじゃったよ。潜水艦の乗組員。延々と優秀な潜水艦作って、何にも使えなかった。戦果はほとんど挙がってない。で、何でね、そんなバカなことやったかというとね、日本海軍が一番戦果挙げたのいつ?バルチック艦隊やっつけた時も日本海海戦よ。日本海海戦の時に撃沈した。それはねえ、ロシアのヘッポコ艦隊やっつけるのは簡単やないか。クタクタになってやってきたわけでしょ。で、日本の方が優秀でしょ。だからほとんど勝つべくして勝ったわけだよ。で、勝利に酔ったあと何も勉強しない。第一次大戦はまたとない機会にハイエナになる。彼らは何も勉強しなかった。

 これ日本の欠陥ですね。私がそんな本読んでいるとは思わないでしょ。私は平和運動の本なんか読まない。相手方の本を読む。海軍の話とかそんな。そうやって読めよ。だから「世界」読むより「文芸春秋」読めよ。「文芸春秋」読むよりもそうやって根本的な歴史とかを勉強しろよ。そして考えろ。

 全く何も勉強しなかった日本海軍。要するに護送船団もっともだと考えるのに3年かかった。日露戦争の頃は、日本経済は国内経済だった。経済の規模が小さかったでしょ。だから日本の中で産出した石炭やらなんやらでやってたわけよ。それが明治から大正になって巨大な経済に変わりつつあった。動力、資源は全部外から持ってきて、日本は何もできないもん。

 日本海海戦の頃は日本の国内生産で済んだのよ。ところがそれを超えていく。超えていったら国外生産のものを外から持ってくる。すると補給というものが大事ですね。イギリスは同じですよ。イギリスも何もない。だからイギリスは必死になって作った、護送船団。新しい方式もやって、最優秀の軍艦とか最優秀のやつを、特別な軍艦を作ったりした。日本何も作らなかった。将校も、海軍士官の優秀なやつはみんな戦艦撃退用のを作る。そんなアホみたいな護送船団なんか言っているやつは頭がどうかしてるよ。そいつを司令長官にするわけよ。それで軍艦はほとんど作らなかった。古ぼけた砲艦だとかをノロノロ走らせるしかない。それを任すわけ。イギリスは最優秀の軍艦作ってるわけでしょ。それで最優秀の士官をそこにやる。日本の敗因明らかですね。なけなしの軍艦しかなかった。ちゃんと考えたらどうかと思います。

 そういうことをちゃんと学んで欲しい。夢みたいな話するんじゃなくて。航空母艦やっつけろ、なんて潜水艦じゃ無理だよ。ほとんど全部無理だったからね。無理だったことがわかったわけよ。ほとんど役に立たなかったからね、何のために作ったかわからない。護送船団なんて本当に驚くなかれ、1941年に戦争始まったでしょ。それまで何の準備もしてないのよこの国は。護送船団のこと考えたこともないよ。それで43年になってね、はじめて護送船団が必要だと考えたわけ。しかしそれも優秀な軍艦やってないよ。古ぼけた軍艦集めてやった。そんなもん役に立たんでしょ。43年だよ。日本が負けだしてから。よっぽど日本の指導層が頭パーだってことわかるだろ。だから負けるべくして負けた。初めから負ける国よ。小さな国だけど。それを「天祐」を期待して神がかりの話ばっかりしているうちに負けた。神がかりで勝った、バルチック艦隊やっつけるときは神がかりで勝ったって、あれはオンボロ艦隊やっつけたに過ぎない。その怖さ、西洋諸国の怖さね、考えて欲しい。

 ここにアメリカの田舎の新聞がある。ニューオリンズの新聞。ここに写真があります。これアメリカの8月15日。子供らがワーッと旗掲げているでしよ。これみると悲しくなる。俺の8月15日はどうよ。焼け野原よ。何もあらへんやろ。こんな旗振って言う気ないよ。みんな腹ペコで座ってたわけ。全然違うじゃないこれと。そういうことを考えて欲しいわけ。日本の新聞なんて写真なんかないやろ。宮城前で拝んでるやつね。あのね、宮城前でひれ伏しているやついるだろ。日本人はみんな天皇様万歳言ってました、ってことになるわけ。君考えてみ。あの数数えてみろ。120人くらいだろ。1億人のうち120人拝んでるだけだ。俺は何も拝んでない。あ~終わりましたな、くらいだ。そういうリアリズム持てよ。
 そうするとね、徹底して負けてること分かるでしょ。これ(大阪空襲)報道しているのがニューヨークタイムスね、1945年6月15日。で、6月17日にこの写真見つけた。何で見つけたかって、ニューヨークタイムスの日曜版。6月17日日曜日。あの、アメリカ行った事あるやろ。そしたらニューヨークタイムスやアメリカの新聞、またヨーロッパもそうだけど、日曜版すごいある。こんなにたくさんあるでしょ。みんなアメリカ行った事あるだろ。ないのか。行け、金持ってたら行け。アルバイトして。


1945年敗戦直前の『NewYork Times』 © 浅野ゼミ


1945年敗戦直前の『NewYork Times』 © 浅野ゼミ

 で、ニューヨークタイムスは130ページくらいある。これ戦争中だよ。俺らの新聞はたった1枚よ。生きるか死ぬかだよ。向こうはこんなすごい。今も当時もこうだ。そうするとね、この新聞ね、戦争のニュースないのよ。もうニュースがないのよ。ヨーロッパで戦争終わってるでしょ。日本なんか屁の河童よ、戦争なんてどうでもいい、勝ってんだから。戦争のニュースが一つもない。(このあと、同紙に沖縄戦のニュースが小さく出ていることを紹介。日本は生きるか死ぬかの大騒ぎ、一方のアメリカはサマーセールの広告、ベースボールや株式のニュースがびっしり。)

 で、私が一番ショックだったのは、社交だったんだよ。日本ではあまりないけど誰が結婚したとかウワーッと出てくる。こっちは生きるか死ぬかだ。こんな国と戦争してたわけよ。徹底して負けた。日本はアホやから護送船団も何も考えない。それで終わるときにね、玉砕やらなんやらやっても仕方がない。違うやり方をしようじゃないかと考えた。平和的にすべてを解決するような、平和な国を作ろうじゃないかと。これしか日本の生きる道はないと考えたのが憲法。憲法第9条はそうやってつくった。忘れちゃいけないよ。

 最後に大嘘の話。大阪はね、都市焼き尽くし空襲、都市焼き尽くしてしまえという完全な無差別爆撃の空襲を8回受けている。50回ほど大阪は空襲されている。京都なんかは空襲されていない。大阪は徹底的にやられて焼け野原。あの頃戦後京都へ来たらほっとしたね。焼け野原のまっくろけのところからここへ来たら電気はついとるし、河原町の商店街開いとるし。腰抜かしたわ。別世界だった。それでね、そういう都市焼き尽くし空襲を徹底してやった。だから日本の都市はほとんどアウトでしょ。大空襲がいつ頃始まったかって言うと、1945年3月10日の東京から始まった。東京大空襲知っているでしょ。10何万人死んじゃった。その次は名古屋、その次が大阪や。

 最初は中国の基地から来た。その頃アメリカ軍は高度1万メートルぐらいの超高度から軍事目標狙って爆弾落とした。しかしそれは当たらないわけね。あまり効果なかった。それでその次にもっと近距離からやりたいと。そのときにサイパン島とテニアン島が玉砕の戦いでアメリカの手に入った。これ大事、1944年のサイパンとテニアン。それを根拠地にしたのよ。そこにアメリカ軍の基地作って、そこにB-29を置いて、そこから来ると距離が遥かに短く済むようになった。で、長い間居れるだろ。そのときにもう一つ、ごっついことしてるわけ。それは何かというと、ヨーロッパ戦線から空軍の司令官が移転してきた。で対日爆撃の司令官になった。カーチス・ルメイという人よ。覚えとけよ。絶対に覚えといて欲しい。で、カーチス・ルメイという人が対日爆撃の指揮官になった。そこで革命的な戦法の変化をやる。一万メートルの高度から軍事目標狙って爆弾落とすのやめて、そんなのやってもしょうがないと。何したかというと、1000メートル~1500メートルくらいの超低空からワーッと爆撃機が来て、目標なんか定めないで焼夷弾をばら撒くと。で、日本の都会焼いちまえ、と。日本の都会は木と竹だからすぐ焼けると。もう軍事目標なんて屁でもないと。要するに都会を無差別爆撃して焼け野原にする、と。もちろんこれ国際法違反よ。日本もやってるんだよ。あとで言うけど。で、それをやったのが3月。それで東京で大成功したでしょ。10万人以上死んじゃった。全部焼け野原。次名古屋で大成功した。その次が大阪や。3月13日だったかな。俺もそこにいた。そこから始まって8回にわたってやった。都市焼き尽くし空襲を。そのうち3回は体験した。うち1回はさっき写真見せたね。

 それがものすごく効果あったわけね。それで日本が疲弊して、日本お手上げの理由の一つはそれよ。原爆ばかり言わないでね、通常の爆撃でものすごく爆撃されてね。原爆で30万くらい死んでるでしょ。通常爆撃でも35万くらい死んでるね。ものすごいたくさん死んでる。しかも女、子供が多いのよ。もう成年男子はいないだろ。老人と女子供よ。それらを焼き尽くす作戦に出たわけ。それを指導したのがルメイよ。で、ルメイはね、戦後の回想録の中で堂々と書いてる。「もし戦争に負けてたら、俺は戦争裁判にかけられていただろう」って書いてる。幸いにして戦争に勝ったから良かった、と堂々と書いてる。東京裁判みたいなもんやろ。あれ戦勝者の裁判だよ。でね、B-29の搭乗員はノイローゼになったわけ。なぜならば1000メートルとかの低空からやるから臭ってくるわけだよ。人肉の焼けるにおいがしてくるわけだよ。て自分たちが爆撃しているのが老人と女子供だってこと知ってるわけだろ。「これは、もうかなわん」と、いろんな人が書いてますよ。そういうことを一度聞いて考えるのが歴史だよ。日本爆撃をしましたってぐらいじゃしょうがないわけ。そういう歴史を振り返ってみる必要があるね。

 それで驚くべきことが起こるわけよ、戦後。1964年か。64年の秋でしたかね。ルメイを日本政府が呼ぶの。勲章を差し上げるって呼んだのよ。最高の勲章勲二等旭日大綬章っていうのを。こういう勲章は天皇が自ら授けるわけ。そのために日本政府はルメイを呼んだ。日本人をあまた殺したやつに勲章を授けた。一体天皇ってなんや。これ、何で貰ったと思う?航空自衛隊作ったから。我ら相談受けてないでしょ。航空自衛隊作っていいか、なんて。勝手に作った。ルメイは勲章貰ってから彼は堂々と言った。「これから北爆。ベトナム戦争で北ベトナムをやっつける」と。で、やったわけよ。そのときに言ったセリフが面白い。「これからこの爆撃によって、ベトナムを石器時代に戻してやる」。日本は石器時代に戻されたよ。俺の実家何もあらへん。一面焼け野原。同じことしてやると。そういう人物に我々は勲章授けて、ベトナム戦争行かせてるわけね。一体日本てなんだ。これ非常に大事な問題だと思います。

 戦争に負け続けて、今言ったようにみな焼け野原になって、それでついに1945年8月11日になって、日本政府はスウェーデンとスイスを通じてポツダム宣言の受諾の用意あり、と言ったわけね。これ知ってるね。それでアメリカはそれを受けて、空襲を中止するの。2日間にわたって。広島、長崎のあと、彼らはついに重い腰をあげて、そしてそれからソビエトが参戦して満州に入ってきたでしょ。それでポツダム宣言受諾の用意あり、と言った。つまり降伏するという宣言を一応したわけね。しかし日本政府は条件をつけた。国体の護持。つまり天皇を置いとくということだ。天皇を置いてやっていくということだ。天皇は自分のこと心配になって、近衛公と相談してるのよ。「私の身はどうなるか」と。いろんな本読んだら書いてある。日本の本には書いてない。不思議だねえ。で、そして私はどうなるかわからない。というのは、ヨーロッパでは既に戦争は終わってるでしょ。で、要するにヒットラーは4月の終わりに自殺した。ムッソリーニは捕まって殺されて、そして広場で逆吊りになったでしょ。写真見たことあるだろ。

 何でそういう心配するかっていうと、戦争指導者3人だったわけ。悪いやつはね。ヒットラー、ムッソリーニ、そしてヒロヒトよ。でこれからどうなるか分からないでしょ。戦争裁判するって言ってるんだからアメリカは。それから既に戦争裁判の準備始まっているわけだよ。ヨーロッパでは。それ知ってるよ天皇は。だからわが身がどうなるか分からないでしょ。自分の身と家族の身を案じたわけよ。で、近衛公と相談してるのよ。近衛公はまた近衛公で変なやつでね、赤色政権ができたら困る、と。ボルシェビキ革命を昔思い出して、あほな心配しとるわけよ。だから国体の護持という条件をつけた。君たちは国体の護持という仰々しい名前にごまかされとるわけよ。要するに天皇の命乞いや。そうやろ。天皇がいなけりゃ国体は護持されないんだから。で、国体の護持という条件をつけていった。それに対してアメリカは返答しなかった。8月10日に御前会議しとるけど、8月14日の御前会議で天皇陛下は「もう我が身はどうなっても良い、と。日本国民は無茶苦茶になってるんだから我が身はどうなろうと、私はポツダム宣言を受諾する」と宣言したわけ。そうすると昭和史を書いた人たちはみんな「素晴らしい天皇だ」と書いてある。国民のことを慮ってついにやってくれた、と。感謝せい、と書いてある。それは真っ赤なウソだ。君たちが考えている歴史は全部ウソだ。

 私もいろいろと調べたわけ。これ8月11日のニューヨークタイムス。見出し分かるやろ。「JAPAN OFFERS TO SURRENDER; U.S. MAY LET EMPEROR REMAIN;」日本は降伏を申し出た。USは天皇を置いとくだろう、と書いてある。大丈夫やと言っている。また「MASTER RECONVERSION TO PLAN SET」戦後の復興計画には天皇が必要だ、と書いてある。これで天皇の命は安全だということが8月11日に出てる。この3行の見出しは大事ですね。歴然と天皇は置いとくだろうということが書いてある。その次の日が12日。12日の見出し「ALLIES TO LET HIROHITO REMAIN」もうMAYが取れてる。連合国はエンペラーを置いとく、大丈夫だということがこれで分かったわけ。MAYが取れてるでしょ。MAYがあるのとないのとでは大きく違う。天皇は存続するのに決まったと書いてある。で、これは連合国のチーフの意向によると書いてあるでしょ。で、マッカーサーがチーフになることは最初に出てる。しかし、とにかくエンペラーは大丈夫ということがこれで出たわけ。12日よ、これ。

 それでもグズグズしてなかなか言わないから仕方がないから連合国は「武力的打撃を与える」と脅かした。武力で打撃を与える、ってこれ空襲よ。その大きなやつをやると脅した。この2日間ほど中止してるでしょ。グズグズして返事しないから。それでやったのが大阪や。大阪には造兵廠という大きな兵器工房があったわけ。これがほとんど攻撃されてない。弾が当たらなかったわけ。で、そこへ大爆撃を敢行したわけ。それまでは焼夷弾爆撃だったけど、今度は爆弾攻撃、1トン爆弾という一番破壊力の大きいやつをワーッと落としたわけ。全部で600機か800機来て、それを落とした。それをいつ落としたか、8月14日の午後だよ。敗戦の20時間ぐらい前、午後1時、俺そこにいた。私は防空壕に入っていた。

 日本というのはひどい国でね、ドイツと比べたらね、私のドイツの友だちはよく怒るんだけど、ナチスドイツは少なくとも市民は保護してました。ユダヤ人を殺して。日本人は何にも保護されてません。日本政府は本当にひどいです。日本の体験持っている人そう言うわけ。その通りだよ。

 さっきの配給切符の話。ほっとけ、紙だけやっとけ。それから防空壕ってのは君たち、掘ってどうしたこうしたって写真あるだろ。これ日本政府は「掘れ」って言っただけよ。ドイツはちゃんと防空の建物作ったりいろんなことしてるんですよ。日本政府は何もしなかった。これもう本当に棄民の政府ね。僕阪神淡路大震災のときの被災者だけど、日本政府は何もしなかった。そんな国ないよ。掘れと言っただけよ、防空壕。釘一本板一枚くれない。うちは家の庭に兄貴が掘ったものだけど、屋根いるだろ。穴掘っただけだったら何の役にも立たない。トタン板、そこらへんに落ちてるの。それもくれないのよこの国は。掘れ!言うただけよ。これがこの国よ。「まあ、ようこんな国に生きてますね」と言われたよ、ドイツ人に。ナチスドイツは少なくとも食糧を与え、それからまあ防空建物を作り、巨大なもん作ったよ。(日本は)これ何にもしない。やれ!言っただけ。これすごい国ですよ。今でも変わらない。本質的にはね。阪神淡路大震災でも「勝手にやれ!」言ったんだから。そういうことで、私はそこ(防空壕)に入ってたのよ。震えて出てきたら、2時間くらいやってたね、大空襲。全部ぶち壊したわけ。私の家から200メートルくらい離れたところに落ちたわけ。1トン爆弾。ものすごい巨大な穴ができた。だからもうちょっとそれてたら俺はこの世に居ないわね。ぶっ飛んだね。黒い雨が降るんですよ。空襲するとね。だから原爆だけじゃないよ。みんな降ってくる。で、泥だらけのとこから紙1枚拾った。落ちてるから。そしたら「お国の政府は降伏して、戦争終わりました」って書いてあるわけ。俺はびっくりしたね。1トン爆弾と一緒にビラ撒いたんだよアメリカは。無茶苦茶や。アフガニスタンとイラクでも戦争やりながらビラ撒いたやろ。あれと同じことやった。どこの国も無茶苦茶よ。で、信じなかった。そしたら20時間後に戦争終わったでしょ。そのとおりだった。考えてごらん。一体何のためにこの人ら殺されたんや。ようけ死んでるよ。戦争目的として正しかったとしても、戦争終わってんだよ。戦争終わってんのに何で殺されてるの。それが我々の運命よ。

 そういうことをね、歴史はほとんど書かない。それでね、その中に色々とカラクリがあるわけ。要するに日本は国体の護持と称して言った。国体の護持に対して返答がないから、健気にも日本の天皇は8月14日の御前会議において「我が身はどうなろうともいいから、国民がかわいそうだから私は降伏する」と言ったのよ。そしたら皆さん「あ、その通りか」と思うやろ。これは違う。だって天皇は知ってたわけ。自分が安泰であることを。そのことはスイスやスウェーデンを通じて知ってるよ。そうやって自分の身の安泰を知ってたわけ。我々だけ知らんのよ。それで殺された。で、アメリカもワーッとやって武力攻撃かけるってんでそうするわけよ。それでこれが14日ですね。(ニューヨークタイムズ8月14日付一面のコピーを取り出す)日本はsurrenderすることに決めた、と書いてあるでしょ。東京のラジオが報じた、それは我々がheavy attack、物凄い攻撃かけたからや、と。これ大阪だ。ようけ死んだ。何のために死んだんだ。これ知らん顔よ。戦争終わって。これはひどいじゃないですか。

 だから私は毎日新聞に「彼らは何で殺されたか」ってのを書いたから、読んでみる。

 一体彼らは何のために殺されたか。去年の8月に書いたんですね。このこと(ニューヨークタイムズ)を引用して、「これは嘘八百じゃないか」という話を書いた。そしたら書いてからしばらくして、半藤一利とかという人いるでしょ。昭和史書いてる。この人から葉書が来たの。俺1回だけ会ったことある。「よく書いてくださった」と書いてあった。これについて。いかにインチキかって書いたわけ。ね、自分のインチキ書いてるんやで。御前会議のこと書いてるのあいつやで。それが「よく真相を書いてくださいました」って。それで感謝状来たわけよ。文芸春秋などで書いてるの半藤だろ。「まじめな歴史家や」って何をぬかしとるかこれ。やっぱり具合悪かったんだろうね。俺に書かれてさあ。つまりこれがねえ、いかにマスメディアがダメかって、これで分かるでしょ。いまだにねえ、同じこと書いてるでしょ。

 上田耕一郎っていう共産党のエライ人と喋った。対談集出るらしいけど。この話してこれ見せてやったらビックリしてさあ、「え?こんなことあったんですか?」って、共産党の親玉が言ってるんだもん。で、その話を去年の8月の集会でしたんだけど、そのとき朝日新聞の若いやつが来たから言ったらビックリして、「これ是非記事にします」言って、それでなんか知らんけどわざわざコピー取りに来たりしてたわ。そしたら記事にならないね。これが日本のジャーナリズムなんです。この日本をどう見るかってのは君らの勝手や。俺はもう死んだってしょうがないと思ってる。もし君らが「こんな日本間違ってる」と思ったら、ちょっと考えろよ。

 この間ねえ、NHKのラジオでねえ、3人で喋ったんですね。寺島実郎という人と、松本健一と私ね。割とまじめな人が揃った。ラジオだからまじめだ。で、かなり長い時間喋って、それを2日間にわたって放送した。CDも作ったらしい。そのときに面白かったのはねえ、わあわあ言うような、テレビ番組じゃなくて、まじめに話したから非常に良かった。そのときにねえ、松本健一さんは改憲論者なのよ。で、寺島さんも改憲論者だな。NHKのプロデューサーもそうだと思う。後から聞いてるとね。みなそれぞれの持分で喋って、それは前向きに喋ってよかったんだけどもね、私は2人がね、夢物語を語ってると思ったな。私が遥かにリアリストなのよ。

 俺はこれしかないと思ってる。憲法は、これでやっていく以外はない。2人は夢物語語ってる。で、松本健一さんもね、真面目な人だけれども、彼が語ったことはこうなのよ。とにかく、憲法9条の第2項にある、交戦権。第1項はみな賛成なのよ。戦争を否定しますということね、これは世界の憲法どこにでも書いてある。侵略戦争する、なんて国はないよ。第2項が大事なのよ。だから第2項というのは、第1項は戦争を否定するんだけど、第2項は、ちゃんと、敵が攻めてきたら守る、ということが書いてあるわけね。交戦権を否定しない。そのためには、自衛隊をちゃんと認めて軍隊にして、そして法的な制限を越える。いまみたいに野放図にね、ほっといたって自衛隊がイラク行ったりするじゃない。それをやめてちゃんと憲法の制限のもとに置くんだ、と。そのためには憲法の第2項をやめにゃいかん、ということを仰ったわけ。

 で、それ聞いてるとね、いかにも尤もらしく聞こえるよね。そういう説になってきていると思う。やみくもにねえ、戦前の日本にかえるなんてことはもうないわけ。やっぱり日本は侵略戦争したんだということを認めた上でね、たとえば田原総一郎もそう言ってたけど。まあとにかく、大東亜戦争素晴らしかったとか、中国に侵略はなかったとか、靖国神社行けとかさ、そういう勇ましいやつはないわけよ。もうちょっと冷静に考えて、この国の行方として考えるときに、やっぱり自衛隊というものを認めて、自衛軍にして、というふうにもっともらしい意見になるわけね、寺島さんもそういう意見だったけど。若者たちもそれに惹かれてくると思う。しかし私にはどうも夢物語に聞こえてくる。それは何故かと言うとね、要するに今のような憲法の制約があっても、平気でイラクへ行くだろ。これが自衛軍と認めてごらん、どこでも行くじゃない。アメリカとの連携のあたりで。今でもねえ、平気でやってることをね、その歯止めを外してごらん、もっと凄いことやるやろ。そういうことをどうして考えないのかね。

 僕は、彼らはリアリストではないと思う。夢物語ね。そういう理性的な政府持ってるのか。憲法守るような政府持ってるのか。今でも憲法守らないだろ。憲法守ってね、自衛軍認めたら、どこでもやっていけるような国になるじゃない。それはやっぱり政治を考えるときにね、そういうリアリズムがいるのよ。理想とともにね。それからもう一つは、一体全体資源どうするのかとか、それから食糧自給率40%という現実をだれも論じないだろ。不思議だねえ。で、戦争する国にしたい。戦争じゃない、侵略戦争はしません、自衛のための戦争は当然です、と。で、自衛できるか。できないだろ。俺は戦争できない国だと思う。この国は。何にもできない国ですよ。このことを忘れちゃいけないと思う。

 私は理想主義じゃなくて現実主義で言ってるわけ。今の日本は豊かさを作った。これはね、ぜひ考えといて。日本は豊かな国でしょ。これは非常に素晴らしい。この豊かさを形成するのは、平和産業だからできたんだよ。これは世界の歴史はじまって以来だよ。左翼理論では、軍事産業なくてはできないと言う。しかしこれは不思議な国だよ。もちろんそりゃあ、三菱がタンク作ったりとか、いろいろやってるよ。しかしそれは周辺やろ。真ん中にドカっと軍事産業ないじゃない。こういうこと忘れちゃいけないよ。要するに平和産業、カメラ作ったりテレビ作ったり、船作ったり自動車作ったりして、せっせこせっせことみんな働いて、平和産業主導ができたでしょ。平和経済なのよ、この国は。他の国と比べてごらん。アメリカは物凄い軍事産業だろ。私がアメリカに留学したときはアイゼンハワーの時代だ。産軍複合体はなんとか、と言ってたよ。ね、軍事産業の力強いでしょ、今。いまのブッシュ政権起こしてるじゃない。ね、ドイツもそうじゃない。ドイツもすごい軍事産業の国だよ。

 こんな国ないよ、軍事産業なしにやってきて、これだけの豊かさを作った国。この国と一番良く似ているのはどこだ。韓国だ。この間韓国でインタビュー受けて、喋って、韓国の人ビックリしてたけど、日本と一番良く似ているのは韓国じゃない。韓国の産業伸ばしてきただろ。自動車とか作って。あれ軍事産業ないよ。あっても小さいよね。あの国は日本と一緒だよ、平和産業主導型じゃない。政治見てごらん。政治というのはロクでもないことやってるよ、この国も。汚職やらなにやら、中央銀行の総裁まで金儲けするような国だよ。ね、しかしそれを考えてもね、軍人が真ん中にいないだろ。アメリカみてごらん、軍人が真ん中にいるじゃない。そうだろ。軍人が真ん中にいなくて、これは平和政治なんだよ、これ。ロクでもないことたくさんあるけどね。しかしこれは素晴らしい国だよ。平和経済と平和政治が真ん中にある国というのはないんじゃない。韓国もね、金大中政権以来文民政権。やっと軍事政治から離れて平和政治になった。平和政治と平和経済でやってるのは先進国では日本だ。その次の2位が韓国。韓国と日本がどうして組まないのか、ということだ。世界をもっと大きく見てごらん、アメリカにくっついていったらロクでもない、ということを言い出したのがラテンアメリカ。ラテンアメリカは知ってるだろ。ベネズエラと、キューバは勿論そうだけど、それからボリビアだ。チェ・ゲバラの話を入れるのは左翼のバカだよ。

 もうそういう時代は過ぎた。そうじゃなくてね、ラテンアメリカの中に反米政権が力をつけてきた。面白いのは、日本の、とんでもない外務大臣がアメリカ行って、ライスのとんでもないのと一緒になってやってるだろ。米軍の再編成とか喜んで。小泉はこれから行くわけだけれども、その前の日にね、キューバとベネズエラと、それからボリビアの首脳が集まって、要するに違う形の世界を望もうじゃないか、と。100年先はどうなるかわからない。アメリカ主導型は終わりにきまっとる。だからこれからもっと先を見ようじゃないか、という話をして、3人の写真が新聞に載ってた。朝日はその写真載せてない。毎日は載せた。時々毎日は良いこと書くよ。それでね、そういうことをちゃんとみないとだめだ。アホみたいな政治家の言うことや論客の言うことを聞いていても、しょうがないわけよ。違う時代が来ているということを君たち考えろよ。もっと大きなことね。

 私のインタビューに、韓国の左翼の有名な新聞やなんかがみんな来たわけだ。そしたら「日本の右翼と韓国の右翼は似ています。ロクでもありません」と。それはそのとおりだと思う。一緒になってます、と。だけどね、「韓国の左翼も日本の左翼も何の方針もないじゃない。どうするのかね」と言ったわけよ。そしたらビックリしたわけ。そのときに例えばボリビアの原住民出身の大統領が来た時に彼はどこ行ったか。中国へ行った。なんで韓国は招かなかったのか、韓国は違う形のね、世界のあり方を考えるんだったら、せっかく文民政権作って、しかも平和産業主導型で来てるんだったら、そういうことを考えてくれ、韓国ボケとるんとちゃうか、と言ったらビックリしてた。日本もそういうところに来てると思う。君ら若いんだから、もうアホみたいな既成のね、論壇の人はどうでもいいのよ。新しいこと考えてくれ。そう思って今日ここへ来てしゃべっとる。

 これで終わります。


小田さんの講義に引き続き、ゼミ生との質疑応答が行われた。

※ゼミ生の名前は省略

質問:朝鮮と日本との関係についてどう思うか?

小田:
 我々の立場はね、政府じゃないんですよ。政府の立場でモノ喋らないこと。人々の立場で考えた方がいいですよ。北朝鮮政府はね、拉致を認めながら、責任を追及していないんですよ。自分たちのね。この国もそうでしょ。過去について何もやってこない。どっちもねえ、政府はそれをすべきですよ。それで我々市民はねえ、それを追及すべきじゃない。別に北朝鮮政府を代弁するつもりはない。日本政府の代弁もしない。市民の立場として追及すべき。それぞれに。だから私は北朝鮮はインチキだと思うね。言うただけだ。しないだろ。日本も言うただけで、しないだろ。それを追及するのを市民がやるべき。それが大事じゃない。政府の代弁を我々はすべきでない、と思いますね。するでしょ。北朝鮮擁護したり、日本を擁護したり。一切やめよう。私は考えたのはね、私は「I am Japan」ということをいつも言った。俺が日本だと。小泉のあれは日本と違う、と。天皇も日本と違う、と。俺が日本だ、と。その代わり俺は日本に対して俺が考えていることをちゃんとやらないかんでしょ。だから皆さんそう思えよ。「I am Japanese」と言ってるんじゃないよ。俺が日本だ、と。そのくらい激しく考える必要があるんじゃない?日本政府の代弁なんかするつもりない。私はそういうふうに考える必要があると思う。俺が日本だと思いなさいよ。日本人なら。もしこの中にコリアンがいたら、「I am Korea」と思えよ。そのかわり、ノムヒョンがどうあろうと、どうでもいいのよ。自分が朝鮮に行ってどう生きるか、日本に行ってどう生きるか、それが大事なんじゃないでしょうか。そういうことが一つ。

 そしてもう一つ最後だから、忠告しますとね、私は市民議員立法運動してね、阪神淡路大震災の被災者に対して公的援助をやれと、延々と、辛うじて何人かはできたんだけど、その中で一緒にやってきた議員がこういうこと言った。「政治家はうそつかない、状況が変わるだけだ」と。わかるか、この意味。政治家は絶対ウソつかない。状況が変わるだけだからうそついたことは平気だろ。状況が変わりましたって言ったらおしまいだ。これが政治家なの。金正日もブッシュも小泉も、政治家はみんなこういうもんだ。私はそれを皆さんに忠告や。

 これで終わり。

質問:改憲論者が第九条第二項をなくそうといっていることに対して、今でさえ制約があるのにむちゃくちゃやっているんだから守っていこうと言っても一緒ではないか。それならドイツのようにもっと強硬な戦争を禁じる憲法を作ったほうがいいのではないか。

小田:
 憲法の考え方ね、私の考え方を先に言っておくと、大事なのは憲法の25条と、24条だったと思う。9条の前にね。9条も大事だけど。日本国憲法の特性をもっていることは、もっと評価して良いと思うはね。憲法9条はもう知っているね。憲法の24条と25条というのは、これも特殊な憲法ですよ。こんなことを具体的に、憲法の条文は今ないけれども、両性の合意に基づいて婚姻が成立するとかなんとか、そういうこと書いてあるだろ、24条。で、25条はね、最低の文化的な生活を営むとか書いてあるでしょ。それね、非常に大事なんですよ。そういうねえ、具体的な生活のあり方を書いてある憲法は世界で日本国憲法だけですよ。他の憲法はね、人権を守れとか大きなこと書いてあるわけよ。市民生活に即して、非常に細かな規定をしているのはこの24と25だよ。こんな憲法ないよ。これはね、物凄い特異だと思ってください。こんな憲法ないのよ。得難いよ。だけど誰も論じないじゃない。不思議だよね。なぜ書いてるかって言うとね、ベアーテという女性、有名なピアニストの娘だけど、その人が強引に24条入れた。これ素晴らしいと思う。25条は誰が入れたか知らんけど、健康で文化的な生活を営む必要がある。そういうことになるとね、つまりね、普通の人生の、普通の人間のあり方を法的に保障している制度。大きな意味での人権だなんだではなくて、普通の人の人生が、これがちゃんと生きるにはどうしたらいいかってことを法的に保障する。これで24と25が大事なのは、25条はね、これは国民の権利で、国家はそれを実現しなければならない、と書いてある。憲法って言うのは、政治をやっている連中に責任を負わせるわけでしょ。国民は責任を負ってないでしょ。要するに、王様や政府たちへ制限を課する。まずお前が守れ、と。国民に守らせる前にそちらが守れ、というための契約でしょ。憲法って言うのは。それを非常に明記しているのが25条だよ。国家はそれをしなけりゃならないと書いてあるんだよ、ちゃんと。そういうねえ、生活に密着した上で国家の義務が書いてある。で、26条になるとダメなの。俺いま権利教育を主張してるんだけど、教育は権利であると書いてあるんだよ、そこには。しかし、その延長線上で、国民は自分の子女を教育させる義務がある、と書いてある。国家の方は書いてない。これが権利だったら、国家はそれをせにゃならない。国家がせにゃいかんのは、授業料くらいタダにするとか、私立学校に至るまでタダにするとか、そういうこと必要でしよ。そういうことを君たちもっと考えてくれよ。そうするとね、普通の人の人生がこれからもっとまともに生きていけるか、ということを保障しようじゃないか、という憲法ね。こんな憲法ないよ。で、その中で一番大事なのは、殺し、殺される関係を止めようじゃないか、で、殺し、殺される関係ってのは戦争よ。それで9条よ。そういうふうに理解して欲しい。9条がどうかじゃなくて、我々小さな人間の最低生活から考えていこうじゃないか、そういう視点から9条を考えて欲しい。発想の転換をしてほしい。そういうのが私の考えです。

質問:小泉首相が今年8月15日に靖国神社に参拝すると明言しましたがこれについてはどうお考えですか?
(ここで、民主主義国の政治家というものは、自分の行動がどういう反応を受けるかをよく見極めてから行動する。そのため、「8月15日に参拝」ということを示唆してみて、周りの反応を見る。だから、「8月15日に必ず行く」と明言したわけではないはずで、もしそんなこと言っていたら今ごろ大騒ぎだ、という趣旨の浅野先生の発言)

小田:
 あのね、靖国参拝するかどうかってのは、あなたが巻き込まれて悩むことないよ。あのおっちゃん勝手にやっとれ、と思っといたら良いよ。ね、政治家の言うことアテになるかい。何言うてるかわからへんやろ。私は韓国でインタビュー受けたときに、こういう評価してるわけよ。読売新聞の渡辺某が、朝日新聞の若宮某に、おべっか使う。朝日がさあ、「読売あんた素晴らしい」まともなこと言ってるわけだよ。要するに「靖国けしからん」と。渡辺某が言うじゃない。そして、戦犯裁判も我々やらにゃいかん、と。なかなかええこと言うじゃない。これエラい評価しとるんだよ、韓国左翼は。「君、頭を冷やせ」って言った。要するにね、二・二六事件ってあったやろ。昔ね。二・二六事件でね、青年将校皆殺したわけね。で、その後ね、彼らの言ってたことをそのまま実現したのが日本政府じゃない。うるさいやつをね、跳ね上がりみたいな奴を殺して、そして跳ね上がりの言うてることを採用して、ね、やったのが、それが日本の歴史だろ。そういう日本資本主義はね、跳ね上がりのホリエモンとか村上某とか、ああいうやつはみんなやっつける、やっつけて、もっと資本主義の本道はもっとちゃんとしてますよ、と言うのがトヨタのおっさんね。奥田某とかもう経団連会長を辞めたけど。あのおっさん武器輸出やれ、と言ってるでしょ。これから武器生産もしたいわけよ。これが本業をはじめるわけよ。ややこしい跳ね上がりの株屋上がりとかね、誰が考えてもおかしなやつ。これクビにして良いのよ。追い出すわけ。二・二六事件の青年将校と一緒だ。しかし、我々はこれから本道を行くんだ世界の中で軍需産業を伸ばしていくんだ、という事をね、堂々と言ってるだろ。それを評価するとは何たる事かと韓国左翼に言ったわけよ。もっと違うことを考えろと。韓国経済も平和産業で来てるんだし、日本も平和産業で来てる。もっと違う目でみろ、もっと先を見ろ、ということを申し上げたんですけどね。今それが流行ってて、普通の国にするには軍備を持って自衛軍を作って、憲法第2項のややこしいことやめて、大した軍隊を作れ、って、そりゃあムチャクチャするよ、これ。聞いたような議論になるでしょ。寺島実郎の顔見てて「何を見てるんだ」と思うわけ。だから君たちはもっと先を見てくれよ、若いんだから。もう年寄りの言うことなんかアテにならんよ。それをねえ、君たち考えろよ。

 もう小泉政権の命運尽きてるだろ。ブッシュも終わりだ。もっと先を見ろよ。靖国行ったからどうだって、そんなもん老人にまかしとけ。一緒になって心配することはない、ほっとけ。I am Japanと思えって、言っただろ。若い人はね、俺みたいな暴論言わんだろ。みんな穏やかなこと言うとるわけや君たち、もうやめとけ。もっと若者らしく堂々と言えよ。

 この人ね、講師よ。金井和子さんっていって、政治学かなんか教えてる。なんか知らんけどさ。この人の翻訳した本読みなさいよ。これ僕宣伝したるわ。「黒いアテナ」という本があるんだわ。デッカイ本よ。上下2冊になってる。藤原書店から出てるわ。俺実際その本読んで、俺専門は文学だからね。そして読んで「これ、是非訳せ」と藤原書店っていう本屋あるやろ。そこの社長に談判した。翻訳する人居ないからこの人にした。この人は私の学生だった。この人は浪人してないけど、高校のとき英語を習いに来たわけ。で、英語できるからね。マーティン・バナールという人が書いた本なんですよ。「黒いアテナ」という名前。図書館にあるやろ。無かったらこの同志社はカスよ。立派な本だよ。

 元中国学者だったのよ。それがベトナム反戦運動もしたわけよ。で、まあアメリカに移って、大学はもうやめたのよ。名誉教授かなんかになって。彼がね、ベトナム反戦運動をしてるのにベトナムのことを何も知らんじゃないか、アメリカの学者は。その後でね、ベトナム語を勉強し、ベトナムのことを勉強し、アジアのことを勉強し、まあ中国のことはよく知ってるわ、中国学者だったんだから。それから日本のことも勉強し、いろんなことを勉強したわけね。それから彼はユダヤ人なんだわ。ユダヤ人の血がちょっと入ってる。全部じゃないけど。そしてその後ですね、ギリシャ語はイギリスの学者は知ってるわけね。ギリシャ語を勉強しなおす。そういうことをしているうちにね、ギリシャ語のボキャブラリーの半分くらいはね、エジプト語と一緒なのよ。その半分くらいはユダヤ語、ヘブライ語ね。そういうことをずっと研究していくとですね、どうもギリシャの歴史は全部ウソついてる、と。ことにウソついてるのは19世紀のね、ドイツや。ドイツ帝国主義がのして来ただろ。そういうことを発見してね、「黒いアテナ」という本を書いた。君たちギリシャ史ってのは白いと思ってるだろ。しかし白くないんだと。もっと黒い。古代ギリシアはかつてエジプトの植民地だった。その後今度はですね、ユダヤの植民地になった。この植民地の痕跡を全部消そうとした。消して、白いアテナを作った。それを作り出して、全世界に撒き散らした。捏造の主役がドイツだ。19世紀のドイツね。歴史の捏造って、古代史の捏造、ドイツがやったこと。それはまあ面白い本だよね。そういうことを証拠付けていって、いかに黒かったかを書いた本だよ。20年位前に出て大騒ぎになってね、アメリカが火を噴いて、西洋史教えられない、と。古代史の話をするとね、生徒から「それどう思うか」と聞かれて先生立ち往生だ。そのぐらいね。聖書以来最も論争されたのがこの本だ。

 もう、根本的に全部疑え。西洋歴史とか、先生に習ったやつね。これからやり直した方がいいと思う。そういう時期に来ている。全社会そうですよ。日本だけじゃない。もういっぺんね、根本的に疑う。君たちは選挙選挙というやろ。日本人は民主主義っていうとすぐ選挙の話するじゃない。選挙の一票においてやりますとか。これインチキな話よ。デモクラシーは選挙と違う。デモクラシーは民衆のパワーって事や。ピープルズパワーってことや。ギリシア語は。ピープルズパワーを実現するための一つの手段として選挙があるに過ぎない。あとは大衆集会やデモ行進とかストライキやみんなそうよ。そのうちのひとつよ。これ日本人だけがね、選挙がすべてである、と思ってるでしょ。

 イギリスでもフランスでも、デモ行進やろうっていうとワーッと起こるだろ。あれを民主主義と思ってないんだ、バカだよ。あれが民主主義なのよ。日本人だけよ、選挙というのは。韓国の方がずっとすぐれてるよ。デモ行進したってやるだろ。日本人だけがすぐ従順に選挙に一票投じて、とか下らん話。選挙なんてどうでもいいのよ、本当はね。民主主義の本場アテネでは選挙は殆どやってない。ローマからやり始めて、ローマから堕落が始まった。ギリシアはやってない。全員が参加するか、全員が回り道をするかそれがギリシアの基本よ。そういうことの基礎知識をもってよ。世界史の教科書なんてみんな間違っている。

 私は1970年、36年前から、7月4日のアメリカの独立記念日、我々はアメリカ軍の中で反戦運動もやってたわけよ。脱走兵を援助することから始まって、反戦運動もやって、岩国は海兵隊の基地だろ、海兵隊の基地って有名だろ。住民投票やった。この間招かれて集会に行ったのよ。この話したんだけど。

 私は岩国の基地の中知ってんの。何で知ってるかっていうと、アメリカの基地の中はメチャクチャだった。俺は反戦米兵と一緒に錦帯橋のところで集会したの。そこで演説して、気勢あげたわけだ。で、夜中になって寝てたら、なんか変な男が俺の横に立ってるのさ。見たらヘルメット被った兵隊や。アメリカの反戦兵士。お前何や、って言ったらさあ、今、兵営の中で、海兵隊の基地の中で暴動が起こったと。兵隊の牢屋で暴動が起こった。この暴動を日本のメディアに知らせてくれ、と。「お安い御用や」って言った。報告させたら、これがエライ詳しいんだよそいつ。「お前、エライ詳しいやないか、何でそんなによう知っとるんや」と聞いたら、「俺、その営倉の番人や」と。番兵が出てくるんだからすごいだろ。ムチャクチャだろ。番兵が出てきて俺に報告するんだよ。アメリカもそこまできた。そこで「面白いから俺を連れて行け。明日の朝。俺基地の中見たことないから、営倉へ連れて行け」って言ったら「行きます!」って。それでタクシー乗っかってさ、一緒に行ったのよ。それで行ったらさ、勿論基地の門だろ、そしたらシューっと入るのよ。「お前、うまいこと入ったな」と言ったら、「あれ友人や」とその番兵。それで営倉まで行ったのよ。営倉は暴動の跡よ。俺が立っとったら兵隊が寄ってくるのよ。この人何や、と。俺はべ平連の親玉や、って言ったらビックリしてね。「これ、見てもしょうがないから」「いやいや」って言って、で帰ってきたら、また門のところでストップになっちゃったの。何が起こったかというと、ちょうど俺を尾行して、山口県警の車が俺のタクシーを尾行してたわけよ。で、俺が基地の中へシューっと入っちゃったでしょ。入れないのよ連中、県警の車は。仕方ないから警察は本部へとって返して、そこから俺を捕まえろという要請をしたの。要請がぐるっと回って本部まで行って、アメリカ軍に行って、で下りてきたわけ。俺を捕まえろ、という要請。そしたら俺が基地の正門にきたところで下りてきたのよ。悪いところにきたものよ。牢屋に入るのもしんどいなと思って、「お前、何とかしろ」と言って、その兵隊が行って、「やあやあやあ」としばらくやっているうちに出てきてさ、「OKや!」。で、シャーっと出て行った。そしたら県警の車は「あーっ」って見てたわ。俺捕まえられないでしょ。俺もういないなんだもん。「お前何したんや、あれ」って言ったらさあ、「あいつ俺のマリファナ仲間や」って。アメリカ軍はそこまできた。

 それで、じいさんやばあさんが「アメリカ軍はこんなに軍規乱れてていいのか!」って言うから、「お前、軍規乱れとるから助かったんやないか」バカなこと言っとるけど。それほど軍隊もね、だからアメリカ軍はベトナムで敗退したの。今ね、(イラクの)州兵が大変やろ。そういった、小さな力ってあるんだよなあ。あなたたち小さな人間、俺も小さな人間。小さな人間のことをちゃんと書いたのが憲法25条と24条、これ大事よ。ね、小さな人間の力を信じろよ。戦争っていうのはね。将軍はできないの。兵隊がいないとできない。その小さな人間の力が、この間岩国の住民投票になったのよ。36年前、基地の中で兵隊が暴れたの。今36年後は、岩国の市民皆さんと同じような奴よ。その連中がやる住民投票でノーと、86パーセントがノーと言ったわけ。これすごいじゃない。小さな人間の力しかないの我々は。小さな人間が力持ってるの、否応無しに。大きな人間はこんな威力持ってない。それがこれから問われてくる。

続いて、小田さんのパートナーで、画家の玄順恵さんの講義が行われた。玄順恵さんは在日の自伝『私の祖国は世界です』(玄岩社)を韓国で出版している。

玄順恵:
 はじめまして。玄順恵と申します。
 まあ、皆さんと身近に目を水平にして話します。私は神戸生まれの神戸育ち、で両親は、1930年のはじめに日本に渡ってきました。もちろん、朝鮮という国はなくなりました。日本によって植民地に。さっきそちらに坐っていた方が、「私、在日なので、お話を聞きたかったんですけれども、次の授業があるから、またお話を聞かせてください」と言っていました。やっぱり同志社っていうのは、コリアンとも関係が深いな、というのは前から知っていましたが、同志社中学の文化財になってる校舎の隣に、尹東柱という韓国の詩人がいるんです。彼は1943年に立教大学に行ったんですが、京都に縁があって同志社に編入したんですね。で、編入したときに、朝鮮語で詩を書いていたら、治安維持法で捕まっちゃって、それで九州の刑務所に送られて、多分生体実験に使われて殺されちゃうわけです。その何ヶ月か後の1945年8月15日、日本が敗戦して、植民地が解放され独立しました。あと何ヶ月か生きていたら彼は命が助かったんですが、まあ、そういった意味で現代史の中で同志社があるのです。まあこれであなたたちと目線が近いところに来たかなって気がするんですけれども。

 中国に6カ月住んでいました。1982年に、文革が終わって、改革解放路線のすぐ門を開けた直後に居ました。中国が一番良いときに、外国人は殆どいませんでした。北京も高い建物が何にも無かった。昔の北京飯店は中国の暮らしがそのまんま感じられて、たくさんのことを学びました。私は東洋人だなって教えてくれたのは、その当時中国に6ヶ月暮らした経験でした。さて、みんなが気にしていることといえば、やっぱり靖国のこととか、憲法9条、戦争のこととか、現代の日本のこととか、拉致問題とか、一番マスメディアで騒がれてることが身近だと思います。それについて少し話します。

 韓国で「ミドリ評論」っていう、インテリや記者とかが読んでる雑誌があるんですが、その雑誌に書いて欲しいって言われたことがありました。去年ちょうど中国と韓国で反日デモが起こって、韓国でもこういうニュースでもちきりになった時でした。それで、ちょっと書いて欲しい、ということで書いたことがあります。おりしもそのあとにすぐ竹島問題が出てきて、それも絡めて書いたんです。非常に大きな歴史の流れの中で、反日デモを扱い、そして竹島問題を眺めることが自分自身にできました。今でも書いたものを少し踏まえてと思っているんですけれども、あのとき重慶でサッカーのアジア杯があって、騒ぎましたよね。その前には西安で日本の留学生がバカなことをして、きっと彼はまあ聴衆に大うけしようと面白いからやったと思うんですけれども、面白いからやろうとしたことでも、コミュニケーションっていうのは、相手があって成立するんです。自分の目だけじゃなくて、相手の目と心があって、そこに自分が言ったことが、どこの目と相手のどこの目とどこの心の、どこの隅に落ちるかということで、それがパッと閃いた時にお互いにコミュニケーションが組み合うわけですけれども、それが自分の中でできてないんですよね。

 だから大学生になっても高校生になっても親を殺すとかね、お友達付き合いが上手くいかない、いわゆる人と折り合いが上手くつけない、世の中との折り合いが上手くつけない、ひいては外国と外国との折り合いが上手くつけない、外交ひとつ上手くできない政治家が育っている現在なんですよね。そういうことを考えて、反日デモをどういうふうに見ないといけないか、ということについて書いたんですが、中国で起こった反日デモっていうのは、私にとっては凄く実感があるんですが、1980年代の初めに6ヶ月間中国に居て、チベット自治区を除いて全部旅をして、殆ど6ヶ月旅したっていったら良いかも知れません。マルコ・ポーロのやったことの縮小版をやったのかもわかりません。それを見て感じたことは、日中国交を回復したときに、周恩来が日本に対して戦後の補償を私たちは要求しない。要求しないかわりに、これから(今韓国との間で言われているような)未来志向でやりましょう、と言って日中国交化をしたわけですよね。でも、それは周恩来という人は、本当の政治家の中でもすばらしい外交官ですからね、取引があるんですよ、そこでは。いい意味でのですよ、外交的な取引があるわけですよ。相手の、コミュニケーションの相手が誰か、どういう政治的背景文化的背景を持っているか、というのを知った上でのコミュニケーション、でもって外交をしたわけですよ。周恩来は日本に留学してましたからね、日本を良く知ってる。そのへんを日本人は考えなくちゃなりません。

 中国で反日デモが起こったっていうことは、非常に深い意味があるんですね。周恩来が政治的決着をした日本と中国は仲良くした、未来志向でやりましょう、と言ったけれども、まだ戦争の記憶を残してる人が今生きているし、何の補償も貰っていないという傷跡をしょっているのだけれども、それを厳しく言えば黙らせたわけですね、自国民を。黙らせた上で、日本は大事なパートナー、大事な隣人だから、日本のいいところもあった。日本の人民には罪はない。日本の人民も日本の軍部、または政治に翻弄された、我々と同じ被害者である、ということで慰めたわけです。それで納得させたんですけれども、それは公な納得であって、実際に南京で殺された人とか、この間の新聞に出てましたけど、日本軍が埋めた不発弾ですよね、それでもって未だに後遺症、それから命の犠牲になっている人、戦後60年経ってるんですよ、それでおかしいと思わないこと自体おかしいでしょ。そう思いませんか。そういうふうに心の目を持って下さい。そういうふうに学校で教えてくれないから問題なんですけどね。そういう先生にとって代わって、あなたたちが教えられるような、あるいは話せるような、教えるまではいかなくても周りに話せるような、そういうふうな対人関係を作って欲しいです。そういう対人関係が、社会を作るんです。それを言いたいです。

 私の書いたことでは、何故中国で起こったか、ということはそういうことを言ったわけですし、何故韓国で反日デモが起こったか、っていうことは、それは日韓条約ってものが1964年にあったわけなんですけれどもね、これは拉致問題にもずっとつながっていく問題です。皆さんは戦後史ってあまり習ってないと思うんですけれども、ここにきて、もう一度やっぱり、学校で教えなかったと思うんですけどね、いろんな本がありますから、マスメディアに流されているニュースだとか情報だけじゃなしにね、その裏にある隠されたもの、ということを探してみてください。もし探せなかったら、浅野先生に聞いてください。「こういうこと自分おかしいと思ってるんだけど、わからないんですけれども、何か良い本ありませんか」って言ったら、答えてくれると思いますから。だから、そういう意味でね、さっきの日韓会談というのがあったんですが、これも結局日本の戦後処理、戦後処理っていうのはさっきも話が出てましたけれども、日本が相手にした戦争ですね、戦争でもって、敗戦になりましたよね。敗戦国として、アメリカに対して、完全に、戦後の戦犯裁判とかが終わった後にね、天皇が残されて、天皇制を持った日本の社会ということが、アメリカにとっては、戦後の日本を統治するのに非常に都合が良いから残したわけですよね。それは分かりますでしょ。だから全てアメリカの戦後の、アジアと太平洋の戦略に、都合の良いようにアジアが完全に組み込まれてしまったわけです。だから、その中での日韓の間であって、それで日朝、北朝鮮との関係なんです。で、朝鮮半島は冷戦構造にすぐ入りましたから、ソビエトに北半分取られちゃって、南半分はアメリカのものに組み込まれちゃいましたでしょ。だからすぐ冷戦にはいるわけですよね。それで、戦後処理を何も行ってないまま戦後60年以上過ぎちゃって、それが未だに清算されてないから、拉致問題までずーっと起こるんです。だから、北朝鮮は拉致問題は、自分たちはやられたものを何も清算されてないから、これやって当然だと思って堂々とやってるわけなんですよね。ここでね、アメリカの歴史家にハワード・ジンというえらい方がいるんですけれども、その方の本の中に非常に私が心に残っていることがあるんです。こういうことを仰っているんです。9・11のテロが起こったときに、こう言いました。とても自分にも示唆が多い言葉なんですけどね。「何故我々がそこまで憎まれなくちゃいけなかったか、ということを我々は考えなくちゃいけない」これは人間の倫理性を問うていることね。これは日本人にもいえると思うんです。「何故あんなひどい拉致事件を、何故あそこまでやられなくてはいけないのか」ということを考える必要があるんですね。で、ここでまず私自身が思うことは、「じゃあ、何故そこまでやられたから、何故また平気でやり返そうと思ってやったのか」っていうことを、私自身考えます。何故餓死者が出てるのにテポドンを飛ばさなくちゃいけないのか、これは玉砕精神なんですよね、大和魂と同じなんです。「なぜそこまでやらなくちゃいけなかったか」ということを私は自分自身に問いたいし、あなたたちはあなたたちの問題で、歴史、社会的脈絡の中でね、何故そこまでされなくちゃいけないか、ってことを考えてみてください。そしたら、これから日本のあるべき姿、日本社会がもっとこうなって欲しいな、という答えが、自然と一つずつ出てくると思うんです。

 私は非常に平面な言葉で喋りましたが、お分かりだと思います。  (終わり)


続いて、ゼミ生との質疑応答が行われた。

質疑:今後、日本を含めアジアはどうあるべきか?

玄順恵:
 私は中国に82年に住んだときに、大東亜共栄圏ならぬ、たとえばヨーロッパのようなアジアの共栄体というのを、アジアの国々がつくれないものかと思いました。あの時のヨーロッパはEUじゃなくてECだったんだけれども、そういうような形ででもできないかな、と思いました。中国は、秦の始皇帝が中国を統一する前までは小国の集まりだったでしょ。ああいうふうに、もし小国の集まりだったらば、ちょっとはヨーロッパみたいに、このアジアの構図が少しは違っていたかもしれない、という意味で中国を眺めたですね。私は小国の出身ですから。だからそういうことを考えると、あなたの質問はすごく的を射た質問で、とても普遍的な目で見てると思いますね。とても大事だと思います。それはアジアの超大国中国がどうあるべきかっていうことも大きな、自分自身の問題としてね、出てくると思います。

質問;日本と中国、韓国と、もっと友好的になるにはどうすれば良いか?

玄順恵:
 やっぱり、相手を良く知ることと、お互いよく理解することだと思う。あまりにも知らなさ過ぎる。日本がヨーロッパやアメリカのことをよく知っているほど、アジアをどれだけ知ってるかっていえば、本当に知らないと思う。中国文化についても、たとえば韓国文化についても。朝鮮半島の北も南も知らないと思うし、それから中国って言ってもどこの中国、江南地方、東北地方、中原地方、青海省、新疆ウイグル地方、それぞれ文化が違うでしょ。元々、民族が違っていたわけですけれども、漢民族の中国、ということで漠然と言っているだけで、もっと豊かなものとしてあると思うんですよね。だから、そういった意味でも、あなた自身が中国のことをもっとよく知って、知っていると思うんだけれども。私たちが外国に対して、自分の文化をどれだけパッと、例えば食事のときでも「向こうではこうで、この由来はいつの時代から」ということがパッと一言3分くらいで言えるか、って言ったら、言えないですよね。それ言えたら大したものですよ。そこから商談ももっと進んでいくはずです。というのはコミュニケーションができるから、あなたを信頼してくれるから。これは日本人にとっても同じ事なんです。

 その辺はヨーロッパに行くと羨ましいと思うんです。だからEUができたのかなって思うのは、ヨーロッパっていうのは、ベネルクスから、それからドイツ、イタリア、フランス、イギリス、大きな国は別にして、小さな国がありますよね。その小さな国がヨーロッパの大きな国にまたがりながら、侵略されて、戦争のしあいっこなんですよね。中世から。そんななかで、文化をやったり貰ったりするんです。それでね、面白いなあと思ったのは、ドイツ中部にカッセルっていう街があるんですが、そこの市長さんが面白いこと言いましてね、「僕は、すごいリベラルな人で、ナチス・ドイツは大嫌い。ドイツはみんな否定されるから、何もないと思うんだけど、でも僕は誇ってることがある」って言うんですね。何を言わんとしたのかっていうと、こういうこと言うんです。「ここの地方は昔、黒い森って言われたところです。グリム兄弟が出たところ。しかし、フランスが宗教戦争したときに、ユグノーたちを追い出したわけですね。追い出したユグノーをドイツは受け入れた。自分たちの先祖を受け入れて、そこで豊かなグリム童話が生まれ、豊かな文化を貰ってドイツ化して、ドイツの文化の層を作った」って言うんですね。そういったことでね、「あ、ヨーロッパってこういう堅さがあるんだな。で、それを市民が平気で自分のものにそしゃくして、自然な会話で公の場所で喋れる、これはアジアにはないなあ」と思って羨ましく思いましたね。そしたらEUまで繋がるんですよね。アジアにはそれがないんですよね。だからこういった相互の会話ですよね、そういうコミュニケーションをもっとやるべきです。(終わり)


右から、小田実さん・浅野健一教授・ブライアンコバートさん・玄順恵さん©浅野ゼミ
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