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【東京】

平和の壁掛け 展示先を 「色あせぬ思い 引き継いで」

児童が平和をテーマに作った壁掛けについて話す村田さん=杉並区で

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 茶わん山盛りのご飯、家で飼っているウサギ、黒人と白人の握手…。32年前、杉並区の小学校で、当時の6年生が「平和」をテーマに作った壁掛けに刺しゅうされた絵だ。児童一人一人がイメージを膨らませ、151人の作品を縫い合わせて大きな1枚にした。本紙読者で、作品作りを指導した元小学校教諭の村田尚子さん(78)=同区=が、今後の展示先や保管者を探している。(奥野斐)

 大きさは縦約一・二メートル、横約一・五メートル。一九八五(昭和六十)年、杉並区立高井戸小六年の家庭科の授業で、児童が「平和」と聞いて思い浮かぶものを十五センチ四方の布に刺しゅうし、それらを縫い合わせた。

 八五年は、戦後四十年の節目。翌八六年には、国連の「国際平和年」を控えていた。「子どもたちに平和について考えてもらおうと思った。(野球の)阪神が勝つと家庭が平和だと、掛布(雅之)選手の背番号を刺しゅうした子もいて、自由な発想に驚いたわ」と村田さん。当時は担任は持たず、家庭科を専門に教えていた。

 夏休み明けから取りかかり、約二カ月かけて完成。児童自ら書いた作品解説には「ぼくにとっての平和は、ごはんが腹いっぱい食べられること」「戦争になったらウサギのえさもなくなってしまう」「世界各国で人種に関係なく仲良く」…と平和への思いが詰まっていた。

 校内や区の作品展に出し、その後数年間は校舎の壁に飾ったが、村田さんが転勤に伴って引き取り、自宅で保管していた。最近、より多くの人に見てもらえたらと思うようになった。

 村田さんは太平洋戦争中の四五年五月、山の手空襲で当時の淀橋区にあった実家を焼失し、疎開していた父親の出身地の長野県で育った。「無一文で帰農した父は、荒地を開墾して病気になり、母も苦労した。とにかく貧乏で、子ども心に戦争は嫌だと思いながら成長した」と振り返る。

 自身が高齢になったため、壁掛けは今後、平和や教育関連の資料館などで展示したり、教え子や関係者らに保管してもらえたらと願う。「三十二年前に子どもたちが思い描いていた未来は実現したかしら。色あせない平和への思いを引き継いでくれる方がいたら」

     ◇

 問い合わせは村田さんのメール=naofumi@jcom.home.ne.jp=へ。

 

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