Hatena::ブログ(Diary)

shi3zの長文日記 RSSフィード Twitter

2017-12-22

コンピュータ産業の反逆者たち 光と闇の戦い 08:14 Add Startakus4649

 ケンは失意のどん底に居た。

 何年も関わった巨大プロジェクトが露と消えたのだ。


 彼が情熱を傾けていたオペレーティングシステムの開発計画は頓挫し、それまでの人生がまるで無意味なもののようになった。


 プロジェクト失敗の原因は明らかに思えた。徹底した官僚主義、誰も全容を把握できないほど巨大なシステム。度重なる遅延にしびれを切らした会社の上層部は、プロジェクトからの離脱を決意。一介の会社員に過ぎないケンは、抗う術がなかった。


 それでもケンは諦めなかった。開発したファイルシステムのアイデアをもとに、全く独自に、コンパクトで高性能なオペレーティングシステムを自力で開発することを決意したのだ。


 ケンはBCPLというプログラミング言語から余分な仕様を取り除き、シンプルな言語を作り出した。彼はそれを単にBと呼んだ。


 ケンが自分の密かな計画を同僚のデニスとブライアンに話すと、彼らはそれを発展させてより強力なプログラミング言語を作った。Bより強力なので、それはCと呼ばれた。


 ケンは密かに会社のコンピュータで宇宙旅行ゲームを開発するのが趣味だった。

 会社にバレないよう、それを誰も使っていないコンピュータに移植して開発を続行した。


 ケンとデニス、そしてブライアンによって誰も知らないコンパクトなオペレーティングシステムが完成した。それはケンが関わっていた巨大システム、Multicsから、もっとシンプルなもの、という願いが込められたUNI(マルチの対義語)をつけられ、UNIXと呼ばれた。


 会社には全く秘密だった。というよりも、会社に一度かけあったものの、誰も相手にしてくれなかった。予算も獲得できず、彼らは「ワードプロセッサ開発」の名目でコンピュータだけを入手し、その実、UNIXの開発に熱中していた。


 数年経つと、秘密の個人プロジェクトだったはずのUNIXは社内で大流行していた。さらに、社外にまでUNIXの噂は広まるほどだった。


 UNIXは輸送にかかる実費以外は無償であらゆる人に配られた。

 これはケンの所属する会社の親会社、AT&T独占禁止法を適用されていたためだと言われている。


 重要なのは、UNIXは最初無料で頒布されたということだ。そもそも会社の開発計画にないソフトウェアで、これを会社が商売にすることはなかった。


 ところがあとになってUNIXは突然、課金された。独占禁止法が解け、正々堂々と対価を要求して良いことになったのだ。


 UNIXのライセンス料は2万ドル(現在の価値に換算すると800万円)とされ、当然ながらこれまでタダで使っていたものにこんな大金を払う人はいなかった。


 学術利用だけは無償とされていたため、大学におけるUNIXは広く普及した。

 特にカリフォルニア大学バークレー校で独自に拡張されたBSD版は高度なネットワーク機能やバーチャルメモリといった機能に対応した強力なものになった。


 1980年代に入ると、UNIXの世界はさらに混沌とした。

 AT&Tは邪悪な独裁者になり、ライセンスを払い出したメーカーと結託して、UNIXユーザーから高額なライセンス料を徴収しようと血眼になった。


 しかしこの試みは最終的には失敗する。

 

 リチャード・ストールマンは「自由なソフトウェア」を標榜したGNUプロジェクト(GNU's not Unix)を開始し、UNIXの商用コードのほとんどはGNUのコードで置き換えられた。


 UNIX派からも造反者が出て、BSDはフリーソフト化された。


 最後にとどめを刺したのは、ヘルシンキ大学に通う学生だったリーナス・トーバルズが開発したUNIX互換OSであるLinuxだった。


 いま、世界で商用UNIXを使っている会社は数えるほどしかない。しかしUNIXのフリーソフト版の発展系はMacOSiOSになっており、今や世の中のWebサーバーのほとんどはLinuxで動いている。


 邪悪な志は最終的には善なる心によって打ち砕かれる。


 人々が心からお金を払っても良いと考えるのは、真心の込められた製品だけだ。

 社員が善意で作って普及させたものにあとからライセンス料を要求するなどもってのほかである。


 MacOSはその大部分がフリーソフトウェアだが、MacOSにお金を払うことを嫌がる人はいない。なぜならマシンをふくめたMacOSの利用体験全部が、利用者を価格以上に満足させるからだ。


 昨日まで無料だったはずのものに今更課金するなど言語道断であると僕は思う。


 つい20年前は、信じられないようなものが有償だった。


 たとえばTCP/IP。Windows3.1でこれを使うには3500円のシェアウェアに課金しなければならなかった。

 MP3プレイヤー。これはLAOXで5000円くらいで売られていた。

 Webブラウザ。Windows95のWebブラウザは別売りであり、1万円するパワーアップパックを買うとオマケで付いてきた。Netscape(いまのFirefox)も有料で、たしか5000円くらいだった。

 Adobe PDFも有償ソフトだ。

 そういやCD-Rを焼くソフトも、DVDを見るソフトもかつては有償だった。

 

 もちろんソフトウェアを開発する労力はタダではないし、それに対して敬意を払わないというつもりもない。ただ、ソフトが有償であるということは、環境が個々人によって違うということだ。これはかなり都合が悪い。


 自動車で例えれば、ウインカーが別売りみたいなものだ。しかもウインカーが何種類もあっていろんなメーカーから出ていて、使い方も違う。


 これらのものは、当然、OSに吸収されていった。



 いまやパッケージソフトを買おうという機会は激減している。しかし実際にはソフトウェアに対して支払われる金額はかつてないほどに高騰している。ソフトという静の資産を購入する流れから、サービスや体験といった実質価値のあるものに料金を支払う流れが主流になっているのだ。世界の時価総額トップ企業のほとんどが、その本質的価値をハードウェアではなくソフトウェアによって生み出していることはもはや疑うべくもない。


 企業は常にジレンマを抱えている。善なる心を持つプログラマーを集めたい(優秀なプログラマーはたいてい、善良である)という望みはあるが、一方で利益を上げたいという邪悪な欲望も叶えなければならない。


 このバランスがとれているうちは企業は無害に見えるが、このバランスが崩れると企業は一気に邪悪な独裁者と化す。


 複数の企業が競争している状態は健全だが、事実上の独占が起きている時はその限りではない。


 Microsoftに居た時、上司が口酸っぱくして語っていたのは、「愛される会社にならなければならない」ということだった。


 当時すでにMicrosoftは独占的地位にある企業であり、その内面には邪悪な利益追求主義がなかったとは言えない。だが、僕の居た部署は長期的な戦略のために設置された部門で、お金を稼ぐというミッションではなく、愛されるために行動するというミッションしかなかった。


 詳しいディールは知らないが、少なくとも数年間は完全に無償でパートナー企業のために働いていたように思う。


 もちろんその経験の蓄積があるからこそ、Xboxの立ち上げがうまくいったわけだけれども、少なくともゲーム産業に関して、Microsoftは開発者やサードパーティから愛される努力を怠ることはなかった(バルマーが政権をとるまでは)。


 この当時、Microsoftは成毛社長と中村正三がSoftwareDesign誌だかざべだかで喧嘩していたせいで大変イメージが悪かった。MSではなくM$と揶揄するような呼び方もあった(この呼び方そのものは品がないので好きではない)。


 僕ももちろんMSに対していい印象がなかったのだが、僕を仕事に誘った上司はこういった。


 「今の状況でMSを好きなやつなんて信用出来ないよ。大丈夫。みんな嫌いだ」


 僕はMSの本社で後に「マンハッタン計画」と呼ばれるプロジェクトの前身となる組織で働いていた。そのとき、少なくともMSは邪悪ではなかった。目先の利益ではなく、将来的な尊敬(リスペクト)を集めるべく行動することが求められた。親しみやすく、わかりやすく、皆様の利益が私達の利益です、という姿勢だ。


 その後Microsoftの仕事から離脱したので、後に邪悪になったのかどうかはしらない。しかしOSのセンスは一時期悪くなった。VistaとかVistaとか8とか8とか。


 でもWindows10はなかなか良さそうだ。けれども常用するには至ってない。

 Surface Studio買ったけど

 

 今、MSが邪悪だ、と感じているひとは20年前に比べると激減してるんじゃないだろうか。

 MSは横暴な支配者の時代から脱却し、愛された方が得をするということを学んだのだと思う。


 Appleも横暴な面はあるが、愛されたほうが得だと考えているのは間違いないだろう。


 どんなに邪悪な帝国も、結局は一人で生きていくわけにはいかないのだ。調和と対話、そして愛し愛される関係をいかに構築していくかということが帝国の存続を左右する。


 さて、今また独占的地位にある会社が、邪悪な決意をむき出しにしている。


 正直、全てのデータセンターに入れるGPUをTeslaにしろと言われると、たとえば僕が子供と大人向けに行っている人工知能教室の料金が10倍くらいに跳ね上がってしまうことになる。これは果たして愛されるための行動と言えるだろうか。


 それともデータセンターでなければラックマウントサーバを教室に置けばいいというのか?

 しかし冷却のため冷房を強くしなければならないし、子どもたちが風邪をひく心配をしなければいけない。不快な騒音で子どもたちが難聴になる心配もある。


 明らかに、馬鹿げている。


 もしホスティング業者だけを狙い撃ちしたいのであれば、ホスティングの禁止を条項に掲げて、個別に裁判でもなんでもやればよろしい。少なくとも深層学習の普及の妨げになるようなことは、独占的地位にいるからこそ、慎重に避けなければならないのだ。


 そしてこういう邪悪な気持ちをもってパートナーを食い物にしたという実績を持つ会社は必ず滅ぶと歴史が証明している。


 あと数年はNVIDIAの天下かもしれないが、そこで命運は尽きる。


 AT&TはUNIX関連のビジネスから撤退した。PCに無茶な独自拡張をしてパートナーを裏切り、利益を独占しようとしたIBMもそうだ。MicrosoftはWeb2.0以降、存在を無視され続けている(みんながWindowsを使うのは優れているからではなく単に考えるのをやめているからだ)。


 いま、誰かが、CUDA以外の選択肢を示せば、それが多少割高で、多少性能的に見劣りするとしても、それに飛びつく人は少なくないだろう。


 実際、僕は昨日からOpenCLの調査を始めている(これだけでは性能的に厳しそうだが)。

 帝国が横暴に振る舞えば振る舞うほど、反乱軍は力を増す。


 See you around, kid!