2017-12-22

はあちゅうと会話が成り立たない理由解説する

なぜはあちゅうが今さら創作の話を持ち出すのか、普通に生活していると理解できない。しかし、はあちゅう立場に立ってみれば簡単にわかる。

端的にいうと、はあちゅうは『コンテンツ』でもあり『人格』でもあるという微妙立場にある。そしてこの立場では絶妙な立ち回りが必要なことに気づいていない。

コンテンツ』のコードはゆるい。セクハラするキャラであればセクハラ描写が許されるのがコンテンツ世界だ。セクハラキャラ芸能人ツイッターセクハラツイートしてもよほどのことがなければ炎上することはない。

人格』のコードは複雑な上に厳格だ。人格コードに正解はほとんどないので「嫌われる」「好かれる」のライン暫定的採用するしかない。ポリコレ現代社会ではそれなりに無難な指針になる。

一般人生活コンテンツではないので人格コードだけで生きていけるし、コンテンツとしてエッジを立たせる必要がない以上コードギリギリを攻める必要はない。

コンテンツとしてのはあちゅうからギリギリ感を捨ててしまうのはかなり難しい選択だ。全てのコンテンツコードギリギリを攻める必要はないが、コードギリギリを攻めてきたコンテンツがいきなりその路線を棄てることは難しい芸当だからだ。

今回は事例の特殊性もある。

セクハラをされたりセクハラ告発したりするのは人格しかできない。通常運転彼女ツイートは(*1)コンテンツに徹しているのかも知れないが、セクハラ告発をしてしまったらそのアカウント人格しかみえない。現在ではツイートしてる本人も周囲もコンテンツとして理解すればいいのか人格として理解すればいいのかわからない。混乱した立場をぶつけ合っているからかみ合わない。

芸能人仕事用の人格(コンテンツ)とプライベート人格に明確な線を引いている。そこを混ぜてしまうと仕事クオリティ生活クオリティ犠牲にすることになる。

はあちゅう一般人から芸能人化することな現在立ち位置に立ってしまった。ホリエモン化(*2)が今から彼女がとれる方向性の一つだろう。その他はまだ思いつかない。

(*1)見てないからわからないが

(*2)芸能活動はしなくてもあくまでもコンテンツとしての人格しか見せないし、見えてしまった人格コンテンツとして消費されることを受け入れる

  • anond:20171222010154

    ちょっと感心した。なるほどコンテンツと人格のコードか。

  • anond:20171222010154

    芸能界ですらその両者ははっきり分かれてないんだよな 特に若い女というのは殊更に、人格としての本人とコンテンツとしての本人がごっちゃになってる 若いだけでもてはやしてるから...

記事への反応(ブックマークコメント)

 
 
アーカイブ ヘルプ
ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん