NHKスペシャル「時間が止まった私 えん罪が奪った7352日」[字][再] 2017.12.21

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無実の罪で20年間とらわれていた女性がある日無罪となり再び社会に戻った時どんな事に直面するのかあなたは想像できるだろうか?8歳だった息子は29歳の大人になっていた。
見知らぬ他人に見えた。
60代だった両親は80代となり介護が必要になっていた。
そして自分自身も31歳から51歳になっていた。
大阪・東住吉区の住宅街。
22年前の夏ここで事件は起きた。
火事が発生し入浴中だった小学6年生の少女が逃げ遅れて命を落とした。
少女の母親とその内縁の夫が放火殺人の容疑で逮捕された。
動機とされたのは保険金。
新聞や雑誌にはセンセーショナルな見出しが躍った。
母親は無期懲役の判決を受けた。
事件が起きた1995年は阪神・淡路大震災地下鉄サリン事件が起きた年。
日本を揺るがす大きな出来事を前にこの事件は次第に人々の記憶から薄れていく。
しかし母親は獄中で無実を訴え続けていた。
そして20年がたった。
裁判がやり直され母親は無罪となる。
釈放された彼女を迎えたのは息子だった。
これは20年という途方もない時間を奪われた女性が失われた人生と家族の絆を取り戻そうとする再生の物語である。
無期懲役から一転して無罪へ。
社会に戻って2年がたちその女性は私たちの取材を受け入れてくれた。
(取材者)おはようございます。
失礼します。
今大阪市内のマンションで1人暮らしをしている。
部屋には生活のにおいが感じられなかった。
目についたのは22年前の火事で亡くした娘のめぐみさんの仏壇と遺影。
この日はめぐみさんの月命日だった。
生きていればもう33歳になる。
月命日誕生日そして命日。
青木さんの日々は今もめぐみさんの節目の日とともに過ぎていく。
再会を喜び合った息子とはその後ほとんど会わなくなっていた。
驚いた事にこのマンションの住所さえ教えていなかった。
頭の中では分かっていても突然大人になって目の前に現れた息子の存在を受け入れるのは難しかったという。
息子は現在31歳。
転々と仕事を変えていたが最近定職を見つけた。
息子は事件のあと親戚のもとに引き取られた。
転校し母親の事は知られなかった。
そのため学校生活は平穏だったが親戚の家では違った。
息子もまた20年ぶりに再会した母親の存在に戸惑っていた。
子どもの頃のように甘えようとした。
しかし青木さんはそれに応えなかった。
青木さんは早朝から働きに出る。
ビラ配りの仕事である。
20年の間に世の中は変わってしまった。
人の足手まといになる事なく自分一人でもできる事をと考えこの仕事を選んだ。
青木さんは釈放されるまでの7,000日以上にわたって日々日記をつけていた。
22冊に及ぶノートには一枚一枚の紙を惜しむように小さな文字で当時の生活心情がつづられている。
逮捕前後の警察による取り調べの様子も記している。
刑事は「お前は鬼の様な母親やなめぐみに悪いと思えへんのか素直に認めろ。
涙も流さへん女やな」と侮辱する言葉や「認めろ」と大声で怒鳴ったり机を叩いたりしてきました。
青木さんの容疑を裏付ける物的証拠は何もなかった。
動機とされた保険金も事件の3年前に入っていたごく一般的な学資保険だった。
逮捕の決め手となったのは自白だった。
なぜ青木さんは自白をしたのか。
取り調べの時青木さんは刑事から衝撃的な事実を聞かされた。
それは血のつながりのない内縁の夫が娘のめぐみさんに性的虐待を繰り返していた事だった。
刑事が夫とめぐちゃんとの関係を話してきました。
それを聞いた私は信じられずボーっとしていると刑事は「女としてめぐを許されへんから殺したんやろ」と言われ私はその言葉にショックを受けてしまい頭の中は真白になりパニック状態でした。
私は刑事に言われるままに一枚の自白書を一時間ぐらいかかって書き終えました。
「大阪府警察本部ではめぐみさんに掛かっていた保険金1,500万円を目当てに放火して殺害したとして昨夜2人を逮捕しました。
2人は車の近くに放火したと供述しました」。
青木さんは無期懲役となった。
しかし獄中では一貫して自白は真実ではないと無実を訴え続けた。
また今年も7月22日がやってきました。
この辛い悲しい娘の命日に母親として何一つしてあげられないままただ獄中で手を合わせて娘に「助けてあげられなくてごめんね」と言い涙を流すことしか出来ないのが本当に悔しくてたまりません。
塀の中の生活が一年また一年と過ぎていく。
しかし青木さんは諦めなかった。
一人残してきた息子のためだった。
息子と別れて7年以上が過ぎてしまったので私はあなたの成長した姿を想像することもできなくなってしまいました。
とても親としては悲しく思います。
いつか必ず会って話ができると信じて裁判で無実を勝ち取ろう。
逮捕から16年弁護団が有力な証拠を見つけた。
自白は7リットルのガソリンをまいてライターで火をつけたというものだった。
しかし実際にやってみると自分が大やけどを負うため放火はできないという事が明らかになったのだ。
車の給油口から漏れ出たガソリンに給湯器の種火が燃え移った自然発火の可能性がある事も分かった。
検察側も反論のため実験を行ったが結果は同じだった。
青木さんは無罪判決を勝ち取った。
検察側はその日のうちに控訴しない事を決めた。
青木さんはえん罪で20年間拘束された事に対する補償金を受け取った。
そこから弁護士費用などを支払い残ったお金でこのマンションを購入した。
印象的だったのはその服装だ。
黄色い花柄のワンピースにハイソックス。
青木さんは20年前の世界からタイムスリップしてきた感覚にしばしば襲われるという。
最もストレスを感じるのが電気製品の操作だ。
携帯電話を持とうと店に出向いた際店員の言っている事が全く理解できなかった。
9月下旬青木さんはえん罪を訴える人たちの支援団体に招かれ講演をする事になった。
社会に出て2年がたち一人で出かけられるようになったがまだ人混みは苦手だという。
会場に着いた青木さんの行動が目に留まった。
除菌ペーパーで椅子や机を念入りに拭き取り始めたのだ。
私たちはその後何度もこの光景を目にした。
(取材者)何が無理なんですか?どれだけ無実を訴えても信じてもらえなかった20年間。
社会への不信感から極度の潔癖症になったという。
この日の講演ではえん罪被害を告発する映画を作った監督も問題の深刻さを訴えた。
(拍手)無期懲役や死刑が確定したあとに再審が行われ無罪となったケースは戦後9件。
その一人青木さんには講演の依頼が数多く寄せられている。
青木さんはかたくなに一人で生きていこうとしているように見えた。
両親との間にも深いわだかまりがあった。
逮捕された時両親はまだ60代だった。
父親の平造さんは大工。
言葉少なく怖い存在だった。
20年のうちに両親は80代になっていた。
母親の章子さんは青木さんが逮捕されたあと大病を患った。
認知症の症状も出ている。
平造さんは青木さんの事件で多くの得意先を失った。
今は耳が遠くなり支えが必要になっている。
釈放された直後青木さんは両親と同居していた。
しかしいさかいが絶えなくなり1年後家を出た。
両親は逮捕された青木さんのもとに10年以上面会に行かなかった。
無実を訴え続ける青木さんの事を信じられなかったからだ。
警察の言うとおり罪を認めるべきだと娘に迫った。
お互いその時の事に触れる事はない。
一番信じてほしかった親に信じてもらえなかった娘のつらさ。
娘の無実を信じ切れなかった親の負い目。
えん罪が親子の関係に亀裂を入れていた。
青木さんは息子も遠ざけている。
突然大人になって現れた息子を受け入れるのが難しかったという理由だけではない。
インターネットの掲示板などにはこの事件への見知らぬ他人からの誹謗中傷が後を絶たない。
無罪となったが世間は必ずしも無実とは思ってくれない。
青木さんは自分の存在が息子に迷惑をかける事を恐れていた。
息子は今年結婚した。
妻となった女性は青木さんの事を知った上で結婚を決断した。
両親にも事情を話した。
最終的には認めてくれたという。
青木さんは新しい家庭を持った息子のためにも親子の関係を断とうとしている。
食事はいつも一人。
食べたいものが何も思いつかなかった時手に取るのがトウモロコシ。
亡くなっためぐみさんの大好物だった。
青木さんは心の中のめぐみさんと2人だけで生きると決めているように見えた。
何か何だろう…。
10月上旬青木さんは講演のため北海道へ向かった。
しかしこのころ青木さんの実家では重大な出来事が起きていた。
母親の章子さんが一人で家を出たきり行方が分からなくなっていたのだ。
実家に息子が妻と共に駆けつけた。
いなくなってまだ5時間だったが章子さんは認知症不安が募る。
前日の夜章子さんは夫の平造さんと戸締まりのしかたを巡って口論になり朝になって家を出ていったという。
平造さんは既に警察に出向き捜索を頼んでいた。
実家のそばには大きな川が流れている。
心配は川に落ちる事だ。
息子にとって祖母の章子さんは母親代わりだった。
親戚の家でつらい思いをしていた自分を見かね引き取ってもらった。
祖父母のもとで18年間暮らした。
平造さんも知り合いのもとを訪ね行方を捜し回っていた。
息子の妻が付き添っていた。
夜になって青木さんは予定を切り上げて大阪に戻ってきた。
息子はまだ実家に残っていた。
行ってくるから。
息子も黙って母の後を追った。
向かったのは章子さんが一番親しくしていたいとこの家だった。
(ノック)すみません忙しい時に。
あっすみません。
それから2人は家族で祭りなどでよく出かけた神社の周辺を捜し回った。
釈放されてから2人きりでこんなに長い時間を過ごすのは初めての事だった。
この日息子は仕事の予定だった。
しかし妻から「仕事よりも家族でしょう」と叱られ駆けつけていた。
車内は妻の話題で少し明るくなった。
行方不明となって3日目。
警察の捜索が本格化した。
捜索は川の周辺を中心に行われた。
これ作ってもらったんですよ。
青木さんも章子さんのチラシを知り合いや近所の店舗などに配って回った。
平造さんは日に日に憔悴していた。
妻に厳しく当たった自分を責め続けていた。
青木さんはできる限り実家で過ごすようにしていた。
この日は亡くなっためぐみさんの誕生日だった。
母親を捜す中でどうしても頭に浮かぶのが22年前の記憶。
自分を責め続ける父親の姿がその時の自分と重なった。
章子さんが行方不明となって2週間が過ぎた。
この日警察の要請で河原の草刈りが行われた。
どこかの施設に保護されているのではないかという望みも薄れていた。
作業は7時間に及んだ。
途中で雨が降りだしたが平造さんはその場を動こうとしなかった。
青木さんもずっとそばに付き添っていた。
母を待ち続ける父の姿を見て自分が20年間父にかけた苦労の大きさを初めて実感した。
…っていうのを生きてきた訳だから。
夜になって息子の妻が仕事で来られない息子に代わってやって来た。
元気ですか?参るわ。
お茶いれてこう。
冷たいのがいいかな?熱いのがいいかな?一緒に食べましょう。
平造さんが食事をしっかりととったのは久しぶりだった。
息子は仕事で来られない時にはメールを頻繁に送ってくるようになった。
息子の妻からもメールが度々届いていた。
この日青木さんはこれまで教えていなかった自宅のマンションに初めて息子夫婦を招いた。
不安な日々がもう3週間も続いている。
少しは気分転換のために一緒に昼ごはんでも食べようという事に自然となった。
章子さんが行方不明となって1か月。
実家から50キロほど離れた海岸で章子さんの遺体が見つかった。
心配したとおり川で流されたと見られる。
一縷の望みはかなわなかった。
それでも家族みんなで見送る事ができた。
天国の母親が家族を一つにしてくれたのかもしれない。
青木さんはそう考えていた。
みんなが実家に集まりすき焼きを囲んだ。
父息子夫婦この家族で鍋を囲むのは初めての事だった。
ふがいい?はい。
こっち持ってきたらあかんねんで。
えのきはこっち…。
白菜はあっちへ持っていって。
あっちね。
は〜い。
いつものように息子の妻が場を盛り上げた。
とりあえずこれどうぞ。
ふだんあまり食べない青木さんも息子夫婦につられるように箸を動かしていた。
すき焼き食べられへん家みたい。
亡くなった娘のめぐみさんが大好きだった黄色い花。
青木さんは今もめぐみさんとの時間を大切にしている。
22年前の火災現場を欠かさず訪れている。
娘を守れなかった事への後悔の念が消える事はない。
青木さんはこの日5か月ぶりに髪を切った。

(取材者)さっぱりしましたね。
そう。
7月から来てないから。
青木惠子さん53歳。
止まっていた時間が少しずつ動き始めている。
皆さんは募金と聞いて何を思い浮かべますか?2017/12/21(木) 01:00〜01:50
NHK総合1・神戸
NHKスペシャル「時間が止まった私 えん罪が奪った7352日」[字][再]

無実の罪で20年間獄中にいた女性が、無罪となり、再び社会に戻った時、どんなことに直面するのか。途方もない時間の中で失ったものを取り戻そうとする女性の再生の物語。

詳細情報
番組内容
大阪市に住む青木恵子さんは、娘殺しの母親という汚名を着せられていた。1995年、小学6年生だった娘を、保険金目的で焼死させた疑いで、無期懲役を受けたのである。獄中で無罪を訴え続け、2016年、無罪判決を勝ち取った。その間に8歳だった息子は29歳に、60代だった両親は、80歳を過ぎ、介護を必要としていた。自分自身も31歳から51歳になっていた。失われた家族の絆を取り戻そうとする青木さんだったが…。
出演者
【語り】松尾スズキ,【朗読】森昌子

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般
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