対象読者

この記事は私が考える留学のメリットについて書いております。
内容は留学を考えている全ての方にとって関係があると思います。
どの具体例も研究に関連する話だったので、悩んだすえにタイトルには研究という字を入れました。

筆者の情報

いつ行ったか:2017/06 ~ 現在
どこに行ったか:Brown University, Computer Science Department
何をやったか:Artificial Intelligence, Reinforcement Learning, Robotics
どうやって行ったか: Ph.D. Program

以下の議論は私個人の体験に基づくものであり、人によって様々な体験があり考え方があることかと思います。
ある程度の一般性はあると思いますが、私が経験したたった2、3個の研究環境をもってして議論をしようと試みているものであります。
しかしここではあえて大口を叩き「研究留学の3つのメリット」と題して私が感じた研究留学の3つのアドバンテージについて議論します。
本来は不可分のものですが、1は環境について、2は自分について、3はコミュニケーション(自分と環境のインタラクション)についてという形でまとめました。

1. 研究留学は環境に適応する能力が学べる

主張1.
研究スタイルは自分の性向と環境によって最適なものが違います。己を知り、異なる環境に対して対応できるようなメタ戦略を学ぶ必要があるでしょう。研究留学はその戦略を学ぶために役立つと思います。

生物はその環境に適応して行動を変えます。しかし環境は場所によって違い、同じ場所でも時間に対して不連続に変わっていきますので、ある一つの環境において最適な戦略のみを学習することは良い考え方ではありません。できればなるべく多くの環境の中で有効な戦略が取れるようになりたいです。最適な戦略というのは人によって違います。性格や能力によって全くことなるものなので、その環境にいる他人の戦略をそのまま真似るというわけにはいきません。

私が学部・修士に福永Alex研究室で学んだ研究スタイルもその研究室の環境に対して最適化したものでした。福永研はミーティングのある曜日以外、研究室にほとんど人がいないという環境でした。では学生は研究をやっていないのかと言われると、院生はコンスタントに論文を出していました。私は他の研究室の友人から、それが比較的レアな環境であると聞きましたが、いかんせん実体験を伴った環境は自分が所属する研究室のみでした。なので、私が学んだ戦略はその環境に適したものでした。

その戦略というのを簡単に説明すると、「一週間はのんびり自分で考えてみて、分からないところはミーティングの曜日に先生・先輩に質問攻めする」というものでした。先生・先輩は快く質問に答えてくれると知っていましたし、私は週6日インタラプションなく考えられる環境が好きだと知っていたので、この戦略はうまく機能し、3年間のんびり幸せに研究をしていました。

一方、現在私が所属するBrown大学のComputer Science学部はある意味人間の交流を強要する雰囲気があります。この研究環境の違いの理由はPIのポリシーの違いもあるかもしれませんが、研究分野の違いもあるかと思います。東大にいたときの研究室は計算機のみで実験が行える研究分野(探索アルゴリズムの開発)であり、それに対して現在所属している研究室はロボティクスの人が多いです。ロボットを動かすにはたくさんのモジュールを実装しなければならないので、人数を増やすと出来る研究の幅が広がるそうです。なのでPIにはどうにかして人を集めよう、というインセンティブが働くようです。

私は少々この環境に適応するのに苦労しています。というのも私は集中している時にインタラプトされることに対して非常に弱い人間であるようです。共同研究をしていると必然的にミーティングを行うことになりますが、今プログラミングの調子が良いという理由ではミーティングを欠席することは出来ません。一度自分の作業をやめてcontext switchしなければなりません。私が学んだ戦略はミーティングが入りがちな昼はあまり大きな仕事は行わないことです。雑務や簡単な授業課題などの優先順位が低く時間があまりかからないことを邪魔の入りやすい昼にやることにしました。その代わり朝早くに起きて大学に行くことにしました。朝は誰も邪魔しませんので、集中してコードや論文を書くことが出来ます。

最初はやたらとミーティングを行うことに対して文句を言っていたのですが、そうではなく、制約に対して自分のスケジュリングを最適化する道を選びました。というのも学生のマジョリティがミーティングをやるべきだと主張するのに対して反対するのは時間的・社会的コストが大きいと判断したからです。

以上の体験を踏まえ、私の感じたこととしては、複数の環境を体験することで自分が様々な環境に適応する方法を学ぶことができる、ということです。

2. 研究留学は自分のスキルを見直す良い機会になる

主張2.
環境によって重視される・必要になる・育てやすい能力は異なります。研究留学は今まで気が付かなかった自分の得手・不得手に気づく良い機会になるでしょう。

今にして思えば、東大の頃の指導教官と2人の研究は学生からするとかなり「楽」でした。教員は多くの場合こちらが不明瞭な説明をしても不明瞭な部分を指摘してくれますし、この論文のアイディアが使えないか、という話をするにしてもその論文のバックグラウンドを知っているため上手に説明することなく理解してくれます。一方で今私がBrownでしているような学生がいっぱいの共同研究では他の学生にアイディアの説明をしなければなりません。学生相手に不明瞭な説明をすると全然伝わらない、ということが良くあります。丁寧にバックグラウンドを説明して、場合によってはかなり基礎的な説明をまずしなければなりません。よくある?のは、相手の学生は自分はその分野にとても詳しいと思っていて、こちらの指摘を聞いてもくれない、ということがあります。こういう学生を説得するのはとても大変です。

恥ずかしながら私はちゃんと研究のアイディアを他人に説明出来ていると思っていました。それは実は私の説明する能力ではなく、指導教官の学生の意図を理解する能力に依存しているだけでありました。新天地に来て初めてその能力が足りていないということに気が付きました。当然、プレゼンテーション能力は東大にいたときは必要なかったというものではありません。ただプレゼン能力に対する正負のフィードバックが環境によって違うという話です。

この一事例からの教訓を汎化すると、環境が変わると新しく自分の得手不得手に気づけることがある。研究留学は更に自分を磨くチャンスです。

3. 研究留学は異なる環境にいる人とコミュニケーションする能力が得られる

主張3.
良い研究をするためには異なるバックグラウンドを持った研究者と議論ができる必要があります。研究留学は異なるバックグラウンドを持つ研究者とコミュニケーションする方法を学ぶ機会が得られます。

1.2.に包含される話でありますが、あえて分けて書きます。異なるバックグラウンドを持つ研究者は異なるプロトコルでコミュニケーションをします。自分の研究やアイディアはなるべく多くの研究者に説明出来るようにしたいです。

日本の大学院にいる人の殆どは日本人であり、日本の学校・大学で教育を受けてきた人たちです。日本にいるとこのような人たちに対するコミュニケーションはうまくなります。ウケるジョークも分かるようになります。しかしやはり研究のアイディアを伝えたい相手はこれが全てではありません。世界中の研究者に伝えたいわけです。

研究留学は世界の異なるところにいる研究者と一緒に生活して、コミュニケーションをするのに良い機会になります。特にアメリカは世界中から様々なバックグラウンドの人が大学院に来ます。普段の生活の中や研究のディスカッションで、どのように言えばより多くの人に伝わるか、また逆に他の研究者のアイディアをどのように理解すれば良いかというのが学べます。

例えば、よく言われることですが、アメリカでは自信を持って主張をすることが求められます。私が体験したことを比喩を用いて説明すると、「俺は中華料理のプロだ、何でも聞いてくれ」という人がいました。私は麻婆豆腐が作りたかったのでその人と一緒に作ることにしたのですが、どうやらその人は塩と胡椒の違いが分からないようでした。そんなことも分からないでプロを名乗れば日本だったらバッシングに合うでしょう(別にアメリカでだって褒められたことではありませんが)。しかしその人がプロを名乗ることには根拠は杏仁豆腐の作り方は世界の誰よりも詳しいということでした。塩と胡椒の違いは基礎の基礎ですが、杏仁豆腐を作るためには必要のない知識です。中華料理のプロと言ったら塩と胡椒の違いくらい知っていると周りは思うかもしれませんが、まあ杏仁豆腐が上手いならそれは嘘というわけでないでしょう。もしその人がプロを名乗らなければ私はその人と一緒に麻婆豆腐を作ろうとは思いませんでした。そういう意味ではその人の「戦略」はうまくいったのでしょう。
このように、ここでは明らかな嘘ではないことなら誤解を招きがちなことでも強く主張をすることが多いです。日本ではポジショントークという謗りを受けそうな話でも客観的な話として話したり、明らかに自分の利益のために他人を説得をするという場合でもあたかもあなたのためにやっているんだ、というポーズを崩さなかったり。良い悪いはさておき、思うにこれらの違いは誠実さというより、文化なのかも思います。

もうひとつ私が感じた大きな違いはここにいるPI・大学院生はとにかく何を言ってもAwesome! Cool! Great!と言います。
学部生の実験・解析がどれだけ問題だらけでも決してネガティブなことをいいません。Awesome!と言ったあとで、あとはこういう実験もやってみると良いんじゃない?、という風に学生を誘導します。こういったコミュニケーション・プロトコルの違いのせいか、逆にズバズバ問題点を指摘していくと学部生は一気にやる気をなくします。私は一度これで授業のプロジェクトが解散してしまいました。こちらは別に思ったことを言っただけですが、向こうとしては「自分と組みたくないから文句ばかり言っているんだ」と思われたようです。

まとめ

繰り返しになりますが、私はせいぜい2,3箇所の研究拠点しか知らないで以上の議論をしていますので、性急な一般化のきらいがあるでしょう。よろしければ皆様からの体験や意見を頂ければより良いまとめにできるかと思います。

3つのポイントに対する具体例は書いてみたら全て対人コミュニケーションについての話でした。確かに思い返してみてもそれが一番の違いであり、一番苦労した点であります。

私の3つの主張は研究に限らず留学に限らず環境を変えることに対して適用されると思います。やや強い主張を言えば、たった一つ特定の環境の価値判断基準をuniversalだと思ってしまい、その環境にとどまるという選択肢しか考えられない人が自殺をしてしまうのではないかと思います。

人間性へ捧げよ

また、最後に海外留学で最も気を付けなければならないこと、それは研究以外の環境、生活環境です。こちらは研究環境と同じくらい重要であるのにかかわらず、多くの人(e.g.私)にとって見落とされがちです。

私は東京にいた頃はらーめんが大好きで、実験を投げてはらーめん、コードを書いてはらーめん、論文を採択されたららーめん、落ちてもらーめんとハレもケもなくらーめんを食べている人でした。研究は、少なくとも私は、うまくいかない日の方が多いですが、らーめんを食べればその日は幸せな一日だったわけです。生活の中にそういう価値が存在したからこそ研究を続けられたといっていいでしょう。しかし私はそれを、アメリカに来るまで気づきませんでした。

私にとってのらーめんがあなたにとっての何なのか、食事か、家族か、音楽か、ゲームか、それは知りませんが、研究以外であなたの生活の中にある価値というのを見直してみると良いと思います。それは、留学しにいく大学のある都市に行っても得られるものでしょうか?ないなら、あなたは代わりの価値を見つけることはできるでしょうか。

研究以外の楽しみを見つけることは俗?ではないですし、浮世離れしていることが良い研究者の条件というわけではないでしょう。落合陽一先生は「人間性を捧げよ」というキャッチフレーズとともにカメラの前で食事をグミで済ませたり、カレールーをすすっておられました。しかし私は「人間性を捧げよ」というフレーズは誤解を招く表現ではないかと思います。グミを口に含んでコンピュータに向かう落合先生の姿はむしろ落合陽一という人間の人間性の発露という印象を受けました。自分の幸せを捨てて研究をするというのはあまりうまくいかないのではないでしょうか。落合先生は研究の中にこそ幸せがあるからそれを深く追求しているのだと思います。その人間性を大切にすれど犠牲になんかしているわけではないと思います。

私が感じたメッセージは、むしろ「人間性捧げよ」です。自分が今一番やりたいことを全力でやれる環境・方法を見つけることが一番大切なのではないでしょうか。あなたの幸せが研究をしてかつらーめんを食べることなのなら、らーめんを食べて研究をする方法を探すべきだと思います。らーめんを食べる暇があったら研究をしたいというのならそうすれば良いかと思います。

あなたの人間性を理解することが何よりも大切なことなのではないでしょうか。