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異世界国家アルキマイラ ―最弱の王と無双の軍勢― 作者:蒼乃暁

第一章 異世界転移

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第三話   「これは夢だ」

 それから三十分は経っただろうか。
 あるいは、まだ三分程度しか経っていないのかもしれない。

 クッションの利いた椅子に体重を預け、天を仰いだまま、ヘリアンはそんな益体もないことを思考する。

 ……いい加減、現実逃避も限界に近い。
 まともに働いているかも怪しい頭を無理矢理稼働させ、この状況を説明することの出来る可能性を列挙する。

「……可能性その1。[タクティクス・クロニクル]をプレイ中、バックグラウンドで革新的なバージョンアップが実施されてAIが超絶進化。五感に関しても同様に、バージョンアップによって知覚可能な情報量が莫大に増えた」

 否定(ネガティブ)
 不可能だ。

 AIに関しては国王側近のNPCキャラだけに限定すれば技術的には実現可能かも知れないが、バックグラウンドで処理するとすれば何十時間かかるか分かったものではない。

 第一、そんな予告も無かった。
 <全感覚投影式>のVRゲームは、万に一つの事故を防ぐ為、そのあたりの規制はかなり厳しい。予告無しで、ましてやプレイ中の人間がいるのに、大規模バージョンアップを行うことなど有り得ない。

 更に五感に関しては完全に規約違反だ。

 仮想現実を本物の現実だと錯覚してしまわぬよう、<全感覚投影式>を始めたとした仮想現実体感型(VRS)ゲームには厳しい規制がかけられている。

 代表的なのが味覚だ。
 <全感覚投影式>が商品化されるまでのαテストでは、ゲーム内でリアルな食事をしたことにより脳が食事済みだと誤認してしまい、現実世界での食事摂取量が激減するという問題が発生していた。

 この問題を受けて<全感覚投影式>では、一応の味らしきものを感じ取ることが出来るものの、不味くもなく旨くもない、文字通り味気ないものに感じるよう設定されている。

 また触覚に関しては現実(リアル)に寄せすぎないよう、ある一定までの感覚しか感じられないようになっている。

 プレイヤーが仮想現実で満足しきってしまい、現実世界での社会生活に著しい悪影響を及ぼす危険性を指摘されてのことだ。
 仮想現実体感型(VRS)ゲームの黎明期、まだ規制内容が正しく整備されていなかった頃に、一時期社会問題となったこともある。

 故に、運営会社がここまでリアルな五感情報を取得できるようにバージョンアップを行うことなど絶対に有り得ない。[タクティクス・クロニクル]のサービス停止どころか、企業の存亡に関わる一大事件にもなりかねない暴挙だからだ。

「可能性その2。壮大なドッキリ。これは実は現実世界であり、俺はゲームと似たような場所に寝ている間に連れて行かれた。さっきのリーヴェは本物の人間で、犬耳とフサフサ尻尾はアクセサリー。つまりは良く出来たコスプレ」

 否定(ネガティブ)
 有り得ない。

 たった一人の人間へのドッキリの為にゲームそっくりの城を用意してどうなる。
 それに、先程のリーヴェの耳と尻尾は完全に違和感が無かった。動きにしても不自然なところはなく、極々当たり前のものとしてそこに存在していた。

 第一、ウィンドウを開くことも、各軍団に簡易指示を飛ばすことだって出来たのだ。言うまでもなく、そんな魔法のような真似は現実世界では出来ない。

「可能性その3。これは[タクティクス・クロニクル]の中だが、俺の意識は別の専用サーバに転送されている。そしてそのサーバでは別バージョンの[タクティクス・クロニクル]が稼働中。そのスパコン並に高スペックな専用サーバで、俺は何らかのテスターとして、こんな馬鹿みたいな体験をさせられている」

 否定……は出来ない。

 まだ、その可能性は残っている。
 企業の倫理規定や、仮想現実体感型(VRS)ゲーム特有の厳しい規制に著しく抵触してはいるものの、そこに目を(つむ)れば技術的には可能かもしれない。

 人間のように振る舞える高性能AIが積まれているのがリーヴェ一人だけであり、体温や肌の感触や脈動などといった莫大な情報(データ)の保有者もリーヴェのみだとすれば、データ容量や演算処理能力的にも実現不可能ではないように思える。

 だが、それを立証するには確かめなければいけないことがある。
 あくまでリーヴェ一人だけが例外である、という事実を確定させなければいけない。

「――――」

 ヘリアンは執務机の引き出しから、純銀製のペーパーナイフを取り出した。
 ややあってから自分の左手を顔の前にかざし、まるで本物そのものであるかのような現実リアル感を持った掌をじっと見つめる。

 そして左手の掌にナイフの刃を押し当てて――ひと仕切り躊躇ってから、スッと横に引いた。

「痛ッ……」

 痛みが走る。
 まるで希釈されていない本物の痛み。これも規約違反だ。

 <全感覚投影式>では、健康への配慮から痛みの表現は厳しく規制されている。ダメージを負ってもちょっとした衝撃や刺激を感じるぐらいで、痛みと認識できるようなレベルには達しないよう制限することが定められている。

 だが、今更この程度の規制違反は予測済みだ。
 問題はこの後。

「……血が出てきた」

 線のような切り傷から流れ出る赤。
 左拳を強く握れば、あっという間に血が溢れてきた。
 滴る赤。鼻を近づければ血の臭いがした。現実(リアル)と寸分違わぬ圧倒的な情報量。

 つまり、これが[タクティクス・クロニクル]の中だとすれば、莫大な情報量を与えられたキャラクターデータはリーヴェだけではないということになる。

 仮にサーバからそんな莫大な情報量を与えられたとして、家庭用ゲーム機の筐体がそれを処理しきれるわけがない。

 故に可能性その3もまた、否定(ネガティブ)だ。

「可能性その4……………………夢オチ」

 なんとか絞り出したその可能性は否定したくない。

 左手の切り傷がジンジンと痛むが、以前、夢の中でほっぺたを思い切り抓っても目覚めなかったことがあった。今回も同じ類だと思いたい。

 だって、もう、これぐらいしか、可能性が残っていない。
 この可能性を取り除いてしまえば、有り得ない筈のこの現実を直視するしかなくなる。

 思わず項垂れているところへ、コンコン、とノック音。
 ……本日三度目のノック音は、どこか遠慮がちに聞こえた。
 いや、それは単に気のせいで、先程怒鳴りつけた罪悪感がそう思わせているのかもしれない。

「【入れ】」
「……失礼、致します」

 <鍵言語(キーワード)>を使って入室許可の意を伝える。
 静々と扉を開けて入ってきたのは、予想通りリーヴェだった。

 表情こそ澄ましているが、頭頂部にある三角形の犬耳はペタンと伏せており、ふさふさな銀尻尾も力なく垂れ下がっている。
 その原因は考えるまでもないだろう。

「……その、改めて情報を取り纏めて参りましたので……ご報告を、と」
「ああ――いや、その前に言うべきことがある」

 ビクッとリーヴェが肩を揺らした。
 悪戯をして主人に折檻される前の子犬のようだった。

「……リーヴェ、すまなかった。先程の私は気が動転していたようだ」
「えっ?」
「首都丸ごとの転移などと、さすがにこのような事態に巻き込まれるのは、私としても少なからず衝撃的だったようでな。許してくれ」

 謝罪の言葉を述べる。
 そして頭を下げようとしたところで、ギョッとした様子のリーヴェが慌てて止めにきた。

「い、いえッ! 私が、その、差し出がましい事を申してしまっただけの話で、ヘリアン様が謝るようなことではありません! 私こそ申し訳――」
「いいや、謝るべきは私だ。オマエにとっては心地が悪いだろうが、私の謝罪を受け取ってくれ。これは私にとって……俺にとって、必要なことなんだ」

 リーヴェの台詞を遮り、押し付けるようにして謝罪する。

 ……別に、異世界転移などという馬鹿みたいな現実を受け入れたわけでは無い。
 まだこれが“ヘリアンの見ている夢”である可能性は否定しきれない。

 だが一方で、夢だからといって好き勝手やっていい道理はないだろう。
 少なくとも、先程自分がリーヴェに対して怒鳴りつけたのは完全に八つ当たりだ。人としてなあなあで済ませて良いことではない。なので謝罪する。至極当然のことだ。

 それに万が一……考えたくもないが、仮に、万が一の話として、これが夢ではない“何か”だとしても、王らしく振る舞っておくに越したことはないだろう。精神衛生上の観点からも、そのぐらいの保身は図っておいて損は無い筈だ。

 尚もリーヴェは何かを言いたげだったが、ふと何かに気づいたように鼻を鳴らし、その視線をやや右下方に向けた。
 彼女の視線を追えば、そこにはナイフで切り傷を作ったヘリアンの左手がある。

 机に隠れて彼女からは見えていない筈だが、血の匂いに気づかれたらしい。
 さすがは狼獣人系の【月狼(マーナガルム)】だ。
 今の今まで気付かれなかったのは、勘気を(こうむ)ったことにより彼女の気が動転していたからだろうと察せてしまい、八つ当たりをした罪悪感が胸に刺さる。

「ああ、これか?」

 左手を軽く上げて傷口を見せる。
 すると、リーヴェは澄ました顔から一転、今にも泣きそうな表情になった。

 女の涙など見慣れていないヘリアンは慌てて口を挟む。

「い、いや、大したことない! 手違いで少し切っただけだ。気にしなくていい」
「……その、またしても差し出がましく恐縮なのですが……どうか、治療を……」
「大丈夫だ。こんなものは唾をつけていれば治る。そんなことより、現状把握を優先したい」

 リーヴェの顔を見ていられず『これからの事について話をしたい』と無理矢理に話題を変える。

「あえて繰り返すが、現状の把握が最優先だ。各軍団長は今どうしている?」
「現在はそれぞれ、ヘリアン様が各軍団に下された命令に準じ、各々の軍団を指揮していますが……」
「そうか。なら……各軍団長を謁見の間に集めることは可能か? 十五分程だけで良いんだが――」
「可能ですッ!」

 前のめりで返事が飛んできた。
 眼前までリーヴェの顔が迫る。睫毛の本数まで数えられそうだ。

 ……何が彼女をそうさせるのか見当もつかないが、必死すぎやしないだろうか。

「そ、そうか」

 ほんの少し引きつつ、集めるべき軍団長を指定し、十五分後に謁見の間に参集させる旨を伝える。

「承知致しました! つきましては、まずは手近な第三軍団長から呼んで参ります!」

 失礼致します、と深い礼をしたリーヴェが足早に執務室を出ていくのを見送る。
 何が彼女をそんなに必死にさせるのか、と首を傾げようとして、去り際の台詞を思い出した。

「……ああ、なるほどな。どうにかして、俺を第三軍団長に会わせようとしてたってことか」

 第三軍団長は治療魔術のスペシャリストだ。
 王が拒絶した以上は執務室ここまで連れてくることは出来ないが、王が謁見を開くとあらばその機会にどうにか治療を、ということだろう。

「設定通りの忠犬だな。いや、アイツは狼だけどさ」

 随分と再現性の高い夢だ、と思いながら左手の掌を見る。
 スッパリ切れた傷口からは、勢いこそ弱くなったものの血が流れ出し続けていた。我が事ながら見るからに痛々しい。

「やっぱり先に治療を頼んでおいた方が良かったか……無茶苦茶痛くなってきた」

 そんな情けない台詞を口にしながら、適当な布を掌に巻きつけておいた。
 一介の学生でしかない自分には医学の心得など無いが、取り敢えずの応急処置にはなるだろう。

 謁見までに夢が覚めてくれれば、と願いながらしばし謁見室の椅子に腰掛ける。
 しかし無情にも時は流れ、謁見の時間がやってきた。


・次話は【10月16日】に投稿します。

・既に20万字以上のストックを用意しているので、一章完結まで【毎日更新】します。

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