5先人たちの底力 知恵泉「この世のすべてが知りたい!南方熊楠 超人の作り方」[解][字] 2017.12.19

1912月 - による admin - 0 - 未分類

ちょっとね濃いめのえんぴつを使って練習してみて下さい。
(2人)はい。
さあじゃあいきますよ!おっ整いました?いっちゃって下さい!いいですか?はい!せ〜の!お〜!すごい言った。
めちゃめちゃ早く言った。
そしてまっすぐ見られてたからびっくりしましたけど…すごいでしょ。
お〜!43桁。
超人っていうとどのぐらいいけば…?おっと…全然ですね。
でも中川さんも超人憧れるでしょ。
そうですね超人といえばやっぱり宇宙の中心である…ブルース・リー様!もうね考えない瞬間がないですね。
今日はですねそんな…紹介したいんですよ。
こちらの方。
明治から昭和初期にかけて活躍した…「学者」がいっぱい。
そうなんです。
しかもこの人…貪欲貪欲ゥ!ええ。
その知恵味わっていきましょう。
知りたいです知りたいです。
全てはこの男の頭の中に。
人間離れした知識の持ち主…落ち葉の下から海の中そして宇宙へ。
あらゆるものを調べ尽くしそのつながりを考え尽くして世界の真理宇宙の法則にたどりつこうとした…人生をかけて森羅万象の不思議に挑み続けた熊楠。
世界的な学者を夢みてロンドンへ渡った若き時代。
ところが意外な弱点が熊楠の夢を打ち砕きます。
流れ着いたのは紀州の山奥。
ここで超人誕生へのヒントとなった…実は熊楠…人づきあいは得意ではありません。
しかし熊楠が知りたい情報はなぜかみんなが持ってきてくれます。
更に今回…家庭的な妻が超人の夫を理解するために役立てた不思議な日記の内容をご紹介します。
南方熊楠の知恵を読み解くのはご存じさかなクン!魚の魅力を伝えるためなら全国各地どこへでも!その本職は大学でも教べんを執る魚類学者です。
魚のすべてを知りたいさかなクン。
形や生態はもちろん地元でしか知られていない漁の方法やおいしい食べ方まで。
あらゆる面で魚の世界を極めようとしています。
さかなクンは「超人」南方熊楠の生き方をどう読み解くのでしょうか。
お話ししてみたかった。
貪欲の固まりですね。
ねえ。
ども〜!こんばんは!来た!現代の熊楠。
さかなクンいらっしゃいませ。
どうも。
お待ちしてましたよ。
さかなクンちょうど今日。
ギョギョ!いいお魚がね入ってるんですよ。
最高ですね。
まぶしいほどですね。
ねえキラキラキラキラ。
ほんとにツヤツヤ。
おいしそう。
しょこたんさん。
はいはい。
えっ?サバ…。
え〜何で?サバちゃんのお口をですねちょっと失礼しまして。
サバちゃん失礼します。
あ〜!結構大きなお口なんですね。
ほんとだ。
この大きなお口開けてみますとすっギョく細かい歯が。
めちゃくちゃちっちゃいけどギザギザって生えてる。
このように非常に細かい歯をしてますので小さい歯と漢字で書きますと「小歯」と読みますのでそれでサバになったっていう説があります。
は〜!なるほど。
しょこたんさんちょっと触って頂いていいですかこの辺。
はい。
わ〜!わ〜!なんて事を。
生きがいい!失礼しました。
さかなクン今日はね南方熊楠なんですよ。
あ〜!大天才。
はい。
どんなところがあるか見ていきたいと思いますが今日のコースこちらです。
はい。
もうストレート。
「超人の作り方」。
どんな人だったんでしょうね。
面白いですよね。
ねえ気になりますよね。
気になります。
という事で熊楠を見ていくオススメメニュー最初はこちらです。
あ〜いい事だなぁ。
なるほど。
最初の知恵味わっていきましょう。
ありがとうギョざいます。
ギョちそうになります。
和歌山県和歌山市。
南方熊楠はちょうど150年前の1867年に生まれました。
城下でも指折りの商家の息子として期待をかけられていた熊楠。
でも商売に役立つ算数のノートをのぞくと…魚の絵。
本物そっくり。
計算そっちのけでじっくり観察して描いたのでしょうか。
こちらは戦う鎧武者。
そろばん勘定よりも自然や歴史が好きな子どもだったようです。
少年熊楠の旺盛な知識欲を物語るのがこちらの帳面。
米粒のような字で天文学の知識がびっしりと書き込まれています。
実はこれ江戸時代の百科事典を丸ごと書き写したものです。
この世の不思議に満ちた百科事典は熊楠にとって宝の山。
一つでも多く自分のものにしたいと…19歳になった熊楠は世界を舞台に学問の道で成功したいと単身海外へ渡る事を決意します。
出国前に撮った写真の裏には…。
1892年熊楠はアメリカ大陸を経て…「知の殿堂」と呼ばれた…そこで得た知識をもとに書いた論説は…例えばこの論説のテーマは中国やインドでの星座の認識について。
古今東西の文献から知識を学んだ熊楠は世界的な学者への階段を上る…はずでした。
しかし…興味を持てば学問の分野は関係なし。
世界の全てを調べ尽くす事に夢中の熊楠。
博物館や大学から研究職への誘いもあったといいますが学問の世界は専門性が重要。
熊楠は専門を絞りきれずどれも立ち消えになってしまいました。
夢をかなえられないまま留学費用を使い果たした熊楠は33歳で帰国。
14年ぶりの里帰りをした熊楠に家族はあぜんとします。
立派な学者になるどころか学位もお金もないという体たらく。
これでは世間に恥ずかしいと熊楠は和歌山市の実家で暮らす事を断られてしまいました。
追いやられるように実家の店の支店がある熊野地方南部那智勝浦へ。
大都会から遠くその山々は神秘的な聖地とされるほど人を容易に寄せつけぬ奥深い森。
熊楠は当時をこう嘆いています。
最先端の研究環境も世界的な学者になる夢も失った熊楠。
しかしこれまで足かせだった…熊楠が毎日つけた日記。
ここに失望から立ち直っていく様子がうかがえます。
色鮮やかなクモの絵。
変わった形のキノコ。
熊楠が熊野の森で集めた生き物の記録です。
温暖湿潤で地形も複雑な熊野の森は多様な植物生物に満ちた神秘の森。
世界の全てを知りたい熊楠にとって…中でも夢中になったのが足元の土や腐った木にひっそりと生息する「粘菌」です。
動物のように活動して大きくなった後に植物のように枯れキノコのように胞子を出して数をふやす不思議な存在。
熊楠は思いをはせます。
粘菌には動物と植物の境目がない。
それは一つの宇宙。
まるで仏の世界の理を描き表そうとしたマンダラ。
それぞれ役割を持つ大小の仏が互いに関わり合う事で一つの宇宙を織り成している。
そして熊楠の思想の結晶とされるのがこの不思議な図。
「南方マンダラ」と呼ばれ熊楠はここに世界の真理を示そうとしたといわれます。
熊楠がたどりついた言葉です。
専門を絞らずに全てを求め世界を丸ごと理解しようとしたからこそ到達した超人的な境地でした。
やりたい事が多すぎた南方熊楠。
そうなんですね〜。
最高に面白い方ですね。
こんばんは。
いらっしゃいませ。
南方熊楠を研究されている田村義也さん。
ようこそいらっしゃいました。
どうぞお座りになって下さい。
失礼します。
これはただの落書きというわけじゃないんですもんね。
南方さんには思惑があってこういうものを描いてるみたいです。
先生でも?いや〜分からない。
今の時代になっても。
分からないです。
とても複雑で…随分いろんな事をこの図に凝縮してるみたいです。
南方さんが言ってるのは…つまり奥行きがあって膨らみがあって…文字が書いてありますでしょ。
「イロハニホヘトチリ」。
それらがお互いに関係してる。
真ん中密度高いんですよね。
外側がだんだん薄くなっていきます。
はい。
「ヌ」の線が上にあって「ワ」のところでかろうじてつながってる線をたどっていくといろいろと関係が密度の高いところにだんだん近づいていく。
だから関係が直接は薄くても間接的にはつながってる。
…という事は言いたかったみたいなんです。
うわ〜いい言葉。
さかなクン海の中でも感じますか?もちろんです。
全然違う生き物が例えば…役割分担になってると思うんですね。
今さかなクンの言われた話つまり生物の世界にいろんな役割を持ってる生き物がいるっていう事。
今だと生態学っていう学問があるから私たち教科書で勉強できるんですけれど…その真理にたどりつくための知恵が…どうですか?いやいくら時間あっても足りないと思いますね。
自分はお魚ですけどお魚でさえもやっぱり見て触れて描いてってやってるうちに全然時間足りないなって。
24時間じゃ足りませんか?はい全然足りないですね。
なぜできたんですかね?そういう事。
それはあったんでしょうね。
決意と覚悟。
それから時間はあった。
私たちの知るかぎり…え〜!?とても羨ましいですけどね。
実家にお世話になってたんだろうと。
おっと!でこの事を彼ははっきり自覚してて…彼言ってるわけですよ。
いや〜もう既に超人感が出てきてますけど。
さあでは続いてのオススメメニューはいこちらです。
あっ人見知りっぽい。
熊楠更なる超人となるためには…その問題をどう乗り越えたのか見ていきましょう。
37歳の熊楠は熊野地方の玄関口田辺の街なかに移り住みます。
当時の熊楠について意外な証言が残っています。
これがよく分かるのが民俗学の大家・柳田国男が東京から訪ねてきた時のエピソード。
人見知りな熊楠は柳田の突然の来訪を妻から聞き大パニック。
酒の力で乗り切ろうとしますが会う前から泥酔しろくに話もできない状態に。
一流の学者の知見を得られるチャンスなのに熊楠は恥ずかしがり布団をかぶったまま対応したといいます。
しかし世界の全てを知りたいという気持ちが地元の人々との特別な接し方を生み出すのです。
子どもに接する熊楠の様子を覚えています。
熊楠は学問の意見交換や情報収集ではなく…人見知りの熊楠も学問は分からない地元の人々も尻込みせずに会話は弾み自然と動植物の情報が集まります。
いつしか熊楠のもとには植物採集を手伝う人や珍しいものを持ってくる人が集まるようになりました。
熊楠の日記にも人々との触れ合いが記されています。
こちらは漁師にもらったクサビフグ。
ひれの長さから血管の太さまで細かく記録。
それでは飽き足らずなんと乾燥させてそのまま大事にとっておきました。
熊楠は自ら「粘菌大王」と名付けた会社員や後に「キノコ四天王」と呼ばれる教師たちなど…更に熊楠は…十二支の動物一つ一つについて述べた文章。
「兎」の項目では地元の猟師から聞いた話を紹介しています。
「熊野の猟師は猟の途中で兎を見るとすぐに引き返すという。
犬が夢中で追いかけて猟もできずに疲れ果ててしまうからだ」。
兎が猟師にとって縁起が悪いという熊野独自の話から熊楠は世界各地へと考察を広げます。
なんとインドにアラビアアフリカにまで同じような風習があるというのです。
更に時代も古代まで遡りアリストテレスや「古事記」での兎に対する考え方まで。
あらゆる地域や時代を視野に入れ学問から雑談まで…古今東西の情報を並べて独自の視点でつなげる事で世界を丸ごと理解しようとした熊楠。
そのスケールの大きさから「日本人の可能性の極限」とまで称されました。
1929年。
62歳になった熊楠に意外な人から声がかかります。
学位も地位もない民間人が選ばれるのは異例中の異例でした。
この時熊楠が天皇に贈ったものが今も大切に残されています。
粘菌など100を超える生き物の標本です。
特筆すべきは…近所の仕立て屋に絵描き。
標本を見せる時の入れ物はなんとキャラメルの空き箱。
周囲は仰天しましたが天皇は大喜び。
会話が弾んだといいます。
熊楠を超人へと押し上げた人々との雑談。
熊楠はささいな物事から大きな宝を見いだし続けたのです。
先生兎の話ありましたけれども古今東西時空を超えてですねいろんな話を考察していくそのすごさというのはどういうところなんですか?そのすごさというのが…何か視点がやっぱり…さかなクンご自身も例えば小さい子どもに話聞いてみたりとかいうのはありますか?もちろんです。
「あっそうなんだ」。
いい事しかないですよね。
いい事ですよね。
いろんな力が吸引力が働いたという事なのかもしれない。
みんながハッピーになる事しかないなら。
超人南方熊楠続いてのオススメメニューこちらです。
ギョギョ!すご〜い。
和歌山県田辺市に熊楠が後半生を過ごした自宅が残っています。
熊楠はここで妻と2人の子どもと暮らしていました。
1906年熊楠は知人の紹介で神社の娘で12歳年下の松枝と結婚します。
しかし結婚生活はトラブルだらけでした。
例えば松枝が落ち葉を焼こうとすれば…熊楠が血相を変えて止めてしまいます。
2人の間にはこうした予想外のすれ違いが絶えませんでした。
また何事にも熱中しすぎる熊楠に心配した松枝が少しでも口出ししようものなら…。
お前何やと!?オイ!わしが命懸けてやっとんねん。
それをお前「やめて下さい」?何言うとんじゃ!何をきっかけに怒りだすか分からない夫に松枝は困り果ててしまいます。
ところがそんな夫婦の関係は年を重ねるうちに良くなっていったといいます。
その理由がうかがえる遺品を松枝の親族の方から見せてもらえました。
松枝が書いたという日記。
その中身をのぞいてみると…。
書き出しは毎日熊楠の事から。
熊楠が食べたものから会った人研究のために書斎に入った時間まで。
熊楠の行動が記録されていました。
海外生活が長かった熊楠が毎日のようにビーフステーキを食べていた事。
研究中ダニに股間を刺されかゆくて医者に駆け込んだ…なんて事まで客観的に。
時間も分単位で記されまるで熊楠の観察日記です。
やがて熊楠の日常の行動記録だった日記は次第に…朝怒っていても夜には元どおり。
感情の変化までも記録するうちに松枝は熊楠を深く正確に把握するようになったのかもしれません。
少しずつ変化する夫婦の姿を最も近くで見ていた人の証言が残っています。
生前のインタビューで雷が苦手なのに強がる父とそれを察したうえでうまく応じる母の姿をこう振り返りました。
晩年熊楠は松枝にこう語ったといいます。
74歳の冬…文枝は淡々と父の病状や医師の治療を記録。
病気の父に代わりキノコのスケッチをする娘・文枝。
まるで父と母の書き方を受け継ぐかのように日常を静かに記します。
そして4日後の…死の前日日記の最後の記述。
文枝はひと言だけ自分の思いを書きました。
南方熊楠74歳。
この世の全てを知ろうと挑み関わり合って紡ぎ出した人生でした。
先生どうでしょう。
この日記からどのような夫婦像をご覧になりました?自分が何をしたかとか家族が何をしたかなんていう事も含めて…南方さんの日記を松枝さんが読んでたとはあまり思えないですけれどもにもかかわらず似たんでしょうか。
そんな気がしますよね。
だんだん「何か面白いな」って書いてたんでしょうねきっと。
まあ記録というとね中川さんはブログもう毎日のように。
もう私なんかどうでもいいって自暴自棄の感じで…何か勝手な遺書的な感じで…熊楠の今の生き方のおかげでやっとその書いてたけど……って思えるのはありがたいなと思いました。
後にもしこれを見た方がですね…すごい。
熊楠だ〜!後で同じような研究する人に伝えたいという。
本当にありますね。
まあでもいざ自分の旦那さんが熊楠だったら大変な部分もあったと思いますけどそこは理解が。
そんな事もありますし。
本当に伸び伸びと泳がせてくれまして。
今ですね…もう感謝感激でギョざいます。
今改めて南方熊楠から学べる事ってどんな事だと思います?学生時代に絵を描いてたりすると「あ〜オタクだ気持ち悪い」とか言われたりとかもあったなと思ったんですけどでも…これからも読書したりいろんな事を見つけて……という超人南方熊楠なんですけど超人を作ったものを最後に皆さんにご賞味頂きたいなと。
えっステーキ?ステーキ?おなか鳴っちゃって。
ステーキ食べたい。
ギョギョ!何でしょうか?え?何でですか?ニラ?ステーキの流れですよ。
書いてあったもん。
熊楠はビフテキ食べてぜいたくもしてはいたんですが…本を買っていたと。
どうぞどうぞ召し上がって下さい。
いただきます!いただきます!目指せ超人!と。
ギョめんなさいちょっと違いましたね。
うまい!ニラんでる。
先生の冷ややかな目つきが…。
(子どもたち)一休さ〜ん。
(一休)うん?2017/12/19(火) 22:00〜22:45
NHKEテレ1大阪
先人たちの底力 知恵泉「この世のすべてが知りたい!南方熊楠 超人の作り方」[解][字]

「知の巨人」という称賛の一方、天才学者・南方熊楠には弱点もたくさん。専門を絞れない、人見知り、行動も常識外れ…。そんな熊楠が実力を発揮できた環境とは、いったい?

詳細情報
番組内容
「知の巨人」「日本人の可能性の極限」そんな称賛の言葉が並ぶ、明治〜昭和の天才学者、“超人”南方熊楠。ところが弱点もたくさんあったため、大学や研究機関で大活躍!とはいかなかった。学問の専門を絞れない、極端な人見知り、常識外れの行動…。そんな熊楠が思う存分、実力を発揮できた環境とは、いったい?これまで未公開だった熊楠の妻の日記が、今回初公開!知られざる熊楠の素顔と、天才性発揮の秘密を明らかにする。
出演者
【ゲスト】中川翔子,東京海洋大学客員准教授…さかなクン,南方熊楠顕彰会学術部長…田村義也,【司会】二宮直輝

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 歴史・紀行
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般

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