コマとページと〈距離感〉を作り出す漫画表現「私たちの気付かない漫画のこと」第6回
2017/12/20
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WRITER泉信行・西島大介
漫画研究家・泉信行さんが、漫画家・西島大介さんの挿絵とともに、いつも私たちが読んでいる「漫画」のイメージや、見え方が変わるような視点をお伝えしていきます。
漫画の「コマ」と映画の「ショット」
これはカメラの撮影用語でいう、ロング・ショットです。
キャラクターの周囲まで広く見えるように、距離を取って撮影します(※「long shot=遠く・撮った」という意味)。
そして、こちらはアップ・ショット。
キャラクターの顔を切り取るように、大きく撮影します。
もっと顔を拡大するとクローズアップ・ショット、逆に上半身まで映るくらいに撮るとミディアム・ショットなどに変化します。
映画では、このロングからアップ、アップからロングへと変化させるカメラワークを「イン/アウト」と呼びます。当たり前に使われている、おなじみの演出ですね。
さて、このイラストの図解だと見分けがつかないのですが、「イン」と「アウト」を繋げるカメラワークには、一般的に二種類の撮影法があります。
ズーム・イン/アウトと、ドリー・イン/アウトです。
「ズーム・イン/アウト」はカメラのレンズを利用したもの。
広範囲を撮る「広角レンズ」と、遠くを大きく撮る「望遠レンズ」を切り替えてロングとアップを変化させます。
この「ズーム」撮影のポイントは、「カメラ(視点)は移動していないのにショットの範囲だけが変化する」ということです。
そして「ドリー・イン/アウト」は、カメラ用の台車を「ドリー」と呼ぶことから来たもの。
(台車を使うとはかぎりませんが)カメラを対象に近寄らせたり、遠ざけたりすることでアップやロングへと大きさを変化させます。
カメラ(視点)そのものが移動しますから、アップ・ショット(up shot=近付く・撮った)という言葉の意味に近いのは、ドリー・インによるアップなのだとも言えるでしょう。
ちなみにこれは市販されている、小型のドリー台車。
日本で「漫画表現」の歴史を作りあげてきた漫画家たちには映画好き・写真好きの人が珍しくなく、こうした「ロング」や「アップ」、「広角」「望遠」といったカメラの概念は漫画の描き方でもよく意識されています。
そのため無意識に「キャラクターの顔をアップにする」という演出も自然に描かれるのですが、カメラワークのズーム・インやドリー・アウトだけではない、「漫画のコマ割りだからできるアップ」について見ていきましょう。
同じアップ・ショットでも、コマとページの「フレーム」が変化を生む
例えばこんなコマ割りにすると、まるで映画のように「ズーム・インした」「ドリー・インした」、と感じるでしょう。 モノクロで描かれる日本の漫画は、アップのコマで背景を省略することが多いので、ズームとドリーを特に区別できないことも多い、というのも特徴だとは言えるでしょうか。
さて、映画にできないことと言うのは「コマのサイズを変化させられる」という点です。 漫画好きのみなさんからは、「そうそう!」という声が聞こえてきそうですね。実際にやってみましょう。
漫画のコマ割りでは、このようにコマごと「顔」を大きくしたり……。
顔の大きさはそのままでコマだけ小さくする、というコマ割りにすることもできます。
注目すべきなのは、「コマの構図だけを比べれば映画のカメラワークとやっていることは同じ」、だという点です。
ですが、「読んだ印象はまったく映画と違う!」と私たちは思うはずです。
ひとつめの「アップのコマ」を言葉にするなら、「キャラのほうが読者に迫ってきたような」印象と言えるでしょうか?
ふたつめの「アップのコマ」を言葉にするなら、むしろ「読者の視界が狭まったような」印象と言えるでしょうか?
構図のアップとコマの拡大が合わさってアップの心理効果を倍加させることもできれば、構図のアップに対するコマの縮小がアップの心理効果を緩和させることだってできるのです。
漫画家が単に「ここは“映画的に”アップのコマにしよう」と考えてコマ割りする時、特に意識せず大ゴマに変化させている、というケースも多いようで、「映画」を意識しているようで「漫画」になってしまう、というのがコマ割りの面白さなのでしょう。
ところで、カンのよい人はお気付きだと思いますが、これもまた「漫画をアニメに置き換える時にどうするか」という前回と同じ問題でもありますね。
コマごとの構図だけを見るなら、大ゴマにするアップも、小ゴマにするアップもまったく同じなのですから。そのままアニメにしても違いがない、と言えるでしょう。
映画では「ズーム・インとドリー・インでは微妙にアップ・ショットの心理効果が異なる」ことが知られていますが、映画用語の応用が多い漫画業界では、「大ゴマのアップ」と「小ゴマのアップ」の効果をうまく説明できる用語ってありません。
その、あまり一般的とはいえない区別をちゃんと理論化することに今回は挑戦してみましょう。
「ストーリー漫画のコマ割り」というものが、単純に「映画のショットのようなものを連続させた表現ではない」ということを問うため、漫画評論家(現・東京工芸大学芸術学部マンガ学科教授)の伊藤剛が考えようとしたのが「フレーム」の概念でした。
「フレーム(枠)」とは認識の枠組み、と考えることができます。
あえて「コマ」という言葉を使わないのは、漫画とは「ひとつずつのコマ」を単体で眺めるのではなく、「ページ(の見開き全体)」や「隣り合ったコマの集まり」、または「コマとは別のフキダシや、コマ枠のない絵」など、様々な大きさ・小ささに分けて読まれるのだ、と考えられるからです。
伊藤剛『テヅカ・イズ・デッド』では、こうした「漫画のページは様々なフレームで認識される」という原則から離れて、「ひとコマひとコマを分けて読む」認識を「フレームを確定させる」というように表現していました。
それはつまり、キャラクターやフキダシがコマ枠を飛び出したりはしませんし、コマがコマの上に重なったり、コマをナナメに割る(長方形や正方形以外の多角形を使う)ことでパズルのように絡み合ったり、コマ内に複数の空間が同居することも志向しない……という「漫画の認識パターン」を表しています。
典型的には、大友克洋や浦沢直樹の影響下にある「青年漫画」のコマ割りが「フレームを確定させる」認識を志向し、逆に「少女漫画」の自由奔放で装飾的なコマ割りが「フレームを確定させない」認識を志向するという傾向で語られやすいものです。
青年漫画的なコマ割りは、「フレームを確定させる」ことで映画のショットの理論を持ち込みやすくもしましたが、その一方、「同じページに複数のコマが並ぶ」という原則を残している以上、ひとつのコマは必ず他のコマの大きさやページの広さとの面積比で見比べられることから逃れられません。
漫画のコマは、複数のコマの集合や、ページ全体とのセットで眺めるという原則はなくなっていないのです。
例えば「小ゴマに描かれたアップ・ショット」の顔よりも、「1ページ大に描かれたミディアム・ショット」の顔のほうが読者には大きく見える、という描写になることもあり、それは従来の漫画理論においてうまく説明のできないショットの変化でした。
「多段階フレームモデル」が読者との距離感を作る
伊藤剛がその問題も含めて考えるために「多段階フレーム試論―目のひかりからコマへ」(『マンガ視覚文化論』に収録)で発表した理論があります。
漫画の「フレーム」を段階ごとに分け、それぞれの面積比によって効果を捉えるという「多段階フレームモデル」です。
そのモデルにおいては、「ページ」や「コマ」のフレームだけでなく、「キャラクターの絵(輪郭)」や、そのキャラの顔、顔のなかの目、目のなかの瞳、目のなかのひかり……も「フレーム内のフレーム」として存在します。
例えばキャラクターの描き方では「2頭身キャラ」や「8頭身キャラ」などの頭身差が言われますね。それはまさに「キャラの全身」と「キャラの顔」のフレーム比を言い表したもの。
↑↑↑上位の認識フレーム↑↑↑
1. 「見開き」フレーム
2. 「ページ」フレーム
3. 「コマの集合」フレーム
4. 「コマ」フレーム(コマから独立したフキダシやナレーションの枠なども含む)
5. 「キャラクターの輪郭」フレーム
6. 「キャラクターの顔」フレーム
7. 「キャラクターの目」フレーム
8. 「キャラクターの瞳」フレーム
9. 「目のひかり」フレーム
↓↓↓下位の認識フレーム↓↓↓
その奥へ奥へと潜行していくように認識のフレームが狭まっていくのですが、同時に「上位のフレームが充分に大きければ、下位のフレームであっても大きな面積を占める」というルールを相対的に説明できるのです。
この下段のコマ(アップ・ショットの大ゴマ)に描かれた、「顔」の大きさに注目してみましょう。フレームの段階において、「顔」は「コマ」に内包される下位のフレームと言えます。
ですが、「顔」を描いた「コマ」(上位のフレーム)が大きいなら、「顔」だけでも上段の「小ゴマ」より大きい!というフレームの逆転現象も起こるのです。
従来のレベルの漫画理論では、「大ゴマ」の与える心理効果は「コマの大きさ」にただ比例するようにしか語りにくいものでしたが、伊藤剛のモデルでは「コマ内のフレーム(顔や目など)の比率」も合わせて他のコマと比べることになるでしょう。
アップのコマについて先述した「キャラが読者に迫ってくる」心理効果や、「読者の視界が狭まる」心理効果も、漫画独特の表現と見なせるようになるのです。
ざっと思い付く演出でも、漫画における「アップ」と「ロング」は以下の組み合わせでそれぞれ異なった見え方になります。
・大ゴマ化アップ キャラが迫る
・大ゴマ化ロング キャラのサイズ変化は少ない
・等倍アップ ほぼ映画的
・等倍ロング ほぼ映画的
・小ゴマ化アップ キャラのサイズ変化は少ない
・小ゴマ化ロング キャラが遠ざかる
これは映画のカメラワークで言う、「カメラが近付かないズーム・イン」と「カメラが近付くドリー・イン」の効果が厳密には異なることと似ているようで、それ以上の可能性を備えています。
元々、日本の漫画キャラクターの「目」が「写実的なヒトの目よりも大きく描かれる」傾向にあるのは、多段階のフレームと無関係ではなかったと伊藤剛は考えます。
作画のスペースが自在に変化するコマ割りのなかでは、目を大きめに描かないとディテールが潰れてしまうことがあります。つまり上位フレームの狭さに応じて目を描き込む手法として、「相対的に大きな目」は実用的だったとも言えるでしょう。
そしてコマ(上位フレーム)が大きければ大きいほど、キャラの目や瞳を細かく描き込み、「目のひかり」を目立たせやすくもなります。
そして「顔」ではなく「目」だけをクローズアップ・ショットにして描くコマの場合も、当然コマそのものが大きいほどキラキラと装飾的に描くことができるでしょう。
しばしば日本のキャラクター描写の特徴として挙げられるのは「大きな目」だけではありません。「キラキラした瞳」「バシバシの睫毛」などと呼ばれる装飾的な作画もそうで、目や瞳の緻密な描き込みは、原稿用紙に占める「目の大きさ」によって可能になるものです。
キャラクターの心理表現において「目の大きさ」と「目の描き込み」が重要な働きをしていると、伊藤剛は想定しています。
一般には、「目のひかり」や「瞳孔」「虹彩」の作画は「キャラクターの心が瞳に宿る」ようなイメージを与えてくれます。目というフレームのさらに「奥」にフレームが生じることで、見る者の心を引き込むように。
それは単に「キャラクターの顔を占める大きさ」という基準だけでは測れず、「ページを占める大きさ」という基準でも測る必要がある、と伊藤剛は考え、「ページ/コマ/顔/目/瞳」を相対的に比較するモデルに気付いたというわけです。
スコット・マクラウド、伊藤剛、泉信行の漫画論が出会うということ
ところで、「目の描き込みによる心理表現」といえば、第4回「〈こちら〉と〈あちら〉を描き分ける漫画技法」を思い出します。
そう、(「キャラクターの形」はそのままで)「描き込みの情報量が増減することで、主観的な没入度が上下する」とした描き分けです。
この図では「顔の大きさ(フレーム)」が等しいままですが、実際の漫画表現では大きなフレームほど情報を描き足しやすく、小さなフレームほど情報を描き足しにくくなるのは当然でしょう。
つまりこの連載で体験してきた「視点」の表現手法は、伊藤剛による「多段階フレームモデル」とも密接に結び付けなければならないと言えるのです。
さらに第4回に加えて第5回「続・アングルと視点のゆらぎ」を振り返れば、「キャラクターの形の描き分け」や「立体的な読者のアングル」によって「キャラクターへの距離感」が変化したことも思い出せるでしょう。
もちろんこれらの「距離感」も、「キャラが迫ってくる/遠ざかる」、「読者の視界が狭まる/広がる」といった多段階フレームの変化と無関係ではないはずです。
上のコマ割りの例でも、左右のコマのサイズを操作したならば、きっと鮮やかに心理効果を変えてくれるはずでしょう。
すでに2コマ目のほうが1コマ目よりも狭く、1コマ目の「アップ・ショット」と比べて顔は小さめなのに、キャラがコマを埋め尽くした「クローズアップ・ショット」に変化していることにも注目です!
キャラクターの描き分け、アングル、そして多段階フレーム……。どれも「漫画的な」表現です。
私たちはこれらのモデルを組み合わせることで、より深く漫画表現を理解し、そして様々な演出を作り出せるはず。
それは「映画」の世界が「映画理論」を洗練させ、ズーム・インやクローズアップ・ショットなど、様々な基本的技法を言語化・広く共有してきたように……「漫画」もまた、より広く共有できるような、その領域に迫りつつあることを意味するかもしれません。
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WRITER
泉信行
漫画研究家、ライター。2005年頃から、漫画表現論の研究発表を行う。同人誌『漫画をめくる冒険』上下巻の発行の他、漫画に関する仕事では『マンガ視覚文化論』(水声社)、『藤田和日郎本』『皆川亮二本』(小学館)への寄稿などがある。
http://d.hatena.ne.jp/izumino/
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WRITER
西島大介
漫画家。2004年『凹村戦争』でデビュー。『世界の終わりの魔法使い』『すべてがちょっとずつ優しい世界』など作品多数。「月刊IKKI」休刊により未完となった『ディエンビエンフー』が双葉社「月刊アクション」に移籍。完結を目指し『ディエンビエンフー TRUE END』第1巻を2017年8月10日刊行。「ゲンロン ひらめき☆マンガ教室」主任講師も務める。音楽家「DJまほうつかい」としてアルバムを4枚、EPを3枚リリース。
https://daisukenishijima.jimdo.com/
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