2017-12-20

褒められたい

から、褒められたくて褒められたくてどうしようもないたちだった。とにかく褒められたい。褒められないと、私の頑張りになにかしてもらえないと、自分のできることが、特技だと思っていることが、ひどく無価値ものに思えてしまう。さらには、時たま声をかけてくれる、褒めてくれる人々のことばはすべてお世辞で、自分のしていることは本当はだめだめで、そりゃ褒めるところがないのだからふだんは誰も声をかけてくれないのだな、などとまで考えてしまう。

こどものころ、私が褒められるためのハードルはえらく高かった。

私はなぜか、ある程度の勉強や、ある程度の頑張りができるこどもだったからだ。

たとえば、いつもテストで90点を取るこどもが100点を取ったところで、いつもよりすこし点数が高いだけなので、それだけ「すごい」と思ってもらえる幅が狭いのだ。「この子はいつも高い点をとる子だからね」で済んでしまう。

それに比べて、万年赤点をとっている子が100点を取ったとなれば、もうそれはお祭りである。誰もがすごい、よくやったねと褒めてくれる。ふだんからの子にとっての100点は「起こりえないもの」と認識されているから、突然起こったとんでもないサプライズに、ごほうびなんかも出てくるかもしれない。

こどものころの私は、それがひどくうらやましかった。点数が取れない、頭のよくないこどもになれれば、あの手この手でおとなが私を構い、そしてものすごく褒めてもらえると本気で思っていたくらいだ。こどものころ、しんどくなったときの私の口癖は「あたまがわるくなりたい」だった。この話をすると、思い上がっているんじゃないかとか、性格の悪い人間であるとか、そういう印象を持たれてしまうと思うのだが…それだけ、私にとって、たくさん褒めてもらえるということは大切なことだった。ふだんから赤点をとったことがないことや、志望校に推薦で受かったことや、卒業するとき主席をとれたことなんかは、私にとって大した価値を持たなかった。おもっていたより、褒めてもらえなかったからだ。きっとすごいことじゃないのだ。こんなことより、あたまのわるい子が頑張った方が、何倍も価値があるのだ。人から褒められることでしか自分自分のしたことに自信が持てない私は、本気でそう思っていた。正直、今でもときどき、疲れた時なんかに、そんなことを考えてしまうことがある。

人間は、慣れてしまう生き物だ。

から、できる子が「できる」ことを、あたりまえだとおもってしまいがちであるし、そういう子は、影に隠れてしまやすいのだと思う。褒めそやして持ち上げる必要がないからというのもあるかもしれない。

私はそれがとても悲しかった。

もしあなたが、こどもに接する親であるとか、親戚であるとか、先生であるとかなら、私のような、褒められることを忘れられてしまたこどもを、たくさん褒めてあげてほしい。

の子は、もしかすると、私のように、自分に自信を持つ過程で、人から褒めてもらうことが必要な子かもしれない。

褒められたくて、でもおもうように褒めてもらえなくて、まわりの普通の子の方が自分よりも何倍も価値をもっていると思っているかもしれない。

できない子をのばすために、たくさん褒めてあげるのももちろん大切だと思うが、私のようなこどものことも知ってほしいと、そう思う。

そして、ちょっとたことでも、褒めてあげてほしいと思う。たくさん、たくさん、褒めてほしいと思う。

褒めるの点滴が必要人間は、きっとそれで救われるのだから

私は今日も、誰かに褒められたい。

  • anond:20171220223819

    偉いね。とっても頑張ってる。元気出してね。 誰よりいちばん才能あるよ。 みんな嫉妬してわざわざ言わないだけ。知ってる? ゆっくり休んで、またあした。いい子にしててね。 大丈...

  • anond:20171220223819

    ひらがなが多いのが本当に頭が悪くなってしまった感じがして怖い 狂気を感じる

  • anond:20171220223819

    自慢するのが下手なのだと思います。 自慢=うざいってイメージだけど、実際は頻度、というか相手の気持ちを無視して自慢ばっかり、とかでなかったら全然OKだと思う。 「実は私、...

  • anond:20171220223819

    育児において褒めることって凄く大事だよね。幼児期以降も。

記事への反応(ブックマークコメント)

 
 
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