平成の大投手 三浦大輔 (通史的な得点PF補正導入)
- 2014/09/11
- 18:37
□はじめに
通史的な補正にあたり、NPBにおける過去50年分(1964年以降)の各球場の得点PF値を調べました。
ホーム試合数に占める本拠地試合数が75%を割り、ある程度の試合数が準本拠地で消化されている場合
ダブルフランチャイズとして計算しました。具体的には、
・2000年代後半のオリックス(京セラドーム大阪とスカイマークスタジアム)
・1990年前後のオリックス(グリーンスタジアム神戸と西宮)
・1970年代から1990年代中盤にかけての近鉄(藤井寺と日生)
・1970年前後の西鉄-クラウンライター(平和台と小倉)
・1960年代中盤の東映(神宮と後楽園)
・1960年代中盤の国鉄(神宮と東京スタジアム)
辺りが該当します。ジプシー時代のロッテはホーム球場を全て合計しました。
□算出した得点PFを用いて実際に補正をかける
今回は得点PFがRSAAに与える影響の大きさを測る具体的な目安として、
おそらく直近50年で最も大きく球場の影響を受けている投手である三浦大輔の成績を補正します。
三浦は91年にドラフト6位で大洋(現DeNA)に指名され、高卒1年目の92年に初登板を記録。
95年には規定投球回に初めて到達し、40歳になる今年まで一線級の先発投手として活躍しています。
上の表においてセリーグのオレンジの線が三浦の所属する横浜の得点PFの推移を示しています。
入団以降、横浜スタジアムの得点PFは1993年を除いて1を大きく上回っており、
三浦は常に「リーグ平均よりもかなり得点の入りやすい環境で投げている」ことが分かります。
■具体的な補正の手順 (前回から少し変えました)
1) 該当年、該当年の前年、該当年の前々年の得点PFを4:2:1の加重をかけて平均を取る
2) 1)で計算した得点PFと該当年の本拠地試合数から跳ね返り係数を算出する
3) 同一リーグ6球団の跳ね返り係数の平均値が1となるように等倍補正をかける
4) 3)で計算した跳ね返り係数を用いてRSAA補正値を求める
RSAA補正値 = (跳ね返り係数-1)*リーグ平均失点率*投球回/9
この補正がどの程度の大きさとなるか、守備力補正と合わせて見ていきます。
守補:守備力補正値,球補:球場影響補正値,RAA:補正RSAA,WAA:補正RSWIN
・平均的な守備力を持つ野手陣が後ろを守る場合と比べて、三浦の失点は34点分多くなっている
・平均的な投手が三浦と同じチームで投げた場合、平均的な本拠地球場を持つチームで投げた場合と比べて失点が83点分多くなる
という結果が得られました。特に球場影響の補正値は直近50年で最大の数値となっています。
■RSAA球場補正値通算記録[1966-2014]
1位 83点 三浦大輔 (横浜スタジアム)
2位 55点 成田文男 (東京スタジアム-宮城球場-川崎球場-後楽園球場)
3位 38点 平松政次 (川崎球場-横浜スタジアム)
4位 37点 松岡弘 (明治神宮野球場)
5位 36点 斎藤隆 (横浜スタジアム-楽天koboスタジアム宮城)
以上の2点を考慮して、
RSAA:98→215[+117] RSWIN:10.3→22.5[+12.2]
と補正することができました。
ここで控え投手を「勝率.380の投手」と定義すると、補正したRSWINを用いて三浦大輔の通算WARは64.4と求められます。
ここからはこの数値がどれだけの記録なのか、近年の大投手と比較して探っていきます。
□三浦大輔はどれだけの投手なのか
■1992年以降に球界入りした投手との比較
前述の通り三浦は91年のドラフト会議で指名され、92年にキャリアをスタートさせました。
ここでは三浦と同じ92年以降にプロ入りした投手と比較します。
三浦にとって最も有利な区切り方です。杉内俊哉は将来的に三浦を上回る可能性を残しています。
田中,ダルビッシュ,上原,松坂,岩隈,黒田らメジャー組は、実働年数が足りないため三浦には届きません。
■1980年以降に球界入りした投手との比較
平成以降に活躍した投手との比較です。この世代は工藤公康,山本昌の2人が200勝を達成しています。
三浦のWARは1980年以降では通算RSWIN1位の斎藤雅樹を上回り、200勝投手2人も上回ります。
「三浦は他球団なら200勝していた」という話題はしばしば挙がりますが、あながち間違いではないように感じます。
■1970年以降に球界入りした投手との比較
1970年以降にプロ入りした投手との比較です。この世代は北別府学が200勝を達成しています。
ここまで遡ってもまだ三浦を破る選手は出てきません。
■1966年以降に球界入りした投手との比較
1966年以降にプロ入りした投手との比較です。持ち合わせているデータで算出しうる最も古い年代です。
この世代では鈴木啓示,山田久志,江夏豊,村田兆治,東尾修,平松政次,堀内恒夫の7人が200勝を達成しています。
三浦のWARは、1966年以降に限定すると鈴木啓示,山田久志,江夏豊,村田兆治に次ぐ歴代5位となります。
この世代を見ても、東尾修,平松政次,堀内恒夫と3人の200勝投手を上回っていますね。
□おわりに
1963年以前の得点PFについても、データが手に入り次第算出したいと考えています。
完全な通史的な導入はもう少し時間がかかりそうですが、2014年のレギュラーシーズン終了後に
現役選手(と現役メジャー組)については投手の個別ページに守備力補正と球場補正を記載する予定です。
現在、投球だけでなく打撃の球場補正も試みています。
こちらも追々記載していく予定ですが、投球と比べると劇的な効果は得られておらず地味な結果となりました。
アライバコンビ、藤田平と田淵幸一、秋山幸二はそこそこ数字を伸ばすようです。
三浦大輔、23年連続安打(投手通算安打と連続シーズン安打)
通史的な補正にあたり、NPBにおける過去50年分(1964年以降)の各球場の得点PF値を調べました。
ホーム試合数に占める本拠地試合数が75%を割り、ある程度の試合数が準本拠地で消化されている場合
ダブルフランチャイズとして計算しました。具体的には、
・2000年代後半のオリックス(京セラドーム大阪とスカイマークスタジアム)
・1990年前後のオリックス(グリーンスタジアム神戸と西宮)
・1970年代から1990年代中盤にかけての近鉄(藤井寺と日生)
・1970年前後の西鉄-クラウンライター(平和台と小倉)
・1960年代中盤の東映(神宮と後楽園)
・1960年代中盤の国鉄(神宮と東京スタジアム)
辺りが該当します。ジプシー時代のロッテはホーム球場を全て合計しました。
□算出した得点PFを用いて実際に補正をかける
今回は得点PFがRSAAに与える影響の大きさを測る具体的な目安として、
おそらく直近50年で最も大きく球場の影響を受けている投手である三浦大輔の成績を補正します。
三浦は91年にドラフト6位で大洋(現DeNA)に指名され、高卒1年目の92年に初登板を記録。
95年には規定投球回に初めて到達し、40歳になる今年まで一線級の先発投手として活躍しています。
上の表においてセリーグのオレンジの線が三浦の所属する横浜の得点PFの推移を示しています。
入団以降、横浜スタジアムの得点PFは1993年を除いて1を大きく上回っており、
三浦は常に「リーグ平均よりもかなり得点の入りやすい環境で投げている」ことが分かります。
■具体的な補正の手順 (前回から少し変えました)
1) 該当年、該当年の前年、該当年の前々年の得点PFを4:2:1の加重をかけて平均を取る
2) 1)で計算した得点PFと該当年の本拠地試合数から跳ね返り係数を算出する
3) 同一リーグ6球団の跳ね返り係数の平均値が1となるように等倍補正をかける
4) 3)で計算した跳ね返り係数を用いてRSAA補正値を求める
RSAA補正値 = (跳ね返り係数-1)*リーグ平均失点率*投球回/9
この補正がどの程度の大きさとなるか、守備力補正と合わせて見ていきます。
守補:守備力補正値,球補:球場影響補正値,RAA:補正RSAA,WAA:補正RSWIN
・平均的な守備力を持つ野手陣が後ろを守る場合と比べて、三浦の失点は34点分多くなっている
・平均的な投手が三浦と同じチームで投げた場合、平均的な本拠地球場を持つチームで投げた場合と比べて失点が83点分多くなる
という結果が得られました。特に球場影響の補正値は直近50年で最大の数値となっています。
■RSAA球場補正値通算記録[1966-2014]
1位 83点 三浦大輔 (横浜スタジアム)
2位 55点 成田文男 (東京スタジアム-宮城球場-川崎球場-後楽園球場)
3位 38点 平松政次 (川崎球場-横浜スタジアム)
4位 37点 松岡弘 (明治神宮野球場)
5位 36点 斎藤隆 (横浜スタジアム-楽天koboスタジアム宮城)
以上の2点を考慮して、
RSAA:98→215[+117] RSWIN:10.3→22.5[+12.2]
と補正することができました。
ここで控え投手を「勝率.380の投手」と定義すると、補正したRSWINを用いて三浦大輔の通算WARは64.4と求められます。
ここからはこの数値がどれだけの記録なのか、近年の大投手と比較して探っていきます。
□三浦大輔はどれだけの投手なのか
■1992年以降に球界入りした投手との比較
前述の通り三浦は91年のドラフト会議で指名され、92年にキャリアをスタートさせました。
ここでは三浦と同じ92年以降にプロ入りした投手と比較します。
三浦にとって最も有利な区切り方です。杉内俊哉は将来的に三浦を上回る可能性を残しています。
田中,ダルビッシュ,上原,松坂,岩隈,黒田らメジャー組は、実働年数が足りないため三浦には届きません。
■1980年以降に球界入りした投手との比較
平成以降に活躍した投手との比較です。この世代は工藤公康,山本昌の2人が200勝を達成しています。
三浦のWARは1980年以降では通算RSWIN1位の斎藤雅樹を上回り、200勝投手2人も上回ります。
「三浦は他球団なら200勝していた」という話題はしばしば挙がりますが、あながち間違いではないように感じます。
■1970年以降に球界入りした投手との比較
1970年以降にプロ入りした投手との比較です。この世代は北別府学が200勝を達成しています。
ここまで遡ってもまだ三浦を破る選手は出てきません。
■1966年以降に球界入りした投手との比較
1966年以降にプロ入りした投手との比較です。持ち合わせているデータで算出しうる最も古い年代です。
この世代では鈴木啓示,山田久志,江夏豊,村田兆治,東尾修,平松政次,堀内恒夫の7人が200勝を達成しています。
三浦のWARは、1966年以降に限定すると鈴木啓示,山田久志,江夏豊,村田兆治に次ぐ歴代5位となります。
この世代を見ても、東尾修,平松政次,堀内恒夫と3人の200勝投手を上回っていますね。
□おわりに
1963年以前の得点PFについても、データが手に入り次第算出したいと考えています。
完全な通史的な導入はもう少し時間がかかりそうですが、2014年のレギュラーシーズン終了後に
現役選手(と現役メジャー組)については投手の個別ページに守備力補正と球場補正を記載する予定です。
現在、投球だけでなく打撃の球場補正も試みています。
こちらも追々記載していく予定ですが、投球と比べると劇的な効果は得られておらず地味な結果となりました。
アライバコンビ、藤田平と田淵幸一、秋山幸二はそこそこ数字を伸ばすようです。
三浦大輔、23年連続安打(投手通算安打と連続シーズン安打)