第2次世界大戦中、外交官杉原千畝(ちうね)氏(1900~86年)が発給した「命のビザ」によってナチス・ドイツの迫害を逃れ、神戸にたどり着いたユダヤ人難民についての資料提供を神戸市が呼び掛けている。「国際都市・神戸」を象徴する歴史的な事実だが、神戸市史などでは一切触れられていないためだ。戦後70年が過ぎ、当時を知る関係者が少なくなる中で、市民の証言や保管資料を頼りにうずもれた一ページを記録にとどめるという。(小川 晶)
1940(昭和15)年7~8月、駐リトアニア領事代理だった杉原氏が、ユダヤ人難民に日本の通過を許可するビザを発給。人道的な見地に立った勇気ある判断は高く評価され、戦後70年に合わせて杉原氏にスポットを当てた映画が公開されている。
敦賀港(福井県)から日本に入った約6千人の多くが立ち寄ったのが、米国などへの航路がある神戸だった。翌41(同16)年まで滞在し、米国などへ渡ったが、94年刊行の「新修神戸市史」(近代・現代)には記述がない。戦災で資料が焼失したほか、ユダヤ人難民の存在が長く注目されてこなかったことなどが理由とみられる。
「神戸外国人居留地研究会」の岩田隆義理事(74)によると、ユダヤ人難民は、大戦で住人が帰国し、空き家になった北野(神戸市中央区)の洋館などに滞在したとされるが、詳細は不明。「神戸の牧師がユダヤ人にリンゴを配った」「神戸に滞在中のユダヤ人が宝塚歌劇を見に行った」などの断片的な情報にとどまるという。
同市は、ユダヤ人難民と神戸市民の交流を公的に残す意義があるとして、昨秋ごろから検討を開始。関係者らから聞き取りを続ける一方、ユダヤ人難民の暮らしぶりなどが分かる写真や手紙、情報などの提供を広く呼び掛けることにした。
寄せられた情報は、市史への追加などの形で記録する方針で、担当者は「小さな手掛かりをつなぎ合わせて体系的にまとめられれば」と話す。
問い合わせや提供の受け付けは同市企画課TEL078・322・6917