第2次世界大戦中に外交官杉原千畝(ちうね)氏が発給した「命のビザ」で神戸にたどり着いたユダヤ人難民について、神戸市が資料提供を募ったところ、証言を含めて53件が寄せられた。中には市民との深い交流を示す写真もあり、市は一部を11月6日から同市中央区熊内町1の市文書館で、企画展「神戸と難民たち」として公開する。(若林幹夫)
杉原氏の「命のビザ」は、人道的配慮として高く評価される歴史的エピソード。日本に逃れてきたユダヤ人難民が神戸に滞在したことも知られているが、神戸市史などには一切触れられていない。市は公的な記録として残すため、資料収集を進めている。
今回、集まった情報は、神戸市民が滞在中の難民と一緒に写った写真や、滞在場所についての記憶、親族らからの伝聞など。
同市灘区で撮影された写真は、床の間で和服姿の外国人3人が、日本人家族と納まっている。同市須磨区に住む親族の中島信彦さんが提供した。3人のうち2人は署名付きの顔写真も残され、名前は「杉原リスト」と一致。顔写真には1941年9月16日の日付があった。難民を乗せた船が上海に向けて出港した前日で、別れ際に手渡したとみられる。
同市中央区に法律事務所を構えていた弁護士と、書庫に滞在していた難民夫婦の写真は、同市垂水区在住で弁護士の息子の村井衡平さん(90)が提供。裏に書かれた夫婦の署名も杉原リストにあり、英語で「最高の感謝の気持ちを表します」とつづられていた。村井さんは「書庫に布団を運んだり、外国の切手をもらったりしたことを覚えている。滞在したのは1月ほどだった」と振り返る。
当時小学生だった男性が、記憶をもとにユダヤ人が暮らしていた同市中央区葺合町の洋館を描いたイラストなども寄せられ、市の担当者は「神戸市民がユダヤ人たちを温かく迎え入れたことを示す資料が集まった」とする。
企画展では、ユダヤ人難民の動向を伝える当時の新聞記事なども併せて紹介する。市はさらに資料や証言を募り、来年3月ごろに市史別冊としてまとめる。19日まで。午前10時~午後4時。無料。神戸市文書館TEL078・232・3437
【杉原千畝氏の「命のビザ」】1940(昭和15)年、駐リトアニア領事代理だった杉原氏は、ナチス・ドイツの迫害を逃れようとしたユダヤ人難民に日本通過を許可するビザを発給した。約6千人が敦賀港(福井県)から入国し、一部は海外航路がある神戸に滞在した。ビザ発給者などを記録した「杉原リスト」は、世界記憶遺産の国内候補となっている。