※牧村さんに聞いてみたいことやこの連載に対する感想がある方は、応募フォームを通じてお送りください! HN・匿名でもかまいません。
クリスマス、そして年末年始。「大切な人と過ごす」ってことになっているイベントは、「大切な人」が誰なのかを突きつけられるイベントでもあります。今朝もCNNで「クリスマスソングは不快? 長期化と連続、心の健康に影響も」って記事が出てきました。しみわたります。寒さ、しみわたる季節です。
だけど、自分を温めるのは自分よね。
今回は、「恋愛しないが家族が欲しい。おそらくアセクシュアル(無性愛者)である自分のパートナーになってくれる人なんていない気がして孤独だ」とおっしゃる方からのご投稿を引いて考えます。孤独との、向き合い方を。
はじめまして。自分の立ち位置に名前がつけられなくなってきて、また先々の人生も不安がいっぱいです。というのも、私はおそらくアセクシャル(※)だと思うからです。
(※牧村注:アセクシュアル=無性愛。俗にAセク(アセク)とも。他者を恋愛や性愛の対象にしないというあり方。かといって愛がないとは限らず、家族愛や友愛などで人と繋がる人もいる。また性欲がないとも限らず、自慰ならするという人もいる。なお英語のasexualは、「他者を性愛の対象にしない」という意味で使われることが多い。「他者を恋愛の対象にしない」は、aromantic(アロマンティック)の語で区別される。新書「ゲイカップルに萌えたら迷惑ですか?聞きたいけど聞けないLGBTsのこと」(牧村朝子著、イースト・プレス刊、2016)186ページに図表あり)
今32歳ですが(肉体的には女性です)、今までどの他人にも欲情したことはなく、誰とも付き合ってきませんでした。
人間が嫌いということはたぶんないと思います。お友達と仲良くするのはとても楽しいです。ですが、恋愛として誰かを好きになったことはないような気がします。今まで、男性からも、女性からも、お付き合いを打診して頂きましたが、断ってしまいました。単純に面倒、というのもありますが、心が全く動かない、というのが大きな理由のような気がします。
このまま結婚しなくてもいいようにも思っていましたが、この後両親が亡くなることを考えると、自分の家族が欲しい自分に気付いてしまいました。また、人間を育ててみたい自分にも気付きました。しかし、セックスは無理です。キスも性的な気持ちがある人とは無理です。オエッとなってしまいます。
人生のパートナーにはなってほしいが、相手の性的欲求には一切応えない(子供は養子になる可能性が高い)という人間とパートナーになってくれる人がいるものでしょうか?おそらくいないでしょう。この孤独感が時々耐え難いものとして襲いかかってきます。
また、無邪気に私の結婚と出産を信じている父親(とても良い父で、大事にしてくれた人です)が気の毒でたまりません。
この話は、匿名の場所以外では言ったことはありません。この重たい孤独感を抱えて、長ければあと50年近く生きていくのかと思うとびっくりしてしまいます。既に結婚を考えるには多少遅い年齢のような気もしますし、今後どうすればいいのか…。人生そのものはとても楽しいのですが、ふとした時にしんみりしてしまいます。どうしたら良いでしょうか。お考えを聞かせて頂けたら嬉しいです。
(個人特定を避けるため、一部編集して掲載しました)
それじゃ、アセクシュアルな方々の出会い系サイトに登録しませんか!?
(asexualitic.comスクリーンショット/2017年12月閲覧)
……いや、のっけから迷惑メールみたいでごめんなさいね。なんだか、ご投稿者の方が、「自分のパートナーになってくれる人なんかいないんだ」ってご自分で決めつけていらっしゃるように見えたから。
あのね、そんなことないのよ。私、いわゆるアセクシュアルの方同士が、恋愛関係ではなく信頼関係に基づいた結婚をなさった例を知っています。また「結婚」っていう形にするかどうかは別としても、少なくともアセクシュアルの人同士で寄り添っていきましょうって考えている人がいるらしいことは、アセクシュアル専門出会い系サイトがあることや、SNS上にアセクシュアルのハッシュタグがあること、アセクシュアルのオフ会があることなど、そもそもアセクシュアルっていうカテゴリが生み出されたことなどからわかりますよね。本連載の過去記事にも、アセクシュアルという言葉では表現されていないものの、「異性と恋愛するより同性の親友と暮らしたい」というものがありますよ。
(KeLove.frスクリーンショット/2017年12月閲覧)
自己責任でアクセスしていただきたいのでリンクはしませんけれども、アセクシュアル専門出会い系サイトは、 少なくとも3件あります。英語圏の「asexualistic」、それからフランス語圏の「acitizen」「KeLove」。日本語圏には私が知る限りありませんから、ビジネス的にはブルーオーシャン! ご自分で創設されてもいいかもしれませんね。また、既存のサイトに「アセクシュアル」の登録選択肢を加えてもらえるよう要望を出すのもいいかもしれません。
っていうかそもそも、アセクシュアルというタグを引き受ける事すら、しなくてもいいかもしれません。
自家製の孤独にとらわれるとき、人は「自分だけがみんなと違う」という思いに沈んでしまいがちです。クリスマスソングが流れる中、みんなが男女ペアで寄り添っていて、クリスマスキャンペーンのカップル割引も男女ペアにしか効かなかったりして。年末年始の親族も、父母に祖父母に叔父叔母に、みんな見事に男女ペアに見えたりして。
けれども、冷静に考えてみれば、「男女一組で排他的に恋愛性愛パートナーシップ関係を完結させる」ってことをしてる夫婦ばっかりでは全くないのです。
・親が決めた相手と家の都合で結婚したので、夫婦間に恋愛感情はない。
・子供をもつために性行為をしただけで、夫婦間に継続的性関係はない。
・夫婦間の片方だけが性行為を望んでいるので、双方合意の上、性行為を夫婦関係の外でしてきている。
などなど……。「みんなと違うわたし」っていう世界観から離れて、その「みんな」ひとりひとりに話を聞いてみると、ポツンとした気持ちにならない。「みんなそれぞれ違う中のわたし」になれるんです。
ご投稿者の方は、「お友達と仲良くするのは楽しい」とおっしゃいます。そして「家族が欲しい」とも。ならば「お友達と仲良くするのは楽しい」という現在地から「家族が欲しい」という目的地を目指して進めば良いだけであって、その道に無理に恋愛を挟む必要は全くないと思います。それが、ご投稿者のおっしゃる「人間を育ててみたい」にもきっとつながるのではないかと私は思うのです。無理だと思わずやってみる、それって、自分自身を育てることだから。
日本語では 「子供を育てる」と言いますが、育つのは子供自身です。養育者にできるのは、食事の支度や衛生管理といった生命維持です。背を伸ばすのも、言葉を覚えるのも、本人が受けた教育やしつけのうち何を信じるかも、子供自身です。養育者ではなく、子供自身なのです。
この観点から、フランス語では1970年代以降、「育てる(élever)」という単語を人間に対してあまり使わなくなりました。現代フランス語では「子供を育てる(élever son enfant)」ではなく、「éduquer son enfant(子供を教育する)」「garder son enfant(子供を守る)」という表現をします。「育てる」という動詞を使うのは、農産物や家畜に対してです。
だからね。
「自分をパートナーに選ぶ人なんかいない」なんて、思わなくていい。
選ぶのは自分じゃなくて、その人です。
「自分の結婚と出産を信じている父親が気の毒」とも、思わなくていい。
お父様の幸せを決めるのはお父様自身です。
「人間を育てたい」が子供と生きる理由だったとしても、育つのは、子供自身です。
そして、自分の幸せを決めるのは、自分自身なんです。
それが、あんまり大変だから、みんな寄り添って生きるのではないでしょうか。みんなひとりだけど、それだと大変だから、イワシは群れて捕食者を追い払うし、狼は協力して狩りをするし、人間は家族や会社や自治体や国家を作るのではないでしょうか。
そういうつながりの中に、自分は、すでにあるのです。それを思い出すと、なんか、歩ける気がしませんか。それが、現代社会で「正しい」とされる形じゃなくたって……異性と一対一で恋愛して排他的性愛関係を伴う結婚という法的手続きをして築く家族関係じゃなくたって、何かの形で共に生きる誰かと、会いに行くために。今も自分と同じような孤独にあえいでいるかもしれない誰かと、会いに行くために。
お知らせ
牧村さんの新刊が発売されました!
cakesの人気連載を大幅に加筆し、ついに書籍化!
フランス人奥さんの祖父から伺った戦争の話を、牧村さんの視点で描くノンフィクション連載「ルネおじいちゃんと世界大戦」。第1話目はこちらからどうぞ。
noteで公式ファンクラブを開設しました!
・牧村朝子さんと直接コメントのやりとりができ、あなたの誕生日を名指しでお祝い。
・新刊発売時に、限定サイン本をご用意。
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牧村さんのことをより深く知りたい方は、ぜひご覧ください。
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