窓辺のレモンティ

社会人となり数年。今この瞬間、自分を生きるために。

「今を生きる」ためにはどうすれば良いのか。

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 今年大ブレイクしたANZEN漫才のみやぞん。その人気は彼の人柄によるところも大きいだろう。いつも明るく笑顔で前向き、素朴で天然。多くの人が惹きつけられるのも当然かもしれない。そんな彼が、先日テレビでこんなことを言っていた。

 

「今、今、今。今を楽しく、今を楽しく。3秒後も未来なら、今を楽しくしてたらすぐ3秒来るから、未来は明るい。そういったようなポテンシャルでやらせてもらってます(?)」

 

 みやぞんらしくてユニークだと感じる一方で、このような考え方を根底に据えていることを素直にすごいと思った。「今・ここ」の重要性や「今を生きる」大切さは、これまで数多くの人が言っていることだが、やっぱりそうなのだと再認識もさせられた。

 

 私も「今を生きる」ことが大切だという思いを日々強くしている。存在しているのは常に「今」であり、人生は「今」の連続でしかないのだ。けれど、一体どうすれば「今」を生きられるのか。大事なのは理解できるし自分自身そうありたいのだが、ではどうすれば良いのか。それがわからなくてあれこれ考えているうちに、目の前で「今」は過ぎてゆく。

 

 呼吸法なども、一つの方法ではあると思う。私も最近実践しているのだけれど、これは「今」に焦点を合わせることだけでなく他の効用も大きい。自律神経が整い、気持ちが落ち着いたり頭がクリアになるのだ。でも、それはあくまで「意識的に」行っているだけだ。「今」に焦点を合わせる練習という意味では効果的かもしれないが、「今を生きる」こととは少し違うような気がしていた。

 

 いろいろと思いを巡らせるうちに、一番自然なかたちで今を生きるのは、やはり没頭することではないかと考えるようになった。

 

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 自分の好きなことや楽しいことは、思わず夢中になってしまう。我を忘れて時間も忘れて、没頭してしまう。意識的な集中というよりも、無意識の熱中であり夢中なのだ。それが本当の「今を生きる」ことなのではないか。そんな今を生きているときには、「今を生きている」なんていう意識もない。

 

 例えば、私は最近読書にハマっている。本を読み始めると、面白くて続きが気になってページをめくる手が止まらず、気付いたら何時間も経っていたなんてことがある。対象は、ブログでも読書でもスポーツでもゲームでも仕事でも何でも良い。自分のやりたいことや好きなことにハマっている瞬間が、命が輝いている瞬間かもしれない。

 

 夢中になっているときは、ネガティブな感情が入り込む余地はない。過去の出来事をああでもない、こうでもないと思い返したり、将来への不安や心配に心を占められることもない。俯瞰して物事を捉えることも大事ではあるが、のめり込むことも同じように(もしくはそれ以上に?)大切なのだ。

 

 最近、子供たちが全力で遊んでいる姿を見かけると、微笑ましいというよりむしろ感心することが多い。まるで人生の師匠のように感じて、尊敬の念を抱いてしまうのだ。それは彼らが俯瞰するのではなく、目の前のことに常に夢中になって「今を生きている」からなのだろう。今やりたいことに没頭して、楽しいことに夢中になる。そんな「今」の連続を生きられたら良いなと思う。


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