宅間守と獄中結婚した女性の人物像とその後

2001年、大阪府池田市の大阪教育大学附属池田小学校無差別殺傷事件を起こした宅間守。宅間守と結婚した女性とは一体どんな人物なのか。

更新日: 2016年06月07日

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firk12さん

附属池田小事件

2001年(平成13年)6月8日に、大阪府池田市の大阪教育大学附属池田小学校で発生した、小学生無差別殺傷事件である。

6月8日10時20分頃、大阪教育大学附属池田小学校に凶器を持った男が侵入し、次々と同校の児童を襲撃した。

結果、児童8名(1年生1名、2年生7名)が殺害され、児童13名・教諭2名に傷害を負わせる惨事となった。

2003年8月28日、大阪地方裁判所は被告人の甲に対して死刑判決を言い渡した。

控訴期限の同年9月10日に弁護団は控訴したが、9月26日に甲自ら控訴を取り下げ、死刑判決を確定させた。

獄中結婚

判決確定後、宅間は死刑廃止運動家の女性と出会い、文通を経て獄中結婚をした。

女性はクリスチャンで博愛主義者。

死刑廃止運動を行う活動家とも言われている。

「私は社会的にどこか問題がある男性を愛してしまうんです。私、小学校のときからいじめられていて、大人になってからも、疎外され続けてきました。だから、同じように社会から疎外された犯罪者に強く惹かれてしまうんです。支えてあげたいと思ってしまうんです。」

女性は結婚に対しこのように答えた。

最初は愛情や支援に対して頑なに心を閉ざしていた宅間だったが、自分に対する理解者が現れるに連れて、少しずつ彼女に対して心を開いていった。

宅間が最期に残し、妻が死刑執行後に刑務官から伝えられた言葉は「『ありがとう、と僕が言っていた』と、妻に伝えてください」とされている。

妻に対しては感謝の気持ちを表すまでには至ったものの、事件によって犠牲になった被害者の児童やその遺族への謝罪は最期まで一切無かったとされる。

宅間死刑執行後の女性の行動

死刑確定から約1年後の2004年9月14日8時16分、宅間は大阪拘置所で死刑を執行された。

執行当日の朝食は摂取することが許されなかったが、宅間は執行直前に刑務官から受け取った煙草とリンゴジュースをゆっくり味わってから、拘置所の奥へ消えていったという。享年40。

獄中結婚した30歳代の妻は、絞首刑のロープの跡がくっきり残る宅間の遺体にすがりついて号泣し、一晩、遺体の横に布団を敷いて、添い寝をしたという。

宅間の骨を4つの骨壺に入れて、火葬場から すべて持ち帰った妻は近く、海の見える自分の故郷に、宅間の墓を立てるつもりだという。

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