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「民放史上初の紅白越えを果たした曙vsサップの舞台裏」谷川貞治ロングインタビュー 第2回
クレジット: By Philbert Ono.Photojpn.org at en.wikipedia [CC-BY-SA-3.0], from Wikimedia Commons
民放史上初めて紅白歌合戦を超えた日。2003年の大晦日に元大相撲横綱の曙が電撃参戦を果たし、当時一世を風靡していたボブ・サップと対戦した。この試合は視聴率43%を記録した歴史的瞬間となったが、当時のK-1プロデューサー谷川貞治はいかにして曙をK-1に誘い込んだのか。
谷川貞治ロングインタビュー第2弾
1993年に旗揚げされ、瞬く間に日本中を巻き込む関心事となり、世界の格闘技シーンにおいても今なお語り継がれているK-1。
クイールのリニューアル企画の目玉コンテンツとして、今回は元K-1プロデューサーとして辣腕を振るってきた谷川貞治氏にロングインタビューを敢行した。
ロングインタビューは全4回に及ぶものとなっており、第1回は「K-1の立ち上げとマイク・タイソン契約の舞台裏」を中心に、様々な知られざる秘話を明かしてもらった。
第1回のインタビューはたちまち話題沸騰となり、当サイトが告知を行う前からSNSで多くのシェアがなされたが、第2回となる今回はK-1が最も世間に響いた瞬間である、曙太郎によるK-1参戦の舞台裏を中心にインタビューを行った。
民放史上初めて紅白歌合戦の視聴率を越えた歴史的な瞬間はいかにして生まれたのだろうか。
史上初の紅白越えを果たした、曙によるK-1参戦の舞台裏とは
(クレジット: By Philbert Ono.Photojpn.org at en.wikipedia [CC-BY-SA-3.0], from Wikimedia Commons)
ーー曙vsボブ・サップが実現した話をお聞きしたいのですが、曙選手には谷川さんが相撲部屋まで押しかけて交渉を行ったというのは本当なんですか?
本当ですよ。ガチです。
ーー相撲部屋に行くまで、これまで何も話していなかったんですか?
曙さんはK-1を3回見に来ていたのかな。その時に挨拶はしてるんですよ。でもそれ以外に何か喋ったこともなかった。
それで曙さんがいる高砂部屋という相撲部屋の前で電話をしました。僕ね、スポーツ記者から曙さんの電話番号を聞いていたんですよ。相撲番の。
もともと、曙さんが極真の一撃でフィリオ達と練習をしていると聞いたんですよ。もちろんやる気は全くないと思いますけど。週に1回から2回かそこでやっていると聞いてました。
その頃は本当に大晦日がなくなりそうだったんですよね。フジテレビがPRIDEで、日テレも格闘技をするってなって、TBSは『辞めとこか』って話だった。前年までは猪木軍とかでやっていたんだけど、それが日テレに全部取られてしまった。こっちは弾がないんですよ。
僕がK-1のプロデューサーになった年って、ジェロム・レ・バンナは骨折してるし、アーネスト・ホーストは全身アレルギーで出場できないし、ミルコはPRIDEに取られちゃうし。マーク・ハントもいなくなっちゃう。
僕はアンディーの後はミルコとジェロムをスターにしようと思っていたんですよ。でもジェロムは落っこちちゃうし、ミルコはいなくなっちゃうし。大晦日はもう辞めようかなって空気になっていました。
2003年に正式にK-1のプロデューサーになった時はPRIDEとも喧嘩しちゃうし、選手もいないしで本当に大変でしたね。2003年にK-1が持ったのは、夏にタイソンがボブ・サップのいるリングに上がったことと、冬に曙が試合をしたこと。本当に2003年はこの2つだけなんですよ。
(2003年のK-1はサップvs曙で世間を最も騒がせたものの、その実苦しい1年間だったという。クレジット: Claus Michelfelder at the German language Wikipedia [CC BY-SA 3.0], via Wikimedia Commons)
通常の興行は変な話、これは武蔵に凄く怒られるんだけど、K-1グランプリの決勝戦もドームで「レミー・ボンヤスキーvs武蔵」だったんですよ。PRIDEのような起爆剤はなかったんです。
そういうとても厳しい時期に起死回生の一手として曙さんの所にいったんですよ。
ーーそれは例えば武蔵丸さんといった他の力士も候補だったのでしょうか?
そうですね。でも状況を調べると曙でしたね。まあ、その後に武蔵丸さんとも会って飯食いましたよ。「やりますか?」って。
でも状況を聞いたらいけるのは曙さんだろうなと思って、高砂部屋の前から電話して。「出るかな?出るかな?」って思っていたら電話に出てくれて。「いま外にいるんだけど、ちょっと出てきてくれますか?」って言って、ほんとに電信柱の影で「試合をやって欲しい」って契約書を持っていって言ったんですよ。
対戦相手はボブ・サップで、年末にって。
ーー曙選手もいきなりサップとの試合を受けるのが凄いですよね。
ハワイアンって凄い楽観的ですよね。恐怖感とかはなかったと思うよ。勝てると思っていたはず。
リアクションも「ボブ・サップか〜」みたいな感じでしたね。あ〜これやるなって思って。「冗談でしょ」って言われるか、「何しにきたの?」って怒られるかいろんなシュミレーションをしていたんだけど、「ボブ・サップか〜」って言ってくるとは。
それでその夜に飯を食いにいって。これは時間をかけてちゃ決まらないだろうなって思ったので、強引にというか2日か3日くらいで決まりましたね。
ーーその時にはこれが世間を揺るがす試合になると確信はあったのでしょうか?
そうですね。これは絶対に世間が揺るがせると思いました。
ー当時はなんでも通じたというイメージがあって、フランソワ・ボタが参戦した時も盛り上がりましたよね。今同じことをやっても二番煎じ三番煎じでなってしまいますよね。当時はやりやすいなって感覚はあったのでしょうか?
(左がフランソワ・ボタ。当時はボクシング世界王者が本格的にK-1参戦するとあって大きな話題となった。)
う〜ん。やりやすいかっていうよりは、今は世間がそういうのに飽きちゃってますよね。有名な他ジャンルの選手を引っ張ってくることに対しても、ちょっとネタが切れてきたというか衝撃度が麻痺していますよね。
あの頃は新鮮だったと思うんですよ。プロレスラーがリングに上がる。吉田秀彦みたいなアスリートがやる。他ジャンルの選手が異種格闘技戦をする。あとはタレントとかまでも挑戦する。
それが数をこなしていって麻痺してきたんだと思いますよ。
ーー究極が「小川直也vs吉田秀彦」で、そこでその流れがひとつ終わった感じがします。
そうですね。
ーー話は戻りますが、曙vsサップの試合では瞬間最大視聴率で紅白を超えましたよね。紅白を超えたのは後にも先にもあの瞬間だけとなっていますが、その時の感覚はどんなものだったのでしょう?
自分の中で物凄い来てるなって感覚はありました。これどうなっちゃうんだろうなって感じで、これは凄いことになるというのはありました。あんな感覚はあの時だけですね。
視聴率を聞く前からどんな数字が出るんだろうって。平均では超えないのはわかってましたけど。
あの日の視聴率は平均19.8%だったと思うんですが、あれは曙が倒れた瞬間にコマーシャルに行っちゃったんですよ。それで数字が上がらなくなっちゃった。
だからあれはコマーシャルのタイミングが良かったら平均で20%を超えてました。そこは残念だったけど来ている感覚はありましたね。
ーーある種、競技としてのピークはその前だったんですけど、世間を巻き込んだのは2003年以降ですよね。
そうですねビジネスも大きくなりましたね。ファイトマネーもめちゃくちゃになっちゃったし。
ーー武蔵vs曙も盛り上がりましたもんね。大晦日じゃないのに凄い数字をとっていた。
瞬間は30%を超えて凄い数字でしたね。でも平均で見ればボブ・サップvsホースト(※2002年のK-1 GP決勝大会)のほうが取ってるんですよね。あれが平均で28%くらいだった。その時も来てるな〜とは感じましたね。
ーーただ2003年頃は視聴率では盛り上がりを見せたものの、期待の若手筆頭がカーター・ウィリアムスだったりと少し若手選手が出てこない時期でしたよね。
カーター・ウィリアムスもいい選手だったけどね。上手く育てられなかったけど。
それもテレビの功罪ですよね。テレビは凄く才能のある人じゃないといきなりテレビには出られない。育てるってことが出来ないんですよ。トップファイターしか出れないから。
だから新しい選手が来ても直ぐに相手がジェロムとか強い選手になっちゃう。あの頃のテレビはバダ・ハリとかあのくらい優秀じゃないと中々チャンスが巡ってこない。
バダ・ハリとかアリスターとか、グーカン・サキとかもう少しすると出てくるんだけど。
ーーそれが2007年くらいからですよね。その頃のK-1が一番面白かったという人もいるものの、必ずしも会場での人気は高くなく、バンナとか往年の選手に歓声が上がっていました。
そうでしたね。アーツとかジェロムがいないとK-1じゃないという人もいました。僕は新しい世代の選手が好きだったんですけどね。
ーーグーカン・サキとかはスターになって欲しかったですね。バダ・ハリは2006年くらいからプッシュされていましたが、そこは我慢して貰えたんですか?
バダ・ハリはキャラクターもありましたから。
ーーバダ・ハリも会場人気は最初はそこまででもありませんでしたが。
でもバダ・ハリはキャラクターも良かったですし、人気が出るだろうなとは思ってました。
キックボクシングの試合を面白く見せれる選手ってなかなかいないんですよ。身体能力で面白く見せれる選手というのは。バダ・ハリとかアーツとかアンディ・フグとかは見せられるけど、歴代の王者でも面白く見せられる選手は少ないじゃないですか。実力とは別に。
そこは本当に時間がかかりましたよね。ほんとテレビの功罪ですよ。
(K-1の新世代突入を象徴する人物となったバダ・ハリ。K-1の初期は手痛いKO負けを喫するなど苦しんだが、肉体改造と共に飛躍的に実力をあげてトップファイターへと成長した。クレジット: By Paulblank [CC BY 3.0], via Wikimedia Commons)
ーー2008年あたりのK-1はもっと見ていたかったです。
バダ・ハリとアリスターを軸にすればなんとかなったんですけどね。彼らがいれば他の選手も引っ張られるというか。
ーー会場には毎回観戦に行っていたのですが、バダ・ハリもアリスターもアーツほどの会場人気は獲得できませんでしたね。
そこはこれからでしたね。でも続いていれば同じくらいのスターにはなったと思いますけどね。
ーーその時期の海外についての話も聞きたいんですけど、2006年以降ってオランダでも物凄くK-1は人気がありましたよね。でもそれまでは開催もされていませんでした。
オランダって格闘技の開催が駄目だったんですよね。あと海外のイベントをするなら良いパートナーがいないとどうしても無理なんですよ。
オランダではサイモン・ルッツと会ってからですね。IT'S SHOWTIME(※当時K-1に次ぐ世界第2のキックボクシング団体)の中でK-1をやりたいって向こうが言ってきたので、その方向で探ってやった。
あとユーロスポーツとかでK-1が流れたのって、2000年代に入ってからなんですよ。だからピーター・アーツとかアーネスト・ホーストは日本では有名だったけど、オランダではあまり知られてなかったんです。
2000年代になってからですよ。K-1が海外にメディア戦略をしだして、「ああ、自国の選手はこんなに強いんだ」って盛り上がったのは。2003年からかな。
ーー当時のイッツ・ショウタイムは単独で1万人を収容するくらいのイベントでしたよね。
サイモン・ルッツ(※IT'S SHOWTIMEのプロモーター)はそれだけ力があったし、それが良い形で重なって。
ーーオランダ大会は毎回2万人くらい入っていて、もっと開催数を増やせないのかとも素人目に見ていましたが。
IT'S SHOWTIMEというかサイモン・ルッツの力があってこそだから。変な話、アーツとかに地方の大会を任せてみたんですがあんまり入らなかったそうなんですよ。やっぱりサイモン・ルッツのプロモーション力が高かったんだと思うよ。
あの時代はヨーロッパから面白い選手がどんどん出てきていたので、K-1も続いていけばもっと面白くなるはずだったんだけど…。
(第3回 「K-1最大の失敗 Dynamite!! USAの舞台裏」に続く)
谷川貞治ロングインタビュー「K-1 栄枯盛衰の真相」
- 「K-1の立ち上げと、マイク・タイソン契約の舞台裏」谷川貞治ロングインタビュー 第1回
- 「民放史上初の紅白越えを果たした曙vsサップの舞台裏」谷川貞治ロングインタビュー 第2回
- 「K-1最大の失敗 Dynamite!! USAの舞台裏」 谷川貞治ロングインタビュー第3回
- 「"大連立"やれんのか、魔裟斗引退」 谷川貞治ロングインタビュー 第4回
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この記事へのコメント()
初期K-1のスターたちが強すぎたよね。2003年はレコがほんと強かったのに決勝トーナメントを棄権したっけ。イグナショフもベルナルドを完封したとこまではほんと強くなったと思ったのに即失速するし。シャノン・ブリッグスはボタより期待できそうだったのに継続参戦実現せず。ウスさんは全然本線出れない。澤屋敷は途中で心が折れた。バンナ戦後のフィリォはらしくなくなり、テイシェイラも不発。カルテロンも全然参戦してくれない。挙句のシュルト一強とつまらんホンマンの使い過ぎで2008年頃に人気を下げた感がある。2009年になってバダ、ギタ、サキ、京太郎とやーっと本当に強い若手が揃ってきたと思ったら、K-1消滅。なんと寂しかったことか。今のリコ一強や全然新しいスターが出てこない2010年代もどうにかならんもんかと思ういけど。ルスランやギタの復帰の話はどこへいったのか。。。
新しい選手を育てられないのはテレビのせいよりも一日3試合の1dayトーナメントのダメージの方が原因でしょ。若手だけでなくバンナの左腕粉砕骨折、ハントの膝、アーツの脛etc
ミルコがK-1離脱してPRIDE移籍した理由の一つもトーナメントだったし
他の人も言ってるけど全盛期のバンナ、アーツ、ホーストは後のシュルトや今のリコ・ヴァーホーベンよりも強いと感じさせるものがあったし、実際に全盛期を過ぎた40歳のアーツがシュルトに勝ってたから、黎明期世代が強すぎたのも後の世代には不運だった
バダ・ハリ、リコ、サキの三人はそれに匹敵するレベルになりえたのに今じゃリコしかいない
プライベートに関わるので回答は無いと思いますが、曙さんの容体が気になります。
元気な姿が見たいし心配。
オランダは、マフィアの温床で少し前は興行が禁止という記事は見ましたが、20年前でも開催が無かった時期があったのは知りませんでした。
ネット配信も普及してない時代で、2000年代前はテレビ放送も無かったというオランダ。
にもかかわらず、何故にオランダはK-1初期にキック大国であったのか?
日本では、沢村さんがキックを広めたのはなんとなく知っていますが、オランダにどうやってキックが普及し大国となったのか?歴史が知りたいです。
クイールさんにオランダキックの歴史やキックボクシング自体の歴史を纏めた特集記事もみたいです。
初期K-1のスターたちが強すぎたよね。2003年はレコがほんと強かったのに決勝トーナメントを棄権したっけ。イグナショフもベルナルドを完封したとこまではほんと強くなったと思ったのに即失速するし。シャノン・ブリッグスはボタより期待できそうだったのに継続参戦実現せず。ウスさんは全然本線出れない。澤屋敷は途中で心が折れた。バンナ戦後のフィリォはらしくなくなり、テイシェイラも不発。カルテロンも全然参戦してくれない。挙句のシュルト一強とつまらんホンマンの使い過ぎで2008年頃に人気を下げた感がある。2009年になってバダ、ギタ、サキ、京太郎とやーっと本当に強い若手が揃ってきたと思ったら、K-1消滅。なんと寂しかったことか。今のリコ一強や全然新しいスターが出てこない2010年代もどうにかならんもんかと思ういけど。ルスランやギタの復帰の話はどこへいったのか。。。