20-3■西川一家の満州引揚げ
達明が憔衰して帰国してきた。家族は如何にしたと、問うと、皆死んだと答えた。蓮山はマ、マイ・・・と声を出そうとしたが、出ない。息苦しくなって飛び起きた。夢だった。
八月九日、満州にソ連軍が侵攻して以来、日本がポツダム宣言を受け入れて降伏をし、満州は連合国中のソ連の管理下に置かれた。以降、満州で何が起きているのか情報が無いのだ。噂では、ソ連軍は満州国の財産を悉く召し上げ、日本人を襲い、財産を奪い、男子を連行し、女子を蹂躙していると言う。西川一家は吉林市に住んでいたが、無事でいるだろうか、そればかりが心配だった。満州の日本人は終戦時点で一五五万人、将兵は五万六千人、そのほとんどの消息が分からないのだ。
ソ連が撤兵した昭和二一年四月まで邦人の消息は分からなかった。ソ連管轄の満州、樺太、北朝鮮以外の連合国管理の外地からは終戦とともに引き上げが開始されていた。外地にいた軍人、一般邦人は六百万人、中国からの引き上げは順調に行われた。
満州ではソ連が撤兵すると、国共軍が侵入して支配を始めたが、国民党軍との内戦が始まり、国民党軍支配が確立した。ここでようやく引揚げが具体的になった。米軍が引揚げ船を提供することも決まり、順次、葫芦島から引揚を開始するとの情報がもたらされた。
六月に入って 引揚げが始まったが、西川一家からは何の連絡もなかった。一〇月の半ば、電報が届いた。
「ハカタニ ヒキアゲタ カゾクゼンインブジ イサハヤニムカウ マイコ」
「かあさん、舞子が帰って来た。全員無事だそうだ。」蓮山はそれ以上声にならなかった。
その後分かったことだが、夫達明は国民党軍の強制留用で満州電化の操業に従事させられ、帰国がかなったのは一二月に入ってからだった。西川一家が無事に引揚げ出来た喜びとは反対に、妻町子の心臓病が悪化して、絶対安静の状態になってしまった。その見舞いもかねてやって来たのだ。達明、舞子、二歳になる宏晶を連れて蓮山のところにやって来たのは一二月の末だった。
舞子が引揚げの様子を語った。
新京(現長春)に二年間、吉林に四年間住みました。住所は吉林省文廟町延慶胡同167で、満州電化の社宅です。温水暖房、水洗トイレがあり裕福な暮らしでした。
ところが、終戦で毎日のようにソ連兵に入り込まれ、床下に隠れたりしました。その当時、社宅には日本人が三〇〇〇名、その他に中国人従業員と工場建設の請負会社の人たちが二〇〇〇名程いました。ソ連軍が侵攻してくると、会社では自衛団を編成して、社宅の周りに鉄条網を張り巡らせて防衛体制を敷いて、社宅に入口を一か所にした上、ソ連兵がやってくると、国民学校の屋上の自衛団監視員が赤旗を振って、ソ連兵を迎えるふりをして、住民に警戒を知らせるなど必死の防衛をしました。
中国人の暴動があると聞き、家の前のお寺へ大切なものを預けた所、お寺が先に襲われてしまいました。
帯芯で作ったリックサックを作り。いざと言う時に必要なものを詰めて子供たちに持たせていましたが、とうとう家も襲われてしまい、そのザックをもって小学校へ逃げました。学校には非難の人で一杯、知人の方に助けられ、そのお宅に一週間程世話になりました。まら、吉林駅でソ連兵が達明の妹サチエさんを連れて行こうとして、困っている所、会社の部下だった中国人がソ連兵を連れだして列車を降りてくれて助かりました。
終戦後一年間社宅で暮らし、引き上げる事になったのが七月です。達明は技術屋なので、残留になりました。そこで私と妹のサチエ、娘のたまみ(一四歳)、息子の正晃(一二歳)、宏昌(二歳)の五人でテント張りの貨物列車に乗せられ、引揚げ船がやってくる葫蘆島(通称コロ島)に向かいました。女子供の家族なので、貨物に乗るときは何時も最後で、入り口の方でした。ある時中国兵が乗ってきて、娘に向かって、嫁になれ、と銃を突きつけるのです、娘が前の方に逃げたのですが、男性の大人が「お前が話をするから悪いのだ。降りろ。」と言われ、誰も助けてくれませんでした。列車がガタガタと動き助かりました。
途中、奉天と大連等で降ろされ、何もない工場跡で一ヶ月ずつ。収容所生活をしました。
コロ島から日本の軍船にギュウギュウ詰めに乗せられ一ヶ月程で博多港に上陸したのです。
昭和一九年八月一二日の東京で撮影した。西川一家。満州に移住する際にもっていって物や満州での暮らしぶりを映した写真は何もない。引揚げ時にすべて置いてきた。
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