くくるの乙女総集編

2010年10月~2013年11月頃までのカフエくくるのブログを家族 ろう者のくくるの乙女バンド  心の病とくくるの乙女にまとめました。 日常の会話はこちらです。http://kukurucafe.ti-da.net/


本広告は、一定期間更新の無いブログにのみ表示されます。
ブログ更新が行われると本広告は非表示となります。

心の病とくくるの乙女

マイケル後編

マイケル前偏http://kukuruno.ti-da.net/e5496211.htmlです。


2012年2月 ~2013年 10月 マイケルを中心にまとめてみました。
2月1日

マイケルとSさん、一時期うまくいかないことがありました。
人の三倍働くSさん、マイケルのスローな仕事にイライラしました。
心の病は理解し難く なまけものにみえたのでしょう。
作業を分断したらSさんは自分のペースで仕事ができるのでイライラがなくなりました。
ですが若干、二人には不協和音がありました。しかし、Sさん、マイケルが仕事を彼なりに頑張っていることを理解するようになり話をすることがなかった二人でしたがマイケルに料理を教え始めました。
心を開いたSさんも偉い、わだかまりなく、素直に料理を習ったマイケルも偉いと思いました。


2月8日 

うるとらまんとマイケルはくくるで音楽を教えてくれているCさんが経営する居酒屋でお酒を飲んでいます。
Cさん、自分にとって音楽とは何かを語ってくれました。
離婚し何もかもいやになった時期がありました。自殺未遂を2回しました。人と会うことができませんでした。精神病院にぶち込まれました。
金網の中にいました。ふと見るとギターがありました。私は看護士にギターを貸してくれと頼みました。イルカのなごり雪を歌いました。
歌っているとき一人の女性が私に近づいて私のそばで歌を聞いてくれました。看護士さんが驚きの顔で私に問いかけました。
看護士 「なにがあったんですか」
Cさん 「なにがって、ただギターを弾いていただけですよ」
看護士 「彼女は17年間、この病院で食事のとき以外は、ずっと歩いているだけで立ち止まったことがないのですよ」
それから、この病院では音楽の力に着目し毎週土曜日はカラオケ大会をするようになりました。
ただ自分の心の隙間を埋めるための音楽から人に喜んでもらう音楽をと考えるようになりました。
子供達が離婚しても、世界でお父さんはひとりだけだよ。の一言に心に何かがはじけました。
やがて退院しました。有名になりたいとかCDを売りたいとかの気持ちは消えました。
人に喜んでもらえる音楽、自分が楽しむ音楽をもとめるようになりました。

4月3日

マイケル、神響さんが一曲一曲に真剣に歌っているのに驚いた様子です。
 マイケル
   神響さん、3曲あんなに力こめて歌ったたら疲れちゃうよ。  俺は疲れないように省エネギターだけど。
 神響さん 
   聞いてくている人に感謝の思いで歌っている。    
 マイケル
   ケントミのトミさんもすごい!ガンで体がきついのに、太鼓のバッシが 飛び散るほど太鼓をたたいている。
   あんな小さな体のどこにパワーがあるのだろう。


6月5日
ある行政の関係者Tさんが、マイケルに会いにきた。

 心の病を抱えている人の応援をしているTさんはマイケルがくくるのスタッフとして頑張っていることを大変喜んでくれた。
 そんなマイケルに、同じ心の病を持ち家から出れない方々の家庭訪問してほしいとお願いした。
 音楽の話ならできる。くくるではライブしているので誘うことはできる。いっしょにギターでもひいて遊ぶことなら いいよと社会復帰への手助けになるのなら と答えた。自分ができることで少しでも人が喜んでもらえるならの気持ち、とてもすばらしいことだとおもいます。







彼が元喜になったのは音楽と仲間の力だ。
毎週火曜日はかんちゃんのフオークライブの日だ。マイケルはかんちゃんとギターを演奏しているときは輝いている。
公的機関の職員とは世話している、指導している、世話されている、指導されている関係になりがちだ。
かんちゃんにはそれがない。同じ音楽を愛する仲間と同一に接してくれている。普天間高校時代の仲間と楽しむマイケルです。




12月8日

マイケルは元気がありませんでした。そんなマイケルに宮城さんは激励ライブスケジュールのメールを送っていました。
宮城さんのメールは頑なに閉ざしていたマイケルの心にヤル気を与えてくれました。
首から下が全く動かない宮城さんは口にストローのようなものをくわえパソコンを操作します。自分ができることを精一杯、誠実にする宮城さんにマイケルは確かなものを感じたと思います。


マイケルは宮城さんに 「いつも連絡のメールありがとう」とお礼を言いました。
長年、心の病を患っているマイケルにとって「ありがとう」の一言を言うことは簡単ではありません。




昨日,かんちゃんのスナックなごり雪でライブありました。マイケル初の有料ライブです。それは彼の夢でした。


普天間でくくるの乙女と神響ライブしました。マイケルも一緒に参加しました。
神響さんのギターと歌声にお客様はお大喜びです。
img src="http://img03.ti-da.net/usr/k/u/k/kukurucafe/app-080526900s1369491142.jpg" />
トップノートでライブで耳の聞こえない家内にがキーホードを教えています。人に喜んでもらえることしている時は命の輝きを感じます。



心の病ある人たちの音楽祭がありました。マイケルはデイケア仲間とドラムで参加し最優秀賞頂きました。数年前まで引きこもりだったとは誰も信じられない彼でした。




2013年

11月5日
Tさん、Oさん、Mさんが私の家にやってきた。
3人とは社会貢献を考えている仲間でマイケルの家を何度も訪問するが
なかなか会えないとのことであった。

マイケルは居留守を使っている。
しかし、「何度も来てくれるから悪いなと思うけど、ドアを開けることができないんだ、メモが玄関に挟まれている。来てくれているんだ。悪いとは思うけど・・」
マイケルは感謝しているが長年居留守を使っていて、会えない気まずさがあるマイケルの気持ちを伝えた。

それから心の病の病気のことで理解が深まり意気投合してきた。
心の病ある仲間に何ができるか、話しした。まずは目の前の人 マイケルを応援していこうとなった。

彼らは社会貢献で忙しい仲間だ。ひざ詰めで対話したいと言い続けて10年目でやっとで


11月12日

今日はマイケルと夢の話をした。
  うるとらまん
  「元喜か」
マイケル
  「まあまあだな」

うるとらまん
  「デイケアに毎日通えるようになったな。朝おきて夜は寝るとの生活はどうだ」

マイケル
  「まあまあだな」
うるとらまん
  「マイケルは先ずは生活のリズムを作ることが大事だからな。いつ寝ていつ起きているかわからない生活から脱皮したね。よう頑張ったな」

マイケル
  「そうだな。まあまあだな」
うるとらまん
  「そろそろ、仕事とか夢のことは考えてみてはどうか?趣味の音楽を生かしてみては?」

マイケル
  「最近は病院ではイベントがないから練習してない」

うるとらまん
  「そういえばマイケルの近所で毎年12月にミニライブしているところがあるだろう。そこに出演してみるてのはどうだ。バルさんも一緒に
  どうだ」
マイケル
  「そうだね。バルさんも最近は少し元気ないからな。何か目標がないとダラケてしまうな」
うるとらまん
  「まずはそんな事からはじめてみようか。私のほうでかけあってみるから、マイケルは練習しておいてくれ」

マイケル
  「そうだね。わかった。昨日も今日も明日も病院で将棋、ゲームだけの生活には飽きてきたよ
そういえば置き手紙があったな。14日、浦添で何かあるからとか」
うるとらまん
  「マイケル、一緒に参加しよう。6時半にアパートくるよ」
マイケル
  「そうだな。わかった。6時半待っているよ」



11月14日

(左から私 Kさん、マイケル、Tさん、Oさん)

今日は浦添にあるS文化会館にいきました。3人の仲間と合流しました。

Kさん、何度もマイケルのアパートを訪問してくれました。
彼はガンで闘病中です。
マイケルのアパートは三階です。彼にとっては三階はきついと思います。
マイケル、いつも置き手紙をしていた人がKさんとわかり、Kさんの真心に心を打たれていました。

初対面でしたが居留守を使っていたとは思えないぐらい打ち解けていました。
マイケルの心に確かな灯火が点灯していることを感じたのは私だけではなかったと思います。
車中では音楽の話で盛り上がりました。
12月でのミニライブに向けて話が進んでいます。
やっぱり、仲間は最高!




11月14日



今日は浦添にあるS文化会館にいきました。
マイケルとマイケルの近所の友人といきました。
マイケル、友人が広がり活動範囲が広がりました。
楽しい一日でした。



地域でで独り暮らしの壮年が多い。健康に不安な壮年がいる。そんな仲間の家を訪ねてみようとなった。TさんKさんは、そんな活動を長年続けている。Tさん、Kさんに触発された
心の病あるマイケルが、誰かの為に汗をながすことになりました。
3人の街灯の後ろは普天間基地です。先程もオスプレイが3人の頭上数十メートルを飛んでいました。
平和と戦争を考えずにはいられない環境の中、3人は歩きます。



12月29日

今年も残りわずかとなりました。
マイケルは今年は心バリアフリー音楽祭での最優秀賞受賞、地域貢献と良い年となりました。
来年の目標は決まりました。
心の病あるマイケルが目標をもって新しい年を迎えることができました。



所詮、ネットは現実社会とは違う世界だと軽んじていました。
ところが、そのネットでの激励のコメントがどれだけマイケルに勇気と希望を与えたかわかりません。わざわざマイケルに会いに海を渡ってきてくださる友人います。

感謝感激です。
来年もよろしくお願いします。

心の病とくくるの乙女

心の病と音楽

心の病あるメンバーとの触れ合いを綴ってきました。気軽に読んでください。

はじめましてマイケルです。うるとらまんとは高校時代からの友人です。
俺はギターと酒をこよなく愛する男です。自分史ができて悪くはないと思って書いている。

14日
心の病ある人は誤解される。うるとらまんは手話通訳を断られたことがきっかけでくくるをオープンした。耳の不自由な人は見た目ではわからない、心の病は、もっとわからない。そこで俺の登場となった。俺の独り言で少しでも、心の病ある人が住みやすい社会になれば幸いである。


15日
若いときから、よく眠れなかった。学校は遅刻が多かった。眠れないのでボートしていることが多い。薬を定期的に飲めたら、いいのだが、それがむずかしい。Mさんは酒を飲んだら、寝てしまって薬を飲むこと忘れてしまう 忘れるから眠れない眠れないから酒をのむ。飲むから薬のむこと忘れる、これの繰り返しで入院だよ。


18日
役所から障害手帳が届いているとの報告があった。病気の自覚がない。医者の誤診では、と思うこともある。
3級と1級の真ん中で普通の障害と思ったがうるとらまんが障害区分2級の表示に驚いていた。

23日
マイケルの独り言を毎回楽しみにしている人がいると聞いた。ただあまり考えないでポツリといっただけだが・・・。
うるとらまんいわくそのポツリがいい。ありのままでいい。そういわれたら悪い気はしない。ポツリポツリでいくか。

25日
うるとらまんと話をした。夢の話になった。俺の夢は何?質問されても即答はむずかしい。夢ね!俺の夢はなんだろう!

11月4日
今まで週一回がやっとだったくくるでの仕事が、先週は5回できた。うるとらまんは驚いていた。なにせ、雨がふったらいかない、行く気がしないからいかないのオレだったから。


11月7日
うるとらまん
 今週よくがんばったね!どうしたの? 
マイケル 
 どうしたのといわれても・・・いつまで続くかわからないけどね!
班長
 マイケルがいないと仕事大変だよ。宜しく頼む!


11月10日
これからは、うるとらまんがメンバーのつぶやきを歴史に残していくことになった。よろしく!
石さん(石さんは手話が堪能なので忙しいときはバイトしてもらっています)。
 マイケルてKさんのことですか?
うるとらまん
 そうだよ、マイケルの独り言を読んでくれてるの?
石さん
  はい、なにげなく語っているのがいいですね!
マイケル
 たまには厨房も手伝ってね!

12月27日

 
 石さん、長年、うつ病で仕事ができない状況でしたが、12月より福祉関係の仕事が決まりました。
 くくるのスタッフ全員で就職祝いの乾杯して祝福しました。

3月10日
くくるでバイトしていた石さんが友人とランチにきてくれました。以前の仕事は2ヶ月でうつが悪化してやめました。
今回、大学時代の勉強生かして介護の仕事をはじめ3ヶ月後に正社員になりました。顔には働ける喜びがあふれていました。
 
石さんからのメセ
新しい仕事は楽しいです。 利用者さんにも職員の皆さんにも、よくしてもらっています。 相談員の業務に入るには、まだまだ沢山、勉強したり勉強し直したりしなきゃいけないけど。これからも、誰かの何かの為になってるような自分で居たいと思います。
 

 
11月13日
 マイケル 
   うちのTM精神病院のスタッフ、久しぶりに病院いったら、看護士からフルネームで呼ばれたな!よく名前覚えていたな!
うるとらまん
   前もマイケルさん、今日は、きれいにヒゲをそってきましたね!と言われて驚いていたね!
マイケル
  だからよ。ほとんど顔をあわさないけど、ここの病院のスタッフは、患者さんに気軽に声をかけるよ。
  2週間、病院いかないと電話がくる。薬がきれるころだからね!

  
11月22日
 マイケル 
     うるとらまん、手話の本ないか?
うるとらまん 
     あるよ。どうしたの? 
マイケル 
    手話を覚えんとな。手話できないと斉藤さんと会話ができないよ。仕事がはかどらないよ。

うるとらまん
    うれしいね!手話を勉強するなんて!ところで、以前は、手話は必要 ない、心と心で通じるんじゃなかったの?
マイケル
     手話覚えたほうがいいんだろう。 とにかく借りていくよ。
 
   



12月4日
マイケル
   うるとらまん、俺の友達ユンケル(精神障害)くくるで働きたいといっているけどいいかな?
うるとらまん
   くくるはユンケルを採用するほど忙しくないよ。
マイケル
   給料の問題じゃないよ。働きたいんだよ。
うるとらまん
   そうだな。ユンケル、マイケルが一生懸命働いている姿をみて、とてもうらやましがっていたもんな。
 マイケル
   迷惑かけないからさ。当分はおれが仕事を教えるから頼むよ。
うるとらまん
   わかった。ユンケルの気持ちと、できることはなにか、とにかく会って話してみよう。


12月13日
うるとらまん
 ユンケル、くくるで働きたいか!
ユンケル
 働きたい。
マイケル
 俺が応援するから働かせてくれ!
班長
 本人がやる気があるみたいだから、できるかどうかやらせてみては!
うるとらまん
 わかった。条件がある。
  1)病院には必ずいくこと。
  2)薬は必ず飲むこと。
  3)無理はしないこと。
  4)睡眠はしっかりとること。
  この4っつを守ってほしい。私は精神障害の専門家ではないから医者、保健師に相談するよ。自分で通勤できるかな!
ユンケル
  大丈夫。車があるので運転してこれる。

うるとらまん
  明日から始めていいかな。営業が始まる前に皆で食べるから11時までにこれるかな。
ユンケル
  大丈夫。11時までにこれる。
うるとらまん   
  仕事のことは、マイケルが教えるから心配ないよ。 不安はないか?
ユンケル
  不安だけど、マイケルがいるから、できると思う。
うるとらまん
   よし、明日から仕事だ。


12月15日

うるとらまん
  班長、昨日は、11時までに自分できてねといったけど、自分でこれるかな!
班長 
  いままで13年間も仕事したことがないからね。仕事をしたいとの気持ちを信じてみよう。

玄関のドアが開く音がして

ユンケル
  おはよう!
うるとらまん
  時間どおりきたね!着替えて仕事やろうか?
ユンケル
  はい!(弱弱しい声)

うるとらまん 
  元気ないけど、自分で来て、遅刻もなかったね!
  
12月16日

うるとらまん 
  お疲れさん!どうだ、仕事は。大丈夫か!
ユンケル
  大丈夫!

うるとらまん
  そうか。 二人とも薬はのんでいるか?  
マイケル
  たまに飲んでいる。
ユンケル 
  毎日のんでいる。
うるとらまん
 ユンケル、仕事はきつくないか?
ユンケル
 きつくない。楽しい!
うるとらまん
  うれしいこと言ってくれるね。でも仕事は疲れるだろう。病院は娯楽施設もあるから、デイケアのほうが楽しいじゃないの!
ユンケル
 デイケアはいつもトランプして遊ぶだけでつまらない。 ここで働いたら、自分のお金で食事ができる。いろんな人との出会いがある。  
うるとらまん
 そうか。仕事が楽しいか。仕事がつらくなったら、休んでかまわないよ。

12月18日

うるとらまん
   ユンケル、くくるで働きたいと思ったのはどうして?
ゆんける
  同じ病気のマイケルが働いている姿をみて、自分にもできると思った。
うるとらまん
  マイケルが頑張っている姿をみて、自分もやってみたいとおもったのか? マイケルはすごいことしたね!
 マイケル
  俺は何もしていないよ。ユンケルが働きたいと言うから、紹介しただけだよ。
うるとらまん
  人をやる気にさせることはたいへんなことだよ。すごいよ。うるとらまんにはできないよ。
 
班長
  これが、命令だけして、自分は何もしない人が、いたら、押さえつけられているようで嫌だと思う。
  指導員とかだったら、上の立場から、判断すると、やる気なくすよ。ぼくも障害者だから、同じ障害者の仲間だとの気持ちで接している。
   
12月22日 
うるとらまん
 ユンケル、おはよう。気分はどう?
ユンケル
 いいです。
班長
 今日は元気いいね!仕事に自信がでてきたんだろうね。笑顔がふえていきたな!
うるとらまん
 薬はのんでいるか?
ユンケル
 飲んでいる。夜9時には必ず飲んでから寝る。
 
 
12月25日
  金曜日にユンケルの病院から電話があった。
 月曜日と木曜日の二回はくくるで週3回は病院でのデイケアでお願いしますとの内容である。
  ユンケルとに電話した。
ユンケル
  月曜と木曜日はくくるで、予約が多い日は、くくるにいってもいいと病院から言われた。
うるとらまん
  そうか。よかったね。初めは週2かいからはじめて、なれてきたら、増やしていけると思うよ。
ユンケル
  もっとくくるにいきたい。
うるとらまん
  うれしいね!ありがとう。でも、医者のアドヴィスは大事だ。まずは週2回。医者が週2回は大丈夫と思ってくれただけでもいいじゃないか。それだけユン  ケルがきちんと、薬を飲み、デイケアいってい るからだよ。 

ユンケル
  わかった。

うるとらまん
  じゃ、月曜日だね。

12月27日
ケントミさんがくくるにランチにきていただきました
ケンさん
 うるとらまん、マイケル、ユンケルて誰ね!
うるとらまん
  誰ですかね!ここのメンバーの誰かです。
ケンさん
  マイケルはエレキギターがうまいそうだね。マイケルは、ギターができるんだよね。くくるでバンドつくってみたら。 
班長
  いいですね!仕事ばかしだと、面白くないから、バンドはいいと思います。楽しみながら仕事したいもんね。    
マイケル
  まあね!悪くはないけど!班長の歌を聞いたことがないから、判断むずかしいな!
うるとらまん
  じや、山里フォーク村(フォークバー)で班長の歌を聞いてみよう。
班長
  審査があるの!いいよ。

うるとらまん
  今度の水曜日の夜は班長の歌がきけるね!
トミさん
  うちは、すべてをさらけだしてやっている。人に喜んでもらえれば、自分が元気になれるよ。
  (ケントミさんは、沖縄各地でイベント、講演をおこなっている)
うるとらまん
  人を元気にしたら自分が元気になれる。いいですね。だからケントミさんは病気に負けないんですね!
マイケル
  おいいおい、うるとらまん、まだ、班長の歌をきいていないよ。聞いて後、考えよ!
ケン
  ケントミもくくるを一生懸命応援するよ。まずは、やってごらん。

12月28日
マイケル、班長、うるとらまん三人で、友人のお店、山里フォーク村で飲んでいます。
  うるとらまん
    今日はぼくがおごるから、ドンドン飲んで。
  マイケル
    うれしいね。では、遠慮なく、ビールおかわり。班長、カラオケ歌ってよ。 
  班長
    いよいよ審査か。長淵剛の歌お願いします。 班長がカラオケを歌っています。
 うるとらまん
   班長、歌うまいですね!
 マイケル
   まだまだだな!再審査が必要だな!
 班長
   再審査なの。厳しいね!


1月3日
うるとらまん
  マイケル、最近は、ユンケルだけ、はずしてのみにいくことが多いな!
マイケル
  ユンケルは薬を9時に飲むからな。薬を飲むと、車の運転ができなくなるんだよ。
うるとらまん
  今日はユンケルの家に酒もっていこうか! 
マイケル
  電話したよ。家で待っているて。彼の友人もきているみたいだよ。幼馴染だ。
  ユンケルのことは、よく知っているし心の病気が発症する以前のユンケルのこともわかるからね!
マイケルと一緒にユンケルの家につく。
友人
  ユンケルが、くくるで働くようになってだいぶかわりました。明るくなりました。友人として、うると らまんにお礼を言いたかったです。
うるとらまん
  明るくなりましたか。うれしいね!

友人
  病院より、くくるが楽しいて、生きがいを感じている。明るくなってきている。
マイケル
  一通りのデイケアを経験すると病院は飽きるよ。
友人
  くくるはインターネットで見ているけど、温かみを感じる。ユンケルが働くには最高だと思う。
うるとらまん
  そうでもないよ。これも、マイケルのおかげだよ。マイケルがユンケルのことを弟のように、かわいがってくれるからね!
  それにしても、思ったより、部屋はきれいだね!男独身の部屋は汚いものだけど!
マイケル  
  ユンケル、飲もう!人生楽しくいこう!

 
1月8日
  
神響ライブ予定通り、8時にスタート。
演奏の途中、神響さんと、マイケルがギターを弾きながら歌いだす。これが、なかなかいい!

マイケル
 やっぱり。プロはちがいますね!こんなに気持ちよくギターをひいたのは初めてです。刺激にもなるし勉強になりました。
神響さん
 いえいえ、こちらこそ、また、お願いします。

ライブが終わり、打ち上げのとき、ちゅらさん、ケントミさんからマイケルへの激励のメールを伝える。何も言わないが、本心はうれしいと思います。

1月22日

うるとらまん
  マイケル、神響さんからメールあるよ。
マイケル
  どれどれ、なんて書いてあるの?

  マイケルさん!
初セッション凄く良かったですね♪また来月のliveでもセッション楽しみにしてます!
くくるでのマイケル、ワンマンliveを行う日も近いのでは?神響も影ながら応援させてくださいね!
音楽は心に豊さを与えます!お互い楽しみましょう(^O^)/
マイケル
  近いうちに、神響さんのお店にいきます。よろしくとメールしてくれ。
力強い神響さんのエールに涙ぐむマイケルであった。

1月26日

うるとらまん
  マイケル、先週の木曜日は病院いったか?
マイケル
  いっていない。一ヶ月ぐらいいっていない。朝が起ききれなくて。
うるとらまん
  電話で起こしたよ。
マイケル
  二度寝をした。
うるとらまん
  明日は必ずいけよ。仕事は休みだからね。
マイケル
  やばい、薬がきれた。明日は必ずいく。



2月?日 
うるとらまん
  ケントミのトミさん、ガンが進行し移転しているらしい。
マイケル
  ・・・・・・・(絶句)
班長
  でもトミさん、パワーあるから大丈夫だよ。
純子
 ・・・・・・・(絶句)
うるとらまん
 班長の言うとおりだね。トミさん、パワーあるもんね!
 そうだ。くくるバンド練習がんばろう。くくるの音楽でトミさんに喜んでもらおうよ。ガンなんか笑い飛ばしてしまおうぜ。





2月2日 くくるバンドの結成式が行われた。

決意発表してもらいました。
心を分かち合えるくくるのメンバーとの出会い、そして夢、希望は最高の力です

テレビで紹介されました。最後にくくるの練習風景あるよ。




心の病とくくるの乙女

統合失調症の浮き沈み

2月10日
 Aさん
   うるとらまんさん、ユンケルは仕事ができる状況ではありません。
   病院としては当分の間、仕事を控えさせてほしい。
うるとらまん
  そんなに悪いのですか?
Aさん
  うるとらまんさん、 このことはよく覚えてほしいのですが、精神の障害の場合には個人差がありマイケルには大丈夫でもユンケルも大丈夫とはかぎりま せん。 薬も強いのに変えました。元にもどるのにかなり時間かかります。    
うるとらまん
  わかりました。病院の指示にしたがいます。

 うるとらまん
   ごめんな。ユンケル、病院が今は仕事はダメといわれた。    
 ユンケル
   くくるで働きたい。くくるで仕事したい。
 うるとらまん
   でも病院からの許可がないと・・・・・。
 ユンケル
   くくるは楽しい。くくるに行きたい。
うるとらまん
   よし、わかった。ユンケルのお医者さんにあって願いしてみよう。
ユンケル
  ほんとですか。ありがとう。

病院で話し合いましたが病院はNOでした。ユンケル寂しそうでした。今はダメだけど、もう少ししたら大丈夫かもしれない。
希望だけはありました。ユンケル、人生は楽しく行こうぜ!



ユンケル復活
8月11日
ユンケルが久しぶりに友人と一緒にくくるにきてくれたよ。
彼が去年の暮れにくくるで働きたいと言い出した。
だけど、仕事はやる気満々だったが、一ヶ月ぐらいで薬が合わなくてドクターストップがかかってしまった。
でも彼の心は折れなかった。入院もした。通院しながら、くくるで働く思いは捨てなかった。
最近、やっと、彼に合う薬が処方された。
また、くくるで働きたいと言ってくれた。
なんで働きたいのと聞いたら、お姉さんに美味しい料理を作ってあげたいとのことだ。
姉も心の病(1級)を持っている。身の回りの世話は、ユンケルがしている。
両親は早くなくなり、兄弟二人で暮らしている。
昼は病院で食事、夜は冷凍食品で簡単に済ましているとのことだ。
くくるの食事はうまい。こんな料理を姉に作ってあげたいて。
医者の許可が必要だと話したら、医者に相談してみると、すぐに病院に相談しにいきました。 。
ただ、薬の副作用なのか、アル中のように手が震えている。
薬の微調整が必要とユンケル話していた。
彼の思いを実現させたいな。

 
8月20日 
  わくがみさんのテンポの説明にわかりやすい、勉強になったと謙虚なユンケルだ。
 ユンケル、わくがみさんから、何かを得ようと、しきりに、わくがみさんに話しかけていた。
 こんなに積極的なユンケルはみたことがない。
わくがみさんからコメがきました。紹介します。
こんにちは♪
僕は過去『鬱病』で3年余り苦しんで来ました。
それをバネにカウンセラーの勉強もさせて頂きました
だから、ユンケルさんの『見えない敵との戦い』が少しだけ共感出来ます。
うるとらまんさんの言う通り、一歩ずつです。

僕も今に至る迄『一歩ずつ』でしたから(笑)
純粋で素敵な『ユンケルさん』と、これからも友達として仲良く、そして互いに成長出来れば嬉しい限り
今後も二人の『夢』の応援を、皆様で宜しくお願い致します!!
との心温まるコメでした。
わくがみさんの穏やかな、ゆっくりとした話し方、わくがみさんの慈愛のこもった振る舞い、
それはご自身が心の病で苦しんだ経験、それを分かち合い、共に、夢に向かって歩んでほしいと思いからきていることを。
ユンケルは、わくがみさんの思いを命で感じたと思います。


8月27日

ユンケルからメールがきた。 薬調整して体調がとてもよいです!これで、くくるの手伝いできそうです。
薬の調整必要だ。手のふるえがとまらない。先週は薬調整して振るえがとまったが、落ち着かない。微調整必要だ。
ユンケル、くくるで働くために、頑張っているんだな。医者に、伝えること、うまくできないとぼやいていた。
その彼が、一生懸命に医者に話している姿を思うと涙でてくるよ。


8月31日 

今日はユンケルが純子さんにドラムでテンポの取り方を教えてくれました。
純子さん、ユンケルがドラム演奏する姿にかっこいいの連発でした。
ユンケルも教えることが好きと楽しそうでした。
人は人に喜んでもらえることが一番の生きがいだとおもいました。



琉球新報にくくるバンドが掲載されています。


9月

日曜日

 うるとらまん
  おーい、元喜か?

 ユンケル
  元喜じゃない。薬がきれた。薬がない。

 うるとらまん
  今日は日曜日か。明日、病院いけよ。

 ユンケル
  
  明日、病院いく。

月曜日

  うるとらまん
   病院いったか。

  ユンケル
   いった。薬もらった。もう元喜。

  うるとらまん
   ほんと、元喜な声しているね。薬が切れる前に病院いけよ。

 薬の管理は大事だなと一つ勉強したうるとらまんでした。




ユンケル
  くくるの曲を作った。聞いてくれますか?

わくがみ
  いいよ。

ユンケル、エレキを弾きだしました。真剣に聞き入るわくがみさんでした。


9月24日七転びチャークルビー

3ヶ月前、病院に3人とも入院していたときは90歳の元気のないおじいちゃんのようだった。
この調子でいけば最高なんだが・・・。急に調子が狂うことを心配した。

 Aさん
   急に調子が悪くなること多いです。前兆なんかわからない。
   パニックなったとき、親からキチガイといわれたのをおぼえている。 医者も私の病気はよくわからないみたいみたいだ。   
 うるとらまん
   医者がわからないんじゃ大変じゃん。
 Aさん
  医者も試しに薬をあげてダメなら薬にかえるの繰り返しだよ。   
 Kさん
  それはありますね。どうしてだかわからないけど落ち込んでしまうんです。  
わくがみさん
   落ち込んでもいいんじゃないの。人生は七転びチャークルビー
  (転んでばかりいることの意味の沖縄方言)だから。落ち込んだら休んで、また、歩きだせばいいとおもうよ。   

七転びチャークルビーをきいて
 
 ある書道家の言葉 
      失敗してもいいじやない 
           人間なんだから      
 をおもいだした。
 健常者でも落ち込むことはある。
 障害ある人ない人関係ない。 人間だから、失敗すること、落ち込むことはあたりまえなんだ。
 落ち込んだら、ゆっくり休んでもいいから、また、歩き出すことだと思いました。


9月 ユンケルンネーネー
ユンケルネーネーとは去年、初めて顔を会わした。 元喜ねと声をかけるが無表情で返事はなかった。
いつも眠そうな顔していた。

8月頃、西口先生の遊書ライブの話をした。
彼女が初めて「字は好き」と答えてくれた。{元気?」と挨拶して30回目ぐらいで始めての会話だった。
西口先生は丹精こめて彼女に字を書いてくれた。
彼女は字の意味はよくわからないと言った。ユンケルがお姉さんには難しい書といった。
でもユンケルネーネーの顔には、何かがはじけたような晴れ晴れとした顔をしていた。
それから、しばらくして会った。
ケントミさんのCDを毎日聞いているとのことだ。詩がすばらしいと喜んでいた。
ケントミさんのCDで一番すきなのが「時をみつめて」の曲だそうだ。

ユンケルがわくがみさんと、まるで昔からの友達であるかのように楽しそうに話していた。
ユンケルがこんなに初対面の人と話をするのは見たことがない。
その二人の楽しそうな会話を、ユンケルネーネー黙って聞いていた。
うどんちゃんが彼女に声をかけた。初めはポツリポツリ断片的だった。
うどんちゃん、何度でも彼女に話しかけた。
そして先々週の土曜日うどんちゃんが彼女に話しかけた。 驚いた。「なーに」と顔を振り向きながら答えたのだ。
私は涙をこらえるのが精一杯だった。 彼女の劇的変化に同じ病院の友人が号泣していた。
彼女は明るくなった理由はくくるが楽しいからと友人に答えているとのこと。


来週の日曜日に福祉祭りにく出演するけど、楽器なんかしてみないと彼女に相談した。
タンバリンをやってみたいとの返事だった。
鳥肌がたつような感動が私の全身を駆け巡った。 彼女が、やりたいことを意思表示したのは、ものすごい勇気が必要だったと思う。

10月1日


今日はくくるバンドの練習日でした。
いよいよ、明日は宜野湾市の福祉祭りのステージに立ちます。
メチャクチャうれしいことがありました。
ユンケルネーネーが今日は皆と一緒にタンバリンをたたいてくれたことです。
最初は無表情で座っていた彼女が、先日は座敷からタンバリンを叩き、今日は皆と一緒に叩いていました。
「くくるは楽しい。くくるの仲間は楽しい」 と話していた。
ユンケル緊張で寝ていないようだ。 ボーとして全く元喜がなかった。
明日は参加は無理だと思った。

当日の朝、恐る恐るユンケルに電話しました。
ユンケルは元喜な声で「もうすこしで、会場につきますよ}との返事でした。
集合時間に一時間以上も早いです。 やる気満々でした。 昨日のユンケルとは別人でした。
大会当日は全員黒のTシャツをきることになっていました。

ユンケルネーネーをみて驚いた。黒のTシャツを着ているのだ。
舞台にあがるの???
まさか、そんなことはない。
あんなに心を閉ざしていた彼女が舞台にあがることはない。
まさかが実現した。
彼女は舞台に立ち、楽しそうにタンバリンを叩いている。
涙が止まらなかった。皆んな泣いていた。
彼女はこれ以上ない満面の笑顔だった。


10月16日 沖繩市福祉祭り




10月16日、日曜日、沖縄市福祉祭りにMsくくるバンド参加しました。
聾者のドラム担当の純子さん、テンポを頭に描き体で覚えて耳が聞こえないハンデイを乗り越えてきましたが宜野湾市福祉祭りでは緊張ではじめからテンポが狂い、それが最後まで続きました。

そこで今回は間違えたらやり直しをすることを考えていました。

実際、出だしでつまづき、やり直しました。ユンケルネーネーは今回もタンバリンを演奏してくれました。
ユンケルは今回もよく眠れなかったと本番前、厳しい状況でしたが舞台にあがるとかっこよく演奏していました。

10月24日 
ユンケルは宜野湾市、沖縄市の福祉祭りの前日はよく眠れなかった。

眠れないことは彼には一番の敵です。病院の職員に事情を説明しました。
健常者でもイベントの前は緊張するものです。私も明日から韓国いくので昨日は眠れなかったです。
イベント終わっても眠れたら問題ありません。緊張したら眠れなくなるのは健常者も病気持っている方も同じです。
私は安堵した。彼は、祭りの後はぐっすり眠れた。

10月29日

ユンケルから電話があった。
ネーネーが朝、味噌汁作ってくれたとのことです。

ネーネーが作る味噌汁はおいしかったと喜びの電話でした。

11月11日

最近、頻繁にユンケルから電話がくる。
内容は「・・・・でありがとう」とありがとうの言葉が多くなってきた。

先日はミラクル(旧姓ユンケルネーネー)がアーサー汁を作ってくれたと喜びと周りの方々への感謝の電話でした。
20年ぶりに味噌汁をミラクルが作り、今度はアーサー汁を作ってくれた。



10月15日
ユンケルの通院が週一回から月一回になり ユンケルがくくるで働くことを病院、保健所が正式に許可がおりました。
ユンケル、本当によくがんばりました。
職員は語りました。
 完全に完治は難しいと思いますが、今後、薬の量が減り、発病前の健康な状態に近づくことは可能と思います。
 彼は健康管理は自分でできています。
 薬を自己判断で減らすとどうなるか、彼はわかっています。 薬の管理、睡眠が大事です。
 日中嫌なことがあり、それで眠れなくなることありますので要注意です。


11月13日 
保健所職員とユンケルのことで話し合いした。
ユンケルは仕事(厨房での洗い物など)より、音楽をくくるでやらせてほしいと職員の皆さんにお願いした。
ユンケルに大切なのは、まず、家に引きこもることからの脱却だと思ったからだ。
エレキを演奏しているときの彼は生き生きとしていが皿洗いは5分がやっとだったが一ヶ月で1時間の皿洗いができるようになっていた。
音楽の力はすごいな!

11月13日
ユンケルが純子さん英子さんににドラムの叩き方を教えていました。
コミニケーションの問題がありました。
ユンケルは純子さんの手話を注意深く観察し自然に手話を覚えていきました。
私がくくるをオープンした理由はそこにありました。
健常者中心の社会で聾者が健常者にあわそうとして疲れている。お互いに歩み寄ってほしいとの思いがありました。
薬の影響による怠慢な行動するユンケルを聾者のスタッフは遠まわしに見ていました。
ところがユンケルが手話を覚えてくれたことで心を開きました。
音楽を教えてくれることに尊敬さえ抱くようになりました。
彼は、手話を覚え、耳の聞こえない聾者にテンポをどうやって教えたらいいのか悩みながらも汗だくになって教えていました。
教えるたびにユンケルは元喜になりました。


11月20日~24日
 ユンケルは姉のことを一番に考えて行動している。 ユンケルは昨日までできたことができなくなっていく姉をどこまでもやさしく介護していた。
くくるでは、ユンケルが仕事している間、ただ、黙って座っていた。
私は、座りぱなしは疲れると思い、倉庫を整理してベットをおいてミラクルの休む場所を作った。
でも、それでは彼女は眠ってばかしいることに気づいた。掃除してくれるようお願いした。
5分掃除したらグタッとなり座り込んでいた。ゼロと5分の違いは大きいと思う。
ミラクルの一言が忘れられない。「これならできる。掃除できる」
すこしづつ、掃除ができるようになった美良来流(ミラクル)に皿洗いをお願いした。 。
美良来流とユンケルの会話です。
  ユンケル
    「皿洗いできたの?」
  美良来流
     「できた。一枚も割らずにできた」
一枚も割らずにできたと喜んでいる彼女みてうれしくなった。
バンドの練習後、ミーテイングをした。
美良来流に楽器ができないかの話し合いになった。
彼女は小学校の頃、2年間ほどピアノを習っていた。
ピアノやってみる? と尋ねると黙ってピアノを弾き始めた。
練習は5分で終わった。
次の日、ユンケルがんニコニコしていた。
昨日、練習30分したとのことだ。

上を向いて歩こうよを演奏してくれた。
薬の影響であろうか、指に力がなかった。
でも一生懸命にピアノを弾いていた。
スタッフの皆、彼女の一生懸命さに涙がでてきた。
上を向いて歩いていこうね!
いつの日か、みなさんに聞いてもらえる日を夢みて!

  うどんちゃんと美良来流がくくるで何か話しをしていました。
 突然、美良来流の大きな笑い声が聞こえました。    
無表情無感動であった彼女が大笑いするまでになりました

うどんちゃんが驚いた声で話した。
  「あれー美良来流、上を向いている。いつも下ばかし向いていたのに」
 うるとらまん
  「ほんとだ。どうしたの」
 美良来流
  「楽しいのに」
 美良来流はうどんちゃんが大好きだ。うどんちゃんに会うたびに元喜になってきた。
 声をかけると挨拶を返すようになり、大笑いするようになり、今度は胸を張って上をむいて歩くようになったよ。
 来週の月曜日(毎週月曜日はうどんちゃんとユンケルのライブの日です)美良来流も参加することになりました。
  




11月28日 ミラクルデビュー

今日は美良来流の初デビューの日です。
さーやるぞとの意気込みが体中から湧き出ていました。
上を向いて歩こうよを演奏しました。
美良来流は一生懸命でした。客様から暖かな拍手が鳴り響きました。医者からも極度の自閉症で家からでることもきわめて困難と言われていた彼女が
上を向いてく歩きだしました!


12月1日~7日 美容室
うるとらまん
  「来月、美良来流が大変お世話になった先生がわざわざ内地からくるよ。何かプレゼントしたいね」

Aさん
  「・・・・ができるといいね」
うるとらまん
   「よし、・・・・でいこうよ。内面の美しさはこれでいいね。外面も変えたいな」

お客様(美容室経営)
   「じゃ、私が髪をセットしてメイクするさ。お金はいらない」
鏡をみたことがなく化粧をしたことのない彼女です。美容室は30年前に一度いっただけです。
自慢だけどくくるのお客様は最高!
どんな気持ちなんだろう?
彼女が変化を求めてきた。彼女がきれいになった姿を想像するだけで心が躍ります。
朝のことです。
 美容室で髪をセットしてもらいきれいになった美良来流です。
 ズボンをみてびっくり、ジーパンをはいています。初月給で姉にジーパンを ユンケルがプレゼントです。
「きれいになったね」と言われ「ありがとう」と返事した美良来流です。
 母が亡くなり美良来流は「ありがとう」の言葉はいったことはありませんでした。

美良来流
お化粧するようになりました。
鏡をみることがなかった彼女が化粧までするようになった姉をみてユンケルはこみ上げるうれしさで涙をこらえていました。
先日は私の友人が美良来流に洋服のプレゼントしてくれました。
髪をセットしてくれる人、メイクしてくれる人、洋服をプレゼントしてくれる人、ピアノを教えてくれる人と美良来流応援団が増えてきました。
美良来流の頑張りに応援したくなるんだね。
5分間の皿洗いを一枚も割らずにできたとの自信から、できることが広がっていきました。



12月19日くくるとくくる

21日の西口賢治遊書ライブでの練習頑張りました。
聾者の純子さんのドラムと心の病ある美良来流のピアノが見事に調和しました。
言葉が通じないハンデイを心の病あるメンバーが手話を覚えてくれました。
心の病ある人の微妙な心理の変化を耳の聞こえない人が理解しょうと努めてくれました。
お互いに心を分かちあい、心を一つにしたときに耳が聞こえないハンデイと不安定なこころのハンデイを乗り越えることができました。
最後は心でした。

12月25日の琉球新報にくくるバンドが掲載されています。
center>



内容を要約して紹介します。

 支え合い奏でる”奇跡”
 
ろうあ者と統合失調症患者でつくるくくるバンド

心に刻むリズム 体で表現


 聴覚障がい者と統合失調症患者が北中城村和仁屋の手話カフエくくるを拠点に、お互いに支えあいながら音楽演奏に取り組んでいる。
音楽とは無縁だと思っていた耳の聞こえない女性がリズムを刻んで踊り、心の病で外出できなかった姉弟が人前で演奏することで回復に向こうという奇跡の音楽を奏でている。



 くくるバンドは今年2月に結成されの聴覚障がい者Mさん(聴覚障がい者)Aさん(聴覚障がい者)統合失調症のU(統合失調症)きょうだいとMsの平安さん、伊波さんが演奏を支援する。
 ボランテイアで音楽指導しているのはサウンドデザイナーの湧上さんで毎週水曜日に練習を重ねている。
湧上さんは純子さんから「音楽はきらいだ」と聞かされ「だったら好きにさせてみたい」と思い、純子さんにドラム演奏などを指導している。
 Uきょうだいは昨年夏に同カフエを訪れた。それを機に15年間外出できなかったUさんは今年8月から店で働くようになった。
最初は5分しか続けられなかった皿洗いも今では一時間以上こなしている。
姉のUさんも26年間自宅に引きこもっていたが、現在は毎週月曜日の昼に同店でピアノを弾いている。

 練習ではUきょうだいが独学で学んだ手話で聴覚がい害者の女性3人に演奏を助言するなどして互いに支えあって技術を高めている。
女性たちは耳が聞こえないものの、刻まれるリズムの鼓動を体で感じて踊りも披露できるようになった。


琉球新報のコラム金口木舌にくくるバンドが紹介されていますよ。




~金口木舌~(琉球新報 2011年12月28日)
あるロックバンドの演奏を聴いた時のこと。演奏技術も歌唱力も申し分ない。でも心に何も響いてこない。なぜだろう。歌手は終了後、客席に目もくれず無愛想のまま会場を後にした。
▼商売だけで舞台に立っているようだった。感動しない理由が後日理解できた。正反対の出来事に遭遇したからだ。ぎこちない楽器の扱いと歌なのに人々が涙を流しながら聴いている。
▼耳の不自由な女性たちが振動だけを頼りにドラムをたたき、踊る。統合失調症の姉弟がピアノとギターを弾いていた。北中城村和仁屋の手話カフェくくるに集まる人々で結成した「くくるバンド」の演奏だ。
▼週に一度の練習では、病で長年自宅に引きこもっていたきょうだいが、手話を学んで聴覚障がいの女性の演奏を手助けする。女性たちは自宅を出て店に顔を見せることができた2人を励ましてきた。
▼足りないところを互いに支え合う思いやり。その気持ちが音色に溶け込んで聴衆の心に届いていたのだろう。音楽は嫌いと思っていた女性が今では笑顔で「心地よい響きが安らぐ」とスティックを握る。
▼「感情のない世界で生きてきたが、初めて楽しい気持ちが芽生えてきた」と語る姉。幻聴が聞こえなくなった弟は「私には音楽があり、仲間がいる」と言い切った。奏でる姿にレンズを向けていたら、音楽の持つ力と奇跡を感じ、熱いものが込み上げてきた。







2012年1月5日
近くの高校生が応援にきてくれました。
18日、東京から高校生が修学旅行でくくるにきます。
昭和の高校生の私達です。現代の高校生のフイーリングがわかりません。
そこでバンド経験ある高校生にアドバイスしてもらいました。
高校生からみてもおもしろいとのこと。
がんばるぞ。

1月18日 東京都立中央ろう学校修学旅行生の前で ユンケルとミラクルが堂々とスピーチしました。

こんにちは。ユンケルです。
私は中学高校はサッカーで体を鍛え卒業後は水道工事などの仕事をしていましたが23歳の頃、神経質になりすぎて心のバランスが崩れ統合失調症となり家から出ることができなくなりました。
病院の職員が何度も家庭訪問してくれました。
私が病院のデイケアーにいけるようになるまで10年かかりました。
 去年の夏ごろ、くくるに来ました。
くくるの自然環境と穏やかな雰囲気に、ここで働きたいと思いました。
でも、病院は働くことを許可してくれませんでした。
病気になり、働いたことがなく、5月には入院していました。

それでも私は、自立したい、働きたいと思いました。
手のしびれが止まりませんでした。
すぐに病院にいき、薬を調整してもらい手のしびれは止まりました。しかし、その薬の副作用で落ち着きがなくなりました。
病院にいき調整してもらいました。
自分に合う薬に出会うまで何度も病院に通いました。
医者は、薬の管理ができるようになった私を働くことの許可をしてくれました。

9月に宜野湾市福祉祭りにくくるバンドで出演することになりました。
それに向けてみんなと一生懸命練習しました。わくがみさんから音楽を教えてもらえることは、一番の楽しみでした。わくがみさんの音楽理論、技術に新鮮な驚きがありました。
15年間、家からでることができなかった私が、わくがみさんに会えることが楽しくなり、家から出ることが楽しくなりました。
耳が聞こえなくても、ドラムの響きで音を体で感じ、あきらめない純子さん、英子さんに、心に響くものがありました。
最初は5分の皿洗いも辛かった私ですが、今では一時間皿洗いできるようになりました。
くくるにきて、あれほど辛かった幻聴、幻想は一度もありません。眠れない日々が続くこともありません。
しかし、薬なしでは、眠ることができません。病気との闘いは続きます。
私には音楽があります。仲間がいます。応援していただける皆様がいます。夢があります。みなさんの激励のおかげで家からでることが一番の目標だった私が、毎日、くくるにきています。
これからも、ゆっくり、ゆっくりですが、一ミリでも前に進んでいきたいと思いますので応援宜しくお願いします。


 こんんちは美良来流です。
私は17歳の時、不眠症から心の病となりました。
高校は中退し母親と買い物行く以外は家に引きこもるようになりました。

 平成15年に母が亡くなり弟と二人だけになりました。
一緒に買い物にいく母が亡くなり精神障害1級になりました。
無気力で喜ぶこと泣くこと感情のない世界に生きてきました。

 去年の夏頃、くくるにきてうどんちゃんとの出愛いがありました。
うどんちゃんは私がどんなに無視をしても「ネーネー元喜ねー」といつもやさしく声をかけてくれました。うどんちゃんの明るさと思いやりに凍りついていた私の心がすこしづつ溶け出してきました。
うどんちゃんと会えることが楽しくなりました。
病気になって初めて楽しいとの気持ちが芽生えました。

9月に宜野湾市福祉祭りにくくるバンドとM‘sで参加することになりました。
私も仲間に入れてほしい、音楽をしたいとおもいましたが誰も声をかけてくれませんでした。
私には無理、無理をさせてはいけないと思っていたと思います。
そんなある日、うどんちゃんが「やってみる、無理しなくていいよ」とタンバリンを差し出してくれました。
最初はみんなの輪にはいることはできませんでした。みんなと離れたところでタンバリンを練習していました。
でも音楽が楽しくなり、気が付いたらみんなと一緒に練習していました。

 病気になってお化粧したことも鏡もみたことありません。いつも青いジャージにトレパンでした。そんな私をくくるのお客様が私にパーマ、メイクしてくれました。
30年ぶりの美容室でした。私の部屋に化粧水、ムースなどが増えてきて外出するときは鏡を見るようになりマネキュアするようになりました。


くくるのスタッフが「きれいになったね」と言ってくれました。
「ありがとう」とお礼を言いました。
この10数年、ありがとうの言葉をいったことはありませんでした。


 最近、ピアノを練習始めました。一分の練習でも頭がボーとしました。でも楽しいんです。

仲間と練習すると音楽が楽しいんです。いつの間にか頭がボーとすることもなく1時間練習できるようになりました。

最近、よく眠れるようになりました。30年間の眠れない辛さ、どうすることもできなかった心の病の苦しみが遠い過去になろうとしています。

薬も以前の半分になりました。

 激励してくださった皆様のおかげで幸せになりたいと思うようになりました。幸せなど考えたことありませんでした。

私の夢は病気に負けないことです。その思いを(上を向いて歩こうよ)をピアノでひきます。
聞いてください。


テレビで紹介されました。


center>

沖縄タイムス、琉球新報に掲載されています。



1月19日~2月15日


放映直後にユンケルから電話があった。
 うるとらまん
    「テレビみたよ 」

ユンケル
    「ありがとう。緊張したけど話せました」

 うるとらまん
    「あれだけ堂々と話せたらすごいよ」

ユンケル
    「自分も話せるとは思わなかった」

 うるとらまん
     「美良来流にかわって」

美良来流
     「はーい}

うるとらまん
    「元喜いいね。テレビかっこよかったよ。みんなびっくりしているだろう」

美良来流

    「はーい」
 美良来流、元喜な声で答えていた。
 

   美良来流、ユンケルは良く頑張ってくれた。夜は外出を控え睡眠をしっかりとり、薬の管理も徹底していた。
 しかし
 美良来流、ユンケルは風邪をこじらせてしまった。
自分は姉、自分ががんばらなくてはとの気持ちが彼女の微妙な心のバランスを崩してしまった。
姉思いのユンケルも姉のことを心配して調子を崩してしまった。
本当に二人の心はきれいだ。きれい過ぎて調子が狂ってしまった。
 寒い2月、外出することは彼らには負担が大きい。そこで2月は休んでもらうことにした。

心の病とくくるの乙女

2012年12月~2014年 12月
2012年 12月  
12月に初めてバルさんにあった。
躁うつ病で元気がなくすべてのことに自信がないように見えた。   
純粋な男だ。病気が憎くなった。こんないい男を苦しめる病気を体から出て行けと叫びたい気持ちだった。
彼は病気が発症する以前は普通に働き結婚をし子供もできた。

しかし、その頃から自分の異変には気づいていたが病気とは思っていなかった。
仕事に失敗し、新築したばかりの家も手放してしまった。
眠れなくなった。病院で躁うつ病と診断された。
妻は彼の病気を理解してくれなかった。仕事ができなくなり離婚。借金のことで親戚に迷惑をかけたことが彼を苦しめた。
自殺未遂を図り2年間入院した。

退院して仕事をした。
病気のことを隠して働いた。そうしなければ働けないと思った。
しかし、それが彼を追い詰めてしまった。仕事をはじめて2ヶ月後に体が動かなくなった。す
仕事をしたい、頑張りたいと思っても体は動かず時間だけが過ぎていった。

仕事を失い自信喪失した。

12月
  
 バルさんは音楽が好きでくくるの乙女に興味を抱いていた。
 そこでくくるの乙女が演奏している様子を見てもらった。
 耳が聞こえなくてもドラムを叩きキーボードを演奏するくくるの乙女に彼の心は動いた。
 
 その頃から今の自分を変えたい、前向きなことを話してくるようになった。
 それ以前は過去の失敗の話だけで未来の事を語ることはなかった。
 

 以前、病気を隠して仕事が続けられなかった。そこで病気への配慮がある就労A型の職場を希望した。
 しばらくして就労A型の職場が決まった。 しかし、自信がなかった。
 突然襲ってくる脱力感、無力感、過去の失敗が邪魔した。
 
 くくるで働かせてくれと言ってきた。仕事に自信がないので仕事に慣れておきたいとの事でした。
 嬉しかった。もちろん。OKでした。



2013年1月
 バルさん、チラシ配り、調理補助など一生懸命やってくれた。
 チラシ配りでは突然雨が降りだしたこともありましたが黙々とチラシを配ってくれました。
 仕事は遅いですが丁寧な仕事でした。

 一月の終わり頃から就労A型で働き始めました。

 今の目標は2年間仕事を続けることです。
 それができたら一般就労してお金を稼ぎたいそうです。


 
10月5日
 バルさんと
  夢について語った。

 彼の夢は体験発表をすることだ。体験発表したい理由は二つあった。
 一つは娘の事だ。
 娘とは10年ぐらい会っていない。結婚しているかもしれない。
 今の自分では会いたい気持ちはなれない。
 仕事を頑張りオヤジは元気だよと伝えたい。

 二つ目は同じ病気で悩んでいる人の事です。
 周りの人の理解が得られず辛い体験をしてきた。
 躁うつ病で悩んでいる人に俺も辛かったけど今は元気だよと言いたい。
 

  三つ目は音楽を楽しみたいです。
 今は仕事を続けることで精一杯。先ずは仕事を継続すること。それができたらくくるの乙女と
 一緒にライブがしたい。マイケルと心の病ある仲間とライブがしたい。
 
 バルさんはこの三つの目標に向かっています。時には落ち込み、焦り、踏ん張り、自己嫌悪
 との葛藤・・・・そう簡単に良くなる病気ではないです。

 でも希望と夢はそんなバルさんを支えていると思います。
 

 
 私も夢みています。 3年後 5年後、バルさんが体験発表しライブのステージに上がっている姿を!


 12月12日

先日、バルさんと話をした。
彼は本を読むとボーとして何を書いているのかわからなくなる。
ウツ病を発症してからは新聞を読むこともあまりなくなった。
彼はS新聞を愛読しているが積ん読の状態だ。
一ヶ月ほど前、人○革○ の小説だけでも読んだらと話した。
読んでみると言った。
それから彼は読んでいるようだ。

内容を理解しているとかは疑問だが、読み続けていることは凄いと思う。

私にはよくわからないが、どうしょうもない無力感が襲ってくるとのことだ。
そんな中での読書だ。
今までできなかったことに挑戦しているバルさんだ。
声が弾んでいた。ほんの少し、顔をあげるだけでも違った世界が見えると思う。
バルさんと話をしていると元喜になってくる。

  
12月20日
バルさんと初めて会ってから一年となった。一年前のバルさんと今とでは雲泥の差だ。
自信も希望もなく、どうやって生きていけばいいのか、ただ生きている感じだった。
仕事をし、自分で稼いだお金を自由に使えることは幸せなことなんだと思った。



焦らず、ゆっくり、一つ一つの目標を達成してほしい。
来年の1月27日(?)で仕事が一年となる。一年仕事をやりきったら自信がつくだろうな。
楽しみだ。バルさん、今年はいい年だったね。来年もよろしく。                                 2014年11月                                   
QRコード
QRCODE
※カテゴリー別のRSSです
アクセスカウンタ
Total: 7,959
Today: 4
Yesterday: 1
読者登録
メールアドレスを入力して登録する事で、このブログの新着エントリーをメールでお届けいたします。解除は→こちら
現在の読者数 1人
プロフィール
カフェくくる うるとらまん