僕が生まれ育ったのは、埼玉県桶川市。埼玉一の繁華街「大宮」と、日本一の暑さを誇る「熊谷」の間に位置している。
7年前に離れるまで、約20年近く暮らした街。人生の大半を過ごした「ふるさと」を、僕は久しく訪れていない。べつに地元が嫌いなわけじゃない。むしろ、今まで住んだどの街よりも愛着を抱いている。それでも足が向かなかったのは、僕ら家族が地元を離れざるを得なくなった「ある出来事」を思い出し、負の感情にさいなまれそうだったから。
しかし、風の便りに聞く桶川の変化は、いつも気になってはいた。意を決し、ふるさとの街へ帰ってみることにした。
桶川駅はJR高崎線のなかではわりと利用者数の多い駅だ。僕が小5のときに湘南新宿ラインが、2015年には上野東京ラインが開業し、池袋・新宿・東京など都心の主要駅にもダイレクトでアクセスできるようになった。特に、上野東京ラインができてからは、新たな住民も増えているらしい。
電車を降り改札を出ると、立ち食い蕎麦のダシの香りに懐かしさを覚えた。
駅構内の立ち食い蕎麦は、子どもの僕にとって「大人の聖域」だった。スーツ姿の会社員が、パっと頼んでパっと食べる。そんな聖域に踏み込む勇気がもてず、初めてここで蕎麦を食べたのは成人式の日だった。大げさだけど、僕にとっては成人の儀式の一つだったのだ。あれから7年。改めて、時の早さに驚く。
まず、僕が向かった先は元・実家。今は他人の手に渡っているが、外観は当時のままだった。自慢じゃないがでっかい家だ。自慢じゃないが、僕はわりと裕福な家庭で育った。風呂はジャグジー付きで、娯楽室には全自動麻雀卓があった。親父は解体業を営んでいて、随分と羽振りがよかった。
しかし、僕が20歳のころ、小野家の栄華は終わりを告げる。親父が取引先から不渡りを出され、3億の借金を背負ったのだ。「3億の借金」。フィクションの世界ではわりと背負いがちだが、リアルに背負うと“人生詰んだ感”が半端ない。親父は自己破産し、一家は桶川を離れることとなった。友人にも告げず、ひっそりと。「夜逃げ」というフレーズが脳裏をかすめた。引越しは夜じゃなかったし、べつに逃げてもないけれど。
そのことについてはもう自分のなかで消化できていて、親父に対して何ら恨みは抱いていない。親父だって辛かっただろうし、今では一生使える「すべらない話」を手に入れたとさえ思えるようになった。ただ、桶川を訪れると苦い記憶がよみがえってくるのではないか。そう思うと、なかなかここには来れなかった。
「我が家」だったころと見た目は何も変わらない建物に、今では別の「金持ち」が住んでいる。そう思うと、この街に僕の居場所はないように感じられ、何だか肩身が狭くなってきた。
駄目だ、泣いてしまうかもしれない。たまらず、今もこの近くに住む親戚を訪ねた。
親戚のおじちゃんおばちゃんは(元)実家から目と鼻の先に住んでいて、僕をとてもかわいがってくれた。足を怪我したときには車で送り迎えしてくれたし、晩御飯もよく御馳走になった。カーテンが開いているときは「今夜はお肉よ」のサインだった。
最後があんなだったから辛い記憶のまま止まっているけど、やっぱりこの街には素敵な思い出がたくさんある。せっかくなので、このまま懐かしい場所を巡って記憶を掘り返し、桶川の記憶をポジティブなものに上書きしておこう。少しとりとめのない思い出話になってしまうかもしれないけど。
まず、小学生時代から振り返ろうと思い、当時の通学路を歩いてみた。小学校までは片道25分と遠く、おまけにこの途方もなく長い一本道!今、大人の目で改めて見てもめちゃくちゃ長い。登校意欲が削がれるのではないかと心配になるが、幸い学校は好きだったのであまり苦ではなかったと思う。遊びの計画を練りながら帰るのも楽しかった。
こちらは小学校時代からあった落書き。「バカ」というシンプルな中傷。これがほんとの「バカの壁」。
しょうもない冗談はさておき、ここらへんの街並みはあのころとほとんど変わっていなかった。桶川は、極めて平均的なベッドタウンであるがゆえ、特別に高級でもなく、かといって下品でもなく、ほどほどに閑静な住宅街だ。特徴がないともいえるが、よく言えばバランスがとれている。
僕の近所にも平均的な会社員家庭が多く、そんななかでやや異質だったうちの親父はよくも悪くも目立っていた。そのため、街の大人からは「おう、小野さんとこのせがれか!」みたいな感じでよく可愛がってもらった。
通学路の途中にある鰻屋「若松家」にも立ち寄ってみた。ここの子どもは小中高の同級生で、座敷は僕らのたまり場だった。営業終了後、夜中までダラダラと入り浸っていた。
先ほども書いた通り会社員家庭が多い桶川のなかで、自営業の子どもは一目置かれる存在だったように思う。特に、街では有名な「若松家」の子どもと仲良しであることは、僕的にもちょっと誇らしかった。
座敷に居座る迷惑なガキ共にも親父さんは優しくて、この「タレめし」をよく食べさせてくれた。ご覧の通り、白米に蒲焼のタレをぶっかけただけのものだが、このタレたるや幾年も継ぎ足しを重ねた「旨味の化け物」なのだ。ウナギの味なんてろくに分からない子どもの僕たちには、甘くて濃厚なタレめしこそが最高に贅沢なおやつだった。
桶川といえば「マイン」も忘れてはならない。地域の生活を支える駅直結のショッピングセンター。僕が小学生のころは映画館も入っており、よく遊びに来ていた。小5のとき、初めて女の子とデートしたのもここである。
桶川は生活圏がコンパクトなので、マインをはじめ行く先々で誰かのお母さんや兄弟がパートをしていたりする。そのうえ、「桶川宿」の流れを汲む古い街で、代々ここに住んでいる人が多いため、誰かが悪さをすればすぐに広まる。衆目の監視が抑止力となって、子どもがあまりグレることはなかったように思う。ヤンキーも少なく、至って平和な街だった。
それだけに、18年前、この近辺で起きた凄惨な事件は衝撃的だった。「桶川」の名は悪い意味で全国区になり、当時、街にはどんよりとした空気が流れていたこと、「現場」となったマインの存続を子どもながらに心配したことをよく覚えている。事件の生々しい記憶はしばらく消えなかったけど、マインはその後もみんなに愛され、今は「パトリア桶川」と名前を変えて相変わらず地域の生活を支えている。
マインの隣にあった西口公園も懐かしい場所だ。緑豊かな園内はおじいちゃんおばあちゃんのお散歩コースであり、子連れママたちの社交場であり、僕ら小学生の遊び場であった。鬼ごっこ、かくれんぼ、氷鬼、缶蹴り、ケイドロ、日が暮れるまで遊びまくった。日が暮れると、高校生カップルがベンチでイチャイチャし始めるのを観察した。おれもいつかイチャイチャするぞ!人生の目標が一つ増えた。
桶川にはこうした大きな公園や自然環境もなかなか充実していた。荒川が流れる川田谷地区には田園風景が広がっていて、嫌なことがあるとよくこのあたりでたそがれていた。マインでデートした女の子が知らない間に他の同級生と付き合っていたときも、河川敷ののんびりとした風景が傷心の僕を癒やしてくれた
探索の途中、たまたま同級生の中塚に遭遇した。成人式以来、7年ぶりの再会だ。彼の実家は焼肉屋(六甲というお店でメチャクチャ美味い)でよく食べに行っていた。現在は実家を継ぎ、料理人として頑張っているそうだ。さらに、ヒップホップの音楽活動も行っているんだとか。
改めて思う。7年経ったんだなあ。しばらく見ぬ間に、人も街も大きく変わった。
例えば、僕の通っていた北小学校(当時)はべつの小学校と合併し、校舎や体育館が大きくなっていた。学校名も変わり、校歌も変わったそうだ。卒業して15年。当時、大きく感じていた校舎を再び訪れ、さらに大きいと感じるとは思わなかった。
また、20年前は草木が生い茂り、探検ごっこをして遊んだ場所には「圏央道」という道路が開通していた。僕が通っていた幼稚園もなくなっていた。
家族や友達とよく行っていたファミレスは住宅街になっていた。少しだけショックだったけど、新しい住民が増えているのは喜ばしいことだし、そもそも今さら地元民ヅラして変化を悲しんだり憤ったりするのはなんか違うようにも思える。
よく野球やサッカーをしていた空き地は、ショッピングセンター「ベニバナウォーク桶川」に変わっていた。桶川のシンボル「紅花」を冠する、地域密着型の大型商業施設だ。リニューアルしたマインと切磋琢磨し、これからも頑張ってほしいと思う。って、いったい僕は何様なんだ。
久しぶりに訪れたふるさとは、よりベッドタウンとしての性格を強めているように感じた。まるで18年前の忌まわしき記憶を塗り替えるように、あのころよりも住みやすい街、魅力ある街、選ばれる街に生まれ変わろうとしているように思えた。
それに比べ、うじうじと過去にとらわれ、7年も地元に背を向けていた自分は何だったのか。
僕はたぶん、「借金まみれで街を追われた」という惨めさ、恥ずかしさ、後ろめたさと向き合うことが怖かったんだと思う。でも、そんなこと気にせず、もっと早く歩いてみればよかった。旧友は相変わらず優しかったし、タレめしはやっぱり美味かった。改めて、「ふるさと」は特別だと感じられた。同時に、桶川に起きた7年の変化を何も知らなかったことに寂しさを覚えた。
僕のように、何らかの心の澱(おり)にとらわれ地元に足が向きづらいという人もいるだろう。そのままふるさとを「捨てる」前に、一度でいいから街をしっかり歩いてみてほしい。街の人は、意外にあっけらかんと出迎えてくれるかもしれない。というか、他人のことなんて多分そこまで気にしてないと思う。
これからは、桶川にちょくちょく帰ろうと思う。若松家でタレめしじゃなくて特上のうな重を食って、街の変化を楽しもう。新しい思い出をどんどん上書きしていこう。
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著者:小野 洋平(やじろべえ)
1991年生まれ。編集プロダクション「やじろべえ」所属。服飾大学を出るも服が作れず、ライター・編集者を志す。譲れない条件は風呂・トイレ別(温水洗浄便座)。SUUMOなどで執筆しながら自身のサイト、小野便利屋を運営。
Twitter:@onoberkon