ポジ熊の人生記

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健康は自己責任なのか?

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主題がちと重いですが、僕が感じることを語ります。

なお

こちらの本を読んで今回の記事を書こうと思い立ちました。

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不健康をはねのけた身として、かつては自己責任論者だった

過去記事から僕の不健康履歴を紹介しますと

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120㎏の時代があったんですよ(本当に)

これを2年で解消しました。結果として75kgに。

詳細は記事をご覧ください。

 

そんでもって

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筋肉もそれなりに獲得しました。

筋肉もりもり=健康とは言いませんが、かつてぶよぶよの脂肪塊だった頃と比較すると健康で頑健な肉体を作り上げられたと自負しています。

こういう履歴を持っているものですから、世の不健康者に対しては「そりゃ自己責任でしょ、努力しない奴が不健康になるのは当たり前。野垂れ死にもやむなし」なんて本気で考えていた時代がありましたよ。驕りですね。

 

でも、色々と苦労をしましてね、人生。

んで、見識も狭く世の中を見通せないということで本を読み始めたんです。そしたら、世界が変わった。

 

最貧困女子との出会い

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実際に最貧困女子と出会ったわけじゃなくて、そういう名の書籍を読んだのです。そしたら、人生っつうのはほんと平等じゃないなと。国という枠組みの中で福祉がいかに重要な役割を背負っているのか、また人によってはその福祉の存在すら知らないままに社会の闇に飲み込まれていく場合もあるんだな、ということを痛感させられました。

これでどのように意識が変わったかというと「自分は幸運なんだ」ということ、「自分の幸運を武器にしてマウントをとるべきじゃない」ということを認識させられたのです。これで伝わりますかね?弱者を見た際に「弱いな、情けねえ」じゃなくって、「こうなるには何かしらの事情があったのではないか、このようなケースを救うには制度としてどうあるべきか」という、個々人へのアセスメントの必要性と社会福祉のあり方に想いを馳せられるようになったのですね。

 

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健康と自己責任

ここで健康と自己責任の話に戻ります。

とどのつまり、健康っつうのは自己責任では語れないんですよ。ダブルトリプルなワーキングで身も心もボロボロになった人にやれ「野菜くえ」だの「運動しろ」だの、無理があるんじゃないですか?

僕の場合ですと

 

馬鹿みたいに歩いたり

 

玄米食を中心にしてみたり

 

野菜ネタでツイートしてみたり

 

こういう生活にゆとりのある(ライフワークバランスの整った)生活をしているからこそ、こういうことができる。要するに健康に時間と手間をかける余裕があるんですよ。もっと簡単にいうと暇人なんです。健康を片手間にできちゃうくらいに暇がある。だから幸運なんですけどね。でも、先ほど述べた人たちはどうですか。こんなことできます?できないでしょう。

 

今や労働者の4割ともいわれる非正規雇用の人たちも、健康に気を遣うことなどできない。じゃあどうすべきかというとこのような雇用環境を改善すべきじゃないですか。つまり国の施策として収入の格差を是正すべきなんですよ。正規雇用になって生活も安定してくれば、各家庭で健康に気を遣う余地も出てくる。そうなれば健康格差も徐々に縮まっていくはずです。

 

国と食品販売会社が連携して、食品内に含有する塩分量を毎年少しづつでも減らしていけば、成人病に罹患する人も減る。これはイギリスで実際に行われて成果が上がっている事例です。パンに含まれる塩の量を毎年5%づつ減らしていったところ、消費者はそれに気が付かずにいつのまにか心疾患などの発病率を下げていったそうですよ。

 

「塩辛いものは健康に良くないけど、売れるからじゃんじゃん売っちゃおう」という利益優先で商品開発を進めた結果、国民の健康は脅かされて国力が衰退していくとか地獄でしかないでしょ。自分たちが儲ければそれでいいという魂胆が透けて見えます。ここらへんの倫理観(というか長期的な福祉目線)が欠落しているようにも感じます。

 

すいません、ちょっと意見が散らかっちゃったので、仕切り直します。

 

自己責任って何だろう?

自己責任。身から出た錆ってやつですか。

ある選択をしたが故に、身に降りかかる厄災は誰のせいにもできぬ、と。

筋が通っているようにも聞こえますけどね。

でも、でもですよ。その選択をした人は、果たして完璧だったんだろうか。もしかすると、過去に何らかの闇を抱えて、それが影響して選択を誤ったのかもしれない。もしかすると、脳に器質的な重大なエラーを抱えていて、それはロボトミー手術でも受けない限り修正不可能なものかもしれない。もしかすると、国が金持ち優先の施策を強烈に推し進めて、病むにやまれずとった選択なのかもしれない。

こう考えると、結局は「自己責任」なんて言葉は存在しないのじゃないかとさえ思います。個々をアセスメントしていけば、その選択を行ったことに何らかの必然性が生じます。それを踏まえて「悪」と断じることなど、どだい無理な話ではないでしょうか・・・。

自己責任論は思考を停止させます。「健康を損ねたのは、不健康な生活を送っていたお前が悪い。死ね!」というのは、悪と断じて見捨てる所業です。人が人を見捨てていいことなど、あってはならない。そこでとりこぼされた人たちを救うのが国家であり福祉のはずなのですが、それをかすませるのが世間に浸透している自己責任論なんじゃないかなぁ。

かといって、「俺のやったことの責任は社会にある!」と開き直ってしまうのもまた、違うような気がしますけど。ここらへんで問題をさらにややこしくしていますよね。法を犯した人が全てしおらしく懺悔するわけじゃありませんから。余計に心証が悪くなってしまう。ほんと難しいです。この国は居直る人に徹底的に厳しい。

 

みんなはどう思う?

健康リテラシーっつったってさ、野菜が体にいいとか運動は脳を成長させるとか、そんなこと真面目に勉強しようとする人のが少数派じゃん。大体の人はスルーしちゃうでしょ。みんながみんな、健康に関する啓発ポスターを見てそれを脳内にとどめるかといえばそんなことはないわけで。

できる人はいいんだよ。自分も恵まれているほうだと思う。体に良い、という記事なり本なり話なりに出会えれば、それを実践する気構えはある。でも、できない人もいるんだわ。それは衣食住を脅かされているだとか、一定の教育を受けられなかった人だとか、色々ですよ。

そんな人たちに果たして説法したところで、明日から野菜を食べて歩き始めると思いますか?無理でしょ。それならば売り物の塩分を薄くするだとか、知らずのうちに健康になっているような施策をゴリゴリっと国が推し進めないと、健康格差なんて無くならん。もしくは賃金格差をなくすような、ジニ係数を下げるような施策をとってくれるか。・・・望みは薄いな。ほんと絶望しかない。

だから、せめてお願いしたい。あなたは安定した企業に勤めて、自分の健康維持管理を論理的に実践する能力があるかもしれない。けど、それをもって不健康者に対し「お前らの自己努力が足りない結果だ、野垂れ死ね」なんて声高に叫ばないでほしい。それぞれに、それぞれが何かしらの事情を抱えて不健康になっているのかもしれない。それは国が、福祉が、包摂して考え、改善に取り組んでいくべき課題なのだということを、認識してほしい。不健康者が増えたら、結果として医療費が膨らんで破綻する未来が待っているんだからね。自分が健康なら子や孫の代まで末永く安定すると思ったら大きな間違いだよ。

僕もね、痩せられない不健康な人をかつてはなじっていた。けど、それは大きな間違い。健康は自己責任なんかじゃない。不健康な人を切り捨てるような社会は、日本国憲法に反している。個人として健康管理に気を遣うことはこれからも精力的にやってほしいのだけど、そこにさらに余裕をもって社会の在り方というものも考えてみてはいかが。

というのがかつて「健康は自己責任」論者だった僕の今の気持ちなわけであります。結局、終始とっ散らかってしまいましたね。少しでも伝われば幸いですけど。

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