お給料リレーのポエムです。
自己紹介
典型的な団塊Jr.世代、アラフォー・エンジニアです。
IT業界の経験も20年を超え、キャリアも折り返し地点。
自身の歩みを振り返りながらこの先のことを考えたり考えなかったりしてみます。
プログラマーをお志す
いわゆるファミコン世代で漠然とゲームを作りたいと思っていました。
なんとなくファミコンっぽぃ雰囲気の工業高校電子工学科へ進学してみましたが
作業着着て半田コテ持ってたり電子回路図書いたり何かが違う雰囲気。
お隣の情報処理科が実は本命だったことを後で知ります。
幸い、Basic言語で簡単なプログラミングができるポケコンが支給されていて
授業中も試験中もずっとコード書いてました。(ぉ
そのうちもっと本格的にギャルゲーがやりたいってことでPC98デビュー
ごめんなさい。お父さんごめんなさい。ちゃんとコードも書いてましたよほんとですよ。
バブルがパァーン!
どんなお馬鹿さんでも若さは武器
とりあえずプログラマーとしてどこかへ潜り込もうとの甘い考えは
バブルがパァーン!して砕け散りました。
確か千葉のCAD会社の面接を受けて『元気がない』との理由で不採用でした。
学校の成績は下の下、コード書けるといってもC言語もたどたどしいレベル
ここは情報処理の専門学校へ逃げます。
専門学校時代
国家資格(情報処理2種、1種)を取得することを主眼にした授業でしたので
コードを書く授業は多くありませんでした。
教師も現場をリタイアしたCOBOLerな方だったりしてC言語?何それ?でしたので
高い授業料を払って独学でした。
実家から離れた県だったので寮生活。
車の教習所費用をパソコンショップのオープンセールで使い込む見事な無計画さ。
2年のお勤めを終え、
就職先を探す段階になっても自分の将来に対してチャランポランな姿勢は変わらず
専門学校に出資している系列会社に適当に決めます。ほぼエスカレーターだったので。
1社目:ブラック企業(年収200万未満)
今でこそブラック企業なんて言葉がありますが見事にそれが当てはまる会社でした。
2DKのマンションを会社が借り上げ、社員を3人住まわせます。
先輩が一人部屋、下っ端は2段ベッドで別の部屋。
いい大人がプライバシーも何もあったもんじゃありません。
給料は手取りで11万円、家賃はかかりませんがかなり厳しい生活。
残業は最大で月200時間、残業代は出ません。ゼロです。
時給計算したらえらいことになってたのを覚えてます。
終電を言い訳に帰りたいですが徒歩通勤なので逃げ場なし。
大企業の受託開発で一族経営。格差パネェ
でも親分肌の先輩にはとても可愛がってもらって
趣味の開発から仕事の開発へステップアップ。
とても貴重な2年でしたが奴隷を続ける気は無いので退職。
しかし貯金も無いので実家へ帰ることに。
お給料のことを口にすると↓ 大体こんな台詞が返ってきます。
『暗い暗いと言うよりも進んで明かりをつけましょう』
死ねと思いました。
当時は社会人経験も浅く、
IT業界といいますか仕事はこんなものだと変な洗脳を受けたりして
待遇への不満は人として残念、みたいは風潮でしたね。
2年目、待ちに待った昇給!3000円!
はい、税金がおっかけてきてマイナスです。お疲れ様でした。
2社目:有限会社(年収240万円)
実家から通える職場に転職。お給料ちょっとだけアップ。
地方なのでおっきな会社がありませんし、私のキャリアも毛が生えた程度なので
ハロワで見つけた従業員数名の小さな会社へ潜り込むのがやっとでした。
家賃が不要なのでちょっと貯金もできたり。
地方は技術的にやはり遅れてるな。と思うことが多く
1年働いて再び上京することを決意。
フリーランス(年収480万円)
飛行機で東京へ出て、その日のうちに池袋の不動産屋で写真だけ観て安アパートを契約
家賃3万5千円のワンルーム。
カーテンも布団も照明もなく、西友で座椅子を買ってしばらくそこで寝ました。
引っ越したらお金無くなっちゃったwwwww
やゔぇええええええええええwwwwwwwwwwwwwwwww
そんな状態だったので転職活動もできず
ニフティーサーブの掲示板で知り合った方からフリーランスとして仕事を頂くことに。
月額40万だったかな。安いけどこの時点で23、4歳でしたのでまぁ。
お給料ではなく報酬、ですけどいきなり手取りが増えてジュリアナ状態。
ただフリーランスの報酬は月末締めの翌々月払いだったので
お願いして前借りしてました。
2000年問題で会社に泊まり込んで
会議室でグランツーリスモしてたのは良い思い出です。(ぉ
フリーランスはやはりキャリア形成が難しいですね。
社員は育てようとしますけど、フリーランスはスポット的な仕事が多い。
ひとりでキャリアを考える難しさから転職することに。
あと確定申告めんどくさい。。。
3社目:ベンチャー(年収400万)
エンジニアType誌だったかな。
エンジニア向け転職情報誌で見つけたベンチャーへ応募
フリーランスを経験していい意味で金銭感覚が壊れたので強気の年俸交渉
ベンチャーで勢いがあったのか二つ返事でオッケーでした。
オフィスも新しく、人より机が多かったのを覚えてます。
手取りは減りましたけど会社員なので。まぁこんなものでしょう。
若いエンジニアの方は是非、ベンチャーを狙ってみてください。
ストックオプションとかワンチャンあるかも。
私は権利だけ頂いて行使できませんでしたw 株価が下が(ry
年1回、年俸交渉があり、数十万単位で年収が上がっていきます。
会社の業績はともかく。。。
そういえばこの辺でサブプライムローンがアレしちゃいます。あはは
数年経過したところで業績悪化、社員を半分リストラ。
役員の皆さんが会議室に軟禁されたりしてかなりドラマチックでした。
私は残るほうでしたが仕事は増えて大変なことに。
自律神経がぶっ壊れました。アヒャー
この会社は大変優秀な方が多く、今でもお付き合いのある方も居て
エンジニアのベースはここで出来上がりました。感謝
4社目:大企業(年収500万円台)
やっぱベンチャーは不安!ってことで結婚を機に大企業へ
前職ベースでお給料決定。
品川駅直結!研究開発!
ってことで気分は上々でしたがパワハラを受け5ヶ月で退職
もうやだサラリーマン懲りた。
毎朝朝礼があり、叱られ役が決まっていて
その様子をあえて見せて統率する、みたいな宗教でした。
フリーランス(年収840万)
なんだか疲れました。
あわてて転職活動するとまた同じ失敗をしそうだったのでフリーランスに。
C#も.NETも未経験でしたがC言語できるってことで70万スタートの単価に
恐らく今現在もこれくらいの単価ではないでしょうか。
お客さんと仲良くなって戦力になるともう少しアップしてもらえます。
はじめてオフショア開発も経験
コードなんて誰が書いても一緒
日本で設計して海外でコード書いたら安上がりじゃね? と。
結果、まったく動かない代物が納品されます。
ワタシツクッタアルヨ
ウゴカナイ?オカネクレアルヨ
はい。日本で作り直しです。
この時、たまたま友人が当時IT業界を賑わせていたあの会社に勝手に履歴書を送ってくれちゃって
(心配かけてごめんな。。。)
友達の顔を立てようといちおう面接だけ受けに行ったらその場でOKが出たので決めました。
5社目:ITお騒がせ企業(年収600万)
最終面接してくれた社長が逮捕されて居なくなってました。
憧れの六本木ヒルズ。ゴージャス過ぎて田舎モンなのでチビリまくり。
また手取りが下がったけど600万ならまぁ。
この会社でようやく
コンシューマー相手の仕事が自分は向いてるんだなってことに気づけて良かった。
転職しても転職してもなんか仕事がつまらん。。。
って状態な方はエンタープライズ系を彷徨っているのかもしれません。
でもある日、退職勧奨を受けて辞めることに。本当に唐突。
いざとなったら組織は本当に冷たいです。
会議室に呼ばれて行ってみるとクビを言い渡されます。
あなたはもう開発ではなく人事部の人間なので仕事もデスクもありません。
開発じゃないから上司とかにも話通じないからよろしく。
お給料半分なら残っていいのよ?どーぞどーぞ。だそうです。
こんな時、せいぜいゴシップになる程度で誰も助けてはくれません。
クロネコヤマトに電話して荷物を持っていってもらいました。
会社都合なので退職金が出ました。
反省点としてはアプリエンジニアは需要が無かった。
今でこそスマホ全盛ですけどね。
6社目:今の会社(現職なので年収は秘密)
幸い、前職の特殊なアプリ開発スキルのおかげで次の仕事が見つかりました。
誰でもできることができない(Web系)かわりに
誰でもできないけど需要があまりない(アプリ系。それもレア)なスキルで拾ってもらえました。
現在はAndroidアプリ開発してます。
若い子達が多くておっさん寂しいです。
9年勤めて昇給は2回だけ。
労働が待遇に最適化されてしまってすっかり大企業病です。
でも家族が食えているのでとても感謝しています。
何より拾ってくれてありがとう。
給料の上げ方
転職が手っ取り早いです。
なんかすっごい抵抗を感じている方も多いと思いますけど
動くことも、残ることも、どちらもリスクです。
若さはそれだけで価値があります。
20代〜30代前半のうちにお給料が上がらなければ、もはやそれまでです。
今の能力に自信が無くても強気で交渉してください。
期待値で出された報酬には後で応えてください。
それでいいです。
あなたの良心でどうにかなってる仕事なんてザラですから。遠慮なく。
副業と投資
スキルもキャリアもお給料もずーっと一本調子で上がり続けるわけではありません。
私は副業をしています。
もちろん、会社はそれを認めています。ルールは守った上で、です。
その方が会社とは違った文化の仕事に触れられて勉強になりますし。
個人でアプリ開発とか、Adsenseとか、Crowdworksさんのとこで受託開発とか。
あと投資。だいじ。早いうちからはじめましょうね。
リタイアした金持ちだけがやるものだと思いこんでました。
これに興味を持つかどうかで人生が大きく変わります。
給料が多少アレでもまぁこのご時世だし、
会社も苦しそうだし、しゃーないか。。。と思えるかも。
転職回数
日本では転職回数多いとネガティブに捉えられる印象です。
ただ私の場合もそうですが、一貫性があればそれほど気にしなくていいと思います。
転職限界年齢?みたいなものも労働人口の減少とともに気にならなくなるかも。
転職の注意事項
私はすべての転職が退職後に探すパターンでした。
余裕の無い状態でしたので失敗もあります。
理想は、知り合いが転職先に既に居て就労していて
リアルな話を聞けること、条件面や福利厚生など偽りのないこと、を確認できることでしょうか。
勉強会に参加したりSNSで情報発信したりして横のつながりをもちましょう。
別に人付き合いが苦手でもいいです。上手である必要はありません。
名ばかり役職
給与の交渉や転職をほのめかすと次のステップとして
希望に添えられないけれども、役職を与える、などの甘い囁きもあるかもしれません。
ですが騙されないでください。
チェーン店の店長にされてその気になって薄給でモリモリ働いてしまうようなものです。
名前に騙されないこと!
これから先の予測
まだ40代ですが、状況によっては給与が下がるパターンもあると思います。
50代は狙われるかも。業績や評価次第ですが。
なので40代までにできるだけ種をまこうと思います。小さくても。
フリーランス
心を病むよりはスパッと退職してフリーランスで息継ぎもいいと思います。
待遇に対する考え方が変わるきっかけにもなります。
昔と違ってはじめやすいですし。
労働と待遇は比例しない
それなりに長く業界で仕事をしていますがほんとコレ。
なのでこれの乖離が大きくなると退職フラグがたちます。
拘束時間なら間違いなく最初の会社が一番ですし
仕事の難易度ならベンチャーが最高でしたが今のほうが待遇はいいです。
お給料ってなんでしょうね。
リレー参加ありがとうございま:)。ITお騒がせ企業のお騒がせ社長(個人的には好きな人ですが)に面接してもらったんですね。すげぇ。ぜんぜんポエムじゃないですね。ブラックから大企業まで経験されているようで、超参考になります。副業と投資は今自分の中でも課題となっています。アラサーだしもう遅いなんて理由で逃げるのもうやめます。
こちらこそコメントありがとうございます。まだお若いし、投資などはじめるには良いタイミングだと思います!
エンジニアとしてはもうロートルなのでこのような体験談が何かのきっかけになったり楽しんで頂ければ嬉しいです。
@20年ほどはまだエンジニアとして働いていると思いますが、しぶとくやっていきますw
おじさんたちがんばれ!