12月17日の「今日のダーリン」
・よく「根拠のない自信」という言い方がある。
ある時期「わたしの独断と偏見によれば」
という言い方が流行したのと同じように、
「根拠のない自信があるんです」と
堂々とじぶんから言ってる人も少なくないようだ。
ちょっと、一部では流行しているのかもしれない。
「根拠はないのだけれど、自信はある」ということは、
なにかじぶんの関わるモノゴトが、
「この先、よくなる」ということを
言い表してしているのではないだろうか。
自信はあるのだけれど、この先の結果はよくならない、
なんてことは、人は言うもんじゃない、言う意味がない。
この先「よくなる」の方向に進むということを、
じぶんの「根拠のない自信」を語る人は思っている。
たぶん、これ、根拠なくても魅力的に見えるはずだ。
この先がよくならないのではないか、
という証拠やら理由やらを物語る情報は無数にある。
おそらく、日本では半数以上の人が、
この先は悪くなると思っているのではないだろうか。
少々ファイトのある人の場合でも、
「悪くなるのは知ってるけど、食い止めよう」といった
対症療法を語っている場合が多そうだ。
ぼくも、ずいぶん長く生きてきたけれど、
「これからがよくならない」と、これほど多くの人が、
思っている時代に暮らしているのは、初めてのことだ。
たしかに、戦争に敗れて焼け野原から出発した国なら、
あとはよくなるばかりだから、この先が
「よくなる」ということを、自然に信じていられた。
追いつきたい豊かさも、海の外に見えていたしね。
しかし、けっこう長い間、上昇カーブは止まったままだ。
「この先、よくならない」ような気がしている人が、
いまの社会の常識をつくっているわけだから、
「よくなる」を言うのには相当な根拠が要りそうだ。
でも、人は「よくなる」と、思いたいものなのだ。
根拠はない、「よくならない」のはいやだ。
そうなったら、「根拠のない自信」と言うしかない。
そういうわけで、このことばが流行しているのかもよ。
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
よい未来からの視点で、いまを見るという練習が要るかな。
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