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クローズアップ

大阪大学大学院 伊藤 公雄
「人権とジェンダー」〜女性の視点・男性の視点〜
(その3)

男性にとってのジェンダー

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▲男女共同参画のシンポジウムでコーディネーターをする筆者
 実質的な男女平等を考えるなら、「女性の生物学的機能への十分な配慮と、それを口実にした差別の撤廃」が前提にならなければならないのです。国連の女性差別撤廃条約をよく読むと、この原則が貫かれていることが理解できるはずです。

 それなら、このジェンダーの観点から男性を考えたらどんな姿が見えてくるのでしょう。そのひとつとして、多くの男性は女性以上にジェンダーの見方に縛られているということがいえるだろうと思います。女性差別がなかなかなくならないのは、社会の主導権を握っている男性の側にジェンダーに基づく偏見が根強いからだともいわれます。特に、現代の日本社会ではこの傾向が他の国々よりも強いという印象がありあす。ひとつの例として、以前、ある大企業の方からこんな話を聞いたことがあります。

 「最近は入社試験をすると女性の方が成績がいい。成績だけでみると7対3くらいで女性が上に来る。でも、面接などで、採用段階では7対3か8対2くらいで男性を採用することになる」。

 こうした判断は、国際的にみたとき、「優秀な女性労働力が多数存在しているのにそれを活用しないなんて、何てもったいないことをしているんだ」ということに今ではなっているようです(ダボス会議=世界経済フォーラムなどでも、日本の女性の経済活動への参加率の低さが日本経済の低迷の原因のひとつだとさえ指摘されています)。

 それなら、なぜこの仕組みから脱出できないのでしょうか。ひとつは、日本の男性のジェンダー問題への無関心(というよりも鈍感さ)ということがあげられると思います。なぜ男性がこの問題に無関心かといえば、日本の社会が今や強固な男性主導社会になってしまっているからです。女性たちは、男性主導社会で、いやな思いやつらい経験をしています。だから、ジェンダー問題にはいやでも敏感にならざるをえないのです。でも、男性たちは、男性主導社会という枠組みのなかにいれば、これまでは、それほどいやな思いやつらい経験をしなくてすんできました。その結果、「今の仕組みが問題だ」という発想がなかなか出てこないのです。

 もうひとつ理由があります。日本の経済成長が「男は仕事、女は家庭」というジェンダー構造によって支えられてきた側面があるということです。特に、1970年代以後はこの構造はそれまで以上にはっきりしてきます(自営業や農業従事者が多数派を占めていた戦後間もない時代まで、実は、日本社会において、女性の多くが男性とともに生産労働の中軸を担っていたことを思い出してください)。この時代、それまで以上に「男は外で長時間労働、女は一手に家事・育児・介護」という仕組みが強化されています。考えてみれば、確かに、この仕組みは経済成長には都合がよかったのです。「家庭のことなど考えず長時間働く男性労働者とそれを影で一人で支える家庭の女性」という構図は、効率や生産性という点ではきわめて有効だったからです。

男もつらいよ 男性を縛るジェンダー

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▲1997年、韓国で開催された第1回父親大会のゲストとして参加した筆者。テレビや新聞のインタビューもたくさん受けた
 しかし、このジェンダーによる労働の分業の仕組みは、今、いろいろなところで「ひずみ」を生み出しているように思います。ひとつは、家庭の絆の崩壊です。そもそも男性たちは家庭に居ないのですから、家族とコミュニケーションをとる時間もほとんどありません。夫婦関係も(特に夫の家庭活動への不参加を契機に女性の側から)崩れやすくなっていきます。子どもの教育も、妻まかせです。その結果、妻たちは育児ノイローゼになったり、またときに過保護や過干渉という形で子どものスポイルが起こりやすくなります。

 地域社会の絆も弱くなっています。以前なら地域社会に男性の姿を見ることはいくらでもありました。男尊女卑の傾向はあったにしても男女で地域を運営するという仕組みがそれなりにあったからです。地域の男性たちは、子どもにとっても地域の教育力のひとつの源でもありました。親以外にも、地域の男女の目が子どもの育成にきちんと関与していたのです。そう考えると、男性の地域での存在の希薄化も、現在の子ども問題の背景にはあるのではないかと思えてきます。

 そればかりではありません。男性主導社会を担ってきた男性自身にとっても「男はこうあるべきだ」という「男らしさ」というジェンダーの縛りは、今や重荷になろうとしているようにさえ思われます。

 たとえば過労死問題です。現在、日本では毎年数万人の方が過労死で亡くなっているといわれています。その大部分が男性です。また、50代を中心に中高年男性の自殺が急増していることもよく知られた事実です。こうした危機を乗り越えて、さて定年となったとき、多くの男性には家庭に居場所がありません。というのも、「男は仕事」というジェンダーの時間を奪い、また仕事以外の生き方を見失わせてしまったからです。

 「男たるもの、弱音をはかず、感情を抑制し、つねに頑張らねばならない」というのもジェンダーの縛りだと思います。もちろん、仕事の面では、こうした心構えが必要なときがあります。ただし、過剰な思い込みは、ときに男性の心身をボロボロにしてしまうこともあります。ちょっと考えると、男性の過労死や自殺の背景にも、こうした「男たるもの弱音をはくな」という「男らしさの鎧」が存在していることが見えてくるでしょう。弱音を見せたくないがために無理をしたり、家庭や友人に相談すれば解消できるかもしれない心の重荷を、一人で勝手に背負い込んでしまいがちな男性の姿がここにはあるからです。

おわりに 男女共同参画社会に向かって

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▲講演中の筆者。男女共同参画の講演会には、定年後の男性の姿も目立つ

 こう考えると、今、政府が進めようとしている男女共同参画社会の形成は、何も女性のためだけのものではないということも見えてきます。なかでも男性にとっての焦眉の課題は、「男は仕事」という縛りで進められてきた長時間労働の仕組みを改め、仕事と家庭・地域生活のバランスを取り戻すことです。男性にも、家庭を大切にし、仕事以外の面で自分の人生を豊かにしていく権利があるはずだからです。

 こんなことを言うと、「それなら日本の経済発展はストップする」という方がいるかもしれません。大丈夫です。これからの社会では、女性(そして高齢者や外国の方も含めて)の社会参画・労働参加の拡大が、それを補って余りある力を発揮するはずだからです。男女ともに、仕事と家庭がバランスよく運営できる(ワーク・ライフ・バランス)社会が、男女共同参画が目指す社会なのですから。

 こう考えるとき、男女ともに、お互いの人権に配慮しながら、社会生活の場で、また家庭・地域生活において、もてる能力や個性を発揮しつつ、共に助けあいながらバランスよく生活できる社会=男女共同参画社会の形成のためにも、あらゆる生活の場面をジェンダーの視点で点検していくことが、これからは必要になるということがご理解いただけるのではないかと思います。

終わり


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