2017-12-18

セクハラ自分問題だとは感じない

夜中にサラダを作って食べている。

自分大学入学時に、初めて大学広報パンフレットを読んだ。

なぜなら、知能の足りなさ故に大学受験に失敗して、不本意ながらの進学だったからだ。

みんなが憧れる巨大企業入社したOG笑顔で話している。

自分がこれから学ぶ学部での、4年間が如何に有意義だったかを吹聴している。

彼女容姿が良かった。巨大企業に入れたポイントは明らかに顔だった。

学部カリキュラム云々なんか就職活動人生に影響を与えていないのは確かだった。

最近は、セクハラ問題が叫ばれている。

ハリウッド風に吹かれてMe too(私も)とか言うと、You too(テメーもだ)と返ってくる様は地獄さながらである

単に自己顕示欲を満たすためのセクハラ報告会にすらなっている。

好きにやってくれと、言いたいがなかなか正義感が強い人は深刻に考えている。

セクハラ問題労働者全ての問題だとか、叫んでいるのだ。

しかし、半ば自分は冷めてしまう。

なぜなら、労働者というもの格差を深刻に感じるからだ。

パンフレットのように見てくれが良いゆえに、巨大企業に入れた女と、就活で苦労しそうな容姿の醜い自分とでは何もかもが違うのだ。

田舎中小零細と、都心大企業では何もかもが違う。

美人グロメンでも何もかも違う。

それなのに、みんなの問題として考えられるか。

もし、パンフレットの女がセクハラにあっても性的魅力のディールだし自業自得だとしか感じない。

まぁ、一番セクハラ問題自分関係あるとしたら容姿故に何もせずとも人を不快にしてしまうことだろう。

我慢してほしい。自分だって容姿が良くなりたいのだ。

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